Crying - 301

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「で、どこなんだここは」
 異世界に降り立った直後、黒鋼が真っ先に口にした。
 呼応するように木々が梢を揺らす。
 正面にある広大な湖を取り囲むように深緑の木々が鬱蒼と茂り、正体を隠すように深い霧がかかっていた。

「おっきい湖だねぇ」とファイが感嘆する。
「人の気配もないみたいですね」と小狼は周囲を観察していた。
「モコナどう? サクラちゃんの羽根の気配するー?」
「強い力は感じる」
「どこから感じる?」
 小狼の問いにモコナが湖を覗き込む。「この中」
「潜って捜せってのかよ」と黒鋼が真っ先に反発していた。

 この世界はそれほど気温が高くない。
 長時間潜ることになるのだろうし、よほどの体力と根気がないと無理かもしれない。その点、今の黒鋼のやる気のなさだとアウトだろう。
「待って」と桜の声が背後から飛んでくる。「わたしが行きま……す」
 駆け寄ってくる途中で意識を手放した桜を黒鋼が片手で支えていた。

「サクラ寝てるー」
 ファイの肩に乗ったモコナが倒れた桜を覗き込む。
「春香ちゃんの所で頑張ってずっと起きてたからねぇ。限界きちゃったんだねぇ」
 ファイの言葉に黒鋼が彼女を軽々と抱えていた。
 湖から少し離れた場所にある開けた空間を囲っている木の幹に、黒鋼が彼女を寝かせる。
 ファイは自分の外套をそっとかけていた。

「で、どうすんだ?」
 黒鋼が面倒臭そうに口を開いた。
 羽根の可能性は湖の中だ。
「潜って探します」
 揺らがない小狼に、黒鋼が嘆息した。

「とりあえず、火を熾すべきかなー。服が濡れたままだと風邪ひいちゃうだろうからー」
 木々の間から手ごろな枝を見繕ったファイが、にこやかに黒鋼に押し付ける。
「てことでよろしくー」
「俺がかよ!」
 怒鳴った黒鋼が枝を引っ手繰る。文句つけながらも黙々と中央に火を熾していた。
 ファイとモコナはその様子を冷かしていた。
 眠る桜を見つめる小狼の表情は、最初の頃と比べれば穏やかだ。


「変わりましょうか?」
 小狼の琥珀の瞳に、無感動な自分が映り込む。
「心配でしょう?」
「でも」
 探すことは私情だと責任を口にしかけた小狼に、
「あなたが望むなら、巧断の国でのお礼を今お返しいたします」
「お礼って、おれは何も……」
 戸惑いを隠せない小狼に、名前は自身の爪先を見つめた。

「思ってもみない事が誰かにとって憎むべきことに繋がることもあるけれど、それと同じように誰かにとって救いになることもあるはずです」
 朱色の灯りが足元を照らす。
「少なくとも、私はあなたに助けてもらっています」と顔をもたげた名前は自虐的に笑った。「だからと言って多くを返せるわけではないけれど」

 ファイにしても黒鋼にしても、それ以前の救いの手に対する恩も返せてはいない。怠惰に享受し続けた結果だ。それに対する自責の念を感じているかどうかも定かじゃない。
 これはただ自分のしていることを肯定したくて他人に押し付けているだけかもしれない。

「たとえ、自分の為に行動したことであったとしても、相手がそれを救いだと感じているのなら、それはそれで受け入れてもいいと言うことです」

 ぱちぱちと薪がはぜ、揺れる灯りが意識をぼんやりとさせる。
 秘術の薬が効いたとしても傷は癒えたばかりのはずだ。
 名前ですら、水の球が直撃したと思しき足は未だ違和感が残っている。
 池に浸り大怪我を負った上で酷使したらしい彼の足は、目を背けたくなるほど痛々しかった。それが完全に治っているとは言い切れない。

「少し休んではどうですか」
 小狼がぱちくりと目をしばたく。
 あどけなさが覗く彼に、ファイの含み笑いが目についた。
 何を考えているのか分からない彼は口を挟むこともせずに黙って笑っていた。

「ありがとうございます」と小狼が優しげに笑う。
 名前は、眉を下げた。
「それは私の台詞です。あなたが言っては意味がない」
「はい」
 それでも笑う小狼に、名前は意味がわからないと顔をしかめた。
「探して来ていいという意味ですか?」
「いえ、名前さんは休んでいてください」と慌てて手を横に振る小狼により眉間に皺が寄る。焦った様子で小狼が続けた。

「おれが探したいんです」


 ――小狼が一人湖に潜っている間、名前達は焚き火の前に腰を下ろしていた。
 ファイは桜の隣にしゃがみ込み、焚き火を挟んだ桜の正面の木に黒鋼がもたれかかっている。名前はそこから二つ木を跨いだ場所に座っていた。

「頑張ってるねぇ」
 ファイが湖に視線を投げる。
 少なくとも三回息継ぎしているけれど、小狼が戻ってくる気配はない。
 元々それほど明るくはなかったけれど、徐々に暗さが増して来ていた。
 四回目の息継ぎでようやく小狼が戻ってくる。
 滴る水を衣服で拭っていた。

「どうだったー?」
 ファイの問いに小狼がかぶりを振る。
「羽根らしきものは何も」
「広いからねー。そう簡単には見つからないかー」

「桜は?」
 問いかける前に彼女に目線が行っていた。
「ん、よく眠ってるよー」
 安堵している小狼を横目にファイが立ち上がる。
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