刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第八章

 燭台切と太郎太刀は厨房で軽く朝食を済ませると、朝から館内を歩き回っていた。この無駄に広い本丸では、屋敷内を一周するだけでも半日は掛かってしまう。その上、このゲーム下で他者との遭遇に気を付けながら移動するというのは、想像以上に気力と体力を要した。
 未だ、味方どころか出会った刀剣数すらゼロ。
 ゲーム二日目の今日は、二人で正門に行ってみようと決め、慎重に歩みを進める。遠くに正門の扉が見えた辺りで、二人は尋常じゃない血の跡に気付いて駆け出していた。
「太郎太刀さん、これ……!」
「っ……」
 惨劇の跡、と言っていいだろう。乾いてどす黒くなった血の海と、無残に折られた二本の刀。しかしこれはどう見ても二人分の血の量じゃない。少なくとも五、六人分はあるだろうと、燭台切は必死に冷静さを保って分析した。
「この刀は、厚さんと乱さんですね。一体誰に……」
「僕は状況を少し甘く見過ぎていたかもしれない」
 刀が二本しかないということは、刀を持たない人間も殺されているということだ。
 そんなのが殺し合いと言うものか。これじゃあ一方的な虐殺じゃないか。燭台切は仲間同士でここまで酷い殺し合いが起きるとは思わず、酷く動揺していた。
「これをやった犯人が、私達の中にいるということですか」
「そう、ですね」
 燭台切は、共に戦い、日々を過ごした仲間達の顔を思い浮かべた。
 空にかかった厚い雲は、太陽を隠し本丸から光を奪う。
 燭台切は折れた刀達に黙祷した後、正門の扉を確認するため重い腰を上げた。押したり引いたりして、扉があかないことを確認する。
「やはり開かないか」
 声を出したのは燭台切ではなかった。二人はハッと肩を揺らし同時に後ろを振り向く。
「よ。光坊。それに太郎太刀も」
「つ……鶴さん! びっくりした!」
 いつもの調子で片手を上げて挨拶した男――鶴丸国永は、いつもの真っ白い衣装に身を包み、腰には自分の刀を帯刀していた。
 燭台切と太郎太刀は目の前の惨劇に気を取られて、背後から近付く鶴丸に全く気が付いていなかった。相手の練度が高いだけあって上手く気配を消されていたというのもあるが、それ以上に気が散漫し過ぎていた。
 気配を消して近付いてきたことから、鶴丸も一応燭台切達を警戒しているのだろうが、燭台切しか帯刀していないこの状況ではどう考えても鶴丸の方が有利だ。だから彼は出てきたのだろう。
 燭台切は鶴丸の姿をよく観察した。鶴の名に相応しい衣装には返り血の一滴もない。刀にも戦闘の跡はない。……よし。
 燭台切は一つ覚悟を決め、太郎太刀と同じようにこれまでの経緯を鶴丸に話した。

「なるほどな。つまりお前らは、仲間に剣を向けることなく主を助けたい訳だ」
「ああ」
「甘いな」
「うっ」
 一通り経緯を話し終えた燭台切は、鶴丸に鋭い指摘を受け地味にショックを受けていた。
 三人は円を描くようにその場にしゃがみ込み、正門の前に集まっている。その様子は傍から見れば非情にシュールな光景であったが、もちろん三人にその意識はない。
 図星を突かれて狼狽える燭台切に、鶴丸が話を続けた。
「何かゲームを止める策はあるのか?」
「まだ、無い。昨日主の執務室に行って神通力が込められた札が無いかとか色々探してみたけれど、何も見付からなかった」
 “札”とは、審神者の神通力が込められた式符のことである。
 主が手が離せないときによく使っていたもので、その札で出陣したり帰城したり、主の代わりに力を使える万能札だ。
「札を見つけてどうするつもりだ? 過去に戻って歴史を変えるのか? それじゃあ歴史修正主義者と同じだ」
「それは」
「そんなことをしたって、結局誰かが死ななければ主は殺されるんだ。根本的な解決にはならないだろう」
「じゃあ端末は?」
 燭台切が思い付いたように言った。「端末?」と太郎太刀が聞き返す。
「そう。主が政府と連絡を取るために使っている手の平サイズの四角い機械。鶴さんは知ってるよね」
「知ってるも何も、ついこの前騒ぎになったばかりだからな」
 太郎太刀は頭に疑問符を浮かべた。彼は遠征に行っていて知らなかったことだが、実は主が政府に行く前日、主が端末を失くして本丸内で大騒ぎになったのだ。
 その日は鶴丸一周年祝賀会の翌日だった。だから鶴丸もそのことをよく覚えている。
 それが無いと審神者は政府の元へ行けない。だからその日は刀剣男士総出で本丸内を探して、大掃除にまで発展した。にも関わらず結局端末は見付からず、主は平謝りで政府の人間に迎えに来てもらっていた。
「あれがあれば政府の元に行ける。つまり首謀者を直接倒すことも可能ってことだよ! そうしたら主を助け出すことも出来る。ね、太郎太刀さん!」
「え、ええ」
「俺達が総出で探しても見つからなかったものを今更見付けようってのか?」
「う、それは」
 鶴丸の言葉に再び言葉を詰まらせる燭台切。
「無謀だな。結局、俺達に出来るのは最後の一人まで殺し合うことだけなんだよ。お前達の言っていることはただの絵空事に過ぎない」
 鶴丸が言っていることはもっともだった。燭台切だって本当はそんなことは分かっている。だが理屈じゃないのだ。仲間を助けたいという思いは理屈では語れない。
「っ、やっぱり鶴さんも、ゲームを続けるしかないと思うのかい? 大人しく政府の言うことに従って、仲間同士で殺し合うべきだと、そうした方が良いと思うかい?」
 燭台切は鶴丸に問いかけた。太郎太刀も鶴丸の方を向き、答えを待つ。
 鶴丸は真剣な顔をして黙り込むが、数秒後、ふっと諦めたように笑った。
「いや、俺は好きだぜ、その意見。光坊らしくて良い。それに無謀ってのは貫き通してこそ、だろ?」
「! 鶴さん!」
 鶴丸の言葉に、燭台切の顔がパッと華やいだ。先輩であり、燭台切の良き理解者である鶴丸に肯定してもらうというのは、それだけで燭台切にとって嬉しいことだった。
「光坊のゲームを止めたいという気持ちは分かった。だが、その為にはまずしっかりと手立てを考えないとな」
「ああ。そうだね。でもそれには僕達だけじゃ足りない。そこで、是非鶴さんも僕達の仲間に――」
 その言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。
「悪いが、俺は一緒には行けない」
「えっ?」
 ここに来てまさかの展開に、燭台切も太郎太刀も驚きを隠せなかった。
「俺には他にやらなきゃならんことがあるんでな。悪いな」
「そんな。鶴丸さんがいれば大変心強いと思ったのですが」
「鶴さん……?」
 この話の流れから、何故断られるのだろう。その時燭台切の頭には、“内通者”の三文字が浮かんでいた。
 敵対するわけでもなく、燭台切の思惑を一通り聞いておいて、しかし協力はしないという鶴丸。彼に内通者についての話はまだしていない。鶴丸を信用していない訳ではなかったが、太郎太刀とも相談して、内通者の話は協力を得られてからと決めていたのだ。
 鶴丸の『やらなければならないこと』とは、つまり内通者の――
 燭台切の思考はそこで途切れた。
 鶴丸が燭台切の襟元を引っ張ったことで、燭台切の体が大きく後ろに逸れ、背中から地面に倒れ込みそうになったのだ。鶴丸は目にも止まらぬ速さで動いていた。
 キィン、と金属音が辺りに残響する。
「ほう、これを受け止めるか」
 後ろに手をついて何とか倒れ込むことを防いだ燭台切は、振り返った際、自分を庇うように刀を抜いた鶴丸と、奇襲を仕掛けた三日月の姿を確認した。
「二人とも後ろに下がれ!!」
 鶴丸の一声に、即座に反応した太郎太刀が燭台切を連れて二、三歩下がった。
 鶴丸は膝立ちの状態で刀を受けており、苦い顔をして笑っている。
「よう、三条の。まさか君から俺に会いに来てくれるとは、探す手間が省けたぜ」
「み、三日月さん……。何故貴方が、私達に剣を」
 驚く太郎太刀とは裏腹に、鶴丸は三日月を歓迎している様子だった。口ぶりからして、彼は三日月の何かを知っている。鶴丸は腹の底から唸るような声を上げると三日月の剣を弾いた。そして地面を蹴って立ち上がり、勢いのまま追撃に打って出る。
 三日月は澄ました顔でそれを受け、唐突に始まった斬り合いは一気に苛烈さを増していった。
 燭台切もすぐに抜刀の体勢に入る。燭台切が加勢すれば二対一、相手が天下五剣といえどこちら側が有利だ。
 だが鶴丸は、そんな燭台切に制止の声を掛けた。
「いい、光坊! これは俺の仕事なんでな。お前らは足手まといだ、さっさと行け」
 燭台切達に背を向け剣を構える鶴丸は、顔が見えなくても強気に笑っていることが分かった。対する三日月も愉快そうに笑みを湛えている。
 燭台切は先程の鶴丸の言葉を思い出した。『やらなければいけないこと』とは、三日月に関することだったのか。
 鶴丸が何を知っているのかは分からないが、ここは鶴丸に任せた方が良いかもしれない。燭台切はそう判断し、柄から手を離すと逃げる算段を立てた。
 鶴丸と三日月の攻防は一進一退、二人とも次に踏み込む機会を伺ってお互いにじり寄っている。
 ゴロゴロ、と遠くで音がした。正門を象徴する赤い鳥居の、その脇に立ち並ぶ灯籠が明かりを点滅させている。電灯が昼夜を迷うほど、空は灰色に覆われ陰鬱としていた。
 三日月の足元には黒い血の海。乱と厚、そして他の誰かの死んだ跡。その足元から上へと目線を辿ると、着物に付く返り血をいくつも散見できた。燭台切は思わず声を漏らしていた。
「三日月さん、まさかこの惨状は、貴方が――」
 燭台切が徐々に目線を上げていくその先、三日月の口元が弧を描いたと同時、一帯に、再びあのときの放送が鳴り響いた。





『正午になりました。ゲーム開始から現在までに破壊された刀剣をお伝えします。刀剣破壊は十二振り。

 薙刀――岩融
 打刀――へし切長谷部
 太刀――一期一振
 短刀――厚藤四郎
 短刀――秋田藤四郎
 短刀――五虎退
 短刀――薬研藤四郎
 短刀――乱藤四郎
 脇差――鯰尾藤四郎
 脇差――骨喰藤四郎
 打刀――歌仙兼定
 短刀――今剣

 以上となります。それでは、引き続きゲームをお楽しみください』





「十、二人……」
 にわかに信じがたい数字だった。
 突然流れた放送よりも、その内容の方が衝撃的過ぎて、燭台切も太郎太刀も、声を漏らして何度も何度も放送の内容を反芻した。
 やはりこのゲームに乗り気の人間がいる。それも恐らく複数人だ。
 主を助けるためなのか、ゲームを楽しんでいるのか、それは分からないが、ここまで躊躇なく仲間同士で斬り合える人間がいるとは、今日までは思ってもみなかった。
 放送を聞いた鶴丸が、じっと三日月を見つめていた。燭台切は鶴丸の空気に只ならぬものを感じ、やはり彼は何かを知っているのだと確信する。
 鶴丸がゆっくりと口を開く。
「随分余裕そうだな、三日月。いきなり始まったゲームだってのに、もしかして君にとってこの展開は予想通りか?」
「いや、これでも驚いているんだがな」
「鯰尾と骨喰を殺ったのは君だな。三日月宗近」
 三日月は何も答えなかった。ただ不気味に笑っている。
「着物についたその返り血、腰元より下に多く付着している。つまり背の低い短刀――しかも一人や二人じゃない。君が踏んでるその血溜まりは、全部君が殺ったんじゃないのか?」
 三日月の笑みが濃くなった。弧を描いた口元が緩慢に開き、鶴丸に感心している。
「ははは、なるほどなるほど。これは見事な洞察力、恐れ入った。――そうだ。厚、秋田、五虎退、薬研、乱、そして鯰尾、骨喰は俺が殺した」
 その言葉を聞いた瞬間、燭台切は居ても立ってもいられず叫んでいた。
「何故ですか三日月さん! 短刀達はいつも貴方を慕っていたじゃないですか! 貴方だって嬉しそうに世話をされていた。いつも本丸を陰から支えてくれていた貴方が、どうしてこんなことを……?」
 何人もの仲間を殺してなお、笑みを浮かべて立っていられるのか。
 燭台切は三日月の心理が全く理解できなかった。せめて主のためだと、主を助けるために仕方なくやったことだと言ってくれれば、まだ彼の気持ちを汲むことが出来る。
「光坊、もういい。俺には三日月の考えていることが分かる。何となくだがな。だから三日月、君は俺が止める」
「ほう、そうか。お互い長く一緒にいると、そういうこともあるものだな。あいにく俺も、お前の考えていることが分かる気がしていたところだ」
 放送という邪魔が入り一時中断していた戦闘が、再び行われようとしていた。
 燭台切達が逃げるなら、二人の刀がぶつかり合った瞬間を狙うしかない。燭台切は考えることを止め、今は逃げることだけに神経を集中させた。
 息苦しい程の殺気と僅かな木々のさざめきが五感を支配する。こんなに緊迫した二人を見ることは滅多にない。
 達人同士の無言の駆け引きは、踏み出した鶴丸の足音によって一気に痛烈な斬り合いに変わった。
「太郎太刀さん」
「ええ」
 燭台切は太郎太刀と共に屋敷への最短ルートを走った。長い石畳を越え、橋を渡り、正面玄関から中に飛び込む。そのまま屋敷の空き部屋に滑り込んだ二人は、どっと息を切らせ畳に座り込んだ。
 三日月と鶴丸が本気を出すと、ああも息が詰まるのか。燭台切はこめかみに掻いた冷や汗を乱雑に拭うと、目を瞑って大きく息を吐いた。
 この本丸でも一、二を争う実力者の戦い。鶴丸が勝てるかどうかは微妙なところだ。
 ――どうか無事生き残ってくれ、鶴さん。
 燭台切は自分が慕う鶴丸の身を案じ、心の中で彼の無事と再びの再開を祈った。

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