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【予兆】 トリップ十二日目
店内を見渡すと、彼が奥の席で大きく手を挙げていた。
約束の時間より早く家を出たけれど、待たせてしまったのかと少し小走りで近づく私に、席に座っていた遼くんは、にっこりと嬉しそうに笑った。
遼くんから連絡があったのはお昼のこと。
以前、私の部屋に遊びに来たときに番号交換をしていたのだ。
彼から電話がかかってきたのは、今回が初めてのことだったけれど、舞のことを伝えたいのかもしれないと感じた私は、清正に断りを入れて電話にでた。
そして、『会って話したいことがある』と伝えられ、今、私はこの場に来ている。
遼くんのことになると何故か不機嫌になってしまう清正だったが、今回は舞とのこともあってか、『行ってこい』と気持ちよく送り出してくれた。
「突然呼び出してごめんね。
萌ちゃん」
「ううん。
大丈夫だよ」
席に座ると、タイミングよく珈琲が運ばれてくる。
少し驚いて遼くんに視線をうつす。
『珈琲頼んでおいたんだ』そう話した彼に、『ありがとう』とお礼を言うと、ふわりと微笑んだ。
こういう気遣いをスマートに出来る彼は、本当に凄いと思う。
「あれから、舞の様子はどうだった?」
「かなり落ち込んでたけど……あいつは大丈夫。
きっと直ぐに立ち直るよ」
「そうかな……」
「大丈夫。
舞は萌ちゃんが大好きなんだからさ」
舞を知っている仲の良い友人にそう言われると、本当に心強い。
胸を撫で下ろす私に、遼くんは少し言いにくそうに話を続けた。
「それに……今回の事は、はっきりしなかった俺にも責任があると思うし……」
「……遼君に?」
私が首を傾げると、彼はひとつ大きく深呼吸をして、私をじっと見つめた。
「俺、萌ちゃんが好きなんだ。
君が前の彼氏と付き合う前からずっと……好きだった」
「遼君くんが……私を?」
「……うん。
まぁ、片想いって感じかな」
照れ臭そうに微笑んだ遼くんは、これまでの経緯を話してくれた。
実は、飲み会の前から私のことを知っていたこと。
あの飲み会は、彼氏と別れた私と遼くんを引き合わせる為に舞が計画したものだったと言うこと。
「驚いた?」
「う、うん。
かなり……」
「だよね。
全然俺のことを意識してくれてなかったでしょ?」
「え?
う……うん」
「俺は、結構アピールしてるつもりだったんだけどなぁ」
そう言って、遼くんは小さい溜め息を吐いた。
遼くんと出会った時にはもう清正に惹かれていたから。
余計彼の想いに気づかなかったのかも知れない。
「……でも、何で私を?」
「萌ちゃんさ。
一度、俺と一緒に仕事をしたことがあるんだよ?」
「ええっ!?」
「ほら。
一度、俺の会社と共同で仕事してない?」
そうだったかな……?
よくよく思い出してみる。
遼くんの会社は確か彼処で。
確かに大分前だけど、共同で仕事をしたような……。
「……したような気がする」
「気がするって、ははっ。
まぁ、かなり前のことだし。
凄く忙しかったから、もう詳しくは覚えてないよね」
「……うん」
「その仕事の時に萌ちゃんと関わって、好きになったんだ。
真っ直ぐで残業も気にせず一生懸命頑張ってる姿に惚れちゃったんだよね」
「そ、そうなんだ……」
「だけど、プロジェクトが終わって想いを伝えようと思ってた矢先に、萌ちゃん、前の彼氏と付き合いだしだんだよ」
『あれはショックだったなぁ』と遼くんは苦笑いを浮かべた。
確かにその頃は仕事で一生懸命だった気がする。
そう言えば、その頃かも元彼と付き合ったのも。
お互いに仕事を頑張っているうちに惹かれあって。
付き合ったんだ。
「萌ちゃんは、清正さんの事が好きなんでしょ?」
「え!?」
「見てればわかるよ。
それくらい。
俺は君が好きだから」
確信したような言葉と視線に何も反論できない。
どこか寂しそうな表情で唇を歪めた遼くんは、ははっと笑った。
「なんか、俺。
つくづく、タイミング悪いよね。
それでもさ。
君を好きなことは本気だから。
少し、考えてみてほしい」
真剣な瞳に、軽々しく返答してはいけない気がした。
何も言えない私に、他愛もない話を続けようとしてくれる遼くんの優しさが心にじんわりと染みた。
本当に優しくて素敵な人。
だけど、私は。
わたしは……。
その後、少し雑談して店をでた。
混乱している私を気遣ってくれたのか家まで送ると言う遼くんの誘いを丁寧に断って、私は人混みの中を駅に向かっていた。
清正に会いたかった。
誰でもない。
清正の顔がみたかった。
***
遼という男から電話がかかってきて、萌は出掛けた。
俺に行っても良いかと確認をとってきたが、舞という友人のことを気にしていた彼女は行きたいという思いがそのまま顔に出ていた。
何となく、遼という男の話が彼女の友人の話で終わらない気がした。
わからないが、少し不安だった。
行かせたくなかった。
けれど、俺には彼女の行動を縛ることなど出来ない。
それに、縛る権利もない。
俺は恋人でも何でもない。
彼女を想うただの異世界の住人。
それだけなのだから。
心の葛藤を隠し、『行ってこい』と笑顔を張り付けると、彼女は酷くほっとしたような表情をして『ありがとう』と微笑んだ。
情けない人間だ。
俺は。
彼女が一番辛い時に何もしてあげられない。
萌が出掛けた後の静寂は苦手だ。
虚しさと寂しさが同時に押し寄せてくる。
落ち着かない俺は、ふと花瓶に目をやる。
ガーベラが花弁を満開にして咲いている。
彼女がいつも朝と夜に花瓶の水変えをしていたことを思い出した。
花瓶を手に取り、新しく水を変える。
ガーベラをそっと入れると、まるで喜んでいるように見えた。
「希望……か」
彼女が教えてくれたガーベラの花言葉。
俺は、何の希望を求めていた?
元の世界に帰る希望がほしい筈だった。
それがいつからか、彼女と共に暮らす希望を持つようになってしまった。
叶えることすら出来ない希望を。
迷いの中、気の向くままゲームの電源をつけた。
ここ最近全くつけなくなっていた。
諦めていたのか、必要だと思わなかったのか。
電源が入り、映像が映し出される。
じっと画面を見つめていると、一瞬、ゲームの画面が大きく揺らいだ気がした。
……何だ。
今のは?
思わず目を見張り、指を近づけると、再び画面が揺らぎ、近付けている指先が、どんどん透き通っていく。
「……!」
驚いて手を離すと、透けていた指先は、また元に戻っていた。
「……まさか」
もう一度、ゆっくりと指先を画面に近付けようとしていた矢先、玄関の鍵を開けようとする音が聞こえた。
慌てて指先を引き、ゲームの電源を切る。
帰る時が近いと言うのか……。
元の世界に。
嬉しさは、なかった。
ただ、萌のことだけを考えていた。
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