小説 | ナノ

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萌が出掛けてから、一刻ほど経とうとしていた。
舞という友人と出かけると言っていた。



律儀な彼女のこと。
気にするなと言っているのに、俺の食事を用意して出掛けた。
戦国の世では戦とあらば食事をしない日が続くこともあった。
気を使うことなど必要ないのに。



一人で夜飯を食べる。
彼女の作った食事は旨い。
ただ、一人で食べる食事がこんなに寂しいものだと感じたのは、この世界に来て初めてのことだった。



萌がいないだけで、部屋が広く感じ、食事も味気ないものに変わる。



傍にいたい。
触れたい。
慈しみたい。
嬉しさも悲しみも俺だけの前で見せてほしい。
誰にも奪われたくない。



誰かを愛するということが、こんなに自身の心を激しく揺るがすものだとは考えもしなかった。



食事を終え立ち上がると、ふと雨の音が聞こえた。
窓を開けると、雨が降りだしていた。
萌が傘を持っていかなかったことを思い出す。
曇った空を見上げる。
雨足が止む気配はない。



大丈夫だろうか。



そう考えていると、パソコンから音が聞こえた。
この世界に来て、色々便利だから……という理由で、萌に教えてもらい、使えるようになった。
彼女が出かける前に、連絡の取り方を教えてくれた。
確かこうだったか……、思い出しながら、パソコンを扱うと、『これから帰ります』という文字。



萌が帰ってくる。



その事実だけで、胸が喜びに溢れる。
いてもたってもいられなかった俺は、傘を手に取り、部屋を飛び出した。




***



窓に打ち付ける雫を眺め、雨足が激しくなっていることを理解する。
揺れる電車内で降りだした雨。
駅から自宅まですぐの距離。
わざわざタクシーに乗るのも面倒だ。
かといって、この雨の中を傘をささずに突っ切る勇気もない。



駅に到着し、モヤモヤと考えながら、改札へ向かう。
取り合えず改札を出て、雨の状態を確認しよう、そう思い、出口に向かっていると、背の高い銀髪の男性が視界に入り込んできた。
彼は私を見つけると、嬉しそうな笑顔で方手を挙げた。



清正!?



近付くにつれ、それが確実に清正だとわかる。
この時代銀髪の人なんてなかなかいない。
背の高い人も目立つ。




「清正!
どうしたの?」

「雨が降っていたからな。
傘を持っていかなかっただろう?」

「あ、ありがと……」




何とかお礼を言えたものの。
弱っている心に清正の優しさが染み込んできて、頭とは裏腹に止まっていた涙が再び目に浮かんでくる。



あ。
駄目だ。
また、泣きそう。




「ふっ……ふ…。
うーっ……」

「……萌」




泣いてはいけないと思うのに、止めようと思うのに、涙はどんどん溢れだし、私は両手で顔を覆った。



一向におさまってくれない涙に戸惑っていると、右肩に添えられる温もり。
視線を挙げると、柔らかい顔で清正は微笑していた。
その微笑みに体中がほぐれるように安心する。




「ほら。
入れ。
共に帰ろう」




そう言った清正は、私の肩を引いて、傘を差し出した。



いつのまにか止まった涙。
外に出ると、二人で入っている傘にポツポツと音が鳴る。
その音を心地よく感じながら、私は彼に寄り添い帰路についた。





***





「ふぅ。
スッキリした……」




お風呂上がり、リビングに座ると、ひどくほっとした。
あれから、お互い無言のまま歩いて帰宅し、清正にお風呂に入るように促され、私が入ったあと、今は清正がお風呂に入っている。
お互いに無言だったけれど、家に帰るまで清正はずっと私の肩を抱いてくれて。
家に着いてからも何も聞かないし、何も言わない。
ただ『疲れただろう。風呂に入れ』とだけ言い残し、途中だったのか、キッチンの後片付けを始めていた。



シャワーの音と激しく降りだした雨の音が重なる。
何となく外の空気が吸いたくなった私は、ベランダの窓へ向かう。
窓を開けると、雨の音と雨の匂い。
何処と無く、気持ちが落ち着く気がした。
ベランダへ降り、暫く降り続く雨を見つめる。



何も考えたくなかった。
今は、何も。



ボーッと雨雲を見上げていると、カラカラと窓を開ける音がして、光が射し込むのと同時に感じた珈琲の香り。
振り返ると、お風呂から出た清正がマグカップを二つ持って立っていた。



差し出されるカップを一つ受けとると、彼は『今日は酒ではないけどな』と少し微笑をもらした。
その言葉に私も頬が緩む。



珈琲の香りが更に心を落ち着かせる。
彼が入れた珈琲を飲むと不思議と元気になれる。



二人並んで、雨雲を見上げる。
静かで、穏やかな時間。
こんな時間を共有出来るのは、清正だから。




「舞とはね、同じ時期に会社で働くようになって。
だけど、最初は全然仲良くなかったの」

「そうなのか?
今は、仲が良さそうだが……」

「今はね。
舞はどちらかというと色んな人と仲良かったし、私は会社の人と、余り深入りしない付き合いをしてたから……」

「正反対だったんだな」




『その通り』そう言って私が笑うと、清正も声を立てて笑った。




「だけど、一度、会社の歓迎会があって、そこで他の女の子達は皆、お洒落なカクテルを頼んだんだけど、私と舞だけ、日本酒を頼んだの。
それをきっかけに意気投合しちゃって。
それから二人で遊ぶ事が増えて、関わっていくうちに、嘘をつけない、真っ直ぐな人なんだなって。
今は、友達としても女性としてもすごく尊敬してる」




『そうか』と口元に笑みを浮かべた清正は、カップに口をつけた。




「今日ね、はじめて言い合いしちゃった。
舞も傷付いてると思うんだ。
……優しい人だから」




私も珈琲を飲むと、じわりと温かさが体を包み込む。




「きっと、分かりあえる」

「え?」

「お前が大切に思っているなら。
必ず……」




隣に立つ清正を見上げると、無心な顔で笑っているものだから、その言葉は何の疑いもなく私のなかに入ってくる。


彼の言葉はどうしてこう、私の心に深く響くのだろう。




「……うん。
そうだね」

「ああ。
風呂上がりで体が冷える。
そろそろ、部屋に入ろう」

「うん。
話、聞いてくれてありがとう。
この美味しい珈琲も。
元気になった」

「……そうか」




そう言って、嬉しそうに頬を緩めて、彼は背中を向けた。



目の前に広がる大きな逞しい背中。
抱きついてしまったのは衝動的。
だけど、私は冷静だった。
清正に触れたい。
ただ、そう……求めていたのだと思う。




「……清正。
今だけ。
少しの間、こうしてていい?」




言葉を返さない清正。



無言は肯定の意味。
そう感じ取った私は彼の温もりに身を委ねる。
もっと彼を感じたくて、背中に添えていた手をお腹の方へ回すと、清正の大きな掌が私の手を包む。



頼ってはいけないのに。
甘えてはいけないのに。



わかっている。
充分わかっている。



だけど、この温もりが。
この優しさが。
私の弱い心にいつも光を与えてくれるから。
明るさを感じさせてくれるから。



手離したくない。
離れたくない、そう思ってしまうのだろう。



彼の背中に頬を寄せて、私は一時の安らぎを感じていた。

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