刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第六章

 静寂に包まれる深い夜。外気はふるりと肌寒く、空気を伝って聞こえてくるせせらぎの音が茶室を風流に彩る。歌仙の心は落ち着いていた。
 この茶室は、歌仙にとって本丸で最も好きな場所だった。本丸には雅な場所が沢山あるけれど、ここの丸窓から見える景色はそのどれにも勝っている。今の季節、葉は紅葉し、透き通る池や赤い橋が綺麗に円窓に収まっている。濃藍(こいあい)の空を見上げれば、風に流れる薄い雲が半月を見せては隠していた。
 歌仙は足音を立てないように畳を歩くと、床の間から自身の刀を拾い上げ、再び窓に戻った。
 歌仙の刀は茶室の刀掛けにひっそりと置かれていた。大広間から屋外へ飛ばされた彼は、自分の刀が無くなっていることには気付いたものの、敢えて探さず、ただ一目散に茶室を目指した。そして偶然にも辿り着いた先で自分の刀を見付けた。
 歌仙はゆっくりとした動作で刀を抜くと、銀箔が散りばめられた紫の鞘を丁寧に窓の側に立て掛けた。
 暗がりがコトリ、と音を立てる。それは鞘からと同時に、障子の外からも聞こえてきた。
 音の方を見やると、障子にふわりと人の影が映し出されている。ギシ、と影の動きと共に外の床板が軋みを上げ、徐々に濃くなった影はゆっくりと障子に手を掛けた。
「…………」
 月明かりが逆光となり顔ははっきりと見えないが、顔を見なくとも、佇まいでそれが大倶利伽羅であると分かる。こんな時に客人とは、なんと間が悪い。歌仙は開いた扉に向かって声を掛けた。
「悪いが、今歌を考えている最中なんだ。席を外してくれないか」
 大倶利伽羅は腰に刀を下げていた。障子に手を掛けたままそこから動こうとしない。
 歌仙は溜息を吐くと再び窓の方に目を戻した。開けられた障子から空気が流れ、僅かな血の匂いが鼻先を掠める。歌仙はもう一度溜息を吐いた。

 歌仙は戦いが嫌いではなかった。自分は文系だ、などと謳っておきながら、その実決して自分が弱いと思ったことはなく、出陣を命令されれば謹んでその命に従った。
 戦争が佳境を迎え、出陣の数が日に日に増して言っても、やはりその気持ちは変わらなかった。主は戦で疲弊している刀剣を気遣い、時に無理してまで手当に力を使ってくれる。刀剣同士も皆が支え合い、連携し合って戦うことが出来る。
 日常生活も悪くなかった。燭台切が作る料理は美味いし、主は雅が分かる人だし、相部屋である山姥切とも何とかうまくやれている。
 山姥切は素っ気ない性格ではあったが、歌仙は嫌いではなかった。この本丸一番の古株でありながら、不器用で、一人では何も出来ず、世話を焼くとすぐ怒る。一人部屋だったところに歌仙が相部屋になった時は、それはもうとても嫌がられたが、部屋に引き籠り、歌仙の読む歌をいつも黙って聞いてくれる山姥切は、歌仙にとって弟のような存在だった。
 いい本丸だった。主や仲間に恵まれていた。だから戦うことも嫌いではなかった。
 だが、始まったゲームに、歌仙は初めて戦うことが嫌いになった。仲間同士で傷つけ合うことも、それを見ることも、歌仙にはとても耐えられなかった。
 歌仙は主に謝る。すまない主。僕は主のために仲間に剣を向けることが、どうしても出来そうにないんだ。
「…………」
 大倶利伽羅は何を考えているのか、相変わらずそこに立っていた。
 今まで黙っていた歌仙が、静かに息を吸う。吸った息は冷たかった。
 静寂、月明かり、開かれた口、長い睫毛、吐息。
 川のせせらぎ、揺れる楓、棚引く雲。
 ここから見えるすべての景色が、この為に用意されているようだった。

「――散りぬべき 時知りてこそ 世の中の  花も花なれ 人も人なれ」

 歌仙の凛とした声が、冷たい静寂に響いた。
 歌仙はゆっくりとした動作で窓から月を仰ぎ見た。つられて大倶利伽羅も窓の方を見る。
 風に乗った雲が右から左へと月を隠し、それに合わせるように茶室から光が消えていく。
 静寂。
 パキ。枝の折れるような音が大倶利伽羅の耳に届いた。そしてまた、静寂。
 やがて雲は流れ、再び月明かりが零れだす。
 茶室を照らした先に、歌仙の姿はどこにもなかった。
 大倶利伽羅は目を見開いた。目線の先、歌仙の立っていた場所には、ひっそりと折れた刀だけが取り残されていた。
 大倶利伽羅は、ようやくあの、枝の折れたような音の意味を理解した。
 剥き出しの刀身が、鏡になり下弦の月を映し出す。波紋に浮かぶ月をしばらく眺めていた大倶利伽羅は、その後、何をすることもなくその場を立ち去った。





「構うなっ。写しの俺にはこれがお似合いなんだ」
「君はいつもそう言うね」
 今日も懲りずに世話を焼いてくる歌仙に、山姥切は取られそうになる汚い布を必死に死守し、体育座りを決め込んだ。
 来たばかりの新人のくせに、一番の古株である自分にこうもあっけらかんと接するその精神は一体どこから来るのか。山姥切は嫌がる顔を隠しもせずに、詩人気取りの新人を睨みつけた。
「俺は汚いままで良いんだ。いいから放っておいてくれ」
「またそんなことを。自分を卑下する言葉は雅じゃないよ」
 うるさいうるさい、と山姥切は汚い布という自分の殻に閉じこもって丸まる。顕現した順でいうなら山姥切の方が歌仙より大分お兄さんのはずなのだが、これじゃあどちらが上か分かったもんじゃない。歌仙の深い溜息が閉じこもった布の外から聞こえた。
「君は十分美しいじゃないか」
「……はぁ?」
 山姥切と同じ目線になるため膝をついた歌仙を、山姥切は『こいつ、目がおかしいんじゃないか』という目で見る。そのあからさまな嫌がり方に、歌仙は笑いそうになっていた。
「例えばその髪の色、山吹の花のようでとても綺麗だ」
「綺麗じゃない。綺麗とか言うな」
「じゃあその透き通るような肌、まるでお伽噺の白雪のようじゃないか」
「何だそれは。俺は女じゃないし普通に嬉しくない」
「ではその瞳の色が綺麗だ」
「だから綺麗とか――」
「おっと、否定はさせないよ」
 歌仙はそう言うと、待ってましたというかのように楽しそうだった。
 歌仙の翡翠色の瞳が山姥切を捉える。それは山姥切と同じ色味を持って、キラキラと煌めいていた。
「僕は自分の瞳の色がとても気に入っているんだ。だから君の瞳の色も綺麗だ。どうだ、これには流石の君も文句はつけられまい」
 歌仙の得意げな物言いに、山姥切はもう何だか言い返す気も起きなくて、だからそれ以降歌仙が自分の瞳について自画自賛の歌を詠もうとも、それを山姥切に贈りつけてこようとも、山姥切はもう何も言わなかった。
 いつの間にか、彼の歌を聞くことが苦じゃなくなっていた。きっと耐性がついたんだな。山姥切は今日も丸まって彼の歌を聞きながら、そう思う。
 歌仙が山姥切に内緒で夜中に布を洗っていたことが判明した時も、皆に酒を呑まされ二日酔いの看病をされた時も、そういうわけでやはり山姥切は何も言わなかった。代わりに翌日、歌仙の机の上には、何故か決まって数枚の藤の花弁が置かれていた。
 それを見た歌仙が、目を丸くした後頬を緩ませ、「付いているよ」と山姥切の頭の花弁を取った時には、山姥切は頬に熱を溜め「お前なんか嫌いだ!」と声を荒らげるのだ。





 山姥切は、まるで金縛りにでもあったかのように障子の前でピタリと動きを止めていた。
「…………」
 動けなかった。声すら出せなかった。
 微かなせせらぎの音でさえ、今の山姥切には一切聞こえない程に、動揺が全身を襲った。
 茶室の入口で固まった山姥切が見つめるのは、畳の一点、ただそこだけ。
 折られて二本になった打刀が、月を反射し煌めいている。それは山姥切がよく知る刀――いつも口煩くて、世話焼きで、山姥切がいくら嫌がろうと楽しげに接してくる、そんな変わり者の刀だ。
「ッ!!」
 山姥切は激しく湧き上がる激情に目の前が真っ白になった。
 誰かが歌仙を殺した。穏やかで、ひねくれ者の面倒を率先して見るようなお人好しを、誰かが殺したのだ! 長谷部や今剣の一件を見ていた山姥切は瞬時にそう考え、激情は怒りとなって、歌仙を殺した犯人へと向かった。
 ――殺す。殺してやる。歌仙を殺した奴を殺す。
 その後、山姥切は怒りのままに本丸内を歩き回った。自分の刀を見付けることも忘れ、ただ歌仙を殺した犯人を探すためだけに歩き回った。
 真夜中である今は、ほとんどの刀剣が来たる夜明けを待ち身を隠している。だが山姥切にとってそんなことはどうでもよかった。ただ動いていなければ気が収まらなくて、怒りで我を忘れ同じ場所を何度も歩き回った。
 山姥切が冷静になったのは、歩き疲れ、骨休めをするため立ち寄った部屋で、いつの間にか眠りについてしまった後のことだった。
 夢の中で、山姥切は歌仙に聞かされた『願い』のことを思い出していた。





「願い? これはまた、主は風流なことを聞くね。そうだな……。まずは本丸に雅が溢れていることを願うな。四季折々の風景を見て、それを歌にしたためる。あぁ、実に素晴らしい。
 ……うーん、もっと身近なこと? では、同室の彼がもっと僕に心を開いてくれると嬉しいな。せめて布を洗濯させてくれるくらいには。あの布は雅じゃないからね。そんなところだ。そんな些細なことで良いんだ、僕の願いは」

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