Crying - 203

≪Prav [20/72] Next≫
「つまり、その暗行御史が来て欲しいくらいここの領主は良くないヤツなのかな?」
「最低だ! それにあいつ母さん(オモニ)を……」
 春香が悲痛な表情で俯くと同時に、頭上から風が唸るような音が轟いた。

 嫌な音を立てて、家全体が軋む。
 異様な雰囲気にファイが立ち上がっていた。
「風の音?」
 窓に向かうファイに、春香が叫んだ。
「外に出ちゃだめだ!」

 突如、開け放たれた窓から暴風が吹き込み、巨大な竜巻の如く渦巻く風が壊れた屋根ごと飲み込んでいく。
 吹き荒ぶ風に髪が煽られ、名前は目も開けられずにいた。
 止まない風に体が引き摺られる。と、壁の柱を掴んでいた手が滑った。抵抗力を失った体が窓へと引きずり込まれる。

 伸ばしたままの手に武骨な手が絡まりつき、強引に引き寄せられた。
 次第に音が途絶え、過ぎ去った風に目を開く。
 胸元に押し付けられた顔を上げると、渋い顔をした黒鋼が空を睨んでいた。
 暴風によって壊された天井からは、澄み切った青い空が覗いている。

「自然の風じゃないね、今の」
 真面目な顔で呟いたファイに、春香は顔をゆがめた。
「領主だ! あいつがやったんだ!」
 空に呑み込まれていく悲痛な叫びを、どこかの誰かが嘲笑って見ているような気がした。



 ――――

「何でっ、俺がっ、人ん家、直さなきゃ、ならねぇんだ、よっ!」
 春香の家の屋根の上で、トンカチを打ち鳴らす黒鋼が不満を垂れる。
「一泊させてもらったんだから当然でしょー」
 ぽっかりと穴の開いた屋根の下に立つファイは、修理用の板を差し出していた。

「しかし、あの子供一人で住んでるとはな、この家」
「んー、お母さん亡くなったって言ってたね、春香ちゃん」
 独りで住むには広すぎる家は、まるで誰かの帰りを待ち望んでいるかのように寂しげだった。

 要らないものを失くして心の安定を図っても、大切なものを失ったら寧ろそれが仇となってしまうんだろうか。
 名前は散らばった木片を脇に避け座り込むと、湯飲みを片手に寛いでいた。
 部屋の一角には一寸の曇りもない明瞭な鏡が置かれている。

「で、いつまでここにいるつもりなんだ?」
「それはモコナ次第でしょー」
「あー、くそ! なんであの白まんじゅうはあの小狼(ガキ)の肩ばっか持つんだ!」
 黒鋼が腹立たしげに一際大きな音を立てて釘を打ちつける。
 早く次の世界に移りたいと急く黒鋼の感情を映すように、音の間隔が狭まっていた。

 名前とて早く返してしまいたいのは事実だけれど、これはこれで退屈しない気もしていた。
 “いずれ”が時間の経過を伴うものならば、焦ったところで仕方がないだろう。
 見つかるのは早い方がいい。が、その為に言い争ったり、怒ったりする労力が惜しまれた。

「春香ちゃんの案内で小狼君とサクラちゃんとモコナで偵察に行ったし、何か分かるといいねぇ」
「しかし大丈夫なのか、あの姫出歩かせて。しょっちゅう船漕いでるか寝てるかだぞ」
「足りないんだよ、羽根(キオク)が」とファイが神妙な顔で目を伏せる。「元のサクラちゃんに戻るためには」

 ファイは彼女がどんな人間なのか知っているのだろうか。
 小狼と桜以外は、次元の魔女に願った時に偶然出会っただけだとは聞いている。
 それでもなぜか、引っ掛かりを覚えた。

「取り戻した羽根は二枚だけ。戻った記憶はあるみたいだけど、まだ意志とか自我とかそんなものがないんだ、今のサクラちゃんには。だから異世界を旅するオレ達に何も逆らわずついて来ただろ?
 まぁ、羽根が戻っても、小狼君との思い出は戻って来ないけどね……」

 小狼がどんなに頑張って羽根を手に入れても、どんなに傷ついて羽根を手にしても、桜はそれがなぜなのか本当の理由をきっと知ることはない。
 桜にとっては、自分の記憶を取り戻してくれる“知らない人”のままなのだ。

「それでも探すでしょう、小狼君は。色んな世界に飛び散ったサクラちゃんの記憶の羽根を。これから先、どんな辛いことがあっても」

 空を見上げるファイは、名前の胸に暗い影を落とした。
 二人の境遇に同調したわけではなかったし、そんな感受性豊かな人間でないことは自分でもよくわかっていた。
 ファイが原因のようで、ファイ自身には関係がないような奇妙な感覚。

 視線に気づいたファイがへらりと笑う。
 さらりと浚っていかれた湯飲みがファイの口に触れ、口をつけぬまま温くなってしまったお茶を気に留めることなく啜るファイに、自分がおかしいことだけは理解できた。
 ――心臓が煩い

「とにかく、修理しながらみんなを待とうねー。おみやげあるかなぁ」
「って、ナニ茶飲んでくつろいでんだよ!」
「やー、黒ぴっぴの働く姿を見守ろうかなーって」

 黒鋼を見やったファイの頭にトンカチが直撃する。
 強靭な石頭なのか、ファイはひたすら笑っていた。
「ファイは死ななさそう」
 名前はつられたように小さく笑った。


 しばらくして修理を終えて降りてきた黒鋼に、名前はお茶を淹れた湯飲みを差し出した。
「案外、器用なのですね」
 本職顔負けとは言えないまでも、綺麗に塞がれた屋根からは雨漏りの心配もなさそうだ。
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