Crying - 201

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「痛――くない」
 奇妙な空間から人混みの見える空間に真っ逆さまに落下した名前は、踏み台にした旅仲間を見下ろし淡々と呟いた。
「それはよかったー。怪我でもしたら大変だからねぇ」
 心にもないことを口にしたファイに、「助かりました」と笑みを繕う。
 それを側にいた見知らぬ老婦がまじまじと見つめていた。

 老婦だけでなく、周囲にいた人間全員が疑心気な視線を向けている。
 この世界の住民には突然、人が降ってきたように映っているのだろうか。
「ああー? 次はどこだ?」
「わー、なんだか見られてるみたいー」
 視線などおかまいなしの黒鋼と同様、ファイも緊張感に欠けている。

「てへ、モコナ注目のまとー!」
 照れたようにはしゃぐモコナに名前は呆れたように口にした。
「意味が違いますよ」


「なんだこいつら! どこから出て来やがった!」
 野太い声が耳を打ち、闊歩して来た難いのいい男が側にいた桜の腕を乱暴に引っ張る。
 夢現の桜の顔が苦痛に歪んだ刹那――男の顔面に小狼の靴が沈んでいた。
 飛び蹴りを喰らい男が吹っ飛ぶ。

「お」、「あ」、「わ」と旅仲間がそれぞれ楽しげな声を発した。
「おまえ! 誰を足蹴にしたと思ってるんだ!?」
 呆気なく吹っ飛んだ男が、喚き散らす。
 護衛なのか、背後に控えていた男達が棒を構えていた。

 小狼が桜を後ろ手に庇い、一触即発のムードに、
「やめろ!」
 頭上から幼い制止の声が降り注いだ。
 屋根の上には十二、三の少女が凛とした態度で立っている。
 一つに結い上げられたしなやかな漆黒の髪に、強い光を宿した大きな瞳。怒りに震えた少女の瞳は真っ直ぐに男に向けられていた。

「誰かれ構わずちょっかい出すな! このバカ息子!」
「春香(チュニャン)!」
 春香と呼ばれた少女に、男が眉を怒らせ声を荒らげる。
「誰がバカ息子だ!」
「おまえ以外にバカがいるか?」

 周囲を見回して軽くあしらう春香に、激昂した男が拳を震わせた。
「このー!」
 明らかに小馬鹿にされている男に、棒を構えていた男達が加勢するように口々に怒鳴り立てる。
「失礼な!」
「高麗国(コリヨコク)の蓮姫(リョンフィ)を治める領主(リャンバン)様のご子息だぞ!」

「領主といっても、一年前まではただの流れの秘術師(シンバン)だったろう」
「親父(アボジ)をバカにするかー! 領主に逆らったらどうなるか分かってるんだろうな! 春香!」
 威喝する子息に、春香が唇をきつく噛み締める。
 ――どういう意味だろう
 名前には負けん気の強そうな彼女がそんな脅しに易々と屈するようには見えなかった。よほど、手に負えない手段なのだろうか。

「この無礼のむくいを受けるぞ! 覚悟しろよ!」
 忌々しげに吐き捨てて、周囲の人間を邪魔くさげに見下しながら踵を返す男に、名前は溜め込んだ息を吐き出した。
 ――あまり関わり合いたくないな
 一難去って安堵した小狼が、桜の身を案じる。

「怪我は?」
「大丈夫です。ありがとう」
 微笑んだ桜に、小狼は表情を崩していた。
「やー、なんか到着早々派手だったねー」
「小狼すごいー! 跳び蹴り!」とファイの手から飛び上がったモコナが小狼を真似て飛び蹴りして見せる。

 モコナが落ちてしまう前に名前は手を差し出した。
「確かに、かっこよかったですね」
「え」
 予想外だったのか、目をぱちくりさせる小狼に名前は目を細めた。

「ところで、アレはどうしたものでしょうか」
 名前が指差した先には、この世界に落下した際に壊したと思しき木箱と、その中身であろう食べ物が散乱していた。
「あ」と察した小狼が慌てて、側にあった食べ物を拾うと店主らしき中年の男に頭を下げていた。「すみません。売り物なのに」

「モコナもお手伝いするー」
 腕の中からモコナが飛び出し、
「仕方ありませんね」
 名前もやむなく商品を拾い出した。

「ほらー、黒ぴんも拾ってー」
「あー? めんどくせーなー」
 ファイに言われて、マガニャンなる雑誌を手にしていた黒鋼が大股で近寄ってくる。
 桜もうつらうつらしながら拾っていた。

 黙々と拾う中、周囲の不満が耳につく。
「あいつら、また市場で好き勝手して!」
 屋根から降りてきていた春香が、暗澹としている町人の側に落ちていた品物を拾って埃をはたく。

 ――妙だな
 彼女らの店は自分達が落ちてきた場所に近いが、次元移動の際に被害を被ったようには見えなかった。なによりあの横暴な連中は、自分達が現れたから棒を構えて駆けつけたわけではないだろう。

「この街にも早く暗行御史(アメンオサ)が来てくれればいいんだが……」
 やつれきった店主らしき女の声にやるせなさが波紋のように広がる。
 春香は悔しげに歯を食い縛っていた。


 不意にこちらを向いた大きな瞳が名前達を映し出す。と、平坦の声で春香は言った。「ヘンな格好」
「あはははははー」と真っ先に笑い出したファイが黒鋼を指差す。「ヘンだってー、黒りんの格好ー!」
「黒鋼へんー」とモコナがファイの頭上で指差し、
「まぁ、変ですね」と名前もまた同意した。
「俺がヘンならおまえらもヘンだろ!」

 黒鋼が突っ込むのを、しばし呆然と見つめていた春香はハッとし声高に言った。「おまえ達、ひょっとして!」
「来い!」と言うや否や、目の前にいた桜の手を取り走り出す。
 眠たげに眼を擦る桜は、よくわからないまま引っ張られてしまっていた。
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