『日日是好日』
第五話『グッドモーニング、ガクさん』 P4


 バスタブに腰掛けるガクさんの前に膝立ちになって剃刀を手にする。

 すごくリラックスした顔のガクさんと目が合って、ボクは小さく微笑んでからシェービングフォームを塗った顎に指を添えた。

 肌を傷つけてしまわないように、でも肩にも腕にも余計な力は入れずにソッと剃刀を当てる。

 狭い浴室内には剃刀を濯ぐ水音だけ、ボクもガクさんも一言も発しない。

 この時間が好きだ。

 ジッとガクさんに見つめられるのが好き。

 そして何よりガクさんの髭を剃るのが好き、不器用なボクが好きなのには理由がある。

 男の髭は時にセクシーだったりワイルドだったりする。

 長期休暇にはガクさんも剃るのをサボって伸ばすこともあって、いつもよりワイルドな横顔に見惚れたりすることもある。

 でもやはり社会人の身だしなみ……という点で言えば伸びかけの髭は無精髭ととられてしまう。

 その一番大切な身だしなみをボクの手でして送り出す。

 些細なことだし他の人が聞いたら理解出来ないかもしれないけれど、これがボクにとっては何よりも重要なこと。

 こうやって朝の身だしなみを整えてあげられるのは一緒に暮らしているからこそだからだ。

 それに……もう一つの理由を頭に浮かべるとつい口元が緩んでしまう。

 ガクさんはボクの笑みに気が付いて、どうしたと目だけで訴えてくるけれどボクは笑って何でもないと返した。

 ちょっと不満そうに唇を尖らしたけれど、濯いだ剃刀を鼻の下に当てるとすぐに元に戻った。

 可愛いな、と思ってしまう。

 いつもはカッコ良くて頼りになって男らしいガクさん、ボクから見ても……といってもボクがゲイだからかもしれないけれど、ガクさんはすごくカッコいい大人の男。

 そんなガクさんがこの時だけは大人しく座っている。

 まるで借りてきた猫のように身動きせず、ジッとボクを見つめながら剃り終わるのを待っている。

 ボクは男で奥さんにはなれないし、何より家事はからっきしダメだけれど、外で働くガクさんのために剃り残しのないように丁寧に剃った。

 剃り終わって濡れたタオルで拭うと今まで黙っていたガクさんがニカッと笑った。

 その笑顔が「どうだ、いい男か?」とでも言っているみたいに見えて、僕は思わず首を伸ばして剃ったばかりの顎にキスをした。

「カオルが剃ってくれると気持ちがいいな」

 そう言いながらガクさんはボクの頬に指を滑らせる。

 くすぐるように滑る指先の動きに目を閉じて頬をすり寄せると、指は頬を滑りそのままボクの細い顎を捉えた。

 わずかな力に誘導されるように上向きにされ優しいキスが落ちてくる。

「ガクさん……時間……」

 短いキスの合間にそう呟くとガクさんは「そうだな」と言ってまたキスをする。

 チュッチュッと音を立てていたキスが、湿り気のある音に代わり浴室内に響いてしまうと、ガクさんは「うぅ……」と短い唸り声を上げて顔を離した。

「これ以上したら、会社を休みたくなる」

 笑いながら人差し指でボクの鼻先を弾く。

「夜までお預けだ。いい子で待てるか?」

 ここで待てないと言ったらガクさんはどうするんだろうと、すこし意地の悪いことを考えたけれど直ぐに頷いた。

 だって今のは夜のお誘いだ。

 ボクは外で仕事をしているわけじゃない、だから平日でも翌日に疲れが残るようなことをしても平気。

 でもガクさんは「もう年だからなぁ」と笑いながら、なるべく休みの前日や週末に合わせるようにしている。

 確かに三十路は過ぎているけれど、ガクさんの腕の中で翻弄されるボクからしてみたら、どこがどう年なのかまったく分からない。

 次の日は起き上がれないこともあるほど荒々しく抱く時もあれば、涙を流して懇願するまで焦らされる時もある。

 今夜は……。

「カオル?」

 タオルと剃刀を握り締めたまま、朝の時間にはありえない想像をしていたボクは、ガクさんの声にギクッとして剃刀を落としそうになってしまった。

 慌てて掴もうとするよりも早くガクさんが手を伸ばす。

 ガクさんは危なげなく剃刀の柄を掴み、空いている方の手でボクの肩を抱き寄せた。

「こら、危ない。指でも切れたらどうするんだ」

「うん……」

 やっぱり……カッコいい。

 髭を剃ってさっぱりした恋人の横顔にボクは手の中に残ったタオルを握り締めてまた見惚れてしまった。

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