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【揺れる恋心】逆トリップ八日目



瞼を閉じた目に、微かに光を感じる。
意識がはっきりしてくるのと同時に鳥の囀り、羽ばたく音が聞こえる。
ゆるりと瞳を開くと、柔らかい太陽の光が目に入る。



眩しい。



思わず右手で、瞳に入る光を遮ると、今度は豊潤な香りが鼻に入る。
その刺激に、ハッとして隣を見ると、彼が寝ていた形跡がある。
もうひとつの枕、もうひとつの掛け布団、彼の残り香。
そして、部屋中に広がる珈琲の香り。
しっかりと覚醒した後、彼がまだいてくれているという事実にほっと胸を撫で下ろす。


心地のよい香りに包まれながら、天井を見上げる。
彼が傍にいてくれているということに安堵している自分がいる。



いつの間か。



こんなに依存してしまっていたのだろう。
彼が居なくなってしまったら、どうするの?
つい、そんな疑問を自分に投げ掛けてしまう。



俄に笑みが溢れた。



こんなことを考えるのが可笑しい。
彼は違う世界の人。
何れ、いなくなる人。



一度目を閉じ、そして、また開く。



変わらない天井の景色を見つめ、私は体を起こす。



キッチンへ歩いていくと、珈琲を作っている彼の後ろ姿。



部屋に差し込む陽の光に反射して、銀の髪がまるで星屑のようにきらきらと光り輝いている。



広い肩幅。
男らしい大きい背中。
太く骨っぽい腕がしなやかに動く。



この体に何度も抱き締められた。
時に優しく、時に強引に。



思い出すと、なぜか下腹部がきゅんとなった。
思わず手で押さえる。



女は子宮で恋をすると、聞いたことがある。
一緒にいて、満足感や、安心感を得られる人に感じるものだと。
女性ホルモンが関係しているようだが……。



心も体も彼を求めている、きっとその証なのだろう。
交わることはないのに……どこかで期待してしまう。



切ない感情に縛られながら、彼の後ろ姿を眺めていると、視線に気付いた清正が後ろを振り返る。



瞬間、柔らかく細められる瞳。



ああ。
もう、本当にどうしようもない。



こんなに鼓動が高鳴って。
こんなに心が震える。




「おはよう。
珈琲、飲むか?」

「……おはよう。
うん、頂きます」




カップに珈琲を注いでいる傍に近付くと、部屋に漂っている豊潤な香りが更に深まる。




「ん〜。
良い香りだね」

「そうだな」




少し私を見て、微笑み返す彼にどうにもできない愛しさが胸を突き抜ける。




「清正……」




想いを……。




「何だ」




珈琲をカップに注ぎながら、言葉が返ってくる。



想いを伝えてしまいたい。



揺れる珈琲の水面を眺めながら、自然と言葉を紡いでいた。





「あのね……」

「……どうした?」




カップに注いでいた手を止め、心配そうに顔を除き混んでくる彼の表情を見て、急に現実に引き戻された私は、心の葛藤を感じて目を伏せる。




「……ううん。
何でもない」




話題を反らそうと、『お腹空いたね』と話す私に、『お前らしいな』と朝にぴったりな爽やかな笑顔を浮かべている。




清正。




未だ軽い笑い声を立てている清正を隣に、私は悲しく揺れる心を隠すように少し遅めの朝食を作り始めた。




***



「今日は何する?」

「そうだな……」

「家にずっと引きこもりって訳にはいかないし……。
かといって、また図書館って言うのもね……」




朝食を口へ運びながら、空を見つめ考える。


改めて考ると、清正がこの世界に現れて一週間。
たった、一週間。
だけど、私には一年分位に感じる濃い時間だったような気がする。



不思議なんだけど。
前からずっと一緒にいたような感覚になるんだよね。
清正といると。



手元に視線を落として、眉間に少し皺を寄せ、何やら考え込んでいる彼の長い睫毛を見つめる。



どんな顔してても凛々しく見えるなんて、狡い……。



俄に見惚れてしまっていると、瞳を挙げた視線とぶつかり、ドクンと鼓動がひとつ鳴った。




「あのさ……」

「うん」

「その……。
この世界で、恋仲の男女は何をするんだ?」

「何……って?」




投げ掛けられた意図のわからない質問。
じっと様子を伺っていると、銀色の瞳がキョロキョロと不自然に動いている。



どうしたんだろう。
恋仲の男女、なんて。




「いや……。
外に出掛けた折りに、恋仲らしき男女がよく歩いていたから……」

「ああ、デートね」

「でぇと?」

「デートだよ。
デート。
私の世界ではね、親しい男女が日時を決めて会うことをデートって言うの。
デートを重ねて、仲良くなっていくのがこの世界での一般的な形かもしれないね」

「……そうか」

「うん。でも、何?
突然」

「あ……いや……」




そう呟いたまま、視線を横に流す清正。
暫し、沈黙の時間が漂う。




「どうしたの?」

「その……。
お前には色々と世話になっているし……」




何やらごにょごにょと言葉を濁している。



もしかしたら……。



彼の様子にひとつの確信が頭を過った。




「清正、私とデートしてくれるの?」

「……っ!」




図星だ。
大きな手を口元に覆い、目を丸くしている彼に、軽く笑みが溢れる。




「そっか。
私を気遣ってくれたんでしょう?
彼氏と別れたばかりだし」

「いや、俺は、ただ……」

「凄く嬉しい。
ありがとう」

「あ、ああ……」




そう小さく肯定して、顔を赤らめる清正。




優しいな。
本当に、優しい人。



だから、時々、その優しさが辛くなる。



胸を締め付けるような悲しみに似た幸福を感じながら、私は笑顔を張り付けた。




***




彼女は勘違いしているようだが、別に励まそうと思った訳ではなかった。



ただ、共に過ごしたかった。
この世界の恋仲の男女のように。
其だけだった。



朝目覚めると、安らかに眠る顔がすぐ傍にあった。
この間の旅行以来だ。
無意識に頬を撫でていた。
気付けば、俺の顔に微笑みが浮かんでいる。
愛しい想いが穏やかに、波のように押し寄せてくる。



口付けをしたくなった。
もっと、触れたくなった。



思わず彼女の体を引き寄せそうになる手のひらをグッと握る。



駄目だ。



脳裏に言葉の警告が響いた。



現世に生をうけて、秀吉様、おねね様のお世話になりながら、ここまで生きてきた。
少しでも俺を育てて下さったお二人のお役に立ちたい。
その一心で。


戦乱の世の中。
生きていくには強くならなければいけない。
負けることは死ぬことに繋がる。
他のことなど、どうでもよかった。
お二人のお役に立つこと。
大切なものを護るために。
ただ、強くなりたかった。



それが……。
今は、こんなに一人の女に惹き付けられている。
制止しても止まらない位に。
元の世界に帰ることを忘れてしまう位に。



こんなに、誰かを愛しく想ったことはない。


そうだ。


交わらない運命なのはわかっている。
けれど、だからこそ、この想いを大切にしたい。
例え、想いを告げられないとしても。




食事をすすめながら、『今日は一日デートだ!』と嬉しそうに頬を緩めている萌。
彼女の笑顔を見ていると、柔らかな愛情に包まれる。



その無垢な笑顔を見詰めながら、喜びと、とらえどころのない寂しさを感じていた。

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