『-one-』

3days P14


 心を満たしていく甘い切なさは目の前の男によって土足で踏み荒らされた。

「ケーキ食えよ。お前チーズケーキ好きだっただろ?」

(一体いつの話よ……)

 きっと付き合っていた当時は好きだったチーズケーキ、席に着いてすぐ麻衣に確認することもなく智親は勝手に注文をしていた。

 そんな所も何一つ変わっていない。

 自分が正しくて付き合っている彼女は自分の思い通りになると思っている。

(どうしてこんな男を好きになったんだろう)

 それは別れてから何度も何度も思ってきたことだった、でもいつ考えても出る答えは「最初はそんな人だと思わなかったになった」だ。

 麻衣は目の前に置いてある皿に視線を落とした。

 白い皿の上にはタルト生地の上に乗ったレアーチーズケーキ、周りを季節のフルーツが彩り赤紫のソースが皿に曲線を描き白いレアチーズの上にたっぷり掛けられていた。

(食べ物には罪はないものね。これを食べたらさっさと帰ろう)

 いくら目の前にいる男が憎くても目の前の美味しそうなケーキは色褪せない。

 麻衣は左手を皿に添えてフォークに手を伸ばした。

「俺さ……あれから一日も麻衣のこと忘れたことないんだ」

 油断した。

 麻衣はその一言を咄嗟に頭に浮かべた。

 もしかしたら目の前の男はこの時を待っていてケーキを食べるように誘導したのかもしれない。

 皿の上に添えた自分の手に智親の手が重なったのを見て麻衣はギョッとして摘まみ上げたばかりのフォークを手の平の中に握った。

「イッ……テテテテッ!!!」

 麻衣は無言で手に握ったフォークを智親の手の甲に突き刺した。

(もう! 食い意地が張ってる自分が情けないっ!)

 ケーキの誘惑に負けてしまった自分を罵りながらフォークを乱暴にテーブルに戻すとすぐに立ち上がった。

 智親はまだ手の甲を摩っている、よく見るとフォークの先が食い込んだ跡が赤くなっていた。

 ちょっとやり過ぎたかもと胸が痛んだけれどこれくらいしたって許されるはずだと麻衣は智親に背を向けて早足で店の出口に向かった。

「ちょっ……麻衣っ!」

 名前を呼ぶ大きな声の後にガタガタッと大きな音が聞こえた。

 けれど麻衣は足を止めることも振り向くこともせず真っ直ぐ前を向いたまま出口へと歩いていく。

(あのニヤけた顔に水でも掛けてこれば良かった!)

(ううん、もう一秒でも一緒に居るのなんて耐えられなかった!)

 店から通りへと出た麻衣は少しだけ後悔しながらもそれを消すように首を横に振り真っ直ぐ地下鉄の駅に向かって歩き出した。

 今日はきっと厄日で外に出ない方が良かったんだ、きっとどんな占いを見ても今日の運勢は最悪に決まっていると思った。

 それが分かっていたら楽しみにしていた美咲との約束も断った、そうじゃなかったとしても美咲に仕事が入ってしまった時点で真っ直ぐ帰ったはずだ。

 何度もその機会はあったのに今日は何をしても裏目に出ていた。

 早く帰ってすぐにお風呂に入って寝てしまおう、きっと陸が帰って来る頃には嫌なことも全部忘れているはずだ。

「待てって! おい、麻衣っ!」

 そう簡単に厄日の呪縛からは逃れることは出来ないらしい。

 あっという間に追いついて来た智親は麻衣の手首を捕まえるとそのまま前に回り行く手を塞いだ。

「離してよっ!」

「何、怒ってるんだよ」

「はぁ!? 私が怒らないとでも思ってるの? ふざけないでよっ!」

 何をどうしたらそんな間抜けなことが言えるのか麻衣には理解出来なかった。

 目の前に立った智親は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ麻衣の顔をジッと見た、麻衣は陸よりも十センチほど低い位置にある智親の顔を睨みつけた。

 沈黙は長くは続かなかった。

 さっきまで不機嫌な顔をしていた智親の表情が柔らかくなったと思ったら二人の体が接近した。

 反応するのが遅れてしまった麻衣は目の前にある智親の体から逃げようと右足を後ろに引いたがガッチリ掴んでいる智親の手がそれを拒んだ。

(ウソッ……どうしよう)

 まさかこんな人通りの多い所で変なことはしないだろうとは思っても目の前の男に常識が通用するのかと問われてもすぐに返事は出来ない。

「お前……俺のことがそんなに好きなんだな」

 智親はうっとりとした声で囁いた。

 耳のすぐそばで囁かれて麻衣は背筋が寒くなったけれどそんなことは構っていられなかった。

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