365 | ナノ
にっぽんぐだジクばなし
2018/01/11 11:29
にっぽんぐだジクばなし
むかしむかしあるところ。山の奥のそのまた向こう、人里離れた古い家に二人の青年が住んでおりました。
白く長い髪をした上背のある青年はジークフリート。黒髪のまだ年若い青年はぐだおといいます。
二人の暮らしはとても貧しく、実りのない冬は食べていくにも困るほど。
雪深い季節ともなれば、身を寄せ合って野草の芽吹く春を待つばかりでありました。
ジークフリートはまだ食べ盛りのぐだおに満足に食べさせてやれないのを申し訳なく思っていましたが、ぐだおは二人きりのつつましい暮らしをそう悪く思っていませんでした。
春から秋には山の幸を採って、冬の間は藁を綯って笠や座布団を作っては山をおりて町へ売りに行きます。
その帰りにジークフリートへ土産を買って帰るのがぐだおのささやかな喜びなのでした。
ジークフリートは、なぜか人里へおりようとはしません。
だから、ぐだおだけが町で売り買いされるさまざまなものや市井とのよすがなのです。
人目を避けて暮らすジークフリートですが、人間が嫌いなわけでないのをぐだおは知っています。
なんとかやりくりをして新年の餅やら半纏やらを買って帰るたび、嬉しそうな目をするのです。
どうして人里の暮らしと交わらないのかジークフリートは堅く口をつぐんで話そうとはしません。
けれどもジークフリートが人々の営みをそれはいとおしく思っているのは明白です。
ぐだおは拾われっこです。山の社に捨てられていたのを、ジークフリートが拾って育てました。
その恩になんとか報いたくて、ぐだおはジークフリートの代わりに町へおりるたび土産話を持ち帰るのでした。
ある秋のことです。
斜面に生えたきのこを採ろうとしたジークフリートが足を滑らせて下へ落ちてしまいました。
なんとか命は助かりましたが、秋の間は到底動けそうにありません。
二人で毎日働いてやっとの暮らしなので、ぐだお一人の働きでは冬を越すことはできないでしょう。
ぐだおは自分ひとりでなんとかなると言ってせっせと山菜や薪を集めます。
すっかり日も暮れてから家に帰ると、床に臥せったジークフリートがぐだおを枕元へ呼びました。
「こんなことになってすまない。どうか、これを売って生活の足しにしてくれ」
ジークフリートは、きらきらと光る薄い“うろこ”を小袋にいっぱいさしだしました。
「これは世にも珍しい竜のうろこだ。きっと町で高く売れるだろう」
ぐだおは「こんなにきれいなもの、宝物なんじゃないのか」となかなかそれを受け取れませんでした。
「俺にとってはあなたとの暮らしの方がよほど大切だ。どうか受け取ってくれないか」
そう言われては、売りに行かないわけにいきません。
竜のうろこは町でそれは高く売れました。
ぐだおは得たお金で長持ちする食べ物を買い込みます。
これならきっと節制すればひと冬大丈夫だろうと思いましたが、ぐだおの心はもやもやとして晴れません。
竜のうろこは路傍で藁細工と並べているだけで人の目を惹きつけました。
最初は一銭も持たない童女が、次に町民、道楽息子に高利貸し、果ては市の長まで出てきて誰がいくら出すの大騒ぎです。
良いものであるのが誰の目にもわかるのでしょう。
この日、ぐだおとジークフリートが藁を綯って作った質素な雑貨はひとつも売れませんでした。
在庫を背中に背負っているのに、さらにたくさんの土産物を背負っているのが不思議でたまりません。
そして悔しくて情けなくて仕方ないのでした。
ぐだおはこの冬支度の間に、ジークフリートへの恩を少しかでも返すつもりでした。
なのに、どうでしょう。
結局はジークフリートの宝物を売っていつもより多くのお金を得ただけなのです。
今日ぐだおの手で稼いだお金は一銭だってありません。
ジークフリートは藁細工が売れなくたってぐだおをなじったり失望したりしないでしょう。
彼は、そういう男です。
ぐだおにやさしい。ぐだおを慈しみ、ぐだおのために身を粉にしてくれます。
拾いっ子にここまでする人はそういません。
ジークフリートはまちがなく、ぐだおにとってかけがえのない家族でした。
けれども、ぐだおのまだ青い心はその愛情に、自分の無力さを感じて歯がゆくてたまらないのです。
悶々としながら山道をのぼり、ぐだおが家に帰り着くころにはもう夜になっていました。
家の明かりは、ついていませんでした。
「……?」
もう寝てしまっているのだろうか、とぐだおはそっと戸の隙間から中を覗き込みます。
すると、どうでしょう。
家の中に一頭の竜が伏せておりました。
暗闇に紛れるような灰褐色のうろこ、白いたてがみ、大きな翼。
ちいさな小屋を押し上げるような大きな竜です。
「ひっ」
思わず、ぐだおは息をのみました。
手にしていた土産のみかんがゴロゴロと手から零れ落ちます。
竜はその音を聞きつけて、長い首でもって振り返りました。
「……ジークフリート?」
視界に飛び込んできたのは碧の瞳でした。
その瞳の色、静かな湖面のようなまなざしは確かにぐだおを育ててくれた男と同じ色をしていました。
竜は身をよじり、壁際へと寄ります。緩慢な動き、けがをしているのは明白でした。
「逃げないでくれ! なぁ……ジークフリートだよな」
ぐだおは背負った籠を放り捨てて、駆け寄りました。
ぐったりとした巨体に触れると、竜は身を震わせます。
その時、床に擦れたうろこが数枚パラパラと剥げ落ちました。
「これ……」
木張りの床に落ちたうろこはほのかに光り輝いていました。
体に張り付いていた時の暗い色が嘘のような、輝石じみた光です。
それはジークフリートが生活の足しにと渡してくれたものとまったく同じ光を放っています。
「まさか、自分のうろこを剥いで渡してくれたのか」
竜は視線を床にやりました。
言葉を返すつもりがないのを表すかのようです。
竜の前足のうろこは、痛々しく肉が覗いています。無理矢理に剥いだのに違いありませんでした。
「なんでこんなこと……」
ぐだおはひどく悲しい気持ちになりました。
長年育ててくれた男が化け物であったことよりも、自分を頼ってもらえなかったのが情けなくて仕方ありませんでした。
「なんで言ってくれなかったんだ」
それはどうして相談なしに身を傷つける選択肢を選んだのかに対する言葉でした。
ですが、ジークフリートはそうはとらなかったようです。
「言えばきっと恐ろしがって逃げただろう」
重々しい言葉を吐き出す大きく裂けた口から、鋭い牙が何本も覗いています。
ぐだおのことなどひと噛みで殺してしまえる恐ろしい凶器が生えそろっている口です。
「……知られたからには、もう共には暮らしていけない」
ばさ、と翼が一振りされました。
その一振りで家じゅうのものが風に舞います。
「待ってくれ!」
屋根を突き破って去ろうとする竜のジークフリートに、ぐだおは抱きつきました。
「俺はジークフリートが竜だってかまわない!」
ひんやりとした、蛇のような体温がぐだおの体に伝わります。
「どんな姿だってジークフリートはジークフリートだ! このまま、ずっと一緒に暮らそう!」
「……あなたという人は、」
それから、どうなったかって?
もちろんそれは、あなたが思っているとおりです。
お山の上の人里離れた場所に建っている一軒の小屋からは、今日も飯炊きの煙が立ち上っています。
(にっぽんぐだジクばなし ―おわり―)
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