Crying - 208
「この回廊の入り口近くに落としておいたんです」
小狼の手には暇つぶしに使っていた碁石が摘ままれていた。
「ひゅー、小狼君すごいー」
「今、口で“ひゅー”言っただろ。吹いてなかっただろ。前から思ってたけど」
「だって、口笛吹けないんだもーん。えへへー」
飄々としたファイにモコナがひゅーと口笛を吹く。
戯れる二人に黒鋼は嘆息を漏らした。
「ったく、あれだけ歩いてムダ足かよ」
「んー、これ以上歩くのヤだねぇ」
「しんどくなっちゃうね」
「だから、お前はぜんぜん歩いてねぇだろ!」
がなりながらモコナの頬を引き伸ばす黒鋼をしり目に、ファイが壁に手を当てた。
目を閉じたファイの金色の髪が、風もないのにそよそよと靡く。
異質な空気を纏ったファイがゆっくりと瞼を上げた。蒼い瞳が神秘的に揺らぐ。
「ここかなぁ……」
呟かれた声に小狼が反応した。
「何かありましたか?」
「この手の魔法はね、一番魔力が強い場所に術の元があるもんなのー」
「この向こうに領主がいるのか?」
気が逸れた黒鋼の手から、モコナが名前の手の中へ逃げ込んでくる。
「わかんないけど、凄く強い力をこの向こうから感じる? かもー」
あくまで曖昧さを残すのは、彼自身への予防線なのだろうか。
「ささっ、黒鋼っちストレス発散にぶっ壊して!」
場所を示すように壁を叩くファイに、黒鋼がシビアな顔を向けた。
「魔力は使わねぇんじゃなかったのかよ」
「今のは魔力じゃなくてカンみたいなもんだから」
笑みを絶やさないファイに、黒鋼の鋭い視線が突き刺さる。
ファイがあくまで魔法を使わない姿勢を見せる理由はわからない。が、回廊の脱し方を探り出したのは、少なからず小狼のためでもあるだろう。
「黒様」
名前の声に、黒鋼の視線がファイから逸れる。
「はっきり言うべきですよ」
黒鋼が何の話だと眉間にしわを寄せた。
一息つくと、名前はにっこりと微笑んだ。
「こんなもの素手じゃ壊せない! って」
面食らった黒鋼が憤怒にわななく。
気持ちを落ち着けるかのように鼻で笑うと、奸悪な笑みを浮かべていた。
「上等だ」殺気を剥き出しにし、壁の前に立ちはだかる。「んなもん素手で十分なんだよっ!」
鬱憤を晴らすように突き出された拳が、轟音を立てて壁を貫いた。
大破した壁が大きな音を立てて崩れ落ちる。
――やりすぎです
視界を舞う粉塵に名前は眉をひそめた。
多角形の無機質な部屋の中央に、うず高い天井から天蓋が垂れさがっている。
「誰かいます」と、小狼の声が張り詰める。
晴れていく土煙の向こう――天蓋の中から妖気を放つ妙齢の女性がこちらを見つめていた。
「よう来たな、虫けらどもめ」
「誰だ? てめぇ」
黒鋼がずかずかと部屋に上がり込む。
女は玲玲とした声で言った。
「たかだか百年程しか生きられぬ虫けら同然の人間達が、口の利き方に気をつけよ。と、言いたいところだが。久しぶりの客だ、多目に見てやろう」
「あー? 何言ってんだ? とりあえずさっさと領主とかいうのの居所を吐け。面倒くせぇから」
退屈が頂点達したらしい黒鋼が女を急かす。
「黒ぷん短気すぎだよぉ」
「短気で照れ屋さんなんだー。黒鋼かわいいー」
「かわいい。かわいい」
名前はどうでもよさそうにモコナに同意した。
「面白い童達だ」
「ほめられちゃったー」
「てへっ」
「ガキって言われたんだよ!」
般若のような顔をした黒鋼が拳を震わせる。
愉快げに笑む女の前に小狼が歩み寄っていた。
「この城の中に捜し物があるかもしれないんです。領主が何処にいるか教えて頂けませんか」
「良い目をしている。しかし、その問いに答えることはできんな。それに、ここを通すわけにもいかぬ」
「えっと、それは――、オレ達を通さないためには荒っぽいコトもしちゃおっかなーって感じですかねぇ」
ファイののんびりとした声に不穏な空気が漂った。
「その通り」
女がニヒルに笑い、急激に視界が変動する。
霞がかったような景色が辺りを包み、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
頭上には空が広がり、周辺にはシャボン玉のような水の球が無数に浮いている。
海のように水が地上を覆い、そこから伸びた大小疎らな幾本の岩の柱が唯一の足場と化していた。
天蓋のあった場所には東屋が設けられ、女が優雅に座っている。
名前達はそれぞれ、散り散りになって石の柱の上に立っていた。
小狼の手には暇つぶしに使っていた碁石が摘ままれていた。
「ひゅー、小狼君すごいー」
「今、口で“ひゅー”言っただろ。吹いてなかっただろ。前から思ってたけど」
「だって、口笛吹けないんだもーん。えへへー」
飄々としたファイにモコナがひゅーと口笛を吹く。
戯れる二人に黒鋼は嘆息を漏らした。
「ったく、あれだけ歩いてムダ足かよ」
「んー、これ以上歩くのヤだねぇ」
「しんどくなっちゃうね」
「だから、お前はぜんぜん歩いてねぇだろ!」
がなりながらモコナの頬を引き伸ばす黒鋼をしり目に、ファイが壁に手を当てた。
目を閉じたファイの金色の髪が、風もないのにそよそよと靡く。
異質な空気を纏ったファイがゆっくりと瞼を上げた。蒼い瞳が神秘的に揺らぐ。
「ここかなぁ……」
呟かれた声に小狼が反応した。
「何かありましたか?」
「この手の魔法はね、一番魔力が強い場所に術の元があるもんなのー」
「この向こうに領主がいるのか?」
気が逸れた黒鋼の手から、モコナが名前の手の中へ逃げ込んでくる。
「わかんないけど、凄く強い力をこの向こうから感じる? かもー」
あくまで曖昧さを残すのは、彼自身への予防線なのだろうか。
「ささっ、黒鋼っちストレス発散にぶっ壊して!」
場所を示すように壁を叩くファイに、黒鋼がシビアな顔を向けた。
「魔力は使わねぇんじゃなかったのかよ」
「今のは魔力じゃなくてカンみたいなもんだから」
笑みを絶やさないファイに、黒鋼の鋭い視線が突き刺さる。
ファイがあくまで魔法を使わない姿勢を見せる理由はわからない。が、回廊の脱し方を探り出したのは、少なからず小狼のためでもあるだろう。
「黒様」
名前の声に、黒鋼の視線がファイから逸れる。
「はっきり言うべきですよ」
黒鋼が何の話だと眉間にしわを寄せた。
一息つくと、名前はにっこりと微笑んだ。
「こんなもの素手じゃ壊せない! って」
面食らった黒鋼が憤怒にわななく。
気持ちを落ち着けるかのように鼻で笑うと、奸悪な笑みを浮かべていた。
「上等だ」殺気を剥き出しにし、壁の前に立ちはだかる。「んなもん素手で十分なんだよっ!」
鬱憤を晴らすように突き出された拳が、轟音を立てて壁を貫いた。
大破した壁が大きな音を立てて崩れ落ちる。
――やりすぎです
視界を舞う粉塵に名前は眉をひそめた。
多角形の無機質な部屋の中央に、うず高い天井から天蓋が垂れさがっている。
「誰かいます」と、小狼の声が張り詰める。
晴れていく土煙の向こう――天蓋の中から妖気を放つ妙齢の女性がこちらを見つめていた。
「よう来たな、虫けらどもめ」
「誰だ? てめぇ」
黒鋼がずかずかと部屋に上がり込む。
女は玲玲とした声で言った。
「たかだか百年程しか生きられぬ虫けら同然の人間達が、口の利き方に気をつけよ。と、言いたいところだが。久しぶりの客だ、多目に見てやろう」
「あー? 何言ってんだ? とりあえずさっさと領主とかいうのの居所を吐け。面倒くせぇから」
退屈が頂点達したらしい黒鋼が女を急かす。
「黒ぷん短気すぎだよぉ」
「短気で照れ屋さんなんだー。黒鋼かわいいー」
「かわいい。かわいい」
名前はどうでもよさそうにモコナに同意した。
「面白い童達だ」
「ほめられちゃったー」
「てへっ」
「ガキって言われたんだよ!」
般若のような顔をした黒鋼が拳を震わせる。
愉快げに笑む女の前に小狼が歩み寄っていた。
「この城の中に捜し物があるかもしれないんです。領主が何処にいるか教えて頂けませんか」
「良い目をしている。しかし、その問いに答えることはできんな。それに、ここを通すわけにもいかぬ」
「えっと、それは――、オレ達を通さないためには荒っぽいコトもしちゃおっかなーって感じですかねぇ」
ファイののんびりとした声に不穏な空気が漂った。
「その通り」
女がニヒルに笑い、急激に視界が変動する。
霞がかったような景色が辺りを包み、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
頭上には空が広がり、周辺にはシャボン玉のような水の球が無数に浮いている。
海のように水が地上を覆い、そこから伸びた大小疎らな幾本の岩の柱が唯一の足場と化していた。
天蓋のあった場所には東屋が設けられ、女が優雅に座っている。
名前達はそれぞれ、散り散りになって石の柱の上に立っていた。