365 | ナノ


走れ、エロス

2019/03/16 21:04


メロスはまた激怒した。
必ず、かの邪知暴虐の魔物を除かねばならぬと決意した。
メロスには転生勇者モノのセオリーがわからぬ。
メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたシラクスの市に向かうはずであった。
父も母も女房も無いメロスの、たった一人のかわいい妹とその婿が結婚して一年目の祝いの日だ。仲むつまじい若い夫婦をメロスは村のみんなと盛大に祝うつもりであった。
メロスは、それゆえ、特別な日の御馳走にと、村では取れない新鮮な果物やら海の魚やらを買いに、はるばる都の市へと向かっていたのだ。
しかし、その道中事件が起きた。
昨年すったもんだで妹の結婚式の準備が遅れたのを反省して少し早足気味で歩いていたメロスに、猛スピードの馬車が突っこんできたのだ。
さしものメロスも避けることはできず、ここで命運尽きたか! と衝撃に備えて目を瞑った。
ぎゅっと閉じた目はちかちかと痛いくらいだったが、はて、いつまで経っても衝撃がやってこない。
暴れ馬の前脚に蹴られた痛みもなければ宙を飛ぶ浮遊感もない。
恐る恐る目を開けると、先程までの野道とは景色がまるで違っていた。
メロスは、いつのまにやら村の中にいた。
生まれ故郷の村でない、どこか知らない村だ。
しかしどこか知ったような雰囲気の場所でもある。
ここは、昨年訪れたときのシラクスのまちに似ているのだ。いやにひっそりして、まち全体が、やけに寂しい。
急にここへ移動してしまった道理はメロスの頭ではわからない。
しかし、この村はシラクスのまちと同じで、何か寂しい雰囲気をたたえる理由を抱えているに違いないと思った。
メロスは村の真ん中を横切る大路を歩いてみた。
昼間だというのに人が歩いていない。まったくおかしい。
日の高い時間であるのだから、女たちは洗濯干しやパン焼きに精を出して村中がシャボンや小麦の甘いいい香りに包まれるはず。男たちも村の近くで羊を遊ばせているはずだし、子どもも駆け回っているはずだ。
これはいったいどういうことだろう、とメロスが回転するのが苦手な頭で考え込んでいると、カタンと物音が一つした。
「だれかいるのか。」
メロスが音の方へ近づくと老翁が家の裏からひょいと顔をのぞかせた。
老爺の顔には深いしわが刻まれ、怯えの表情をつくる。
「そう怯えずともいい。私はここから何里か離れた村の牧人でメロスと言う。この村に何があったのだ。」
メロスが名乗ると、老爺は訝しがりながらじり、と後ずさった。
「なぜ誰もが家の中にこもっている。何か理由があるのだろう。」
しかし、やがて観念したように、助けを求めるように口を開いた。
曰く――。

メロスは走っていた。
シラクスの市へではない。魔物の巣食う塔へと走っているのだ。
老爺はメロスにこう語った。
曰く。村の近くの荒れた塔に、魔物がいる。その魔物はこの国の姫――ならば、あのディオニスの娘なのであろうか――を囚えて、近隣の村々に貯えを寄越せと脅しをかけている。だから、これ以上被害を出さないように、家の中で息を潜めているのだと。
聞いて、メロスは激怒した。
「卑怯な魔物め。生かして置けぬ。」
メロスは、まったく単純な男であった。昨年もその単純さで王城に乗り込み手ひどい歓迎を受けたにも関わらず、また怒りにまかせて魔物の住む塔を目指した。
メロスには魔物とは何か見当もつかぬ。だがしかし、村人が怯えているからには、いるのだろう。
今度は昨年と違って体も軽い。なにしろまだ買い物も済ませていない。
持っているものといえば、買い物をするためのわずかばかりの銀貨と銅貨。それと懐中の短刀くらいだ。
「あれが件の塔か。どれ。」
視線の先にはなるほど、魔物が住み着いていると言われても疑いようがない古びた塔が立っていた。
扉には大きな錠前がついていて簡単には開きそうにもない。
メロスは扉を素通りして、裏へまわった。
上を見上げると、塔のてっぺんに小窓が見える。
「姫が囚えられているのは塔の上だと村人は言っていたな。」
言うや否や、メロスは塔をのぼり始めた。
外壁のでっぱりや生い茂った蔦をつかんで器用に上へ上へと。
あっという間に塔の小窓に手が届いた。
「まぁ。どなたですの、そこにいるのは。」
外から伸びてきた男の腕に、中から声があがった。姫だ。
「驚かないでほしい。私はメロス。あなたを助けにきた。」
窓のへりに乗り上げたメロスは足を室内に下ろしながら姫に話しかける。
姫は薄青のネグリジェ姿のうつくしい娘だった。
純朴な青年であるメロスは、髪を下ろしたその姿のどこに目をやっていいか困ってしまい、視線を泳がせる。
「ああ、それは本当ですか。怖かった。」
メロスの厚い胸板に姫が飛び込んできて、メロスはいよいよどうしていいかわからない。
たくましい腕をこっけいにばたばたさせて姫の細い体に手が触れないようにするばかりだ。
「仲間のひとりも連れずにいらっしゃったのですか。ここにはおそろしい魔物がいるのに。」
メロスはハッとした。
仲間! そういうのもあるのか!
しかし、メロスは勢いだけの男だ。悠長にそんなものを集めている時間など惜しかった。
「ああ。困っていると知っては、いてもたっても……。」
姫はメロスの懐中にすっと手をさしいれる。白魚のような手に短刀が握られた。
「こんな短刀ひとつで。……そうでしたか。」
瞬間、メロスは姫に腕をむんずとつかまれ放り投げられた。
馬に蹴られた感覚がいまになって来たかのようだ。
ぼすん。
メロスの巨体はやわらかな姫君のベッドに受け止められた。
「舐められたものだ。よもや一人で、こんな短刀で乗り込んでくる大間抜けがいるとは。」
みるみるうちに姫の体が膨れ上がる。
細い体は巨大な二足歩行の不気味な片翼の獣に変身した。
ーー魔物だ!
「なにっ!」
「まんまとだまされたな。俺が塔の魔物だ。」
ベッドから身を起こそうとしたメロスを、魔物がすかさず押し付ける。
やわらかな寝具はどこまでもメロスの体を沈みこませ、もがこうとも逃げ出すことは叶わなかった。
「きさま、だましたな! どこまでも卑怯なやつめ。姫はどこへやった。」
メロスが吼えると、魔物はメロスの倍はあろうかという体を震わせ笑った。
「馬鹿め。最初からすべて嘘に決まっておろう。」
「ではあの村人は。」
「あれは我が配下の屍人どもよ。まんまと騙されたな。」
魔物はくつくつと笑いながら、内心呆れていた。
この男はなんと阿呆なのだ、と。
目覚めてすぐに見知らぬ場所にいたにも関わらず、それを横に置いて人助けとは。ふつうは自分の置かれた状況を理解して、武器を揃え、仲間を集めてからこういうクエストを引き受けるものだ。そもそも、序盤はスライムを倒してレベルを上げないと、この塔の一階にいる門番モンスターにも勝てない。にもかかわらず。この男ときたら。裏技で塔をのぼるとは何を考えているのだ。そもそも……。
魔物の脳に文句が浮かんでは消えたが、この文句はメロスには伝わらないし、伝わったところでこの一種メタ的な観念はメロスには理解できないであろう。

メロスは――いやもしかすると読者も――気が付いていない。
自分が剣と魔法のファンタジーのRPGに転生したことに。
賢明な読者諸君の何名かは気が付いていたことと思うが、これは「異世界転生モノ」なのだ。
メロスは冒頭で馬に蹴っ飛ばされ死んだ。そして、この世界に落っこちてきた。
チート能力を与えられる隙すら見せずずんずんと行動してきてしまったばかりに、こんなことになってしまった。
魔物も自分の出番はもう少し先だと思っていたものだから内心大わらわだ。
ようは、チュートリアルも序盤イベントもすっとばしてきてしまったのである。

「いまのお前では俺に勝つことはできん! そういうレベル設定だ。」
「れべるせってい?」
ほら、やはり伝わらない。
仕方の無いことだ。メロスは紀元前のギリシャからやってきた一牧人だ。
ジャパニーズ・ゲーム・カルチャーなど知る由もない。
二人の間に妙な沈黙が走る。
ーーピンポ〜ン!
「むっ!」
「な、なんだ。」
突然頭上で鳴り響いた間抜けな音にメロスが緊迫した空気を解くと、魔物はますます体を密着させ、メロスに迫った。
魔物の存外黒目がちな瞳がメロスをじっと見つめる。
その目の色はやけに真剣である。
「いや、いけなくもないか。ギリシア人だけあって鼻筋もとおってて……」
「なにをぶつぶつと言っているんだ。」
力をこめて魔物を押し返そうとするメロスに、魔物は急に口付けた。
驚いたメロスがもがく。無理も無い。
やがて酸欠でくったりしたメロスから口を離して、魔物はため息をついた。
「さっき、物語のテイストが変わったのだ。もうここは正統派RPGではない。」
「……なに?」


「ここはいまからメロス、お前がメス化するまで犯しつくすエロゲになったのだ!」


つづく……?




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