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【変化の時】逆トリップ七日目
「清正さんは何のお仕事されてるんですか?」
「あ、いや…」
「…がっ、外国から一時的に帰ってきてるから、今、こっちでは仕事してないんだよね?」
「あ、ああ…」
「外国ではどんなお仕事を?」
「あ−…」
「日本の武術とか…色々教えたり、広めたりしてるのよね?」
「へぇ−っ、凄いですね!
清正さんに聞いてるのに、何で萌が答えるのよ!?
ところで清正さんはおいくつですか?」
「にっ、二十一、二…歳…位だったよね?」
「あ、…ああ」
「そうなんですか?
私達より年下なんですね!」
『若い〜!』と甲高い声で叫ぶ、萌の友人だという女。
さっきから、この女の有無を云わさぬ質問攻めに俺も萌も苦労している。
そもそも、この状況を招いた原因は数時間前に遡る。
旅行を楽しんだ次の日、俺達は今日一日はゆっくり過ごす、と言うことを前提に、俺はパソコンというもので元の世界へ帰る手立てを探したり、図書館で借りていた本を読んで過ごしていた。
萌は、天気がいいと俄然やる気になるとのことで、洗濯や掃除、料理の作りおきなど…忙しく動いていた。
髪を一つに結って、パタパタと部屋を動いている彼女はとても新鮮で可愛らしく、本を読んでいる傍から気がつけば目で追ってしまう。
視線が合えば、柔らかな微笑みが返ってくる。
初夏の麗らかな陽射しと、心地好い風が窓から部屋に入り込み、そよそよと髪を揺らす。
こうやって、共に食事をして、共に笑いあって暮らす。
想いを寄せる女性との穏やかな時間。
幸せだ…、そう思った。
二人で旅をして確実になった…萌を想う心。
抑えようとすればするほど、あふれでる。
何もかも忘れてこのまま、この世界に彼女と共にいられたら…そう、考えてしまう程に。
夜の食事をしていた折りに、それは起こった。
突然、部屋に異質な音が鳴り響いた。
それは、来訪者が来たときに知らせる音だと以前萌から聞いて、把握していたものだ。
『誰だろ?』と言いながら、音がしたものに近付いた彼女は顔面蒼白で振り返った。
『どうしよう…!』と、俺に話しかけた表情から切迫した状況が伝わる。
一体誰だ、と問い掛けようとした矢先に携帯というものが大きな音をたてた。
二人でじっと音がする携帯を眺める。
すると、暫く鳴り響いていた携帯が止まった。
そして、再度鳴り響く。
それが何回か繰り返し、諦めたようにはぁ、と溜め息を吐いた彼女はぽつりと呟いた。
『覚悟を決めよう』と。
そして、現れたのが萌の隣に座っているこの女と、もう一人。
俺の隣に座っているこの男だ。
「舞」
「何よ?」
「初対面で詮索するなよ。
失礼だろ。
すみません。
コイツ、こんな感じですけど、悪いやつじゃないんで」
円を描くように無造作に跳ねた栗色の髪。
色白の肌。
ぱっちりとした目。
すっと伸びた鼻筋に、小さな唇。
まるで、女のようだ。
男に似つかわしくないぐらいの優男は、にこりと微笑んだ。
苦手な部類の男だ。
何故か妙に気まずいものを感じる。
『萌ちゃんもごめんね?』と、続けた男はいきなり確信をついた。
「ところで二人はどういう関係?」
一瞬、場の雰囲気が凍りついた。
「私もそれ、聞きたかった!」
女が同調し、何とも言えない空気が漂う。
何も答えられない…そう考えた俺は萌を見る。
彼女も複雑な表情をしていた。
「い…従弟なの…」
苦し紛れに答えた言葉に再び沈黙が訪れる。
それを打ち破ったのは舞と呼ばれていた女だった。
「こんな格好いい従弟がいるなら、もっと早くに紹介してよ!」
従弟は無理があるだろ、と思ったが、案外女の方はあっさり納得していた。
男の方は、得心のいかないような表情をしている。
「ほら、海外にいたから!
なかなかタイミングがね〜…。
それより、舞、大分飲んでるでしょ」
「うん、かなりね」
萌の言葉にカラカラと女が笑う。
どうやら、かなりさっぱりとした性格をしているようだ。
裏表の無さそうな態度に好感がもてる。
反対に、この男。
萌と女の会話にも笑顔の仮面を張り付けたような表情を向けている。
何か、探りを入れるような…。
疑っているような…。
やはり、気が抜けない男だとそう思った。
「萌ちゃん、俺のこと覚えてる?」
俺の隣に座っていた男が、急に萌の傍らに寄り、顔を除き混みながら話しかけた。
近付く距離に、一瞬、驚いたような表情を見せた萌は、慌てたように微笑んだ。
「ちゃんと、覚えてるよ」
「そっか、良かった〜。
忘れられてると思ってた」
萌の言葉に嬉しそうに口元を緩める。
その様子を見ていた俺の中で、苛立った憤りがじりじりと胸の奥に食い込む。
何だ。
この怒りは。
ただ、話をしているだけではないか。
何が気に入らないんだ、俺は。
込み上げてくる怒りに戸惑いながらも荒々しい感情が心を満たしていく。
「じゃ、俺の名前覚えてる?」
「えっ…えーっと…」
「やっぱり覚えてない?
食事会のとき、自己紹介したんだけどな。
まぁ、あの時上の空だったもんね。
井川遼です。
よろしくね!
清正さんもよろしくお願いします」
遼という男は、女のように綺麗な微笑みを見せた後、意味深な笑顔を俺に向けた。
こいつ…。
喰えない男だ。
やはり、気に入らない。
「あー!
そうそう!
遼から聞いたよ!?
あんた好きな人が…」
「あーっと!舞!
何か飲む?
お茶でも、持ってくるよ」
「お茶は要らないから、ビールが欲しい〜」
「はいはい。
あ、えっと…遼さんは?」
「遼、って呼んでよ?
俺もビールがいいな」
立ち上がろうとする萌を制止する。
「俺が用意するから、お前は座ってろ」
「あ、そうだね!
戸棚に入ってるナッツもお願い。
清正、ありがとう」
「俺も手伝います」
俺が残された場合、舞という女の質問攻撃に対処できないと考えた提案を察してくれたのか、萌はあっさり了承した。
立ち上がろうとした刹那、突然、耳に響いた言葉で驚いた。
遼と呼ばれていた男もついてきたのだ。
台所に向かう距離が気まずい。
こいつの前では気が抜けない。
ナッツの袋や、ビールを用意する俺の背に強い視線を感じた。
まるで、何かを探るような鋭い視線。
「清正さんと萌ちゃんって、本当に従弟なんですか?」
グラスにビールを注いでいると、投げ掛けられた言葉。
思わず手を止め、隣で同じようにビールを注いでいた男を凝視する。
「…どういう意味だ?」
「二人を見てると、ただ単純に従弟だけの関係じゃなさそうに見えて。
まるで恋人みたいだなって。
一緒に暮らしてるからそう、見えるのかな?」
へらり、と笑ってはいるが、目は笑っていない。
感ずかれると面倒な相手だ。
何とか誤魔化さなければ。
「俺と、萌はただの身内だ。
それ以上でも以下でもない」
「そうですか。
なら、遠慮は要らないですね」
取って付けたような微笑みの裏にある、強い想い。
こいつは、この男はきっと。
「俺、萌ちゃんが好きなんです」
笑顔が真剣な表情に…瞳の光が強いものへと変わった。
そうか。
この男も萌を好いているのか。
萌に対する真っ直ぐな想い。
薄っぺらい笑顔の裏に隠された一途で熱い想いを感じた。
その一途さに正面から向かい合えない俺は、目を伏せた。
「…何故、俺に言う」
「ははっ、そうですね。
ただ、以前萌ちゃんから好きな人がいるって話を聞いたので、もしかしたら、清正さんがその人なのかな〜って思ったんで。
一応牽制させてもらいました。
でも、違うなら良いんです。
半分、先に持っていきますね?」
男の顔が見れなかった。
あいつのように正面から萌に向き合えない自分が悔しかった。
グラスとナッツをのせた盆が小刻みに動く。
自制出来ない程、体が震えだす。
この感情は、怒りだ。
あいつに対する?
違う。
これは。
俺自身に対する怒り。
どうしようも出来ない想いへの怒り。
萌が愛しい。
そう想っていても、俺は、あいつのように真っ直ぐに想いを打ち明けられない。
あんなに純粋な目で。
怒り。
悔しさ。
情けなさ。
負の感情が渦巻く心。
暫くの間、波打つグラスのビールを睨み付けながら、俺は唇を噛み締めていた。
***
「舞さんは帰りますよぉ〜」
「はいはい、明日は仕事でしょ?
早く帰って寝るんだよ?」
見送ろうと玄関に立っていた私に、酔った勢いで甘え、しなだれかかる親友の背中をポンポンとあやす。
急に来客したときはどうしようかと思ったけど、何とか誤魔化せたようで良かった。
舞の背中を撫でながら、内心ほっとする。
「あー…萌が仕事復帰まで後一週間もあるの〜?
さみしぃ〜」
「はいはい、気長に待ってて。
遼くん…」
「萌ちゃん」
「あ、そっか。
遼。
舞をお願いします」
「了解!」
遼くんが満面の笑顔を返す。
この人も本当、いい人だった。
食事会の時に見ようとしてなかっただけで。
今日話していて、とても真面目で気さくな人だと言うことがわかった。
ただ、一つ気になるのは、ビールとナッツを持ってきた時から、清正の態度がおかしいこと。
舞達は気付いてないのかもしれないけど。
落ち込んでいるような…考え込んでいるような…。
ちゃんと、言葉を発してはいたけど、何か、変だった。
舞達が帰ったら、聞いてみようと思ってはいるが。
「清正さんもまたね〜」
半ば呆れた表情の遼くんに支えられながら、千鳥足で手を振り、玄関のドアを閉める親友。
何だか心もとない。
「何か、心配…。
下まで送っていこうかな」
「大丈夫だろ?」
同意を求めようと清正を見上げると、扉を見つめたまま、微動だにしない。
『でも…』と言葉を濁す私に、冷たく『放っておけ』と返される。
やっぱり清正の態度はおかしいけど、気になる。
酒癖が悪い舞は、飲みすぎると所構わず寝てしまう。
遼くんもそれは心得ているとは思うが、舞が動けなくなったら、遼くんも大変だし。
「やっぱり行ってくる」
「行くな!」
靴を履こうとする私の腕を清正の強い手が掴んだ。
驚いて見上げると、すがりつくような目をしていた。
「清正?
どうしたの?」
そう言葉を発すると、背中に手を回され、広く逞しい胸へと引き寄せられる。
「…行くな」
耳元で掠れた切ない声がする。
ぎゅっ、と強く抱き締められ、彼の胸の鼓動が心地よく私の鼓膜を揺らす。
体を通して感じる彼の香りや温もりは彼に恋している私にはとても甘美なもの。
清正が何を考えているのかはわからないけれど、彼の心を落ち着かせようと思った私は舞にしたようにポンポンと背中を撫でた。
「大丈夫。
大丈夫だよ。
行かないから。
どこにも、行かないから」
そう言って、きつく抱き締め返すと、首筋に近寄る吐息。
少し擽ったさを感じたのと同時に、まるで、電気が走ったかのように体に痺れが走る。
体を捩ろうとすると、逞しい腕で固定され、また、痺れが走る。
彼の熱い唇が首筋に吸い付く。
何度も何度も、もたらされる甘い刺激に酔った声が抑えられない。
恥ずかしいと思う気持ちと、もっとしてほしいと思う気持ちが入り交じる。
不意に首筋から唇を外した清正と視線が絡む。
熱い瞳が私を射ぬく。
きっと、私も同じ目をしているのだろう。
お互いに求めあっている。
それはわかるから。
そこに彼の愛があるのかは別としても。
頬に伸びてきた大きな掌。
もっと近付く瞳。
頬を寄せた刹那、清正の唇が私の唇にふわりと触れた。
少し触れたり、また、離れたり。
何処か戸惑うようなキスは私の心を深く刺激した。
「…口付け…して…」
驚いた瞳が私を見た。
自分でも驚いている。
こんなに恥ずかしいことを言えるなんて。
でも、してほしかった。
もっと、触れて欲しかった。
「口付けして欲しい…」
「…っ…!」
一瞬、目を見開いた清正は、その瞬間、激しく私の唇を奪う。
息が出来ない位激しく、好きな人に求められている。
それだけで、体が、心が…嬉しさで震えた。
彼の熱を全て受け止めるように私も応えた。
視界が潤んでも、立っていられなくなりそうでも、もっと、もっと、と清正を求めていた。
もっと、欲しい。
貴方の全てが。
「も…お願い…。
このまま、抱いて?
もう…我慢するの…無理だよ」
唇を外した傍から想いを打ち明けると、また、再び抱き締められる。
「…萌っ…。
俺は…俺も…」
暫くの間、抱き締めあっていた後、ゆっくり体が離れた。
彼を見上げると、視線は空に向かっている。
「清正?」
「…風呂に入って、頭冷やしてくる」
そのまま、何事もなかったかのようにお風呂場の方に向かっていく背中に、思わず叫んでいた。
「清正っ!」
何も語ろうとしない。
まるで、私を拒否するような背中が止まる。
「…心を求めなくても…。
…ダメなの?」
「…すまない」
少し、間があって発した清正の言葉が深く胸を抉る。
背中はお風呂場に向かって進み、やがて扉の閉まる音がする。
私と彼の間にある硬い扉。
それは私には破れない。
「…すまない、なんて…言わないでよ…」
そんな優しさ必要ないのに。
興味ないとか。
タイプじゃないとか。
好きじゃないとか。
色々、断り方があるでしょ。
優しくしないでよ。
「…また期待しちゃうじゃない…」
泣きそうになる心を静めながら、私はその場にずるずると座り込んだ。
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