Crying - 204

≪Prav [21/72] Next≫
「それはどう言う意味ですか?」
 いつまで経っても手元から消えない湯飲みに黒鋼を見上げると、顔を引き攣らせていた。
「お前が淹れたのか?」
「でなければ、持っていません」
 まじまじと湯飲みを凝視する黒鋼に名前は笑みを深めた。なだらかだったお茶に幾重も波紋が広がる。

「普通においしかったよー」
 ファイはおかわりを自分で淹れていた。
 その発言も割合、失礼な気もする。
 意を決してか、茶を啜った黒鋼は瞳だけを名前に向けると、「悪くねぇな」と口の端を持ち上げた。

 こぼれんばかりの笑顔を浮かべた名前に黒鋼が手を伸ばす。と、重厚感ある碁盤が割り込んできた。
「これやろー」
 碁盤を持ったファイがいつにも増してにこやかに笑う。
 呆気に取られた二人の視線がファイと碁盤を往復した。
「碁盤ですね」
「だな」


 互いにルールを熟知しているらしいファイと黒鋼が碁盤で石の取り合いを始める。
 手持無沙汰の名前は、碁石を無秩序に床に並べていた。
 パチ。パチ。パチッ。
 時折、ファイが軽口を叩いたが、至って静かな午後だった。

 実力は互角のようだけれど、現時点ではファイがやや優勢だ。頭の回転の速いファイは、相手の思考を読むこと、ひいては先を読むことに長けているのかもしれない。
 寝そべって碁石を積み上げながら、名前はそう思った。

「つか、てめぇ、さっきから何やってんだ」
「遊んでます」
 黒鋼の怪訝な声をものともせず平然と答える。
 無秩序に並べられた碁石の隣には、賽の河原の石積みのように今にも倒れてしまいそうに碁石が揺れていた。

「石が足んなくなるだろうが!」
 棍棒のような腕が碁石の卒塔婆を打ち崩し、
「鬼です」と名前はわざとらしく肩を落とした。
 わざわざ壊さなければならないほど、使うこともないだろうと思ったが、黒鋼の碁笥は既に底が見えていた。
 中断していた対局が再開する。が、相手の手は止まったままだった。

「どう、したのですか?」
 ずっと黙りこくっていたファイを一瞥した名前の語尾が翳れる。
 無秩序な碁石を見つめたまま硬直するファイの瞳は黒々とした海のように陰っていた。

「――いや、なんでもないよ」
 繕ってはいたけれど、とても何でもないようには見えない。
 苦虫を噛み潰したような顔をしたファイの口調は、厳しいままだった。

「“ファイ”――」
 呼びかけにファイが反応する。
 踏み入ってくるなと目で拒絶しながら、まるで助けを乞うように切なげに笑うファイに名前は手を伸ばした。

 ――むぎゅ
 つかんだ頬は思った以上に弾力があり、すべすべした肌により力を強めた。
「なんか、むかついた」
「えー、ひどいなぁ」
 半瞬、目を丸くしたファイがわざとらしく眉を下げる。口元は愉快げにゆがめられていた。

「うん。よし」
 一人頷いて手を放した名前は目を細めて笑った。
「お茶淹れてきます」
 床に広がった碁石をまとめて碁笥の中に放り込み、台所へと向かう。
 食器が床に落ちる衝撃音が響き渡ったのは、それからほどなくしてだった。



「おかえりー。どうだった? 名前ちゃんとも黒たんともずっと言葉が通じてたってことは、あんまり遠くに行かなかったのかな。何か──」
 言いかけてファイは口を噤んだ。
 小狼の額には血が滲み、桜とモコナは心配なのか表情を曇らせていた。
 先頭を行く春香はなにかに耐えるように俯いている。

「あったみたいだね」


「……――そっかー。また領主とかの“風”にヤラレたんだー」
 小狼の怪我の発端は、横暴な子息から村人を守ろうとしたことによるものだった。
 春香の母から奪い取った扇を使い秘術を繰り出す子息自身は討ち果たしたものの、竜巻のように渦巻くあの暴風に巻き込まれたらしい。

 法外なまでの税金の搾取に、滞った民への非情なまでの暴力による圧制。
 春香は、不満を力によって捻じ伏せる権力者を前にして、正しいと思うことを貫き通せない無力さを噛み締めているようだった。
 高尚な秘術師だったと言う春香の母すらも、領主の手によって屠られて久しいらしい。

「しかし、そこまでやられてなんで今の領主をやっちまわねぇんだ」
 壁にもたれた黒鋼が退屈気に碁石を上へと弾く。
「やっつけようとした! 何度も、何度も! でも領主には指一本触れられないんだ! 領主が住んでいる城には秘術が施してあって誰も近寄れない!」
 春香が思い返したように表情を陰らせる。

「なるほどー。それがモコナの感じた不思議な力かー」
「不思議な力がいっぱいで羽根の波動、良く分からないの」
 深く頷くモコナに、悪びれもなくファイが言った。
「あの息子のほうはどうなの? 人質にとっちゃうとかさー」
≪Prav [21/72] Next≫

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -