刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第五章

 もうすぐ日没を迎えようとしていた。本丸内が夕日の鋭い橙と濃い影で満たされる頃、鯰尾は探していた彼と馬小屋の前で再会した。
「居た。骨喰!」
「! 兄弟」
 大浴場に飛ばされた鯰尾が最初に馬小屋に行ったのは、そこに骨喰がいると思ったからだ。
 鯰尾は大浴場に瞬間移動した後、すぐに刀が無くなっていることに気が付いた。しかし現実を上手く受け入れられず、何故自分はこんなところにいるのか、そして何故刀が無くなっているのかとひたすら困惑し、おろおろと浴場を歩き回っていた。
 これは夢なのではないか。長谷部が岩融を殺し、今剣が長谷部を殺す夢。で、寝ぼけて気付いたら大浴場まで徘徊していた、と。この考えの方がよっぽどしっくりくる。
 そんな風に現実逃避をしていると、たまたま骨喰の刀が脱衣所に落ちているのを見つけた。
 それを見た瞬間、鯰尾は一気に体に血が湧き上がるのを感じた。
 刀剣男士は絶対に自分の刀を無下に扱ったりはしない。常に持ち歩くか、自室の刀掛けに大事に掛けておく。刀剣男士にとって刀は命なのだ。その刀が今、こうして無造作に地面に捨て置かれている。大事な兄弟の刀がこんな風に扱われていることが、鯰尾には許せなかった。
 怒りによって現実を受け入れた鯰尾は、こんな糞みたいなゲームを企画した奴らは一発殴らないと気が済まないと思った。そして自分の得意な夜戦を生かすため、日が沈むのを待ち、ひっそりと脱衣所を後にした。

「ま、結局日が沈むのを待ちきれなくて出て来ちゃったんだけど、来て正解だったな」
 天守閣のすぐ隣にあるこの馬小屋は、誰にも邪魔されたくない時の二人のお気に入りスポットだ。だから骨喰も絶対ここにいると思った。
 鯰尾は脱衣所で手に入れた骨喰の刀を本人に差し出した。しかし骨喰はそれを受け取る前に、自身の腰から抜き取った別の刀を差し出す。
 白い鞘に金の紋が入った刀――それは彼のよく見慣れた、鯰尾藤四郎本体だった。
「馬小屋に落ちてた」
「マジですか」
 こんな偶然もあるものなんだな。鯰尾は妙に感心してしまう。
 鯰尾は骨喰から差し出される脇差へ手を伸ばし、骨喰もまた同じように手を伸ばした。
 ――だが、その手がお互いの刀に触れることはなかった。
「!!」
 ザッと土を踏む音を聞いて、二人は反射で左右に飛び退く。
 地面には重く鋭い一撃が刻まれ、彼らのいた地面に砂煙が舞った。
「っ、骨喰! 大丈夫か!?」
「ああ」
 それは第三者からの奇襲だった。
 馬“小屋”とはいったものの、ここは屋根付きの屋外みたいなものだ。鯰尾達は完全に姿を隠すことが出来ておらず、一方で敵の姿は小屋の影に隠れ、気配に気付くのが遅れた。
 二人は即座に態勢を立て直し、敵の姿を確認する。そして思わず声を上げた。
「あ、貴方は!」
 攻撃を仕掛けて来たのは、鯰尾にとって余りにも以外な人物だった。骨喰でさえ、一見無表情ながら動揺しているのが見て取れる。
「やぁやぁ、流石に早い。だが次は外さないぞ」
 青い戦装束に、円を二つくり抜いたような紋章。気品が感じられる凛とした佇まい。
「三日月、宗近……」
 見まごうことない、それは鯰尾が普段からよく慕い、よく懐いていた人物だった。
 鯰尾は一瞬頭が真っ白になった。確かに自分は今攻撃を受けたが、それは三日月の手から繰り出されたものだったか? 自分の目さえもにわかに信じがたかった。だがその手には確かに刀が握られており、視覚情報は間違いなく彼が敵であると認識している。
「み、三日月さん、なんで、」
 三日月の殺気を感じ取った骨喰は、鯰尾より早く剣を抜く。鯰尾も少し遅れて、焦ったように抜刀した。握った刀は骨喰の刀だけあって、重さも、握った感じも違和感なく手に馴染んでいる。
 三日月は地を踏み締めると勢いよく鯰尾の方へ踏み出した。
 鯰尾は問答無用の三日月に斬りかかられ、何とか左へ仰け反るように攻撃を逃れた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。これ、なんの冗談――」
「はいっ!」
 どうやら話を交える気はないらしい。
「三日月さん、あんた、なんで!」
「何故、か。その言葉は聞き飽きたな」
 三日月は一切手を緩めることなく二人相手に刀を振り下ろした。
 だって、『何故』とも聞きたくなるじゃないか。
 三日月は誰より仲間想いで優しかった。鶴丸や鶯丸と縁側で茶をしばいては、小さな刀剣達を孫のように可愛がってくれた。鯰尾が「おじいちゃーん」とか言って背中に伸し掛かっても、笑って迎えてくれるような人だった。
 今、この殺気の篭った攻撃が信じられない。この人は一体どうしてしまったのか。
「まさかあんた、ゲームに乗るつもりなんですか?」
 鯰尾の問いに三日月は答えない。
「答えないのは肯定、ってことですか」
「…………」
「何とか言えよ三日月さん!!」
 鯰尾は咆哮した。彼はゲームのルールに乗って、刀剣男士を皆殺しにするつもりなのか。ゲームに乗る人間がいることも、それが三日月だということも、鯰尾の頭で理解するには少々難度が高過ぎる。
「あまり動揺するな兄弟。隙を突かれる」
「っ……ああ、分かってるよ」
 柄を握る手が痺れる。攻撃されるたび身体が軋む。
 その感覚と共に、鯰尾は次第に状況を受け入れていった。
 ゲームは当に始まっていたんだ。
 夕暮れに金属音が響き続けた。重い一撃に息が詰まり、次第に息が上がっていく。
「ちくしょうっ!」
 この人は、本気で俺達を殺すつもりだ。
 一旦敵から距離を取った鯰尾は、刀を握り直し、大きく深呼吸をした。目を瞑り、感情を押し殺す。
 昨日までの忙しなくも楽しかった本丸も、仲の良かった皆も、優しかった三日月も、どうやらもう過去の事にしなければならないらしい。
「はっ。俺、本丸の皆のこと結構好きだったんだけどなぁ」
 その呟きが、三日月に聞こえることはなかった。再び目を開けた鯰尾は覚悟を決めた。
「ん、とうとう殺る気になったか。その意気や良し」
 三日月の挑発に反応する気はもうない。鯰尾は目だけで全ての指示を骨喰に送ると、骨喰は三日月に向かって勢いよく突進した。
 骨喰の体重の乗った一撃が三日月の正面を捉えた。刀を受け止めさせ、敵の動きを止める。その隙を逃さず態勢を低くした鯰尾が背後から迫る。まずは足の腱を切る。
「そこだ!」
 鯰尾が三日月の足元に斬りかかった。
 しかし目の前にいたはずの三日月は、何故か骨喰へとすり替わった。
「は!? うおわぁ!」
 既に踏み留まれない位置にまで来ていた鯰尾は、成す術無く骨喰と正面衝突した。骨喰にのしかかられる形で倒れ込み、鯰尾は少なくない軽傷を負う。
「痛ってて……」
「っ、すまない兄弟」
「はっはっは、どうした。降参しても良いぞ?」
 どうやら三日月は、鯰尾が斬りかかるのと同時、骨喰を受け止めていた腕の力を抜き、体を左に逸らしていたらしい。それによって前のめりに体勢を崩した骨喰は、見事鯰尾とご対面させられたというわけだ。
 お互いの刀がパラパラと刃こぼれをしていたが、深い傷ではないことを確認すると素早く立ち上がった。
「ほう、まだ立ち上がるか。感心感心。とは言え、お前達では俺には勝てないだろう」
「はっ、そんなの分からないでしょう?」
「俺達は負けない」
 剣と剣が再び交わる。
 三日月はまるで幼子と戯れるように、その顔に笑みを浮かべていた。その様表情は不気味で仕方ない。
「うーん、参ったな。ここは負けを認めて、大人しく俺に斬られてはくれないか」
「ふん。そっちこそ、いつもの『俺の負けでもいいんだが』はどうしたんですか?」
「残念だが、今回はおあずけだ」
 刀を弾かれても、再び斬りかかる。
 鯰尾は別に三日月を倒そうとは思っていなかった。普通に殺り合ったのでは到底敵わないことくらい、鯰尾にだって分かっている。
 鯰尾はちらりと太陽の位置を確認した。――あと十分。
「ん? ああ、そうか、なるほど。夜戦を狙っているのか」
 三日月は鯰尾の視線に気付き声を上げた。
 馬小屋の隣りにある天守閣の先で、夕日が沈んでいくのが見える。東から押し寄せる群青の空に飲まれつつある夕日は、もうあと十分もすれば完全に落ちるだろう。
「三日月さんに真っ向から挑んで勝てると思う程お気楽じゃないんですよ、俺達。あんたが主を助けるために俺達を殺すつもりなのか、自分のためなのかは知らないけど、そんなことに付き合ってられる程暇じゃないんだ」
「俺達は他の兄弟を探さなきゃいけない」
 その言葉を聞いた瞬間、三日月の顔がひどく歪んだように鯰尾には見えた。
 笑っている。綺麗に。
「……ああ。もしかしてお前達は他の粟田口を探すつもりなのか」
「、だったらどうだってんですか。大人しく退いてくれるんですか、ね!」
 三日月との会話で、鯰尾は段々と苛立ちを募らせていた。何故そんな風に面白そうに笑うのか。どうしていつも通りに喋っていられるのか。三日月の底が知れなくてイライラする。
 そんな風に笑うくらいなら、いつもみたいに呑気にいてくださいよ。いつものように後ろで優雅に構えて、俺達を守ってくださいよ。
 俺はそんなあんたが好きだったのに……!
「そうか。お前達は兄弟に会いたいのか。それは――残念だ」
 三日月が意味深に目を細めたことに、骨喰だけが気付いた。
「待て兄弟っ!!!!」
 ――え。
 気付いたら、鯰尾の目の前に鮮血が舞い上がっていた。痛みは後から襲いかかり、うねりを上げて吹き出る赤い血は、重力にしたがって自分の身体と共に地面に染みを作る。
「兄弟!!」
 骨喰が青ざめた様子で鯰尾の元に駆け寄ろうとした。
「だ、大丈夫だから!」
 しかし、隙を作りたくなかった鯰尾が、骨喰の行動を制す。鯰尾の掲げる制止の手に大人しく応じた骨喰は、再び三日月に視線を戻した。
 油断した。鯰尾は地面を見つめながら歯ぎしりした。夜戦を嫌がった三日月が急に攻撃を速めたことで、鯰尾は間合いを見誤ったのだ。要は、今までの三日月は本気じゃなかった。
 鯰尾は何とか四つん這いまで起き上がりゴホッと血反吐を吐いた。肺から腹に掛けて斬られた傷は、どう見ても中傷以上だ。中々にマズイ。
「平気か、兄弟」
「ああ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 鯰尾は兄弟に心配を掛けまいと、何とかまた立ち上がった。
 大丈夫だ。まだやれる。これなら太陽さえ沈めばまだ逃げられる。背中の冷や汗には気付かない振りをして、鯰尾は再び剣を構えた。
 三日月の背後には天守閣がそびえ、後ろから差し込む逆光が妖しく三日月を染め上げている。天守閣と、彼の身に着ける貴金属が煌びやかに光り、目が眩む。
 骨喰が天守閣に向かって走っていった。三日月に剣を振り上げると、得意のスピードで縦横無尽に斬撃を繰り出す。しかし目的はあくまで三日月に隙を作ること。骨喰が持つ鯰尾の刀には傷の分だけヒビが入っており、無茶は出来ない。骨喰は鯰尾を折らないように気を付けながら、相手に隙が出来るまで剣戟を続けた。
 怪我をした鯰尾は隙を見て敵に一撃を与える役であり、それだけに全神経を集中させなければ三日月からは逃げられない。
 ――だから、天守閣に潜む別の影など、彼らは気付きもしなかった。
「え」
 影は上からやって来た。
 真っ黒な影はドスンと地響きを鳴らし、三日月と剣を交える骨喰の真下に落下した。
 ガッ。到底人が出す声ではない呻きが骨喰から聞こえた。大きく目を見開き、口から唾液を飛び散らせる。
 押し潰された骨喰の体には、鈍色に光る刃が突き刺さっていた。
「ほ……骨喰!!!!」
 鯰尾は自身の傷も顧みず叫んだ。肺に達した傷口から血が逆流し思わず嘔吐く。
 真っ黒い影の正体――同田貫正国は、骨喰の上でゆっくり立ち上がると、目と鼻の先で瞠目している三日月を鋭く睨んだ。至近距離で、二人の瞳がギラギラと煌めく。
「よぉ。面白そうなことしてんじゃねーか」
「同田貫……」
 三日月から初めて笑みが消えた。しかしそんなことは鯰尾にはどうでも良かった。
 骨喰が蚊の鳴くような声で、必死に何かを訴えている。二人が邪魔でよく聞き取れない。
 邪魔だ。三日月も、同田貫も、兄弟を傷付けるものは皆。
 鯰尾の握る骨喰の刀からヒビ割れの音が聞こえた。破片が零れ落ちる。刀身にヒビが入っていく。
 ――ああ、邪魔だ。何もかも。
「……どけ」
 絞り出すような声だった。
「兄弟から、退け!!!!」
 鯰尾は強く地面を蹴ると、同田貫に向かい刀身を薙いだ。
 骨喰は怒号を上げる兄弟の声に、途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止める。ここで骨喰が死ねば、鯰尾が持つ刀は折れてしまう。
 まだ折れまい。骨喰はきつく目を閉じた。日は完全に沈んでいた。
「これで、最後だっ!!」
 掛け声と共に怒りの乗った一撃が同田貫の刀を震わせた。
 強打を受け止めた同田貫は大きく体勢を崩し、思わず骨喰の上から飛び退く。同田貫が口笛を鳴らした。
「やるじゃねーか」
「! くそ、まだまだ!」
 やる気になった同田貫が刀を持ち直し、鯰尾もすかさず追撃に出る。しかし。
「邪魔をするな、同田貫」
 後ろから颯爽と風を切った三日月によって、鯰尾の追撃は無残にも打ち砕かれた。
「ガッ……!!」
 不意に食らった死角からの攻撃に、成す術無く鯰尾の身体が浮き上がる。
 三日月が笑っている。
「お前達は兄弟を探していたのだろう? ……それならきっと、もうじき逢える」
 三日月が剣を振り下ろした。首元に衝撃が走る。
 一つに結ばれた髪がぱらぱらと解け、宙を舞う黒い糸の隙間から、鯰尾はキラリと光る一番星を見た。





 鯰尾はこの本丸で二十一番目に顕現された刀だった。彼が顕現されたとき骨喰はまだ本丸にはおらず、彼が顕現されるまで実に二か月程の時を待たされた。
 鯰尾は星を見るのが好きだった。長い髪を高い位置に一つに結び、主から貰った星座図鑑と望遠鏡を持って寝所の屋根上に通い詰める、それが彼の日課だった。
 最初は一人だった屋根上も、一週間も経てば(どこから聞きつけたのか)兄弟達が集まった。更に一週間経った頃には星を肴にただ飲みたいだけの連中も集まり出し、一気に騒がしくなった。
 鯰尾は星を見ながら、顕現した一ヶ月後に執り行われた顕現式を思い出していた。
 鯰尾にはやりたいことがあった。

 彼が顕現して二か月が経った頃、ようやく骨喰が我らが本丸に現れた。が、兄弟はやはり鯰尾同様記憶を有していなかった。それでも鯰尾は全然構わず、意気揚々と本丸内を連れ回し、骨喰に弟達を紹介した。ようやく待ち望んだ兄弟と会えた、それだけで鯰尾は嬉しかった。
「ねぇ骨喰、ちょっと俺の髪結んでくれない?」
 あるほかほかと晴れた春の日、暇だった鯰尾は何となく骨喰にそう言ってみたことがあった。
「俺が、何故」
「何となく。暇だから?」
 骨喰は鯰尾の器用に結ばれた一つ縛りを見て溜息を吐いた。
「俺は兄弟みたいに上手くは縛れないぞ」
「いーからいーから。なんとかなりますってー」
「…………」
 その沈黙を了承と取って、鯰尾は今朝結ったばかりの結び目をするりと解き、元結を骨喰に渡す。
 待つこと暫し。出来上がった弛みだらけの一つ結びは、正面から見ると何だか骨喰と同じ髪形のようで、鯰尾は湧き上がる笑みを抑えられず吹き出してしまった。
「くすっ。あはは、いいねこれ。気に入った」
「……やはり兄弟が自分で結ぶべきだ」
「いやいや、いいんだってこれで。これからは毎日骨喰に結んでもらおーっと」
 勝手にそう決めて、ムスッとする骨喰に白い歯を見せて笑う。あとで主に聞いたら、骨喰のあの髪形は“ボブカット”というらしい。じゃあ俺のはボブカット風結びか。
 鯰尾はお揃いの髪を触って仲間に嬉しそうに自慢した。

 骨喰に髪を結ってもらったお礼に鯰尾が連れてきたのは、彼がいつも星見をしている屋根上だった。やはりそこには今日も多くの刀剣が集まっていた。
「あ、骨喰兄さん! 鯰尾兄さん!」二人に気付いた秋田が声を掛ける。
「最近来ないと思ったけど、今日は骨喰兄さんを連れて来たんだな」と薬研。
 ここに来るのはご無沙汰だったが、あの賑やかさは今も健在のようだ。
 兄弟達に促されるまま屋根に座った骨喰は、軽いお祭り騒ぎになっているその場所に目を丸くしした。
「何をしているんだ、これは」
「ああ。皆で星を見てるんだ。まぁ一部酒が飲みたいだけの奴らもいるけど」
 後ろでどんちゃん騒ぎをしている大人達を指して、厚が苦笑いをする。
「星、分かる? ほら、例えばあそこに見えるのがふたご座」
 鯰尾が順々に星を指差し、骨喰に問う。
「全然分からない」
「鯰尾兄さん説明下手だからなぁ」
「何だとー!」
 暴言を吐いたのは乱だ。鯰尾が可愛い弟を軽く締めている後ろでは、酔っ払った大人組が突然笑い出し、嫌がる大倶利伽羅に悪絡みしている。いつの間にか鯰尾の望遠鏡を取り合う新撰組の刀まで増えて、今や最初とは比べ物にならないくらいこの場所は騒がしくなっていた。
「ちょっとー、それ俺の望遠鏡ですからねー。壊さないで下さいよー」
「はいはーい。分かってる分かってる。あ、先行くなよ安定」
「お前が遅いだけでしょ」
「はぁ?」
「本当に大丈夫かな……」
 苦い顔をしつつも満更でもない鯰尾は、ふと微かに笑う骨喰を横目に捉えて目を丸くした。
「骨喰、笑ってる」
「え? ああ」
「楽しい?」
「そう、だな」
「そっか。なら良かった。この髪を結ってくれたお礼くらいにはなったかな。とかいって、実はそれはお前をここに連れてくるための口実だったんだけど」
「?」
 疑問符を浮かべる骨喰に、鯰尾はここを見付けた当時を思い出す。
「最初は、ここは俺一人だったんだ。主にお古の星座図鑑と望遠鏡を貰って、一人で星を見てた。最初はただ綺麗だなーって感じだったんだけど、皆が集まり出して、星が好きになって、調べてくうちにやりたいことが出来て」
 骨喰はニコニコと話す鯰尾の言葉を興味深く聞いていた。
「星を見てるとさ、なんか世界は広いなーって思うじゃん? 俺も刀だった頃の記憶があまり無いけど、どんな時も星はずっとそこにあって、きっと昔の俺もこうやってあの星を眺めていたかもしれないし、未来でも眺めているかもしれない。
 星がずっとここにあるならさ、星を見れば、こうして俺達が今ここにいることを、いつでも思い出せるんじゃないかって思ったんだ」
 熱心に話を聞いていた骨喰の瞳が、月を反射してくるりと瞬いた。
「星ってさ、一番最初に見付けた人が名前を付けられるんだって。だから俺は新しい星を見付けて、名前を付けたいんだ。それで、それをお前にプレゼントするよ」
 その星を見ればいつでも皆のことを思い出せるように。また忘れてしまっても大丈夫なように。それが、鯰尾のやりたいことだった。
 鯰尾の話が終わって声を上げたのは、後ろでこっそり話を聞いていた短刀達だった。
「素敵な計画ですね……!」
「もし名前を付けたら、いち兄が来たときにもいっぱい自慢できそうです!」
「図鑑には、名前をつけられるのは彗星だけで、惑星を見つけても駄目って書いてあったよ」
「彗星と惑星ってどうやって見分けんだ?」
「お前ら、はしゃぐのは良いけど屋根から落ちるなよ」
 骨喰は楽しそうに星を探す兄弟達を見てパチパチと瞬きの回数を増やした。鯰尾がどうしたのかと聞くと、眩しかったから、と答える。鯰尾は笑った。
「星を見付ければ、今のこの気持ちもいつでも思い出せるのだろうか」
 骨喰がぽつりと呟く。
 兄弟の笑顔と、皆の笑い声と、まだ見ぬ刀剣達との未来と。全部の思いを詰めて星に名前をつけたら、それは永遠に消えることはない記憶になるのだろうか。そう、仲間を見つめながら思った。
「俺も一緒に探そう」
「お、骨喰も探す? それだとプレゼントにならないけど、まぁ細かいことはいいか! じゃあ皆で星探しだー!」
「おおー!!」
 それからは、毎日が星探し大会だった。お揃いの髪形を並べて、鯰尾と骨喰は来る日も来る日も星を探した。鯰尾はその度に、顕現式で聞かれた願いのことを思い出していた。


――――……


『願い? 星を見つけて、名前を付けること。……と、いうのもあるけど。俺は、いつでも兄弟に笑っていて欲しいと思う。いつでも兄弟が笑っていられることが俺の一番の願いだ』





 ドサリと音を立て、鯰尾の体が骨喰のそれと重なった。
 斬られた黒髪が、後を追ってはらはらと肢体の上に舞い落ちる。首元は血に塗れ、鯰尾が気に入っていたあの髪型はもうどこにもない。
 三日月は刀に付着していた血を振り落とすと、優雅な動作で鞘に納めた。そして同田貫に向き直り、言う。
「さて同田貫。このまま斬り合うのも悪くはないが、今日はこの辺で手打ちにしないか?」
 それは、三日月の夜戦が得意ではない故の提案だった。本来であれば同田貫にそんな提案に乗ってやる義理はない。同田貫に、戦意があればの話だが。
「チッ。しゃーねぇ」
 同田貫は三日月の提案に不本意な顔をしつつも、大人しく剣を納めた。
 生を失った鯰尾と骨喰の身体が、光に分解され始めていく。光の粒は吸い込まれるように天に流れ、夜空に満天の星空をつくった。
 後に残るのは、バラバラに砕けた二振りの刀片のみ。それを確認する前に、同田貫は屋敷の方へ歩き出し、持っていた自分のものではない刀を林の向こうに思い切り投げ入れた。
 あの刀は同田貫のものではなかったのか。三日月は既に遠くに去った同田貫を見て思った。
『お前、鯰尾を逃がす気だったな』
 去り際、三日月は同田貫にそう声を掛けていた。同田貫は足を止める。
『あのままでは、二人とも俺に破壊されることは明白だった。だから敢えて骨喰を攻撃することで俺の注意を引き、鯰尾だけでも逃がす算段だったのだろう。何故そんなことをしたのかは知らんが、作戦は失敗だったようだな』
『……さぁ。覚えがねぇな』
 三日月によって勝手に語られる同田貫の作戦。同田貫がそれに答えることはなかった。





 道場で鍛錬を終えた同田貫が少し身体を休めようと大広間に立ち寄ると、偶然そこで骨喰と鉢合わせた。
 何をする訳でもなく縁側に座っていた骨喰は、ちらりと同田貫に目をやった後すぐにまた視線を戻す。同田貫もそんな骨喰を横目に、彼より少し離れた場所に腰を下ろした。少し蒸し蒸しする、夏の昼下がりのことだった。
 シンとした大広間に、聞こえてくるのは蝉の声と、遠くからの刀剣男士の声。声のする方、もしくは骨喰の視線の先を何となく辿った同田貫は、その向こうに鯰尾や長谷部、今剣、岩融がいることに気が付いた。
「馬糞は嫌いな、やつになげるー」
「うわっ。貴様、嫌いな奴とは俺のことかァ!」
「うわーこっちにきました! いわとおし、ばふんぱすです!」
「はっはっは! よし来たぁ!」
「ぶっふぉあっ! 貴様ら……まとめて圧し斬ィィる!!」
 聞こえてくるのはそんな楽しげなやり取り。畑仕事をしていた長谷部が、馬の世話をしていた三人のうちの誰かに絡まれ、なし崩し的に鬼ごっこを繰り広げている、そんな一場面だった。畑仕事用のホースを持った長谷部が、彼らに勢いよく水を噴射し、馬糞ごと彼らを洗い上げている。
 そんな四人をただ見ている骨喰に、同田貫は何となく声を掛けた。
「お前は行かないのか」
 普段一切接点のない相手に、同田貫は何故声を掛けたのかと一瞬自分に戸惑った。らしくないことをした。そんな後悔が漂いつつある中、骨喰はゆっくりとした動作で同田貫を見、再び喧騒に目を戻した。
「……見てるだけでいい」
 骨喰は目元を細め、まるで大切なものを見守るようにそう言った。
「兄弟が楽しそうなら、それでいい」
「そうか」
 同田貫はそれ以上追及はせず、骨喰と同じように再び四人の姿に目を向けた。
 ジリジリと鳴く蝉の声がやけに強調されて同田貫の耳に届いた。じんわりとかいた汗に、冷たい風が心地よい。
 本丸の澄んだ空気が、四季の穏やかな風が、色々な場所で聞こえる皆の笑い声が、この本丸らしさを演出する。戦場とかけ離れたそんな雰囲気が、戦いにしか興味が無いはずの同田貫の心に、確かに安らぎを与えていた。
「見てるだけでいい、か」
「?」
 同田貫の声に骨喰が顔を上げる。
「そういうもんなのかもな」
「同田貫も、俺と同じ気持ちなのか」
「さぁ、どうだか。俺達は武器だからな」
 同田貫はスッと立ち上がると、そのまま大広間を後にした。
 俺達は武器だ。強いのでいい。そう同田貫は思う。だが、例えば武器に守るものがあったとして、それが弱いことの証明には、きっとならないだろう。
 兄弟を見つめ続ける骨喰の背中を見て、同田貫はそんなことを考えていた。

[ back ]