Crying - 207

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「特に何も言われませんでしたので」
 ファイの言わんとしていることは理解できたが、名前はしれっとした顔で答えた。
 戦う力が皆無であることを理解した上でついてきたことを察したのだろう。
 ファイの口調にため息が混ざる。

「それでなんで着いてきちゃうかなー」
「暇でしたし」
 端的に答えるとファイの声のトーンが落ちた。「暇、ねぇ――」
「黒るーも実力行使に出ちゃえばよかったのにー」
 自身の肩にもたれかかるファイを、黒鋼が煩わしげに払う。

「やりたきゃ、てめぇでやれ」
「えー、黒ぶーの方がささっとやれちゃうでしょー」
 問題がどちらがやるかに発展している時点で強制退去は確実なのだろう。
 さりげなく酷い話に口を引き結んだ。

「でも、本当によかったんですか? ここから先は危険で――」と小狼が言いよどむ。
 彼の事だ。もしも万が一のことあれば見捨てたりはしないだろうが、予期せぬことが起これば対処できないこともある。
 それを避ける為に小狼は桜達を置いてきたのだ。

「足手まといにならないようには努めます。だから帰りません。箱の持ち主がいるかもしれませんし」
 ついて来た大本の理由に黒鋼が思い出したように言った。
「そういや、前の世界でも言ってやがったな」
「黒たんに詰め寄ってたねー」
 揶揄する二人に苦笑する。

「私がいたのも日本だったので、そうなのかと。見当違いのようでしたが」
「つか、持ってんのになんで顔がわかんねぇんだよ」
「教えてくれなかったんですよ」
 名前の顔に、苛立ちが滲む。

「普段は飄々としているのに、決めたことにはやたら頑固なんです」
 ――あぁ、と表情を戻すと、名前は薄く笑った。
「そう言うと、ファイとよく似ていますね」
 ファイは曖昧に笑っていた。


 そうこうしている内に城が間近に迫ってくる。
 城というだけあって、円状に作られた重厚な土台の上に聳えるように鎮座していた。
 その周辺を奇妙な空気が漂っている。はっきりとはしないが嫌な空気だ。
 背筋がつうっと冷たくなる。

「ここだよね」
 ファイが平然と城を見上げた。
「さっさと入ろうぜ」
 重厚感のある門扉が軋む。
「って、そのまま門、開けてもだめ――」
 ファイの制止を遮って、黒鋼はゆっくりと門を開けた。

 門の先には真っ白な雲が漂っている。門先の上空――雲の隙間から覗く景色はここにいる誰もが見覚えがあるものだった。
 今、立っているこの地――蓮姫の街だ。

「ああ!?」
「ふしぎふしぎー! お空が下にあるー」とモコナがはしゃぐ。
 覗き込もうとした名前の腕をファイが引っ張った。

「だから、この城は秘術で守られてるんだって。黒みん、せっかちさんだねー」
「うるせー」
 ファイが何事もなく、話を続ける。
「この門だけじゃないよ。他の入り口も全部こんな感じでしょー。そこで!」と人差し指を立てた。「次元の魔女さんにもらったモノの出番だよー」

 小狼が懐から黒々とした丸い塊を取り出す。
「どうやって使うんだよ、それ。なんかドロだんごみたいだな」
 悪態つく黒鋼を余所にモコナが声を張り上げた。

「投げてー!」
 モコナの小さな手が上を向く。
「出来るだけ遠くへ投げて! あのお城に届くくらい」
 石造りの土台の最上段――立派な城を指したモコナに、逡巡した小狼が耳打ちしていた。

 諾うモコナに、小狼が手にしていた塊を頭上に放る。
 落下してくる塊に右足を軸に身を翻し、振り上げられた左足が塊に直撃する。弾かれた塊が唸るような回転音とともに城へと吹っ飛んだ。
 衝撃音が鳴り渡り、球体のように城を囲っていた透明の障壁に黒い液体が纏わりつく。

 秘術を破ったのだろう。
 門扉の先の景色がかき消され、囲いの中へと続く階段が現れていた。
 溶けて消えて行く黒々とした液体を眺めていた名前は、足元で飛び跳ねていたモコナに手を伸ばそうとして腕をつかまれていたことを思い出した。
 モコナへと向かう手からファイの手がすり抜けていく。
 モコナを手に収めた名前の横で、ファイは門の先を見つめていた。


 城内へ足を踏み入れた名前達は、薄暗い回廊を延々と歩き続けていた。
 何の変哲もない壁が永続的に続き、終わりの見えない道に辟易してくる。

「中に入ったはいいが、いつまで続いてんだよ、この回廊はよ。ずっと歩きっぱなしだぞ」
 黒鋼が苛立たしげに吐き捨てていた。
「真面目に歩いてるんだけど、どこにも着かないねぇ。扉もないし」
「黒鋼だらしなーい」
「おめぇはずっと頭の上で、歩いてねぇだろ!」

「元の場所に戻ってます」
 冷静な小狼の声が場を落ち着かせる。
「確かに似たような場所だが引き返しちゃいねぇぞ」
「ずっと一本道ではあったよね」
 不可解気な二人に小狼が床から何かを拾い上げていた。
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