Crying - 302
「一応、オレ達もこの辺調べてみるよー」
何の前触れもなく発言したファイに視線が集中する。
「ささっ、黒るん行くよー」
「黒鋼だ!」
懲りずに訂正したものの、すんなりと立ち上がる黒鋼に名前は呆然と口にした。
「めずらしいですね。素直についていくなんて」
「こいつの思い通りっつうのは癪だが、ずっとここにいんのも退屈だしな」
「モコナも探すー!」
黒鋼の肩に飛び乗ったモコナが溌剌とした声を出す。
「私は――残ります」
ファイを見上げると、判断を後押しするかのようにへらりと笑っていた。
「じゃ、行ってくるよー」
ぶんぶんと大げさに手を振るファイに、
「行ってらっしゃい」
言いなれない言葉がこぼれた。
「おれはもう少し探してみます」
「まめに戻ってきた方がいいですよ」と湖へと向かう小狼に微笑する。「彼女を連れ去ってしまうかもしれないですし」
「え?」
「嘘」と虚を突かれた小狼に真顔に戻す。
「でも、彼女が目を覚ました時に側にいてあげた方がいい。記憶が戻っていなくても――いないからこそ、あなたが必要なんだと思う」
記憶が戻って日が浅いけれど、その反面、なにが自分にどれほどの影響を与えているかよく理解できるのではないだろうか。
彼女が彼の決意の本当の意味を理解できなくても、守ろうとしてくれているのか、否かぐらいはわかる。
本当に知らない人間が側にいるよりは、きっと安らげる。
「サクラをお願いします」
駆けていく彼に、なす術もなく頷いた。
彼女が見えて、湖もよく見える中間に位置する木にもたれかかる。
自分はどうしたってあんな風にはなれない。
暗闇でもないのに、自分の浅ましさが透けて見えそうで怖くなった。
影を濃くした木々が不気味に梢を揺らす。
気温が下がったのか、一気に肌寒くなっていた。
彼女からファイの外套がずり落ちていないのを確認して湖に視線を戻す。と、小狼が戻ってくるところだった。
「もう夜ですね」と腕で顔を拭う小狼に空を仰ぐ。「暗くてよく見えなくなっているのでは?」
「まだ、なんとか」
どう考えても諦めていない口調だった。
「小狼君」
樹木越しに桜のか細い声が聞こえてきた。
「目が覚めましたか?」と小狼が微笑みかける。
外套を羽織った小狼は桜の前に駆け寄っていた。
「黒鋼さんとファイさんは辺りを探索してくるって。ついさっき……」
ずぶ濡れの小狼の手を握った桜の表情が曇る。
「冷たい。あれからずっと湖に潜ってたの?」
「休みながらですよ」
気にさせないように繕う小狼に桜が切なげに彼の腕をつかんだ。
「わたしの記憶だから、わたしが行きます!」
「夜になって水温が下がっています」
「だったら、やっぱりわたしが」
「おれがそうしたいんです」と小狼が穏やかに言葉を紡ぐ。「それに今、あなたはまだ記憶の羽根が足りなくて体調が万全じゃない。湖に潜ってる間にもしまた眠くなったら……」
「だったら、せめて火にあたって休んで。ね?」
辛そうに小狼の服をぎゅっとつかむ。
「はい」と小狼は困ったように頷いていた。
一人分のスペースを開けて焚き火の前に二人が腰を下ろす。
沈黙を埋めるように、薪がはぜる音が響いていた。
「有り難う、わたしの記憶取り戻してくれて」
爪先を見つめた桜が訥々と話し出す。
「春香がいた国で羽根がわたしの中に戻った時ね、見たの。わたしの国の王である兄様と神官の雪兎さん。桃矢兄様は王子で、まだお父様がいらした頃、わたしの誕生日でね。みんなお祝いしてくれて」
巧断の国の“王様”は彼女の兄だったらしい。
「でもひとつだけ、誰も座ってない椅子があって。わたし、その椅子に向かって話しかけてるの」
思い返すように口にした彼女は膝を抱えて目を伏せた。
「不思議ね。誰もいないのに、わたしとても幸せそうなの」
空白の記憶に彼女が悲しげに笑う。
そこにいるはずの人物が誰かなど、考える必要もないだろう。
隣に座っている小狼が遠い記憶に思い馳せるように目を閉じていた。
不意に湖が波打ち小狼が立ち上がる。
樹海全体を照らすほどのまばゆい光を放つ湖に、
「湖が光ってる!?」と慌てて小狼が駆けだす。「隠れていて下さい!」
外套を放って湖に飛び込んだ小狼に、
「小狼君!」と桜が手を伸ばしていた。
届かなかった手が空を彷徨う。
力尽きるように湖の淵に倒れ込んだ桜が虚ろな瞳で呟いていた。
「あの子って……誰――?」
眠りにつく桜に、側に来ていた名前は眉をひそめた。
欠けていることがわかる記憶は全く覚えていないことより残酷なのかもしれない。
木々の間から姿を見せた二人に名前はぼんやりと湖を眺めていた。
知ることができないのなら、いっそそれがあることすら知らないままでいい。
「どうしたのー?」
曖昧な笑顔を向けるファイの肩からモコナが飛び降りる。
「サクラ移動してるー」
「なんで光ってんだ?」
湖を訝しむ黒鋼に名前は平淡に答えた。
「今、彼が調べに潜ったところです」
何の前触れもなく発言したファイに視線が集中する。
「ささっ、黒るん行くよー」
「黒鋼だ!」
懲りずに訂正したものの、すんなりと立ち上がる黒鋼に名前は呆然と口にした。
「めずらしいですね。素直についていくなんて」
「こいつの思い通りっつうのは癪だが、ずっとここにいんのも退屈だしな」
「モコナも探すー!」
黒鋼の肩に飛び乗ったモコナが溌剌とした声を出す。
「私は――残ります」
ファイを見上げると、判断を後押しするかのようにへらりと笑っていた。
「じゃ、行ってくるよー」
ぶんぶんと大げさに手を振るファイに、
「行ってらっしゃい」
言いなれない言葉がこぼれた。
「おれはもう少し探してみます」
「まめに戻ってきた方がいいですよ」と湖へと向かう小狼に微笑する。「彼女を連れ去ってしまうかもしれないですし」
「え?」
「嘘」と虚を突かれた小狼に真顔に戻す。
「でも、彼女が目を覚ました時に側にいてあげた方がいい。記憶が戻っていなくても――いないからこそ、あなたが必要なんだと思う」
記憶が戻って日が浅いけれど、その反面、なにが自分にどれほどの影響を与えているかよく理解できるのではないだろうか。
彼女が彼の決意の本当の意味を理解できなくても、守ろうとしてくれているのか、否かぐらいはわかる。
本当に知らない人間が側にいるよりは、きっと安らげる。
「サクラをお願いします」
駆けていく彼に、なす術もなく頷いた。
彼女が見えて、湖もよく見える中間に位置する木にもたれかかる。
自分はどうしたってあんな風にはなれない。
暗闇でもないのに、自分の浅ましさが透けて見えそうで怖くなった。
影を濃くした木々が不気味に梢を揺らす。
気温が下がったのか、一気に肌寒くなっていた。
彼女からファイの外套がずり落ちていないのを確認して湖に視線を戻す。と、小狼が戻ってくるところだった。
「もう夜ですね」と腕で顔を拭う小狼に空を仰ぐ。「暗くてよく見えなくなっているのでは?」
「まだ、なんとか」
どう考えても諦めていない口調だった。
「小狼君」
樹木越しに桜のか細い声が聞こえてきた。
「目が覚めましたか?」と小狼が微笑みかける。
外套を羽織った小狼は桜の前に駆け寄っていた。
「黒鋼さんとファイさんは辺りを探索してくるって。ついさっき……」
ずぶ濡れの小狼の手を握った桜の表情が曇る。
「冷たい。あれからずっと湖に潜ってたの?」
「休みながらですよ」
気にさせないように繕う小狼に桜が切なげに彼の腕をつかんだ。
「わたしの記憶だから、わたしが行きます!」
「夜になって水温が下がっています」
「だったら、やっぱりわたしが」
「おれがそうしたいんです」と小狼が穏やかに言葉を紡ぐ。「それに今、あなたはまだ記憶の羽根が足りなくて体調が万全じゃない。湖に潜ってる間にもしまた眠くなったら……」
「だったら、せめて火にあたって休んで。ね?」
辛そうに小狼の服をぎゅっとつかむ。
「はい」と小狼は困ったように頷いていた。
一人分のスペースを開けて焚き火の前に二人が腰を下ろす。
沈黙を埋めるように、薪がはぜる音が響いていた。
「有り難う、わたしの記憶取り戻してくれて」
爪先を見つめた桜が訥々と話し出す。
「春香がいた国で羽根がわたしの中に戻った時ね、見たの。わたしの国の王である兄様と神官の雪兎さん。桃矢兄様は王子で、まだお父様がいらした頃、わたしの誕生日でね。みんなお祝いしてくれて」
巧断の国の“王様”は彼女の兄だったらしい。
「でもひとつだけ、誰も座ってない椅子があって。わたし、その椅子に向かって話しかけてるの」
思い返すように口にした彼女は膝を抱えて目を伏せた。
「不思議ね。誰もいないのに、わたしとても幸せそうなの」
空白の記憶に彼女が悲しげに笑う。
そこにいるはずの人物が誰かなど、考える必要もないだろう。
隣に座っている小狼が遠い記憶に思い馳せるように目を閉じていた。
不意に湖が波打ち小狼が立ち上がる。
樹海全体を照らすほどのまばゆい光を放つ湖に、
「湖が光ってる!?」と慌てて小狼が駆けだす。「隠れていて下さい!」
外套を放って湖に飛び込んだ小狼に、
「小狼君!」と桜が手を伸ばしていた。
届かなかった手が空を彷徨う。
力尽きるように湖の淵に倒れ込んだ桜が虚ろな瞳で呟いていた。
「あの子って……誰――?」
眠りにつく桜に、側に来ていた名前は眉をひそめた。
欠けていることがわかる記憶は全く覚えていないことより残酷なのかもしれない。
木々の間から姿を見せた二人に名前はぼんやりと湖を眺めていた。
知ることができないのなら、いっそそれがあることすら知らないままでいい。
「どうしたのー?」
曖昧な笑顔を向けるファイの肩からモコナが飛び降りる。
「サクラ移動してるー」
「なんで光ってんだ?」
湖を訝しむ黒鋼に名前は平淡に答えた。
「今、彼が調べに潜ったところです」