小説 | ナノ

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【最期の強がり】 トリップ十四日目






あたたかい温もりに包まれて目を覚ました。
間近で目があって少し照れ臭い。
「……おはよう」と声をかけると、「おはよう」と穏やかな表情を向ける彼。



お互いに微笑み合った後、徐に引き寄せられる。
大好きな人の温もりを感じる。
体で。
心で。
全てが彼と一つになれば良い。
隔たりのある世界も、自身の体でさえ鬱陶しい。
全てなくなってしまえば良い。
ひとつになりたい。
身も、心も全てが交わって。


結ばれることはない。
そうわかっていても、私だけが触れて、感じることのできる現実は、甘い夢だ。



朝起きた時にパンの薫りを楽しみたいと半ば衝動買いで購入したホームベーカリー。
パン食よりもご飯の方が良いだろうと清正が来てからは使っていなかったが、久々に食べたくなった。
焼きたてのパンを『美味いな』と目を輝かせながら食べる清正を見て微笑む。
焼きたてのパンは薫りもさることながら、もちもちで、ふわふわ。
確かに美味しい。



こうやって二人で朝食を食べる。
普通の事じゃない筈なのに、普通の日常だと思えてしまっている私の適応能力に少し可笑しくなる。



そうか。
もう二週間経ったんだ。



あっという間の二週間だった。
たかが、二週間。
けれど、私の人生の中で忘れられない出来事になるのだろう。
きっと、そうなる。
彼が向こうの世界に戻っても、きっと。



元の世界に戻っても……?



ふと、どこか冷静に考えてしまっている自分に気がついてまた、可笑しくなった。



そうだ。
私は、もうすでに諦めているのだ。
彼との生活を。
このまま一緒に暮らしていける筈がない。
現実はそう私に責め立てる。
大きく揺らぐことのない力。
その中にぽつりとある存在。
小さな、ちっぽけな異形の存在。
私には重要で、愛おしくて、慈しみたい存在。
私を抑えつける大きな力を忘れてしまう位。



一時忘れてしまうことはできるけれど、現実は逃げない。
私を置いていってくれることもないし、置いてけぼりにされる勇気もない。




「明日から仕事なんだよね……」

「仕事?」

「そう。
今まではお休みを貰っていたんだけど、私の世界では戦いがない変わりに会社っていう組織の中で働いてお金を稼いで生活費に当てているの。
だから、明日からまた朝から夜まで仕事の生活に戻る感じ」

「……そうか。
大変だな」

「そうでもないよ。
働けば、毎月決まった対価をもらえるし。
自由にそのお金は使えるんだから。
清正の方が大変じゃない?
戦いで命をおとすこともあるし、いつも気が抜けないじゃない」

「そうかもしれないが……」

「何かに命をかける方が何倍も大変だと思うよ?
なかなかそんな風には思えないもの」




特にこの世界では、と言いそうになるのを堪えて、一口パンをかじる。
何となく言いたくなかったのだ。
信念の為に、誰かの為に、自分自身の為に。
命をかけることなんて、正直私には出来ないし、思いもしない。
けれど、彼との隔たりを言葉に紡いで認めたくなかった。




「この世界に共に住んでいると忘れそうになるが……。
お前は……別の世界の人間なんだな」




はっとして顔をあげると、清正は、自嘲気味に笑顔をもらした。
どこか諦めているような、切ないような……そんな表情をしていた。



何と言って良いのか。
どう返したら良いのか。
頭の中で単語が浮かんでは消えていくけれど、どれも正解ではないような気がして、再度視線を外し、無言で俯く。



胸が苦しくなった。
理解しているのに、面と向かって彼に言われると、こうも感情を乱されるものなのか。



何の気なしに窓を見ると、今日は爽やかな初夏に似合わない薄暗い雲が広がっている。



どんよりとした暗い空気は今の気持ちを代弁してくれているようで、増長させているようで。
まだ清々しく晴れていてくれた方が救われるのに。
そう心の中で文句を呟いた私は残りのパンを強引に頬張った。





***




一人で買い出しに行きたい。
俺の提案を萌は快く了解してくれた。



店まで徒歩で向かう。
まだ昼前たが、生憎の曇り空で薄暗く感じる。



何度か彼女と一緒に歩いた道。
一人で歩いているせいか、この天気のせいか。
何とはなしに感じる焦燥。



胸に光るアメシストを手の中に優しく包む。
そうすると、いつも安心する。


彼女が熱を出した折に、調べたアメシストの意味。
「真実の愛」と書いてあった。
胸が震えるような嬉しさを感じた。
溢れるような愛しさを感じた。



例え、想いを伝えることが出来なくても心はつながっている。
同じ心だと。
同じ想いだと。



萌の体調も回復した。
あの日、ゲーム機の電源をつけた時に起こった事象。
あの中に入れば、きっと元の世界に帰れる。
確証はない。
だが、その直感は当たっているだろう。
あれから確認はしていない。
然し、手段は見つけた。



だが。
いざ、帰る折が迫ると、何かが俺を引きとめる。



直ぐにでも彼女に打ち明け、帰れば良いではないか。
何故、その事実を隠そうとする?
お前は彼女の荷物でしかない。
生きる世界が違う。
決定的に違うのだ。
何を悩んでいる?
そう、誰かが囁く。



悩む?
何を悩む必要がある?
悩む道理等、ない。



どんなに恋い焦がれても、どんなに愛しても、どうにもならない事がある。
俺にもやるべき事があるように彼女にもやるべき事があり、俺の人生があるように彼女の人生もある。



また、誰かが囁く。
この期に及んで彼女と過ごす時を引き延ばしたいだけだろう?
そうして、いつまでこの世界に留まるつもりだ?



違う。



俺は唯、帰る前にもう一度見ておきたいだけだ。



彼女と紡いだ時を。
この道を。
もう一度、頭に、胸に、心に、刻み込んでおきたいだけだ。



女々しい、弱い男だ。



そうだ。
その通りだ。
だが、その時間位、許してくれても良いだろう?



「私、後悔してないよ」
真っ直ぐに俺を見つめて、はっきりと話した彼女の表情を思い出す。



わかっている。
充分過ぎる位、理解しているのだから。




買い出しを終えた俺は、萌が行きつけだと言っていた花屋の前に通りかかった。
店の前では、店主が忙しく花を陳列していた。



ふわりと良い香りがした。
よく見ると店の前で陳列されている鉢植えは、色は違えど、種類は同じ花のようにみえた。



この香りはこの花の匂いなのだろうか?
そう言えば、以前この店に立ち寄った折に、萌が好きだと言っていた花の香りに似ているような気がした。
何という花だったか。



思わず立ち止まって、じっと見入っていると、座って作業していた店主が振り返り、俺を見て、少し驚いた表情をした後、愛想の良い笑顔を向けた。




「あら、驚いた。
誰かと思ったら、清正さんじゃないの」




店主は立ち上がりながら、俺が持っている買い物袋をちらりと見て、『お買い物の帰り?』と話した。




「とても良い香りですね」




俺がそう言うと、店主は嬉しそうに頬を緩めた。




「今ね、薔薇のシーズンなの。
鉢植えの薔薇をこうして店先に置いていたら、綺麗だし、素敵な香りがするでしょう?
気付いて貰えて嬉しいわ」

「薔薇……」




薔薇の香りを嗅いで、幸せそうに微笑んでいた彼女の表情を思い出す。




「萌ちゃんは薔薇が好きよね。
きっとロマンチックなのね〜」




ろまんちっく……?
前にも聞いたことのある、この世界の言葉に暫く静止している俺を気にしているのか気にしていないのか店主は、また作業に戻りながら、話を続けた。




「私も好きなのよ。
薔薇には、何か人を魅了する不思議な魅力があると思わない?
だから、私も薔薇ばかり揃えちゃう」




『魅力はあるけど、仕入れも維持費もお金がかかるから、商売にならないんだけどね』、そう愚痴をこぼしながらも、薔薇に触れる手は、繊細なものを扱うかのように優しい。
店主がどれだけ花を大切に思っているかが伝わる。




「……花言葉」




ふと口に出た俺の言葉で、店主の手が止まる。




「薔薇の花言葉?」

「以前萌に聞いたが教えて貰えなかったので……」




そう言うと、店主は俺に近づき、にっこりと意味深に笑った。




「清正さん。
萌ちゃんを愛してる?」




ドクン。



心臓が高らかに鳴り響いた。



愛してる……?



暫く呆気にとられていたが、言葉の意味を理解するうちに、顔が燃えるように紅潮する。
店主の前で冷静になろうと試みるが、そうしようとすればするほど動揺を隠しきれない。



唯、目を大きくして凝視することしか出来ない俺の少し目下にある店主が、突然堪えきれないという様に吹いて、大笑いを始めた。



人に笑われることにはなれていない。
ことにそれが男女のことになると余計にだ。
益々熱がたまっていくのを感じる。



『分かりやすいわね』そう言って、一通り笑った店主は、息を落ち着かせた後、続けた。




「薔薇の花言葉は、色や本数によって沢山の意味があるけど、今の清正さんにぴったりなのは、赤色の薔薇かしら」




そう言って、店主は店内に戻っていき、中から俺を手招きした。



何とはなしに感じる恥ずかしさと共に、そろそろと内に入ると、店主は薔薇を丁寧に一本とり、俺の前に差し出した。
そして、色、本数によって変わる薔薇の花言葉を教えてくれた。
特に赤色の薔薇の花言葉には、心を透き通らせるような清々しさを感じた。
俺の想いはここにある、とそう感じたのだ。
そして、ひとつ思いついた。
彼女に感謝の想いを伝えること、愛する想いを伝えること。
彼女がアメシストにのせて伝えてくれたこの想いを……
俺は彼女の愛している花にのせて伝えたい。
言葉では伝えれないから。
いや、言葉では足りないのかもしれない。
言葉に表現出来ない程、愛おしく焦がれるこの想いは。
心の芯からわき上がり、尽きることのないこの想いは。




「店主」




俺が呼びかけると、取り出したひとつの美しい紅色の薔薇をあるべき場所に戻そうとしていた店主が振り向いた。




「頼みを聞いてくれないか?」




一通り俺の願いを伝えると、少し思案した後『勿論良いわよ』と話した。
ほっと胸を撫で下ろしていると、店主は不意に真剣な視線を俺に向けた。




「だけど、大切な質問の答えをまだ聞いていないわ」




大切な質問……?




「清正さんは、萌ちゃんを愛してる?」




店主の言葉がまるで一筋の光の様に体を突き抜ける。



同時に、彼女の笑顔。
彼女の泣き顔。
彼女の言葉。
彼女の声色。
彼女の温もり。
彼女の……全て。



ああ。
もちろんだ。
俺は。



俺は。




「はい。
愛しています。
俺は、萌を愛しています」




自分自身が紡いだ言の葉が、爽やかに耳に響いた。



店主は、にこりと満足そうに笑みを浮かべた。

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