カボチャ、十年目の真実-one-
12月某日、午後6時。
ネオン瞬く街の中心から外れ、小さな飲み屋街も通り過ぎた細い路地、3階建てのビルの1階。
銀色のドアの横には店の名前が書かれたプレート、営業中を知らせるための灯りはまだ消えている。
オフィス街で「お疲れさま」という声が飛び交っている同じ時間、ホストクラブ『CLUB ONE』のスタッフルームでは逆の挨拶が交わされていた。
「おはようございます!」
開店前のスタッフルームで談笑していたホスト達は、光沢のあるシルバーのスーツに身を包んだ男が顔を出すと、一斉に立ち上がり挨拶をした。
セットされた蜂蜜色の髪をいじりながら気だるそうに応え、空いていた椅子に腰を下ろすと背もたれに身体を預けて大きく息を吐き出す。
「陸さん、どうしたんですか? 随分と浮かない顔ですね」
表情も声色もどちらかというと平坦で、黒髪に眼鏡にスーツという容姿はホストクラブという場所には違和感を感じるが、これでもこの店のナンバー2という肩書きを持つ。
「おー、響ぃ」
派手な容姿とは逆に情けない顔と声を出す、これでもナンバー1ホスト中塚陸は声を掛けてくれた響を見上げて、泣き出しそうに顔を歪めた。
ホストクラブとしては決して大きくないけれど、連日連夜店内は楽しい会話が響くほど繁盛していて、足を運ぶほとんどの客がこの二人をお目当てにやってくる。
若いといっても年齢はさほど変わらないが、入店年数の短い新人ホスト達は二人に憧れの視線を向ける反面、店に出ていない時の二人……特にナンバー1を目の当たりにすると見てはいけないものを見てしまった気分にさせられる。
これはそんな彼らが目撃する『CLUB ONE』のバックルームでのある日の出来事である。
「で、今回は何をやらかして麻衣さんを怒らせたんですか?」
「やらかしたって……。あのなぁ、こういう時は何かあったんですか? って聞くのが普通だろうが」
陸は向かいに腰を下ろして優雅に足を組む響を睨みつける。
「無駄な質問を省いただけですよ。どうせ麻衣さん絡みに決まってますからね」
「お前ねぇ……」
反論したいけれど響の言う通りの上に、理詰めで話されたら勝ち目がないことは嫌というほど分かっている陸は途中で口を噤んだ。
「で、何をやらかしたんです?」
普段から何も興味がないという顔をしているくせに、今だって冷めた顔と声をしているくせに、麻衣のことに関してはこの店のホスト達同様に特別なのだということが分かる。
響は麻衣へ対する感情が恋愛に発展することがないことを承知しているからこそ、麻衣との色々なことを正直に話すことが出来る数少ない相手だ。
陸は思い詰めた表情を隠すように額に手をやり声を絞り出すように話を始めた。
「昨夜、帰ったら台所にカボチャがあったんだ」
「……はい?」
沈痛な表情に沈んだ声、今回ばかりは痴話喧嘩ではないかもしれないと思っていた響は、陸の口から出た「カボチャ」というキーワードに、彼らしからぬ間抜けな声を出した。
「あ、あの……もう一度言って貰えますか?」
「だから!! カボチャがあったんだ! 丸のままだぞ! こんな……こんな大きなカボチャが、ドーンって置いてあったんだ!!」
陸は顔の前で大きさを手で示すが、響の目から見たその大きさはとてもじゃないがカボチャというよりスイカに近いものがある。
「ジャック・オ・ランタンでも作るつもりなんでしょうか。ハロウィンは終わってしまってますから、もしかして……クリスマスの飾りにでも……」
「そんなわけあるかぁっ!!!」
冗談でもなく響なりに真剣に話したにも関わらず、陸は立ち上がり声を荒げて突っ込んだものの、すぐに力なく椅子に腰を下ろした。
「はあ……」
長い話になりそうだという感情がどうやら顔にも声にも出てしまった、陸はギロリと響を睨みつけたけれど、それに関しては文句を言うつもりはないらしい。
「ところで……陸さんってどうしてそんなにカボチャが嫌いなんですか?」
陸の好き嫌いの多さは有名で、カボチャだけでなく他にもあるけれど、その中でもカボチャだけは見るのも嫌という毛嫌いようで、ハロウィンの季節になるとそれはもうひどい有様になる。
「……あれは10年前のことだ」
「陸さん?」
陸は膝の上についた手を顔の前で組み、組んだ手の上に額を預けたかと思ったら話を始めた。
ここに来る前に二時間ドラマでも見て来たんだろうか。
あまりに芝居がかった陸の様子に、戸惑いを覚えながらも響は黙って話に耳を傾けた。
「母さんは洗濯や掃除だけじゃなくて料理も苦手だったけど、いつもニコニコ笑ってて優しい人だった」
周りで聞いていないフリをして聞き耳を立てていた数人が一様に驚いた顔をしてお互いに顔を見合わせた。
陸が家族の話題を口にすることは滅多にない。
陸と付き合いの長いメンバーでさえも、陸の家族の話は噂程度にしか聞いたことがなく、本当のことを知っているのはほんの数人しかいない。
「父さんも本当に母さんのことを大事にしてて、二人がケンカしている所なんてほとんど記憶にないんだけど、一回だけ……すごいケンカをしたことがあったんだ」
「……すごい?」
「ああ。原因は分からない、俺が友達と遊んで帰ってくると二人は大きな声を出してケンカをしてて、大声を出す父さんの姿なんて見たことがなくて、俺はその場に固まってしまったんだけど……、そしたら……」
陸の声が震えた。
当時のことを思い出しているのか、それとも今は亡き両親の思い出話が辛いのか、顔を預けている手も微かに震えているのが見て取れる。
「あの、陸さん……辛いなら……」
「いや、いいんだ。聞いて欲しいんだ」
「ま、まあ……陸さんがいいなら聞きます、けど……」
深刻すぎる雰囲気に響は後悔していた。
開店前に少しからかおうと思っただけなのに、こんな展開になるなんて予想していなかった。
「台所で大声で怒鳴る父さんに向かって、母さんが……母さんが……カボチャを投げつけたんだ」
「……は?」
「母さんが投げたカボチャは父さん目掛けて飛び、それはもう見事に父さんの額に命中したと思ったら、父さんが額から血を噴き出しながら倒れたんだ」
「…………ッ」
響は辛うじて笑いを堪えることが出来た。
真剣に話をしている陸を前に、笑っては不謹慎だと思い声を殺すため口を手で塞ぎ俯いた。
「カボチャは血塗れになって転がった。それ以来おれは……カボチャが……」
「嫌い、というかトラウマになったわけです、か……ぶふっ」
「……響、お前……今、笑わなかったか?」
「いや、笑って……ぶはっ」
「笑ってんじゃねぇか!!」
「笑ってませんっ……ぶふぉっ」
「思いっきり笑ってんだろうが!!」
響だけではなく、そこにいた全員が辛うじて声を漏らしてはいないものの、小刻みに肩を震わせている。
幸か不幸か陸には響しか見えていない、怒りの矛先が響に集中している間にこの場を離れようとしていると、タイミングよくスタッフルームのドアが開いた。
「おい、ミーティング始めるぞ」
オーナーの誠が顔を出し、早く集まれと顎で示す。
笑いを堪えることに限界を感じていた全員は我先にと部屋を飛び出して行くと、笑いを隠しきれていない響も遅れて部屋を出て行った。
「おい、待てよっ!! まだ話は終わってねぇんだぞ!!」
部屋に一人残された陸に、誠はお前も早く来いと視線を向け、その場を離れる前にボソリと呟いた。
「今日はヘルメット被って帰った方がいいかもなぁ。麻衣ちゃん、あー見えて結構腕力あるからなぁ」
「え……?」
数日後、ヘルメットを被るナンバー1ホストの姿を見たという噂が流れ、カボチャの真実を知らない面々が笑い飛ばす中、あの日あの場所にいたメンバーだけは貝のように口を閉じていた。
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