Crying - 505

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「お! うまそうな匂いだな」と、難いがいい男が口元を緩ませる。
「チョコケーキの試作なんですー。開店は明日からなんだけど、良かったら食べてみてもらえませんかー」
 黒鋼の刃をのけぞって躱しているファイが、余裕でよそ見する。
「よろこんで!」
 意気込む二人の内、男の方が後ろ頭を掻きながら照れたように口にしていた。
「いやー、悪いな“おっきいワンコ”」
「ワンコじゃねぇ!」

「諦めなよ。おっきいワンコ」
 名前は真っ先にカウンターに座ってコーヒーを啜っていた。
「諦めねぇよ! だいたいてめぇ、なに飲んでんだよ!」
「え、珈琲」
「そういう意味じゃねぇよ!」


 カウンターに着いた二人、少女――猫依譲葉(ねこいゆずりは)と男――志勇草薙(しゆうくさなぎ)は鬼児狩りであり、さっき黒鋼と小狼が外出していた際に会ったらしい。
「おいしー」
 生クリームが添えられたフォンダンショコラを口に含んだ譲葉が、ほっぺたが落ちそうなとろけそうな笑顔を浮かべ手足をばたつかせる。

 カウンターの左端に凭れかかった黒鋼から右に名前、草薙、譲葉、一つ空けて小狼が座っていた。
 桜がトレーを小刻みに震わせながら温かい飲み物を運ぶ。

「よかったー。モコナのアドバイスで生クリーム添えてみたんだー」
「クリームがついてるとなお美味しいのー」
 カウンターの中にファイが立ち、その手前――カウンターの上にモコナが立っていた。
「こりゃ、他の鬼児狩りやってる奴等にも教えないとな」と草薙が目尻を下げる。
 運んでいた飲み物を配った桜に譲葉が礼を言っていた。

「あ、おかわりください」と名前が空になった皿を差し出す。
「だから、てめぇなにやってんだよ」と隣に立つ黒鋼がつっこんでいた。
「試食です」
「二個目は試食じゃねぇだろうが」
 眉根を寄せる黒鋼に名前は押し黙った。

「桜都国には来たばかりなんですね」と譲葉が桜に問いかける。
「はい、昨日」
 笑顔を浮かべる桜に、二人の間に和やかな空気が流れていた。


「着いた夜いきなり鬼児とかいうのに家宅侵入されて大変だったよー」と、ファイが小狼の前に飲み物を、名前の前にフォンダンショコラの乗った皿を置く。「そういえば、市役所の子が鬼児の事説明してくれた時に言ってたんだけど、“段階”ってなにかなぁー?」

「鬼児の強さはイが一番上で、ロ・ハ・ニ・ホ・へ・トと下がっていって、それを更に五段階に分けてるんです」と譲葉がフォーク片手に説明していた。「例えば、ホの一段階だとホのランクの中で一番強い鬼児。ホの五段階だとホのランクの中で一番弱い鬼児って事ですね」

「じゃ、黒鋼にあげます」と、名前はファイにもらった皿をしぶしぶ黒鋼に差し出した。
「あ? いらねぇよ。んな甘ったるいもん」
「じゃ、仕方ないですね!」と、名前がさっさと引き戻しフォークで切り分ける。「いただきます」
 中のとろっとしたチョコレートが口の中でとろけ、絶妙な生クリームの甘さがふわりとしたココア生地とチョコレートの苦みをまろやかにさせていた。

「と言う事は、一番強いのは“イの一”」と小狼の表情が硬くなる。
「そう! 鬼児狩りはみんなそのイの一段階の鬼児を倒す為、日々頑張ってるんです!」
 まるでゲームみたいだ。
 楽しむように口にした譲葉に、名前は違和感を覚えた。
 戦うことを楽しんでいること自体は黒鋼も変わりない。
 なのに決定的に違っている。彼女には死にたいする感情が抜け落ちているように見えた。
 それも強さに裏付けされた自信からなるものでも、死そのものを享受しているからでもなく、ただ考える必要がないと言う安心感に近い。
 一体、鬼児狩りって――

 口の中に広がった苦みを振り切るように、生クリームをつけたフォンダンショコラを口に放り込む。
 顔をほころばせて味わう名前に、隣から呆れた声が降ってきた。
「お前、はなっからやる気なかっただろ」
「まさか」
 名前はコーヒーを啜るとフォンダンショコラを刺したフォークを黒鋼に差し出した。
「はいっ」とごきげんな名前が緩みきった顔を向ける。

 ――パクッ
 フォンダンショコラを飲み込んだ口が満足そうに笑った。
「あーん、されちゃったー」とモコナが照れ笑いを浮かべる。
 そうなるのかとモコナがもといた場所を見やると、視線に気づいたファイが名前の空になったカップにコーヒーを注いでくれていた。

「ってことはー、昨日うちに来たハの五段階ってのは中間よりちょい上くらいー?」
「そりゃ妙だな。家に侵入できる鬼児はロの段階以上だぜ」
 草薙が不可解気に顎に手を添える。

 会話の途中で注いでくれたファイに、
「ありがとうございます」と名前が小さく返すと、名前の皿の隣に立つモコナがふふふと含み笑いをこぼしていた。
 どうしたのかと、小首を傾げながらファイとモコナを見つめる。
「なに笑ってやがんだ。白まんじゅう」
 気になったらしい黒鋼がモコナを見下ろしていた。
「モコナ、どっちも応援するよ!」と小さな手をぱたぱたと振るモコナに、わけがわからない名前と黒鋼は顔を見合わせた。


 不意に二人が連れていた犬が顔をもたげ、どこか別の場所に神経を尖らせる犬に二人が立ち上がっていた。
「鬼児が近くに出たみたい!」と譲葉が犬の背を撫でる。「この子は鬼児の匂いを感知できるの」
「ごちそうさん」
「すっごくおいしかったです!」
 ファイに笑顔を向けた二人の内、草薙が言った。
「幾らだ?」
「今日はサービスでー。また来ていろいろ教えて欲しいなー」
「おう。是非寄らせてもらうよ」

 先に店を後にする草薙に、
「またね」と譲葉は桜に手を振っていた。
「また」と桜が顔をほころばせる。
 意識がはっきりしてから初めてゆっくり話せた相手はそう年も変わらず、桜にとっては友人ができたようで嬉しかったのかもしれない。

「もう常連さん候補出来ちゃったねぇ。おっきいワンコ」
 わざと付け足したファイに黒鋼が無言で抜刀する。
 刀を振り回す黒鋼をファイは飄々と躱しながら、嬉々とした悲鳴を上げていた。

「モコナ、羽根の波動は?」と小狼がカウンターを顧みる。
「感じるけど、やっぱりすごく弱い。場所までは分からない」
 しょんぼりと項垂れるモコナに小狼が気遣うように笑いかける。
「鬼児狩りは情報を得るのに有利だそうだ。きっと色々聞けると思うよ」
「モコナも頑張って羽根の波動キャッチする!」
 握手を交わす二人の背後では、大人組が大騒ぎしながら物騒な追いかけっこを繰り広げていた。
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