たとえばこんな朝君の隣

 駅の階段を降りていた祐二は、会社員と学生に埋め尽くされたホームに視線を廻らせて、足を止めてからチラリと後ろを振り返った。

 これだけ多くの人がいる中からたった一人を見つけるのは難しい、ましてや待ち合わせをしているわけじゃないから不可能だろうけど、自分なら必ず見つけられるという根拠のない自信があった。

「なんだって、あいつ……」

 祐二はホームを目指す乗客の中に貴俊の姿がないことを確認して、足早に階段を降りるといつものように、階段からすぐ近くの乗車待ちの列の最後尾に並んだ。

 2月中旬、ちょうど月の真ん中、北の方では大雪が降っているらしいけど、普段は雪が降らないこの辺りも、今朝は朝からどんよりとした雲が広がり肌を刺すような冷たい風が吹いている。

「さむっ」

 祐二はグルグル巻いたマフラーに顔を埋めて、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込むと、人が途切れることのない階段を睨みつけた。

 いつも乗る時間はとうに過ぎている。
 3本遅れの電車は本当にギリギリの時間で、駅に着いたらダッシュしないと間に合わない。
 朝からダッシュなんて本当はしたくないけれど、そうしてでも確認したいことがあった。


 時間を遡って、前日の夕方。
 すっかり暗くなった道をいつものように貴俊と家に向かっていた。他愛もない話をしていた本当にいつもと変わらない帰り道、それは唐突だった。

「祐二、明日は遅れて行くから、先に行ってて」
「は? 遅刻宣言か?」
「違うよ。遅刻はしないけど44分の電車に乗る」
「44分!? はぁ? 遅刻じゃねぇか!」
「大丈夫だよ。駅から走ればギリギリ間に合うよ」
「何でわざわざそんな電車乗るんだよ。用事か?」
「んー用事ではないけど、ちょっと……ね。だからさ、祐二まで走らせるわけにもいかないし先に行ってて。ちゃんと間に合うから」

 歯切れの悪い貴俊は珍しかったけれど、その時はそれ以上問い詰めることはしなかった。
 貴俊の言う通り朝から走るなんてまっぴらごめんだと思っていたからだったけど考えが変わったのは、今朝テレビを見ている時に今日が何の日か知らされた時からで、それからずっと胸のモヤモヤが止まらない。

(オレだけ先に行かせて……何考えてんだよ)

 貴俊の不可解な行動の理由を確かめるため、それとなく改札口で偶然を装って掴まえるはずだったのに、35分を過ぎても貴俊は駅に姿を現さなかった。

 もしかしたら遅れて行くと言ったのは嘘で、本当はいつもよりも早い電車に乗ったのかもしれない。そうだとしたら貴俊が自分に嘘を言った? 勝手に至った結論に胸の奥がザワザワする。

 時間をずらした理由も、今どこにいるのかも、気になって気になって仕方ない、ポケットの中にある携帯からメールを送れば済む話、自分も一緒に走るから一緒に行くと言えば良かった話。
 頭では思っていても行動に移せない、理由はもちろん恥ずかしいからだけど、最近はそんな自分を少し腹立たしく思う。

 素直になれたらどんなに楽だろう。

 親友の日和が年上の恋人との話をするたび、恥ずかしい奴だと思うと同時に羨ましくも思っている。
 日和のように素直になりたいと思っても、ちっぽけなプライドが邪魔ばかりをしてしまう。

「まもなく、2番線に……」

 駅のアナウンスに思考を断ち切られて、祐二は慌てて周りを見渡したけれど貴俊の姿は見当たらない。
 ゆっくりとホームに入ってくる電車の音、これに乗り遅れたら遅刻は確定でもちろん乗るつもりではいるけれど、後ろ髪をグイグイ引っ張られていた。

(もしかして、反対の階段から降りたのか?)

 クセでいつもと同じ場所に立っているけれど、時間が違うのだから乗る場所も違うかもしれない。自分は何となくいつも同じ場所から乗るけれど、貴俊には拘りがないのかもしれない。

 頭の中でしょうもないことをぐるぐる考えていると、ホームに入って来た電車が止まって扉が開いた。
 乗り込む列がゆっくり進む中、階段を慌てて下りてくる人が何人かいるのにその中に貴俊の姿はなく、とうとう見つけられないまま祐二は最後尾で電車に乗り込んだ。

 飽和状態の車内へ体を押し込むように乗り込んで、ドアの方へと体の向きを変えた祐二はこれで最後と階段を覗き込むように顔を向けてハッとした。

「貴俊ッ!!!」

 足しか見えなかったのに、その瞬間に自然と声が出た。
 自分でも驚くほど大きな声だったけれど、おかげでその声は階段を駆け下りて来た人物には届いたらしい、階段を下り切ると一番近いドアではなく祐二がいるドアへと駆けて来る。

 駆け込み乗車は……とアナウンスが流れるが、構うことなくダッシュしてきてドアが閉まる寸前に車内へと体をねじ込んだのは、いつになく息を切らしている貴俊だった。

「ふっ、はぁ……っ。ちょっと焦った」

 肩で息をしながらドアにもたれる貴俊が、こっちを見下ろしながら少し情けない顔をして笑った。

「何してんだよ、おまえ。……っぐぇっ、すっげぇ混んでんな」

 動き出した電車に車内全体が揺れると、何人分か分からない体重が圧し掛かってきた。

「祐二、こっち」
「あ?」
「いいから」

 狭い車内で肩に手を回されていったい何をするつもりかと身構えていると、どういうワザを使ったのか隙間のないと思っていた車内で二人の場所がするりと入れ替わり、さっきまでの息苦しさが嘘のように楽になった。

「お前……」

 ドアに手を付いて覆うようにして立つ貴俊を見上げると、乱れていた呼吸をいつの間に整えた顔と目が合った。

「ん? どうしたの?」

 走って来たからか頬がわずかに上気して前髪が乱れているけれど、向けられる笑みは自分だけしか知らないもの、目の奥から優しさと嬉しさが溢れてくるような笑顔で見下ろしてくる。

 走ってもないのに鼓動が早くなる、原因はもちろん分かっているけれど、恥ずかしさと悔しさから貴俊の視線から逃げるように顔を伏せた。
 顔を伏せると自然と貴俊の胸元に顔を押し付けるような形になって、ダッフルコートに額が触れるとふわりと貴俊の匂いが鼻先をくすぐり、今度は心臓がキュッと音を立てる。

「ふふっ、祐二、寝ぐせ。後ろ跳ねてる」

 頭の上で声がして喋るたびに髪に息が掛かる。気配で貴俊の腕が動いたのを感じて身構えようとしたのに、それより早く自分の髪を優しく梳かれてしまった。

「……さ、わんな。バカ」

 声が掠れる。
 乱れ打つ鼓動を抑えることが出来ないなら、せめてドキドキという心臓の音が貴俊に伝わらないように努力したい、でもそれは頭の中だけの無駄な足掻きに終わった。

「うん。ね、一緒に学校行けて嬉しい」

 自分を混雑する車内から守るように立つ男の声は甘さを含んで低く囁く、自分よりも20センチも背が高いから視界にはダッフルコートしか入らない、同じ男なのに、同じ年なのに、色んな葛藤はあるけれど目の前にいるのは、紛れもなく自分の恋人だ。

 祐二は目の前にあるコートのボタンを指先に引っ掛けて、クイクイッと引っ張って貴俊の注意を引いた。

「祐二?」
「なんで……一人で行こうとしたんだよ」

 出来る限り平静を装ったつもりだけれど、自分でも恥ずかしいほど拗ねた口調になってしまった。

「実はね。待ち伏せされたくなかったんだ」
「待ち伏せ……? あ……ああ、そういうことか?」

 最初は分からなかったけれど、今日が何の日かをすぐに思い出して理解した。

「おかげで今のところ作戦は成功。あとは駅から学校まで」
「待ってたらどうすんだ?」
「全力疾走で振り切る。祐二、付き合ってくれる?」
「当然。遅刻したくねーからな」

 本当は駅から学校まで全力疾走は嫌だ、でも貴俊が女子から可愛くラッピングされた袋やら箱やらを押し付けられる光景を見るのは、もっと嫌だ。

「この貸しは大きいんだからな」
「何でもするよ」

 勝手に待っていたくせに憎まれ口を叩いたら、貴俊の嬉しそうな声が上から降ってくる。

「喜ぶな、バカ」

 小さく小さく呟いた声は貴俊の耳までは届かなかったらしい、二人の間に沈黙が下りたけれど線路の音に耳を傾けたまま、貴俊の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 今朝も君が隣に立つことから一日が始まる。

end


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