夏が始まる君の隣

 七月、今学期の最終日。

 蒸し暑い体育館に拘束されて毎度お馴染みの校長先生からのありがたいお言葉も、夏の補習組という屈辱を回避した祐二には気にならない、朝から終始ご機嫌で鼻歌でも飛び出しそうな勢いだ。

「祐〜ぅ。夏休み、どっか行くー?」
「んぁー、じーちゃんとこ。あとはどーすっかなー」

 後ろに立つ親友の日和に声を掛けられて、こっそり振り返りながら答えて頭の中で思い浮かべているアレコレを小声で口にする。

「プールだろ、海だろー、あとは花火だろー、山盛りカキ氷食ってー、それからースイカ割りとかやりてー。日和、お前は? バイト?」
「うんー。ほとんどバイトだけどねー。でも、休みもあるし遊ぼうよー。折角だから三人でお泊まりとかもいいよねー。おばあちゃんが旅行に行くから、その時とかだといいなー」
「おう!! でも、お前いいのかよ、その……」

 小声だった声をさらに囁くようなものに変え、祐二は周りに立つ生徒を気にしながら日和の耳元に顔を近づけた。

「か、彼……あ、いや恋人と……遊んだり、とか……」

 いくら見た目はその辺の女子より可愛いとはいえ、男の日和に向かって彼氏と口にするのは問題がある。
 誰かに聞かれでもして、大事な親友がホモだとかなんとか言われていじめられたら困る。
 慌てて言い直したものの、自分の恋人も彼氏なのだから、他人事ではないという気持ちの方が大きかった。

「遊ぶよー。でも、祐とー貴の方とも遊ぶよー」

 女子みたいにピンク色の唇がにっこりと笑い、まつ毛の長い瞳をパチパチさせて見つめてくる日和に、祐二もまたつられるようにニッコリと笑ってしまう。

「こら、二人とも。静かに」

 浮かれ気分で日和とヘラヘラと笑い合っていた祐二は、聞こえてきた少し低い声にのっそりと身体の向きを変える。

「あとちょっとだから」
「ごめーん」

 後ろから日和の素直に謝る声が聞こえた。
 悪いという自覚はあるものの、どうしても謝罪の言葉を口にすることが出来ずに、20センチ上から咎めるように見下ろす瞳を、反抗的な視線で見上げてしまう。

 貴俊はいつも涼しい顔をしているくせに、風通しの悪い体育館に全校生徒がいるという状況では、さすがに苦痛らしく額に汗を滲ませてうんざりした顔をしている。

「お前だって早く終わればいいって思ってるくせに」
「当然でしょ。こんな暑い場所に長時間いたら熱中症になるよ」

 苦笑いしながら貴俊はポケットから取り出したタオルで額の汗を拭い、汗で濡れた前髪をかき上げると、周りの空気がざわっと揺れるのを感じた。

 胸の奥がジリッとする。
 まるで真夏の太陽が肌を焦がすような痛みと熱に似ている。
 貴俊の前だけでそうなってしまう理由を自覚してからは、後ろに立つ日和に倣って素直になろうとするものの、十数年で培ったものを簡単には変えられるわけもなかった。

「だったら、お前の挨拶は3秒で終わらせろよ」
「3秒は無理かなぁ。でも、期待に応えるよ」

 そんなやり取りをしているとすぐに生徒会長を呼ぶ声がマイクを通して流れ、目の前に立っていた貴俊は誰もが知っている生徒会長の顔になって壇上へ向かっていった。


 ホームルームが終わると、ウズウズしていた夏休みへの期待感が一気に爆発して、担任が去った後の教室はお祭り騒ぎだった。

 夏休みとはいえ部活動があったり登校日があったりするけれど、授業のない約40日間がいよいよ始まるというこの瞬間は、カバンに入れた成績表のことを差し引いても高揚感が余りある。

 今日はバイトの前に例の恋人と会うのだと張り切っていた日和は、ホームルームが終わると同時に教室を飛び出している。
 どうせすぐに会うことになるだろうしと、いつものように軽い挨拶だけを交わした祐二も例外ではなく、芳しくない成績表が入ったカバンを意気揚々と肩に掛けた。

「早く帰ろうぜー」

 今、この瞬間から楽しいことばかりが待っている。そう思うと居ても立っても居られない。

 祐二はソワソワしながら、終業式締めくくりの挨拶を3秒ではなく、30秒で終わらせた貴俊が帰る準備をするのを待った。

「ごめん、祐二。少しだけ待っててくれる?」
「ハァ!?」

 ふざけんな、と言いたいところだったが、いつもより気分が良かったおかげか、申し訳なさそうな顔を見せる貴俊のせいか、その一言だけで言い留めることが出来た。

「部活、ねぇんじゃねぇのかよ!」
「うん、部活はないよ。でもね、生徒会にちょっとだけ顔を出さなくちゃいけないから」

 すぐに終わるから、そう言われても楽しい気分に水を差されたような気がしてイライラが募る。

 一応サッカー部に所属しているだけの幽霊部員の祐二と違い、弓道部に所属している貴俊は本来なら夏休みも関係なく部活動に参加するはずだったのだが、弓道場の工事が急遽行われることになり、七月いっぱいの部活動が休止になった。

 部活動があろうがなかろうが一緒にいることに違いはないが、相手に何か予定があるのとないのでは大きく違う。

「知らね。俺は先に……」
「祐二。ね、待ってて?」
「…………ッ」

 いつもは見上げる貴俊の顔が正面にある。目の前からジッと覗き込む瞳は怖いほど真剣だ。

 こんなことで何をマジになっているんだと笑い飛ばしてやればいいのに、こういう顔をする貴俊には弱いと自覚している祐二は悔しげに唇を噛んだ。

「す、少しだけだからな。ここに居てもつまんねーから、駅行って待ってる。さっさと来ねぇと先に飯食っちまうからな!」

 少し前の自分ならここで先に帰ると言えたし、実際に少しだろうが待つこともせずにさっさと帰ったはずだ。

 変わってしまった自分を思うと恥ずかしいし、それを誰かに指摘されようものなら死にたくなるに違いない、それでも一度芽生えてしまった幼馴染みへの恋心を摘み取ることは出来ない。

「ありがと。すぐに行くから、食べたいもの考えておいてね」
「おう」

 待たされた代償として何か奢らせるのも悪くない、とすぐに気持ちを切り替えた祐二が教室を出て行こうとすると、途中まで一緒にと言って貴俊が隣に並んだ。

「お前、何食いてぇ?」
「んーそうだなぁ。お好み焼きとか?」
「はあ? このクソ暑い時にか?」
「うーん。暑い時に暑いのとか良くない? ほら、祐二だって冬にアイス食べるの好きでしょ?」
「まぁ、そうだけどよ……」

 痛いところを突かれたけれど、冬にアイスはあくまで暖かい部屋で尚且つコタツに入ってという条件が付くのだ。

「それに、やきやなら、寒いくらい冷房効いてるよ」

 貴俊の言うとおり、駅近くにある鉄板焼き専門店「やきや」は地球温暖化とか節電とか関係なく、店内の冷房設定温度は20度だ。
 店主が極度の暑がり――それなのにどうして鉄板焼き屋をしているのか分からない――というのが理由らしい。

 最初は全否定したくせに、気分はすでにお好み焼きの祐二はメニューを見る前からモダン焼きとおにぎりセットにしようと決めた。
 おにぎりと言っても「やきや」のおにぎりは言わば具のない塩巻き寿司、小さめの俵型のおにぎりはほんのり塩味で、腹巻きのように海苔が巻きつけてある。

 こってりソースのお好み焼きや焼きそばには、これぐらいあっさりしたものがちょうどいい。

 学校帰りに寄り道する店の中でもお気に入りトップ5に入る「やきや」の良い所は、学生にはソフトドリンクがグラスではなく同じ料金でジョッキで出てくる所だ。

 生まれて初めてメロンソーダをジョッキで飲んだ時の感動は今でも忘れられず、「やきや」へ行く時は必ずアイスクリームが二個乗ったメロンソーダを注文することに決めている。

「じゃあ、今日はやきや、な!」
「いいの? 祐二は他に食べたい物ない?」
「たまにはお前の希望を聞いてやろうという俺の優しさだ。待っててやるんだし、ありがたく思えよ」

 すでにお好み焼きという選択が自分の希望でもあるに関わらず、恩着せがましいことを口にすれば、隣を歩いていた貴俊は嬉しそうにふんわりと笑った。

 横目で貴俊の顔を盗み見ていた祐二は、自分の前でしか見せることのない無防備な笑顔に嬉しくなってしまう。

「じゃあ、後でな」

 生徒会室と昇降口の分かれ道で足を止める。

「うん、すぐ行くね。待ってる間、お腹空いても買い食いしちゃダメだよ」
「しねぇよ」

 ボリュームあるモダン焼きが食えなくなるし、乾いた喉をメロンソーダが降りていく瞬間を想像したら、もったいなくてそんなことしたくても出来ない。

 駅ビルの本屋で立ち読みして時間でも潰しているつもりで、貴俊に背を向けて歩き出そうとすると、さらに声を掛けられた。

「それから!」
「まだ、何かあるのかよ」

 そんなことはいいから、さっさと用事を済ませて来いと言いたい気持ちを堪えて、足を止めて振り返った。

「駅へ行くまでの道、高架下は通っちゃだめだよ」
「分かってる」

 昼間でも薄暗く人通りの少ない道を思い浮かべて素直に頷く。
 ほんの少し前に局部を晒す変態を目撃したと女子が騒いでいたことは記憶に新しい。

「知らない人に声を掛けられても無視するんだよ」
「……おう」
「お菓子あげるとか、ジュースあげるとか言われてもついて行っちゃだめだよ」
「……俺は小学生か」

 確かに小学校低学年の時に、同じ状況になってついて行こうとした黒歴史はある。
 近くにいた貴俊がすぐに気が付いて事無きを得たけれど、今は分別のつく高校2年だ。

「綺麗なお姉さんに声を掛けられてもだよ」
「(お前じゃあるまいし)掛けられねぇよ」
「お小遣いあげるって言われて、変なおじさんについていったりしてもだめだよ」
「……お前は俺の母さんか!!」

 素直に聞いていたもののいつまでも続きそうな注意事項に限界が来て、勢いのまま貴俊に詰め寄ってキッと睨み上げる。

 二人のことをよく知っている日和や貴俊の兄や祐二の妹がこの場にいたら、笑いながらも間違いなく祐二の言葉に大きく頷いたに違いない。

「違うでしょ」
「……あ?」

 突っ込み役不在ということが幸か不幸か、貴俊は恐ろしいほど真剣な顔をして言った。

「彼氏、でしょ?」

 可愛い恋人のことを心配して何が悪いの? と真剣な瞳が無言のまま語りかけてくる。

「そ、そんなに心配なら……すぐに来い」

 逃げ出すように校舎の外に飛び出した祐二の頭上には、夏休みの始まりに相応しい眩しい青空が広がっていた。

end


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