▼名前ゴート 其ノ壹 (メモ:怪異回に入るのはutpr学園生活後半以降、トキヤとの仲も結構進展してから) 三時間特番のナレーション録りの仕事帰り。いつものようにドーナツ屋に寄ってから寮に戻ろうとした矢先の事であった。 東京には多種多様な外見の人間が溢れているがその中でもその人物だけは妙にはっきりと目立っていて、強烈な印象を与えてきた。 「……」 あまりにも聞いていた情報と一致し過ぎるその風貌に彼女の足が止まる。 「忍野、メメ……」 思わず呟いてしまったその名に、彼女は即座に後悔する。 その声が本人の耳に届かぬように願うも虚しく、彼女の良く通る声はその人物、忍野メメの耳にしっかり届いていた。 「おや、君とはどこかで会っていたかなぁ。君みたいな美人だったら忘れるはずがないんだけど」 聞けばナンパの様なセリフだが、今の忍野にそんな気はないだろう。ただ本当の事を言ったまでだ。 「ん?……ああ。聞いていた話と色が違うけど君は確か阿良々木君の幼馴染みの……」 「名字名前です」 そこまで知っているのならば誤魔化しは利かないと判断し、潔く名乗る。と同時に色という単語に眉を顰める。 同様に幼馴染みとの回顧録をそれとなく聞かされていた忍野でも今の名前を名前だと判断する材料は無いに等しいはず。 一体どんな話の解釈をしていれば変容してしまった彼女を名字名前であると断定できるのか。 訝しげな視線を忍野にぶつける名前。 「そうそう、確かそんな名前だったね。はっはー、会ったことないとはいえ流石は阿良々木君の幼馴染みだ。僕の名前を知っていたことにも納得だよ」 「暦から嫌というほど聞きました」 暦がどういう経緯で彼に会って如何様に世話になったかを逐一聞かされていた彼女にとって、今置かれている状況は非常に拙いものであった。 暦が彼の居住する廃墟に定期的に訪ねなければならない理由があるのを名前は知っていた。その際に万が一にでも自分の現在地を伝えられると非常に困る。まだ気持ちの整理がついていないのだ。 「お嬢ちゃんは」 「……」 「ふぅん」 「何ですか……」 「そういえば阿良々木君が嘆いていたぜ。君との連絡が取れなくなってしまったって。怪異の仕業なんじゃないかと僕の所に訪ねられて、いやー、あの時は困った困った」 「そんなことが……暦が迷惑をかけてしまって申し訳ありません」 まったく困った様子の無い忍野は、彼女をまじまじと、上から下まで舐めるように見やる。その姿はもはやセクハラの域だ。 しかし、見つめられている本人は居心地の悪さはあれど不思議と不快には感じていない。 医者が患者の病状をチェックしている、そんな感覚だった。 「うん。君はもう少し我が儘になった方が良い」 「? それってどういう……」 納得した様子の忍野は用事があると言いそのまま人混みの中に消えて行った。 結局、自身の現状を黙っておいてくれなんて自分勝手な言葉を言えるはずもなく、遠ざかるアロハシャツを見つめるだけ。 こんな都会にわざわざ何の用があるのだろうと考えもしたが彼女の知り得る情報だけで忍野メメという男を図ることなど到底不可能だ。早々に考えることを止めた。 これは確実に暦にバレてしまうだろう。 アロハシャツが完全に見えなくなった頃にはもうドーナツ屋に行く気分ではなくなってしまった。 彼にどう言い訳をすれば良いのか思い悩みながら寮に帰ろうとした時。 「名字さん?」 「……一ノ瀬くん?」 背後から掛けられた声に、振り返るとトキヤが心配そうに名前を見つめていた。 HAYATOと同じ顔をしているからか帽子と眼鏡で変装をしていたので彼が一ノ瀬トキヤであることに気付くのに少々時間がかかってしまった。 「どうしたんですか? こんな所に立ち止まって」 「ちょっと知り合いに会って……知り合いって言えるかは曖昧だけど」 「曖昧って何ですか……。それはそうと今から寮に帰るんですか?」 「うん、そのつもり」 「でしたら、まだ夕食を済ませていないのであればどこかでご一緒しませんか?」 名前は夕食がてらドーナツ屋に行く予定だったのを取り止めたばかりだったのでその申し出に素直に頷いた。 とにかくこの形容し難い不穏な気分を紛れさせたかった。 彼女の返答に気を良くしたトキヤは知り得る店の中で一番適している場所を思考する。 「幼馴染みに恋人が出来たの」 もやもやは苛立ちへと 「嬉々として語ってくれるの。そうれはもう嬉しそうに。他の女の子との出会いから何から何までずっぽりしっぽり、嫌になるくらい。それこそ暦の体験を文章にすれば一篇の小説が出来上がると思うよ。きっと読み応えあるんだろうな……まぁ私は読まないけど。だって、内容は全部知ってるもん……」 誰が好き好んで慕情を募らせた相手の恋愛話を読もうとするか。そう心の中でひとりごつ。 暦からすれば単なる怪異退治ファンタジー小説なのかもしれないが、名前からすればただの恋愛小説にしか聞こえない。特に戦場ヶ原とやらに告白されているページは火をつけて跡形もなく消し去ってしまいたいくらい、彼女の恋心は重かった。 「名字さんはその幼馴染みのことが好きなのですね」 「……うん。そうだね」 「正確には好き“だった”だけどね。もう失恋しちゃったから」 「番号もアドレスも変えちゃったよ」 「そんなはっきり忘れられるものなんですか」 「忘れなきゃいけないの。わたしのためにも、暦のためにも」 |