『日日是好日』
第五話『グッドモーニング、ガクさん』 P3


「カオル、なんて顔してる?」

 立ち上がっていたガクさんは、ボクの横に立って顔を覗き込んだ。

 少し気まずそうに笑って、髪を撫でるように後頭部に置かれた手、ガクさんは小さな声で「ごめんな」と呟いてキスをしてくれた。

 チュッと音の出る短いキスを続けて二回、それからちょっと離してもう一度チュッと音がして離れた。

「明日、終わったら店に迎えに行ってもいいか?」

「うん。待ってる」

 前にガクさんがポロッと口にした言葉をボクは思い出していた。

『雪さんにヤキモチ妬いたんだ』

 ボクよりも五歳年上のガクさんが子供みたいに拗ねた表情を見せた。

 最初は何を言っているのか意味が分からなかった。

 確かにボクは小さい頃から男の人しか好きになれなくて、それで家族とも色々あったし帰る場所もない。

 そんな時に手を差し伸べてくれたのが雪さん、小さい頃からよく可愛がってくれてボクも大好きだった、でもその大好きとガクさんへの大好きは全然違う。

 それをどう伝えていいか分からないボクが口にした言葉に目を丸くしたガクさん。

 やっぱりあれが一番伝わりやすいのかな……そう思ってボクは再び同じことを口にした。

「雪さんとは、寝ないよ」

 ボクにはガクさんだけだ、その気持ちを込めた。

 一瞬の静寂の後、ガクさんは声を立てて笑う。

「知ってるよ」

 ガハハハと豪快に笑いながら、ガクさんの手がボクの髪をクシャクシャにする。

 食べかけのクロワッサンを持ったまま、ボクは頭を撫でられる気持ち良さに目を閉じてされるがままになった。

「なぁカオル」

「ん?」

 不意に名前を呼ばれて視線だけでガクさんを追うと楽しそうな視線とぶつかる。

 何か面白いことを思いついたような子供のような顔をしたガクさんは身体を屈めると耳元に唇を近づけて囁いた。

「早起きのご褒美。ヒゲ剃るか?」

 そう言ってガクさんは自分の顎を手で擦って見せた。

 男にしては体毛の薄いボクと違って、ガクさんは色んなところが男らしい。

 ヒゲだって夜になれば薄っすらと生えていて、いつもの朝は電気シェーバーで剃っている。

 いつだったかお風呂に入りながらガクさんのヒゲを剃ったことがあった。

 どういう流れでそうなったのかは覚えていないけれど、それ以来ボクはチャンスがあればガクさんのヒゲを剃らせてもらっている。

 いつもは早く起きられないから無理だけど、今日は一緒に起きられたからそのご褒美らしい。

 嬉しくなったボクは目を輝かせ大きく頷いてから椅子から立ち上がろうとした、けれどガクさんの両手が肩を押さえてそれを阻んだ。

「それ、食い終わってからな」

 あと一口分残っているクロワッサンを指差された。

 その言葉を聞いたボクはすぐに残りのクロワッサンを口に放り込み、ほとんど噛まずに冷めたカフェオレで流し込んだ。

 喉に詰まってケホッと咽るとガクさんは声を押し殺して肩を揺らしている。

 だって、しょうがないよ。

 朝からガクさんに触れることが出来るなんてすごく嬉しいんだ。

「よし、グズグズしてたら遅刻するから早速お願いするか!」

 元気のいいガクさんの声に頷いてボクも立ち上がる。

 立ち上がるとほんの少しだけ背の高いガクさんの横に並び一緒に浴室へ向かう。

 家の中なのに自然と肩を抱いてくれる。

 たったそれだけのことなのに、ボクは口元がニヤけてしまうのを我慢できなかった。


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