タダ冒5 五章 草原を駆ける少女 
うさぎと奇術師2
 わたし達を見下ろす位置にいる男の顔を見て、「あなたがなぜここに?」と聞いてしまいそうになる。フェリクス王、と呼びかけそうになった男はよく似ているが、あの存在感の塊である国王ではない。姿形以外の取り巻くオーラは、厳めしい国王とは真逆のものだった。
「王弟ね?」
 わたしの質問に男――シャルルは大きく頷く。まるでわたし達がやって来るのを大分前から待っていたように。考えてみれば王族に対して失礼な質問の仕方だったが、シャルルは気持ちのいい笑顔を見せている。しかしゆっくりと観察すれば雰囲気だけではなく、服装や髪型もフェリクス王とは違う。同じ顔で黒いローブを着て、本来は美しかったであろう金髪をぼさぼさに伸ばした姿はなんとも異様に見えた。
「死にたい、って……」
 言い淀むわたしに王弟シャルルは一つ頷くと、足下にある大きめの石ころを拾いあげる。わたし達に見せつけるよう、演技がかった仕草で何度か空に放り投げた後、大きく腕を回した。その勢いで石は海へと飛んで行く。
 海へ落ちると思われた瞬間、どどう、と予想しない音が巻き起こった。一瞬で四散する石ころと、舞う水しぶき。それにわたしを襲う強風で何が起きたのか理解出来た。
「竜巻……これが船を沈める呪いの正体ね。異物を拒むんだわ……」
 未だ鳴り響く風の音に、最後は掠れ声になってしまったわたし。それに王弟は笑顔で答える。
「その通り。なぜアンリ王の財宝は無傷なのか、は気になるところだろう?これがまた上等のトラップになってしまっているのも皮肉な話しだ」
 それを聞いて何と返すか困る。今、まさにそのトラップに引っかかりそうになっていたのだから。戸惑っているわたし達に王弟は続ける。
「よく来たね」
 いきなり現れたわたし達に対して、王弟の言った言葉は少しずれている気がした。よく言えばマイペースな、正直に言って変った人だ。
「歓迎してくれるんだ。隠れてたんじゃないの?」
 セリスの軽口に王弟は下を指差す。岩場にいる二人の同じ顔の少年がこちらを見ていた。
「可愛い甥っ子達に会いたかったからね」
 又もマイペースな答えを聞かせるとさっさと坂を降りて行く。その後ろ姿に、
「あなた、本当に王弟よね?」
思わず出てしまった失礼な質問に、セリスが肘で突いてくる。だって予想と違ったんだもの。後ろにいたヤニックが我に返ったようにはっとした顔で前に出た。
「し、失礼する。貴殿は『あの』シャルル殿下であらせられるか」
「いかにも」
 下へ降りる足も止めずに、こちらを軽く振り向いただけの返答だったが、ヤニックの息を呑む音が聞こえてきた。おそらく今の今まで半信半疑だったものが、確定したのだ。目の前にいる男が断罪された王族であることと、ここが本当にエメラルダ島であるということが、だ。
 ふと海の方へ視線を動かすとあれだけ派手に荒れ狂っていた風が全て消えていた。洞窟から顔を出した時に見た、静かでただただ美しい海が広がっていた。しかしその海底に沈む財宝の山を見て、今度は肌が泡立ってくる。美しいからこそ不気味、そう思ったからだ。
 岩場で待っていた双子の王子は、それぞれの頼もしい護衛に挟まれる形で叔父と再会することになった。普段からの癖なのだろう。レオンはウーラを、エミールはブルーノをそれぞれちらりと見る。レオンの顔には『誰だ?』とまざまざ書いてあるが、エミールの方はもっと複雑なものだ。多分、自分の父親にそっくりな顔に驚いているのと、『この人物に近づいてもいいのか』というように、珍しく警戒の色が濃い。
「初めまして、と言っておこうか」
 王弟シャルルは二人の甥に順番に握手を求める。戸惑いながら手を出す二人に微笑むと、王弟はまたもさっさと歩き出す。
「ここじゃゆっくり話しも出来ない。家に行こう」
 その提案にどう動くか、全員が周りの顔を見る中、一人で躊躇無く王弟について行くアルフレートがいる。彼に追いつくとわたしは小声で尋ねる。
「どう思う?」
「こちらの緊張を解く為に、あえてあの空気感を出している感じだ。相当の切れ者だよ。ただ、悪人だとは思わない」
 わたしの印象とほとんど同じだったため、ただ頷くだけに止める。
 岩場から砂浜に入るのを避け、島の中心方向に進む。すぐに緩やかな丘の草原に足を踏み入れた。砂だらけのサンダルを振り回しながらヴェラが、同じく膝から下を砂まみれにしたトマリと共に駆けて来る。
「この方のお宅に行くんですか?それにしても水着持ってくれば良かったですねー!」
 暢気過ぎるヴェラの言葉に目眩がする。いや、今更この子の言動を気にしていてもしょうがない。
「持ってこなくて良かった、のよ。知らないで飛び込んでたら、いくらわたしでも笑い飛ばせないわよ」
 わたしの返答に反応したのは前を歩く王弟だった。
「そうそう、ここに来る時に石の玉を使ったと思うけど」
 ちらりとこちらを見る顔に「はい」と答える。あの鍵の見せた演出に感動した旨を伝えようとしたが、それより早く王弟が言葉を続ける。
「良かったね、ここへの扉以外の場所で、解放の言葉を唱えていたら危なかったんだよ」
「危ない……?」
「大きめの建物が吹っ飛ぶくらいの爆発を起こすようになってるんだ」
 それを聞いてトマリが「ひえ!」と叫ぶ。同時に放り投げた『鍵』がわたしの手元に飛んできた。
「ちょ、ちょっと、大事に持ってなさいよ……」
 そう言うわたしの言葉も手も震えていたりする。まあでも解放の言葉を口にしなけりゃいい話しだからね。そう自分に言い聞かせる。そこでふと、先程のエミールが唱えた言葉を思い出した。
「解放の言葉にあったシュメルって……あのシュメルですよね?」
「そう、海神シュメルのことです。シュメルに楽園への道を祈る言葉です」
 答えは後ろからエミールによってもたらされる。
「有事の際のお守りの言葉として、父から教わった言葉です。なぜシュメルなのか……私もずっと知りたかった」
「その辺の話しは家でしよう。こちらも大体の流れは掴んでいるつもりだが、じっくり聞きたいこともある」
 王弟の言葉にわたしは首を傾げる。
「大体の流れ、は知っているってことですか?」
 疑うわけではないが、単純に疑問だった。この島に籠っていたはずの彼が、なぜ表の様子を知っているのか。王弟は黙って空を指差す。
「海鳥……?」
 遠く聞こえる愛きょうのある声に、わたしは呟く。目に染みる日差し広がる青い空と、そこに舞う数羽の白い鳥。カンカレの街でも見かけた大きな鳥だ。
「あの中の一匹は私の喚んだ使い魔なんだ。そいつを媒体にして他の個体からも情報を集めている。鳥ほど優秀な観察者はいないよ」
 へえ、本当に賢者みたいな生活送ってるんだな。と感心してしまう。視線を上空から前に戻すと、草原にぽつんと建つ木造の小屋が見えてきた。強風が吹けば吹き飛んでしまいそうなあの小屋が、元王族の彼の居城らしい。その大きさを見ても、あまり大人数で来なかったのは正解だったようだ。



「さあ入って」
 気さくな言葉で入室を促された家は、わたし個人にはとても親しみのあるものだった。単純なことだ。大量の本の匂い、それが理由だ。
 案の定、扉を開けてすぐの部屋には大きなダイニングテーブルと、揃いの木目の本棚がある。奥の部屋は更に多くの本で埋め尽くされているようで、壁一面に棚板が打ち付けられ、多くの本が並んでいた。タイトルまでは窺えないが、後で談義しても面白いかもしれない。
 「座って、座って」としきりに勧められるが、ソファーとダイニングチェア総動員させても座りきれない。兵士二人は扉の両側に立ち、ウーラとブルーノの護衛二人も立つことでなんとか形になった。
「ここに再びクーウェニ族がやってくるというのも面白い」
 半分呟きのような王弟シャルルの声に、トマリが「俺?」と自分の顔を指差す。
「なに、アンリ王にもクーウェニ族のお付きがいたって話しだからね。……さっきの話しの続きをしようか」
 そう言いながら王弟が座ったのは暖炉脇に置いてあった小さなスツールだった。痩せてはいるが骨格の大きな彼にはアンバランスだが、本人は気に留める様子もない。
「えっと、何だったかな?そうそう、さっき出た『解放の言葉』のことだが、なぜシュメルへの祈りの言葉なのか……。答えは簡単、アンリ王がシュメル信者だったからだ」
 王弟はそこまで言うとエミールの渋い顔を見て苦笑する。
「500年前のサントリナ国王は国を守る為に頑張ったんだ。異教徒の祈りを口にしたことぐらい多めに見てやってくれ。フローもこのくらい何とも思わないさ」
「国を、守る?」
 思わずわたしは口にする。良いように語られることのない国王を、そんな風に聞いたのは初めてだったからだ。
「そのとおり。始めに言っておくが私だってアンリ王のことを支持しているわけじゃないからね。さて、古い古い時代、サントリナは今よりももっと『船の国』だった。生活の糧を得る手段が海だったんだ。町という町は全て海岸線にあり、海と共に生きていた。この国発祥の船も多いんだよ。……その話しは今はいいか」
 何となく話しが見えてきたからだろうか、わたしは王弟の講義に引き込まれる。
「とにかく、国民は生活を豊かにする為、というより生きる為だな。海の恵みを必要不可欠の物としていた。船の国であるサントリナが海神シュメルの怒りをかうのは、国の終わりにつながるわけだね」
「でもアンリ王は宗教を弾圧してたわけでしょう?」
 セリスの質問に王弟は「いい質問だ」というように指を鳴らす。
「正しくはシュメル以外を、だ。シュメル教も保護したわけではないが、何もしなかった。ただ他の神への信仰は徹底的に排除した。この辺のことが今の私達に伝わっていないのは、シュメル教が暗躍してるんじゃないかな?多分、彼らにとってもこの時代は暗黒期だ」
 確かに一人の熱狂的信者のおかげでシュメルのイメージはがた落ちだっただろう。そんなに規律の厳しい神だという話しも聞いた事がないし。
「アンリ王は海神シュメルの怒りを鎮めるのに必死だったわけだ。本当にシュメル様がお怒りだったのかは知らないけどね。ただ嵐が起きれば、彼の中でそれはシュメルの怒りや邪教徒の祈りのせいにされた。それが国内の宗教禁止やエメラルダ島への異常な執着に繋がる」
 そこまで聞いて、わたしはおずおずと手を挙げる。
「それが分からないんですよね。途中までの暴走はなんとか理解出来たけど、なんでこの島なんです?」
 それに対して王弟は壁を指差した。大きな厚みのある紙に描かれた、神殿だと思われる絵があった。
「私が書いた稚拙なものだがね。島中に残る古代文明期の跡を辿って、予想したものだ」
「シュメルの神殿ですね!何の根拠もなく存在を主張してる本は読んだけど、本当にあったんだ」
 わたしの感嘆に王弟は暫し笑い転げる。笑い上戸でもあるらしい。呼吸を落ち着かせると、王弟は一つ咳払いする。
「おほん、そして革命後、財産を持ち込んだのも自分の老後の為じゃない。……この状況を見れば分かるだろう?『お布施』だよ。誰も触れる事の出来ない宝の山、それはシュメルだけに捧げられたものだ」
 この発言にトマリは「え?え?」とまぬけな声を出し、セリスは「もったいな!」と叫ぶ。わたしはただ、なるほど、と頷くだけだった。反論が出来ないほどにすっきりと筋が通っている。何より面白い話しだ。
「見て来たみたいに語りますね」
 わたしのほんの少しいじわるな発言に、
「歴史は弁を振るう側が『とりあえずの』真実を語るようになっているんだよ」
そう言って王弟は再び笑った。そしてみんなが体勢を崩す中、声を低くする。
「さて、今度は現代の真実を語ることにしようか」
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