刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第三章

 ゲーム開始から一時間が経過しようとしていた。
 最初は訳が分からず混乱していた薬研も、奇跡的に秋田、五虎退、厚と合流出来た事によって幾分か落ち着きを取り戻している。
 どうやらこのゲーム、ただ刀剣達で殺し合いをすればいいという単純な話では無いらしい。

 大広間からいつの間にか移動した薬研は、寝所の廊下に立っていた。
 一瞬何が起こったか分からなかった薬研だが、すぐに前方に、以前弟達が開けた障子の穴を見付け、そこが自室であることを理解した。そして周りに誰もいないことに気付き、弟達を探さねばと急いで辺りを走り回った。
 何故自分が瞬間移動をしているのかとか、無暗に歩き回るのは危険だとか、そういったことを考える余裕はなかった。いつもは冷静な薬研も、流石にこの目まぐるしい状況には頭がついて行かなかったのだろう。
 薬研が冷静さを取り戻したのは、寝所を一周し、自室のすぐ隣ですすり泣く五虎退を見付けた時だった。
「薬研兄さん……っ!」
「五虎退!」
 五虎退は、薬研が襖を開けたと同時に飛びついてきた。弟の無事を確認し、薬研もほっと胸を撫で下ろす。
「僕、気付いたらここにいて、ぐすっ。持っていたはずの刀もいつの間にか無くなっていてぇ……」
 薬研はそこで初めて、自分の刀が無くなっていることに気が付いた。
「薬研兄さん?」
「はっ」
 五虎退が不安そうに薬研の顔を覗き込む。薬研は自分が冷静でなかったことをここでようやく実感した。この不可解な状況について、本当なら真っ先に考えなければならなかったはずなのに。
「いや……止めよう。まずはいち兄や他の兄弟達を探すんだ」
 しかし薬研は冷静になった上で、あえて考えることを後回しにした。ここで深く考察を広げると、何だか迂闊に動けなくなってしまうような、仲間と会い辛くなるような、そんな妙な予感がしたからだ。薬研にとって、兄弟と出会うことは何よりの優先事項だった。
「はいっ。いち兄さんならきっと、この状況もなんとかしてくれるはずです」
 薬研と出会えて安心したのか、五虎退は涙を拭うとにこりと笑って見せた。

 その後、秋田、厚と順調に見付かったのは運が良かったとしか言えない。彼らは薬研達と同じ寝所内で見つかった。
 この本丸の寝所は、普段生活している本城とは別館になっており、長い渡り廊下で繋がっている。寝所に飛ばされたのが薬研達のみで、かつ本城と離れていなければここまでスムーズに事は運ばなかっただろう。
 例にもよって、兄弟達は皆自分の刀を所有していなかった。
 皆と会うことでよりこのゲームのルールがはっきりとした。つまり刀剣達は、ただ斬り合うだけでなく、相手の刀を見つけ破壊することも出来る訳だ。
 なんて厄介なルールだ、と薬研は思った。刀さえあれば、無暗に本丸を動き回ることもなく、どこかに隠れていることも出来たのに、このルールのせいでそんな悠長なことも言ってられなくなった。
 一刻も早く自分と兄弟の刀を探さねば、敵意ある誰かに折られてしまうかもしれない。
 薬研がこの事を厚と相談していると、何かを察した秋田が懐からスッと一本の刀を取り出した。
 厚と薬研は驚いて秋田を見た。
「秋田、それ……!」
「はい。僕が飛ばされた部屋に、厚兄さんの刀が落ちていました。傷付けないか心配で、ずっと抱きかかえていたんですが……わぁ!」
「良くやった秋田!」
 秋田の肩を大袈裟に叩いた厚は、これで皆を守れると嬉しそうにその刀を受け取った。
「良かったな、厚」
「おう」
 しかし、それが油断だったのかもしれない。
「厚兄さんの刀が戻ったことですし、次は他の兄弟の刀を探しに行きましょう!」
「ぼ、僕も行きます……!」
「あ、おい! お前らっ!」
 刀を手に入れ、勢い付いた兄弟達が寝所を飛び出してしまったのだ。そして庭の先に正門が見えた時、もしかしたら正門から助けを呼べるかもしれないと駆け出してしまった。
「おい! ……ったくあいつら」
「追うぞ」
「おう」
 弟二人は、ゲームに対し薬研ほど警戒心を抱いていなかった。いや、薬研でさえ、本当の意味で警戒心を抱いていたかと言えば微妙だ。
 もしかしたら外へ出られるかもしれない。仲間が自分達を襲うはずがない。大広間での一件を見たにもかかわらず、まだどこかでそんな気持ちがあった。
 本当ならこの時、薬研は死に物狂いでも弟達を止めなければならなかったのに。


――――……


「秋田……っ!!」

 秋田の身体が引き裂かれる。
 我に返ったのは厚の叫びを聞いてからで。飛び散る血を目で追うことしか出来なくて。
 誰でもいい、誰か助けてくれと、彼らは空に祈ることしか出来なかった。





 弟を追いかける形で正門にやって来た薬研達は、まず門が特殊な結界によって開かないことを確認した。自分達の身体の何倍もある大きな門を見上げ、困惑する。普段ならここから城下町に出て買い物をしたりするのだが。
 ……まぁ当たり前か。仲間同士で殺し合いをさせようとしてるやつが、門をそのままにしておくはずがない。
 五虎退の虎達が鋭い爪で扉を引っ掻いても跡一つ残らない。結界が外側だけでなく内側にまで掛かっている証拠だ。
 一体どうなっているんだ、と薬研は唇を噛み締めた。
 本丸を取り囲む結界は政府が管理している。ということは、この門を閉じたのは、ひいてはこのゲームを仕組んだのは政府ということになってしまう。
 秋田と五虎退が「誰かいませんかー!」と外に向かって叫んでいるが、多分助けは来ないだろう。それどころか、これでは自分達の居場所を誰かに知らせているのと一緒だ。
「あ、大倶利伽羅さん」
 秋田の声に、薬研はバッと背後を見た。いつの間にか、大倶利伽羅が自分達の傍まで歩いて来ている。
 何故気付かなかった。辺りには砂利が敷かれており、普通なら音が鳴って気付いたはずだ。
 薬研と厚はすぐに警戒心を強めた。砂利が鳴らなかったということは、相手が気配を殺していたということだ。
「大倶利伽羅さんも門を確認しに来たんですか? ……あ」
 秋田が大倶利伽羅に声を掛けると同時、大倶利伽羅が剣を抜くのが見えた。薬研は、その時ようやく彼が帯刀していることに気付いた。
「秋田!!」
 秋田の体に、赤い筋が刻まれた。飛び散る血に、厚が驚きの声を上げる。
 しかし真っ先に動き出していたのは五虎退の虎だった。五匹の虎が秋田との間に割って入り、大倶利伽羅の足元や腕に飛びつく。
「虎くんっ!」
 虎達は必死に大倶利伽羅を押さえようともがいた。しかし虎が刀に勝てるはずもなく、柄で強引に地面に叩きつけられ、なす術無く昏倒させられてしまう。
「虎くんっ……!!」
 大倶利伽羅の意識が虎に向いている間に、厚は素早く抜刀し、薬研は急いで秋田の元に駆け寄る。秋田を大倶利伽羅から遠ざけると、素早く傷の確認をした。
「うう……」
「秋田、大丈夫か! しっかりしろ」
 幸い、秋田の傷はそこまで深くなかった。重傷に近い中傷程度で、主が帰ってくれば十分治せる。虎達も気絶しているだけで無事だ。
 厚は薬研達を背に大倶利伽羅へ斬りかかった。虎のせいで反応が遅れた大倶利伽羅は、刀を受け止める際体勢を少し崩し、そのお陰で刀の押し合いは均衡している。大丈夫だ。厚ならきっとやってくれる。
 薬研は苦しむ秋田を動かさないよう注意しながら木陰に寄せると、手早く応急処置を始めた。

 厚は大倶利伽羅を抑えつつも、じりじりと押されているのを感じていた。敵が体勢を崩しているとはいえ、打刀を短刀が抑えるには限界がある。上から全体重を掛けているにもかかわらず、徐々に力技で押し返され、刀が軋みをあげていた。
「っくそ、薬研! 五虎退! 刀がもうあまり持ちそうにねぇ! お前ら秋田を連れて先逃げろ!」
「厚兄さん……! でもっ、」
「いいから行けっつってんだ! お前らがいると足手纏いなんだよ!」
 帯刀しているのは厚しかいないのだから、厚が戦うしかない。だが短刀が一対一で打刀に勝てるほど大倶利伽羅は甘くない。
 厚は自分を犠牲に、三人だけでも逃がす気だった。
 ――厚のそんな考えなど、兄弟達には筒抜けだとも知らずに。
「厚兄さん、僕も戦います……!」
「ばっ、来るな!!」
 厚の言動は兄弟には逆効果だった。
 五虎退は誰よりも優しい奴だ。自分の事より他人の事を心配し、臆病な癖に誰かを助けるためなら臆することなく向かっていける。刀だって持たないのに、自分を顧みずに突っ込んでいける。そういう奴なのだ。
「やめろ五虎退!」
 分かっていたはずなのに。自分の言葉が、逆に五虎退の気持ちを煽ることになってしまうことくらい、ちょっと考えれば分かるはずだったのに……!
 厚の想いは届かなかった。来るなという厚の声も、薬研の制止の声も聞かずに、大倶利伽羅に向かって走り出していく。
 薬研は五虎退に必死に手を伸ばした。しかし治療中の秋田を抱えたままでは、ろくに動くことさえ出来ない。
 大倶利伽羅はこれを好機と捉えたのか、厚の刀を弾くと、無防備な五虎退へと標的を変えた。
「五虎退!!!!」
 厚と薬研の声が重なった。
 飛びつこうとする五虎退が斬りつけられ、地面に伏したところに更なる一撃が振り下ろされる。刃は五虎退の腹を貫通し、砂利の音を立てた。
 五虎退の呻き声が厚の心を押し潰す。
 止めてくれ、止めてくれ。弾かれた短刀を拾い上げ、厚は必死に地面を蹴った。
 血を纏いながら引き抜かれた敵の刀が、再び天高く構えられる。
 駄目だ、もう間に合わない――
 そう思った時、厚の脇をふと一陣の風が通り抜けた。
 菊の香りがふんわり鼻を掠め、目の前の景色がスローモーションで流れる。
 目を見開いた。
 黒くなびく外套、空に透けた水色。この色は、い――

「いち兄っ!!!!」

 激しい音と共に火花が弾けた。大倶利伽羅から放たれた一撃は、一期一振の薙ぎによって見事に防がれている。
「いちにい……」
 足の力が抜け、厚はよろよろとその場にしゃがみ込む。いち兄。もう一度心の中でその名を呼んだ。
「薬研、厚、よく頑張ってくれたね」
 一期一振はその声に応えるように、少しだけ後ろを振り返って言った。
「い、いち兄いいぃっ……!」
 頼もしすぎる背中に、薬研と厚は感動で泣きそうになっていた。こんなに頼りになる背中があるだろうか。流石俺達の兄貴だぜ、と心の中では絶賛の嵐を巻き起こしていた。
「お前は……」
 今まで無表情だった大倶利伽羅が眉を潜める。
「全く、随分と弟達がお世話になったようですな。今度はぜひ私ともお手合わせ願いたい」
 静かに激昂する一期一振は、その切っ先を改めて敵の前に向けた。厚は大倶利伽羅を一期一振に任せ、刀をしまうと五虎退の元へ走る。
「五虎退、大丈夫か、五虎退!」
 五虎退の傷は深かった。が、まだ辛うじて生きている。厚は慎重に五虎退を薬研の元に運ぶと、薬研に教わりながら応急処置に励んだ。
 大倶利伽羅と一期一振、二振りの勝負は一期一振の優勢かに思えた。しかし実際は、大倶利伽羅が僅かに一期一振を押していた。
 兄の動きに違和感を覚えた厚は、じっと戦いに目を向けて初めて彼の持つ刀が“一期一振”ではないことに気付いた。太刀にしてはやけに刀身が短かく、そしてそれを庇うように戦っている。
「あの刀は、」
 薬研も違和感に気付いた。
 そうだ、あれは一期一振じゃない、“乱藤四郎”だ。
 大倶利伽羅の連撃に威力が増していくにつれ、一期一振の表情が段々と苦くなっていった。一期一振は真っ向から刀を受けられず、刀身に滑らせることで何とか攻撃をいなしている。
「つまり何だ、いち兄も自分の刀を持っていないってことか?」
「そういうことだろう。この本丸は広いからな。たった数時間で自分の刀を見付けるのは難しい」
「俺が刀を手に出来たのは、相当運が良かったんだな」
「大倶利伽羅もな」
「ちっ」
 厚は思わず舌打ちした。薬研が苦笑いをする。
「で、これからどうする。どう考えてもあれじゃあいち兄不利だろ。乱の刀が傷付けば乱にも影響が出る」
 厚は今後の行動を指示してもらうつもりでそう聞いた。しかし薬研は何故かスッと立ち上がると、とんでもないことを言うのだ。
「よし、俺が助っ人を呼んで来よう」
 彼の突然の行動に、厚は慌てて彼を止める。
「待て待て、何言ってんだお前! 無防備な人間が無防備に動けばどうなるかは、もう身に染みて分かっただろうが!」
「無防備だから俺が行くんじゃねーか。俺じゃ秋田と五虎退を守れないからな」
 薬研は捨て身覚悟で味方を探してくるつもりらしい。この状況では誰が敵で誰が味方かも分からないというのに。
 二人は任せたと言わんばかりに危険に突っ込もうとする薬研を、厚は腕を掴んで必死に止めた。
「駄目だ、絶対に駄目だ。お前は行かせない」
「厚……」
 厚の必死の形相を、薬研は意外そうな顔で見下ろしていた。厚は、もうこれ以上五虎退のような自己犠牲馬鹿を増やしてたまるか、と薬研を掴む腕の力を強くした。
「いち兄……?」
 その時だ。建物の方から一期一振の名を呼ぶ声が聞こえてきたのは。
 戦いの気配を察して、誰かがこちらへ近付いてくる。門からの一本道に掛けられた鳥居をくぐり、おずおずとこちらの様子を伺っているその人物は。
「乱!?」
 厚と薬研、それに一期一振が一斉に乱の方を見た。丸腰で近付いてくる様子から、乱はまだこの非常事態を理解出来ていない。
「乱! 来るんじゃない!」
 一期一振が叫んだ。
「え?」
 大倶利伽羅が標的を変えるのは一瞬だった。
 一期一振に出来た隙を逃さず、一太刀浴びせると乱に向かって体を反転させる。一期一振は手の甲を斬られ、堪らず刀を零れ落とした。
「っ、待て!!」
 必死に大倶利伽羅の後を追う一期一振。薬研も同時に走り出していた。
 乱は大倶利伽羅が刀を抜いているこの状況に酷く混乱していた。敵が目の前まで迫っても、全く動こうとしない。
 正面に向き合った敵が、両手で刀を振りかぶった。
「あ……」
 乱は目を見開いた。
 刀が振り下ろされると同時、暖かい菊の温もりが乱を包む。
 乱は一期一振に押し倒され、思いっきり地面に倒れ込んだ。砂利が擦れ、大きな音が辺りに響く。
「痛っ。いち、にい……?」
 一瞬の事なのに、世界が止まったような感覚がした。残響が酷い。
 乱は兄の重さを感じながら何とか起き上がった。
 背中の痛みに顔をしかめながら、まず砂利に飛び散った大量の血に目を留める。そして自分の手に付着した大量の血に気付く。
 乱に覆いかぶさる一期一振はぐったりとしていて起き上がろうとしない。背中からは生暖かい血が流れ出している。
 混乱していた乱は、ひとつひとつ状況を飲み込んで、数秒かけてやっと兄が斬られた事実を理解した。
 厚が言葉にならない声を漏らしかけると同時、つんざくような悲鳴が鼓膜に届いた。
「い、いやあああぁぁ!!!! いち兄っ、しっかりしていち兄!!」
 乱が一期一振の肩を抱き、必死に揺すり起こそうとする。しかし肩で息をするのがやっとな彼は、多分もう立ち上がれない。
 乱は声を嗄らすまで兄の名を叫び続けた。乱へ向かおうとする大倶利伽羅の前には、遅れて追いついた薬研が立ち塞がり、両手を広げて威嚇する。
「大倶利伽羅、それ以上兄弟に近付くんじゃねぇ」
 薬研の忠告は鬼気迫るものがあった。しかしそれは虚勢。大倶利伽羅は無表情のまま薬研に近付き、殴りかかろうとする薬研をひらりと交わすとその腹を思いっきり足蹴にした。
 かはっ、と声にならない声を上げ、細身な体は数メートル先まで吹っ飛ばされる。
 今度こそ、一期一振の前に立った大倶利伽羅が、その切っ先を彼に向けた。
 厚は飛び出そうとする自分の足を殴り、必死に堪えた。五虎退と秋田を置いていけば、また同じことの繰り返しだ。
 乱は何とか伸し掛かる一期一振を動かして、自分が盾になろうともがいている。だがそんな乱の気持ちを知ってか知らずか、一期一振は乱の背に腕を回すと優しく弟の頭を撫でた。
 桃色の髪が血で汚れる。
 大好きな兄の手に触れられて、乱の頬から大粒の涙が零れ落ちた。厚も泣いていた。
 いち兄の手はいつだって優しかった。皆いち兄が大好きだった。
 大好きないち兄の手。大好きないち兄の背中。いち兄。いち兄。いち兄。
「いち兄っ……!」
 刀が振り下ろされる。
 その切っ先は、一期一振の胸に突き刺さり、彼らの心臓を抉った。





 出陣から帰ってきた一期一振は、静かな廊下を歩いていた。
 夕暮れ時の薄暗い寝所からは、早くも弟達の騒がしい声が聞こえてくる。弟達は今日は何をして遊んでいるのだろうか。一期一振はわくわくしながら襖を開けた。
「ただいま――」
「鯰尾、お前ちゃんと全部出せ」
「いや、マジでこれだけなんだって」
「どんな使い方してんだお前!」
「あ、いち兄」
 兄に気付いた弟達が、次々にお帰りなさい、と言い彼を迎え入れる。一期一振は何をしていたんだい? と弟達に聞いた。
「お金を集めてたの」
「お金?」
「今日主君に万屋に連れて行って貰ったんですが、そこで欲しいものを見付けたんです」
「そうそう。それで、こうして皆で小遣いを持ち寄ってたってわけ!」
 何故か自慢気に語る鯰尾に、お前は二円だけだけどな、と厚が鋭く突っ込みを入れる。
 刀剣達は毎月主にお小遣いを貰っていた。(肉体の)年齢に従って金額が設けられており、一期一振であれば月々五千円だ。基本的に必要な物資は主が買い与えてくれるので、お小遣いの使用用途は娯楽に限られる。つまり弟達が買おうとしているものは、何か娯楽的なものということだ。
「ちょっとー、その言い方だと俺だけお金出してないみたいじゃない? 言っておくけど乱だって三円だからね」
「ちょ、ボクは洋服代にお金が掛かるんだもん。鯰尾兄さんみたいに変な人形買ったりしないもーん」
「人形じゃなくてフィギュア!」
「何でも良いよ!」
「あー、要は皆で小銭を持ち寄ったんだが、千円程足りなくて困ってたんだ」
 くだらない事で喧嘩し始めた二人に変わり、薬研が説明に入った。しかし薬研の説明は分かるようで肝心なところが言葉足らずだ。
「結局、お前逹が欲しい物とは何なのかな?」
「それは……」
 珍しく薬研が言い淀んだ。何か自分には言いにくい物なのかと、一期一振は変に想像を膨らませてしまう。
「スーパーイタイワニー」
「……え?」
 呪文を唱えたのは骨喰だった。
「スーパーイタイワニー」
「え、と、スーパー?」
「つまり、何だその、要は玩具のことだ」
 薬研がどこか恥ずかしそうに説明してくれたことで、ようやく一期一振は話の全容を把握することができた。
 スーパーイタイワニーとはつまり、主の時代に流行した玩具の一種らしい。ワニ型の人形の歯を一人ずつ押していき、噛まれた者が負けという対戦型の玩具で、それを欲しいが為にこうして皆で小銭を集めていたのだとか。
 鯰尾がよくガラクタを集めているのは知っていたが、まさか薬研や厚までそういったものを欲しがるとは、一期一振には意外だった。
「前に大将の部屋で“とらんぷ”なるものをやったんだが、意外と盛り上がってしまってな」
「貧民と富豪を決めるゲームだったんだけどさ、何せ決め事が多くって、こいつらがやるにはちっと難しかったんだ」
 厚が秋田と五虎退の頭に手を置いて薬研の説明を補足する。
「で、もっと簡単で、皆で出来るゲームないかなーってあるじさんに万屋に連れて行って貰ったんだ」
「そうそう。で、スーパーイタイワニーを見付けたわけ。でもそれが高くってさー。“でらっくす”だと一万円近くするんですよ」
 一万円という単語を聞いて、今まで楽しそうだった最年少二人がうう、と項垂れた。“でらっくす”でなければもう少し安く手に入るらしいのだが、どうしてもそれでなければ駄目らしい。
 確かに一万円というのは弟達には厳しい値段だ。一期一振の記憶が正しければ、秋田、五虎退は毎月五百円、薬研、厚、乱で七百円、鯰尾、骨喰でも千円しかお小遣いをもらっていなかったはずだ
 机の上を見ると、それぞれの手元に小銭が散りばめられており、秋田と五虎退の前には沢山の十円玉、薬研の前には四千円とちょっと、厚は千五百円、鯰尾と乱はそれぞれ二円と三円で、そして骨喰の前には二百円が置かれている。
「骨喰が二百円? 確か、もっと貯金していたと思うが……」
 一期一振が疑問を呈した。記憶を掘り返してみても、骨喰が散財していた様子はない。しかし乱の聞き捨てならない発言によって、一期一振は眉間に皺を寄せることになる。
「ああ。それは鯰尾兄さんに貸してるから」
「何だって?」
 意表を突かれた発言に、鯰尾がやば、と慌て始める。が、時既に遅し。一期一振の張り付いた笑顔がどんどん威圧を増していき、鯰尾だけならず弟達全員が萎縮した様子で長兄の顔色を伺った。
「鯰尾、後で私の部屋に来なさい」
 あ、終わった、俺終わった、と鯰尾は思った。早々に言い訳することを諦め、しくしくと机に突っ伏す次男に骨喰が慰めを入れる。
「大丈夫だ兄弟。骨は拾ってやる」
「お前が言うとなんか怖い!」

 それはさて置き、改めて机の上の金額を計算した一期一振は、無言で自身の財布の中身を確認すると、そこからスッと一万円を抜き出し、机の上に置いた。
「玩具はこれで買いなさい」
「え?」
「いち兄、いいの?」
「いや、流石に貰えないぜいち兄」
 慌てて止めに入ろうとする薬研を、一期一振は穏やかに制す。
「薬研、いいから。お前が溜めたこのお金は、自分の為に使いなさい。月に七百円しか貰っていないのに、四千円も溜めていて偉いね、薬研」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でてしまえば、薬研はもう何も言えない。可愛い弟達に笑みを一つ零して、一期一振は弟達に小銭をしまわせた。
 彼にだって、月々五千円の小遣いから一万円を捻出するというのは簡単なことではない。体が大きければそれだけ様々な場面でお金が必要になってくる。それでも弟達の為にお金を使えるということは、彼にとって幸せなことだった。
 すまない燭台切、しばらくお前達との飲み会には行けそうにない。一期一振は心の中でひっそりと友人に頭を下げた。

 翌日、無事玩具を買えた兄弟達が嬉しそうに兄の元にやって来た。
「いち兄さん! スーパーイタイワニー買えました!」
 自分の頭以上に大きいワニの箱を抱え、パタパタと走ってくる秋田。他の兄弟達も嬉しそうに後から続いてくる。しかし一期一振の格好を見た途端、その笑顔はしゅんと萎んでいった。
「いち兄さん、その格好……」
「えー、いち兄また出陣!?」
 乱が不満そうに問い掛ける。主命だからと答えるも、皆一様に眉を潜め納得しかねる様子だった。
「出陣先は?」
「厚樫山」
「厚樫山? 確か昨日も厚樫山だったじゃん。主は最近いち兄に仕事振り過ぎじゃない?」
「こら、滅多なことを言うものではないよ、鯰尾」
 不満を垂れる鯰尾を一期一振が柔らかく叱る。弟達の気持ちも分かるが、戦争はよもや佳境を迎えつつある。本当はもっと多くの出陣命令が政府から下っていて、それを主が何とか抑えてくれているのを一期一振は知っていた。
 この本丸には、厚樫山を何度も戦い抜けるほどの実力は無い。昨日の戦いでも何名か中傷者が出たし、弟達には隠していたが実は一期一振も軽傷を負った。それでも政府からの命が否応なしに下る中で、弟ではなく自分に出陣の命が下ったのは、一期一振の心情を汲み取った主からの配慮だと彼は考えていた。
 一期一振は先日行われた自身の顕現式を思い出した。この本丸では刀剣が顕現してから一ヶ月後に独自に顕現式なるものを執り行い、そこで主に『願い』を問われるのだ。
「……戦場から帰還したら、私もそのワニの遊びに参加してもいいかな」
「何を言っているんですかいち兄さん、もちろんです!」
「僕もいち兄さんと遊びたいです……!」
 秋田と五虎退が一期一振の両足に抱き着いた。
「あ、ずるいボクも! えいっ!」
「じゃあ俺も!」
 乱と厚が負けじと腰に抱き着き、面白がった鯰尾が「じゃあおーれも!」と彼の背中に飛びつく。骨喰は無表情で兄の肩に寄り添い、薬研はそんな兄弟達を見て笑っていた。
「いち兄。帰ってきたら、俺達だけじゃなく本丸の皆であのワニで遊ぼう。その為に“でらっくす”を買ったんだ」
 デラックスのワニの歯は全部で三十本あった。この本丸の皆で遊ぶにはちょうどぴったりの数だ。
 仲間思いの兄弟達に、一期一振は腕を目いっぱい伸ばし、薬研ごと兄弟達を抱き締めた。
「いち兄、早く帰ってきてくださいね」
「帰ってきたら沢山遊んでください……!」
「怪我すんなよ!」
「ついでに、もし怪我しても隠さずちゃんと言うように。隠してても分かるんだからな」
 皆がそれぞれ一期一振を心配し声を掛けた。
「いち兄、死なないでね」
 最後にそう言ったのは乱だった。
 皆の暖かい言葉に、一期一振は胸をいっぱいにさせながら、もう一度目いっぱい弟達を抱き締める。
「――ああ、死なないよ。約束だ」
 『兄弟達に誇れる兄になる』。
 それが、一期一振の中にある、たった一つの願いだった。





 あれから何分が過ぎただろう。日も落ちかけ、ひぐらしが鳴き始める正門には、血塗れでうずくまる乱と、放心状態の薬研と厚、そして気を失っている秋田と五虎退が取り残されていた。
 何を思ったのか大倶利伽羅は、一期一振の亡骸が消えたことを確認すると、厚達を置いてさっさと屋敷の中へ入ってしまった。てっきり自分達を皆殺しにするつもりなんだと思っていた厚は、彼の行動に呆気に取られ、反撃することもなくただその後姿を見つめていた。
 そうして危機が去った今も動けずいるのは、兄を失った衝撃が予想以上に大きかったからだ。早くここを離れて兄弟達を安全な場所へ移動させなければと思う一方で、もう何もかもがどうでもいいと思っている自分がいる。
 いつもは率先して兄弟を統率している薬研も、今回ばかりは放心して動けない。乱も同じだ。
『私は、皆に誇れる兄になれただろうか』
 一期一振が最後に残した独り言を、乱だけが聞いていた。精神的に深いダメージを負った乱は、既に立ち直るのが不可能と思われるレベルまで憔悴しきっており、目の前の血溜まりを見つめて瞬きすらしていなかった。
 こういう時こそ自分が動かなければと思うのに、体は魂が抜けてしまったかのように動かない。
 ふと厚の目に、ゆっくりとこちらにやって来るひとりの男の姿が映った。
 下を向いていた薬研も、足音に気付くと僅かに反応を見せ顔を上げる。そして思わず声を上げた。
「お、お前は――」
 その男が持つ切っ先に、厚達は言いようのない衝撃を覚えた。
 何故、貴方が。
 見開いた瞳に夕日が差し込む。真っ赤な夕日だ。視界が赤一色に塗り替えられ、厚はそれ以上何も考えられなくなった。
 夕日が闇に沈むまで、それからそう時間は掛からなかった。

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