刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第七章

 加州は目の前がひどく暗くなっていくような気がした。耳鳴りがする。
 酷く混乱していた。自分が何をしたのか分からなかった。
 だって絶対、仲間を殺すなんて嫌だって思ってたんだ。だけど殺した。殺せてしまった。こんなにもあっさりと。
 頬を触ると、ぬめりと暖かい液体の感触があった。
「はは、ははは。あっははは……!」
 加州は自分がおかしくて仕方がなかった。自身のに付着した返り血を確認して、彼は自分が自分じゃなくなっていく感覚に陥っていた。





 鳥の囀る声で目を覚ます。ゲーム二日目は昨日と一転、どんよりとした天気だった。
 加州は寝不足な体に鞭打って、自分の刀を探すため手入れ部屋の戸を開ける。
 皆今頃どうしているのだろう。昨日の大広間での出来事を思い出しては心が張り裂けそうになる。加州は拳をギュッと握り締め、湧き上がる罪悪感に耐えた。
 何がゲームだ。仲間を殺すくらいなら死んだ方がマシだ。放送を思い返す度、加州はそう思うのだ。仲間同士で殺し合いをするなんてあり得ない。仲間を殺すのも、仲間が殺されるのも、それを見るのも二度とごめんだ。
 とは言っても、加州も別に主が死んでいいという訳ではない。皆が助かる方法があればいいというのが一番の気持ちで、でも主を人質に取られている以上どうすることも出来ないというのが最終的な結論だ。
 加州は長い屋敷の廊下を歩きながら、林から外に脱出しようとした昨日のことを思い出した。
 彼は大広間から飛ばされた後、屋敷を囲む広い雑木林を抜け、城壁をよじ登って脱出を試みた。しかし、いつもなら外側にしか掛かっていない政府の結界が、何故か内側にまで掛かっていて出られなかったのだ。
 政府の結界が何故内側に? そう考え、彼もまたこのゲームの首謀者が政府だということに思い至った。
 何故政府がこんなゲームを企むのか、どうしてこんなことになったのか、自分はこれから何をしたらいいのか。加州の中には答えの出ない疑問がぐるぐると巡り、そして「あーもう分かんないっつーの!」と、匙を投げて今に至る。
 そういえば、と加州はまた別のこと思い出す。つい先程、手入れ部屋で会った山姥切とのやり取りのことだ。
『歌仙が死んだ』
『は、?』
『歌仙が死んだ。茶室で折られた刀を見付けた。俺は歌仙を殺した奴を探している。何か知らないか』
『な、何で、何でそんなことに』
『さぁな。ゲームに乗る奴がいたからか、主を助けたいからか。何にせよ知らないならいい。俺は行く』
『ちょ、待てって! お前、殺した犯人を見付けたらどうするつもり?』
『どうしようとお前には関係無い。……それとも、お前が殺ったのか』
『ちがっ……うけど』
『なら俺に構うな。じゃあな』
『あ、ちょっとおい、山姥切……!』
 山姥切との会話から、加州は自分の知らないところで既にゲームは始まっているのだと知った。そして、それでもまだ信じられない気持ちが残っていた。
 だって本当に皆仲が良かったのだ。比較的最近顕現された加州にも皆優しく、温かい気持ちで迎え入れてくれた。主の性格が反映された良い本丸だった。
 加州は未だうじうじ悩む自分に嫌気が差してきた。このまま考え込んでいると更に気分が暗くなりそうだ。そう思い、手入れ部屋を出て適当に歩き始めることにした。
 加州には見付けたい人間がいた。見付けて、出来れば守ってやりたい。それには取りあえず自分の刀が必要だから、まずは刀探しから始めなければならないのだが。
 しかしこう天気が悪いと、廊下がいつも以上に薄暗くて気が滅入る。前に主が、この本丸はかつて刀が活躍した時代背景に合わせた家造りにしていると言っていたが、むしろ加州はもっと近代化した家に住みたかった。なんせ主用の部屋はLED電球完備だし、ワンタッチで湯が沸くし、テレビもある。主のいる現代ではそれが普通なんだそうだ。屋敷すべてが主の部屋のような作りだったら、この薄気味悪い雰囲気ももう少しマシだったに違いない。
 長い廊下を歩いていた加州は、ふと足を止めた。大広間前を抜ける寸前に、音に気付いたからだ。
 ――誰かいる。大広間か。
 加州は緊張を抑え、腰の刀に軽く手を添えた。それは昨夜手入れ部屋で見付けた、蜂須賀虎徹の刀だった。
 もし本人に会えたら返そうと思っていたが、万が一の時は護身用に使わせてもらうつもりで持ってきた。蜂須賀には申し訳ないと思うが、きっと彼なら許してくれるだろう。多分、ギリで。
 加州は「蜂須賀ごめん」と心の中で謝りながら、体の向きを反転させて広間から出て来る相手をじっと待った。
 スッ、と襖が開く。
 出て来たのは、今剣だった。
「あっ……今剣!」
 加州は一目散に彼に駆け寄った。今剣は岩融と長谷部の返り血で酷く汚れており、痛々しい。
「大丈夫か? 良かった、生きてて」
 加州は広間での一件から、ずっと今剣を心配していた。加州が見付けて守ってやりたい人間とは、今剣のことだった。
 彼はこのゲームが始まって一番に刀を向けられた被害者であり、そして長谷部に続く加害者でもある。
 今剣は足元をふらつかせ、今にも倒れそうだった。無理もない。しかしすぐに加州は今剣の違和感に気付く。
「お前っ、それ……」
 今剣が刀を持っている。ドクンと心臓が跳ねた。
 それは岩融の折れた薙刀だった。今剣の足元は覚束ず、目には生気が感じられない。ただブツブツと「ぼくにはもうあるじさましかいない」と繰り返している。
「いまの、つるぎ……」
 加州は気付いてしまった。今剣は俺を殺すつもりだ。今剣は壊れてしまったのだ、と。
 誰よりも好きだった岩融を殺されて、長谷部を殺してしまって、優しい今剣は壊れてしまった。今はもう『主を助ける』という理由でしか、二人の死を受け入れられずにいる。
「だれもうらむな、なんて。わからないよ、いわとおし。ぼくにはもうあるじさましかいない。ぼくには、はじめから、だれもいなかったんだ」
「今剣……」
 加州は、そんな今剣に剣を向けるなど出来なかった。鞘から手を離し、代わりにもう一度強く拳を握る。あの時から何度も握り締めた掌からは血が滲み出し、固まった血は爪の中にまでこびりついていた。
 加州はあの時、長谷部のすぐ隣に座っていた。そして今剣にも、手を伸ばせばすぐ届く距離にいた。
 長谷部達のやり取りは加州のすぐ目の前で行われていた。にもかかわらず、加州はそれを止めることが出来なかった。加州はずっとそのことを後悔していた。謝ってどうにかなる問題ではないけれど、それでも謝らずにはいられない。
「今剣、ごめん。俺、あの時斬り込んで行く長谷部を止められなかった。すぐ隣にいたのに、止められなかったんだ」
 声が震え、必死にそれを噛み殺す。
 岩融が切られてる時、加州は体が動かなかった。長谷部の時も同じだ。加州が動けていれば、確実に二人の行動は止められたのに。加州は滲む視界を誤魔化し鼻を啜った。体が硬直して動けなかったのはあの広間にいた誰もがそうだったが、加州はひたすら自分だけを責めていた。
「二人は俺が殺したようなもんだ。だから、俺は――」
 今剣が剣を振り上げるのが見えた。加州は目を見開いたが、何も言わなかった。
 ずっと後悔していた。だからその罪滅ぼしに今剣を見付けて、出来れば守ってやりたいと思っていたのだが、もし彼が自分に刀を向けるなら、加州にはそれを受け止める覚悟があった。
 主しかいない、そう思う彼の気持ちを受け入れるのは、あの時二人を助けられなかった加州の負うべき責任だ。
 仲間を殺すくらいなら死んだ方がマシだ。その気持ちは、今も変わらない。加州はぎゅっと目を瞑り、迫りくる死を待った。
 死ぬのが怖いと思った。
 死ぬのが怖い。加州はその感情の本質に、まだ気付いていない。
「かはっ……!」
 ――え?
 声を上げたのは加州ではない。今剣だった。
 加州は酷く混乱していた。自分が何をしたのか分からなかった。
 だって絶対、仲間を殺すなんて嫌だって思ってたんだ。思っていたはずなのに。
 加州には、自分に斬られた今剣が血飛沫を上げて崩れ落ちていく姿が、映画の一場面のように映っていた。
「…………」
 どさりと音を立て、加州に斬られた今剣が地面に落ちる。地面に跳ね返った返り血が加州の顔に跳ねた。
 加州は気付いていなかった。人間には自己防衛本能という機能があり、生命の危機に陥ると自分を守る行動を無意識にとってしまうことに。
 刀剣男士は皆それを戦場で経験し、ある程度自分でコントロールできるようになっていくのだが、加州はまだ顕現されて日が浅いために、上手くそれを扱いきれていなかった。だから熱いものを触ると手を引っ込めるように、驚いたとき咄嗟に体を縮こめるように、無意識に刀を抜いてしまったのだ。
 加州は目の前がひどく暗くなっていくような気がした。耳鳴りがする。
 今剣はうつ伏せに倒れ、斬られた胸からは止めどなく血が流れ出している。液体は床の溝を伝って加州の足元に集まり、彼の前に血溜まりを作った。
 仲間を殺した。殺せてしまった。こんなにもあっさりと。
 加州は金色の刀を握ったまま天井を見上げ目を瞑った。暗い闇の中で考える。
 ――あーあ。結局自分はその程度の人間だったってことか。仲間を殺すくらいなら死んだ方がマシだとか言っておいて、本当は自分が一番可愛くて、仲間に斬られる覚悟すら持てない糞みたいな人間だったのだ。
 そんな自分を、一体誰が愛してくれるというのだろうか。
 頬を触ると、ぬめりと暖かい液体の感触があった。
「はは、ははは。あっははは……!」
 加州は自分がおかしくて仕方がなかった。自身のに付着した返り血を確認して、彼は自分が自分じゃなくなっていく感覚に陥っていた。

[ back ]