小説 | ナノ

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「クラゲって、何でこう…癒されるんだろうね?」


照明がおとされ、薄暗いホールのなか、クラゲの水槽だけにライトが照らされている。
青い光の渦の中でふわりふわりと浮いている彼等は、とても幻想的で美しい。

このホールの雰囲気のせいなのか、私達の周りには、仲良さそうにくっついて水槽を眺めているカップルがやけに多い。
この照明とクラゲは、男女の気持ちを盛り上げる絶妙なコンビなのかもしれない。


「まぁ、解らなくもないが…こんなに長時間観るほどのものでもないんじゃないか?」


高い背を折り曲げて、まじまじと水槽を除き混む清正の顔が、私の顔に少し近付く。


途端に煩くなる胸の鼓動。


「でもこの暗い館内での光の加減がロマンチックなんだよね」

「ろまんちっく…?」

「えーっと、ムードがあるっていうか…」

「むーど…?」

「ああ、もう。
取り合えず周りをよくよく眺めてみてよ!」

「…男女が引っ付いているが…それが何なんだ?」

「だからね、恋人同士には仲良くしやすい場所ってこと」

「クラゲの前が、か?」

「うん、まぁ…」


一緒に暮らしていたり、デートをしたり、旅行に行ったり。
そして、キスまでも。
清正と私がしていることは普通の恋人同士がしていることと同じ。
だけど…、普通ではない。
私が彼の恋人になれないこともちゃんと解っている。
でも、少し位。
ほんの少しだけでも、周りの恋人達みたいに接してみたい。
そう思ってしまうのは、私の我が儘なのかな…。


怪訝な表情でクラゲを見ている清正を横目に、少し溜め息が漏れる。


「もう、良い。
次に行こう!」

「あ、ああ…」


もやもやした気持ちを振り払うように、一歩を踏み出した私の脚が薄暗い部屋の何かにつまづく。
思わず『わっ!』と、声を出し、体が傾いたその時、大きな力が私の体を支えた。


「大丈夫か?」

「う、ん、大丈夫…」


私を支えている大きな逞しい腕、彼の香り、温もり。
昨日の夜の出来事がフラッシュバックする。


あの時も。
こうやって、抱き締められて…。

そう、思い出し…首を振る。


「ごめん、ありがとう。
真っ暗だから気を付けなきゃね」

「ほら」

「え?」

「俺の手を掴んでおけ。
またつまづかれたらと思うと、心配だ」

「うん…ありがとう…」


差し出された大きな掌。
その優しさを拒否できる程、私の心は強くない。


ゆっくりと彼の掌を握ると、ぎゅっと握り返される。
見上げると、そこには穏やかな微笑み。


幸せだ。
とても、幸せ。

貴方に巡り会えただけで、私は幸せ。


それから私達は与えられた時間を大切にするかのように、水族館を楽しんだ。

しっかりと手を繋いだまま。


***


「ただいまぁ〜我が家」


荷物を置いてソファーに座ると、どっと疲れが押し寄せる。
このままソファーに寝転ぼうかと考えている私に、彼の声が聞こえる。


「不思議だな…」

「不思議って?」

「まだこの部屋に来て数日しかたっていないのに、俺もここに帰ると懐かしさを覚える。
きっと居心地が良いんだろうな」

「狭い部屋ですが、寛いで頂けたなら有り難いです」


独り言のように話した清正の言葉。


居心地よく思ってくれていることは嬉しい。
それが良いのか、悪いのかは別として。


「ねぇ、片付けは明日にしてお風呂に入ってもう寝ない?
ちょっと疲れちゃったし」

「そうだな、風呂の準備してくる」

「うん、ありがとう…」


お風呂場に向かう大きな背中。


彼は、あっという間に過ぎていった六日間でどんどんこの世界に慣れていく。
嬉しいようで心が苦しくなる。


いつまでこうして、一緒にいられるんだろう。
別れの時はいつくるんだろう。


一息入れようと思って、二人分の珈琲を準備しながら、そんな想いが頭に過る。


「…萌、溢れてるぞ」

「あ!
あー、やっちゃった…」


急に鼓膜に響いた低い声に体が揺れる。


ハッと手元を見ると、カップから珈琲が溢れていた。


「疲れてるんだろ?
俺がするから」

「…はい。
ありがとう」

「いいえ」


そう言って、笑った清正は慣れた手付きで珈琲を注ぐ。


こんなに傍にいるのに…彼が遠い。


豊潤な香りが広がる室内で私は何処か寂しかった。


***


「もう、寝たか?」

「…ううん」


ベッドに潜った私の耳に彼の穏やかな声が聞こえ、すぐ横に布団で寝ていた彼の方へと視線を送る。


「旅行、ありがとうな」

「清正、今日…そればっかり」

「そうだな。
だけど、本当に感謝してるんだ。
お前が居なきゃこんな素晴らしい経験は出来なかった」

「うん…」


感謝。
感謝なんていらない。

欲しいのは…。
私が欲しいのは…。


「萌…」

「…何?」

「いつも俺の傍にいてくれてありがとう。
はは、お前には感謝の言葉しか浮かばないな」

「…う、ん…」

「お休み、萌」

「…お休み…きよまさ…」


ゆったりと優しい笑顔を向ける清正に背を向け、瞳を閉じる。


私が欲しいのは、貴方だけ。

ポロリと涙が零れた。


辛いとか…切ないとか…、そういうのじゃない。
嬉しいとか…そういうのでもない。


私は清正に気づかれないように布団に潜り込んだ。


枕が涙で濡れていく。

何故かわからないけど、涙が止まらなかった。

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