その頃、六太は鴛鴦殿最深にある后妃の臥室に隣接している書斎にこっそり忍び込んでいた。
桂英たちに見つからない様、辺りに眼を配りながら紫檀造りの豪華な書棚を一つずつ、静かに開扉しては閉め、開扉しては閉めを繰り返してゆく。
〔くそー、秘密の戸棚って一体どれなんだよ?!〕
書物好きの美凰の書棚はきちんと整理整頓されて塵一つない。
本日は慶王来駕の為、執務も休んでいるので机上も綺麗に片付いていた。
常に散らかり放題で、女官達の愚痴が絶えない正寝の莫迦主の私室とは大違いである。
とはいえ尚隆が正寝に居るのは執務の時が殆どで、毎日の私生活はここなのだが…。
「ちょっと六太!」
「おわっ!?」
びくりとなって振り返ると、入口に桃箒が居た。
「お前か…、脅かすなよ!」
六太はほっと息をついた。
「お前かじゃないわ! あんた、姫様のお部屋で何してんのよっ! ここは后妃の書房よ。しかも書棚までこそこそ開けて…」
桃色の髪の美少女は腰に手を当て、怒りの表情でつかつかと六太の前に歩いてきた。
「怒るなよ、桃。これには訳があるんだ…」
「訳ってなによ! どんな訳があろうとこんな事しちゃいけないで…、むぐっ!」
六太は桃箒の口を塞いだ。
桂英たちに見つかったら大目玉だ。
このまま放っておくと際限なく怒鳴り続けられる…。
この玄英宮の中で朱衡をして敵わないと言わしめる程に最強の猫娘なのだ。
「静かにしろよ〜、ったく…、訳を説明するって云ってんだろ!」
六太は溜息をついた。
〔なんでこんなややこしい時に、一番ややこしい奴に見つかるんだ…〕
「むぐ、もご、むぐ〜っ!!!」
六太は、腕の中で眼を白黒させてもごもご呻いて暴れている桃箒に気負いを削がれ、がっくりと項垂れた…。
「なんですって?! 尚隆の莫迦本の処分ですって?!」
「そーいうこと…」
六太のかい摘んだ、といっても尚隆に完全に不利な思い込みの説明に、美凰命の桃箒の怒りが沸点に到達した事は云うまでもない。
「その莫迦本のせいで、姫様は尚隆に変な事されて毎日泣いていらっしゃると云うの?」
「そーいうこと…」
桃箒は顎に手をあてて頸を捻った。
「でも変ね…。姫様は毎朝いつもにこにこなさっておいでよ?! ここの処は特に凄いわね。今朝だって、端から見ててもううっとおしいくらいに尚隆にまつわりつかれても全然平気のご様子で、却っていそいそと莫迦の面倒をみてらしたわ」
六太はぶんぶん首を振った。
「美凰は優しいし、我慢強いだろ? 阿呆の尚隆に何されても我慢して笑ってるんだぞ。きっと、誰も見てない処では一人で泣いてるんだ…」
六太の妄想の図式は完璧だった。
―― いやですっ! 陛下、おやめくださいまし…。(涙を流している美凰)
―― そんな声を出しても誰も来ん。さ、大人しく脱げ…。(にやにや笑っている莫迦尚隆)
―― あれぇ! (莫迦の手で帯が解かれて美凰がくるくる廻っている)
―― よいではないかっ! うっふっふ! (尚隆は助平な笑いを浮かべて嬉しそうだ)
―― あぁぁん! だ、誰か! 六太っ! 助けてぇ! (そしておれに助けを求める美凰)
可憐な美凰が阿呆に好き放題にされて、よよよと泣き崩れて自分に助けを求めている姿が眼に浮かび、六太は涙ぐんだ。
「あんたの勘違いなんじゃないの〜? あんなのでも三百年以上、尚隆命よ。姫様って…」
疑わしそうな翡翠色の眼が、妄想進行中の六太をジトっと見つめている。
「お前な…」
六太は拳を握り締めた。
〔美凰はおれに助けを求めているんだぞ! 我慢に我慢を重ねていたのが、今朝になってぽろっと口から零れ落ちたんだ。きっと尚隆の莫迦に口止めされて、おれに助けを求めたらもっと酷い悪戯をするぞって脅されて…〕
ますます妄想をひろげて唸っている六太を、桃箒はやれやれとばかりに見つめた。
「まあ、いいわ〜。いずれにしても莫迦本の処分ってのはあたしも賛成よ。兎に角、尚隆はいやらしーんだから。確かに見た目はいい男だけど、頭の中は姫様との房事だけで一杯なんだもん。こないだも久しぶりに遊びに来た二郎様と姫様の居ない処でお莫迦な猥談を楽しんでたわ。しょっちゅう来る太歳には、いつも変なもの貰って喜んでるし、男って本当に困ったものね…。尚隆は特にお莫迦丸出しだけど…」
桃箒の大人びた口調が六太には気に入らない。
「朔から? そうなのか?! 変なものってなんだ?」
「お子様は知らなくてもいいものよ!」
桃箒はちらりと無垢な六太の顔を見て、ふふんっと鼻で笑った。
その態度は六太の怒髪天をついた。
「おっ、お子様ってなんだよ! くそっ! お前だっておれとあんまり変わんねー筈だぞ! なんなんだ! その物知りげな態度はっ!」
「女の子は男の子とは違うのよっ!」
「なにが女の子だっ! おれより年上のくせしていつまでもおれよりちびなくせにっ!」
「煩いわねっ! 女の子は小さいほうが可愛らしいって朱衡様も仰ってくださったんだから!」
怜悧で美男子な朱衡に、桃箒は乙女らしく?夢中なのである。
「くくくっ〜!」
口で桃箒に敵う者はこの玄英宮には居ない。六太は悔し涙をのんだ。
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