『-one-』
3days P12
車に乗るとすぐに走り出した。
ポツリポツリとある街頭を通り過ぎるたびに浮かぶ智親の横顔、手を伸ばせばすぐに触れられる距離にある骨ばった手が慣れた手つきでハンドルを握る。
運転が上手な智親は走り出してからどこへ行くとも言わず車を走らせた。
危なさを微塵も感じさせない運転、聞きなれたJ-POPは会話をしても邪魔にならないほど静か、窓を締め切っているのに適度に調節されたエアコンで車内は信じられないほど快適だった。
そしてまるでメールのように絶妙なタイミングで他愛もない話をする智親。
その声は大きくもなく小さくもなく、気負って早口になるわけでもなく、電話を通して聞いていた時よりもスルッと体の中へと入り込んできた。
車に乗る前に智親が言ったことは正しかった。
ドラマの話や好きな芸能人とか仕事の話とか、そんな本当に取るに足らないような話をしながら三十分程度のドライブだった。
しかも車は特に大通りを外れることもなく麻衣もよく知っている道を走って最初のコンビニへ戻って来た。
麻衣は智親を疑ってしまったことに恥ずかしさを覚えた。
彼は本当に自分と話をしたくてただドライブをしただけだった。
いくら公道を走る車中とはいえ窓を締め切ってしまえば密室で何をされるか分からない、そんな下世話なことを考え智親がそんなことを考えているんじゃないかと身構えてしまったことが恥ずかしい。
「ちょっと緊張してて……運転下手だったかも、ごめん」
「ううん、全然! すごい上手だった」
コンビニの駐車場の一番端に車を停めギアをパーキングに入れた智親はシートベルトを外して麻衣に顔を向けた。
麻衣はお世辞でもなく首を振って否定した。
自分は免許を持っているものの運転したことは数えるほどしかない、ほとんど誰かの車に乗せて貰うことが多いけれどその中でも智親の運転は誰よりも上手だった。
乗った当初は強張っていた体もすぐにリラックスして背中をシートにゆったりと預けたほどだった。
「良かった……好きな子乗せてると思うとさすがに緊張するね」
「え……」
智親の言葉を聞き流せなかった。
すぐに聞き流せば良かったと後悔した、もしかしたら自分の勘違いだったかもしれないし、その言葉に深い意味なんかなかったかもしれない。
麻衣がどうしようかと思っていると智親の体が少し近寄った。
車の中では図ったようなタイミングで流行りのラブバラードが流れて、店から少し離れた場所に停まっているせいか周りは暗かった。
二人の横顔を照らすのはカーステレオのほんのりと浮かび上がる青白い光。
声を出すのも息をするのも憚られるような雰囲気の中、さっきまでハンドルを握っていた智親の骨ばった手が麻衣の小さな手を握った。
そしてそうなることに何の疑問も持たず麻衣は智親の唇を受け止めた。
触れるだけのキスは一瞬だったかもしれない、でも麻衣には永遠にも感じられた。
智親はゆっくりと唇を離すと照れくさそうな笑顔を見せて握っていた手に少しだけ力を込めると麻衣の顔をすぐ側から覗きこんだ。
「麻衣ちゃん、彼氏いないなら俺と付き合って?」
「うん」
迷いはまったくなかった。
麻衣が答えると智親は嬉しそうな顔をしてまたキスをした。
最初のキスよりも長いキスだったけれど麻衣が困ってしまうようなキスになることはなかった。
「送ってくよ」
「ううん……すぐ近くだし、大丈夫」
「ほんとに?」
「うん」
「じゃあ……着いたらメールして? すぐ近くでもやっぱり心配だから」
「うん」
降りる間際にそんなやり取りをして車を降りると麻衣は暗闇の中を走り去るワインレッドのツーリングワゴンを見えなくなるまで見送った。
見えなくってもすぐには動けなかった。
知り合って一週間まだどんな人かもよく分からない、それなのにキスをして付き合うことを承諾してしまった。
自分にしてはとても大きな冒険で火照ったしまった頬は自分の部屋に着いてからもなかなか治まらなかった。
(恥ずかし……若かりし頃の思い出ってやつよね……)
そんな恥ずかしい記憶を思い出していた麻衣は信号が変わったことも気付かず、その後に自分の身に起きたもろもろのことを思い出し眉間に皺を寄せた。
(嫌なこと思い出しちゃった)
すっかり気分を害してしまった麻衣はもう買い物をする気を失くしていた。
デパートには向かわずにそのまま地下鉄の駅に向かおうとする、けれど夕飯を何も予定してないことを思い出すと最初の予定通りデパートへ向かうために歩道を渡った。
思い返せばこの時だって「たまには美味しいお惣菜を買って帰ろう!」なんて思わずに真っ直ぐ帰って自分で何か作れば良かった。
まさに後悔先に立たず。
[*前] | [次#]
コメントを書く * しおりを挟む
[戻る]