刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第一章

 集められた空間は、ある意味異様だった。
「おい、どういう事だこれは」
 山姥切は大広間に入るなり眉を潜め、自分を呼び出した張本人に疑問を投げかけた。
 向けられた問いに重く息を吐いたのは長谷部だ。一言「分からん」とだけ答え、山姥切から視線を逸らす。
 異様な空間とはつまり、皆が戦装束を着込み、一同に集められているこの状況のことだ。勿論山姥切も例外なくその一同に組み込まれている。
 机を囲み、大人しく座っている皆の顔をぐるりと見回した。皆の顔がどことなく険しいのを見るに、どうやら現状について理解している者はいなさそうだ。
 こんなこと、この本丸築城以来初めてのことではないか。本丸切っての古株である山姥切は、眉間に出来た皺を一層深く寄せた。
「山姥切、取り敢えず座ったらどうだい?」
 奥の席に座っていた歌仙にそう促され、仕方なく近くの席に腰を下ろす。すぐ隣では、落ち着かない様子の和泉守が、どういう事だこれはと机を指で叩きながら山姥切と似たような不満を漏らしていた。
「ロクに説明もなく全員集められるなんざ、ったく、何を考えてるんだか」
「兼さ――」
「だから俺とてよく分からんのだ!」
 ガタンと机の上の湯呑が音を立てた。
 和泉守の言葉は長谷部に対して言ったものではなかったが、皆を集めたのはこの本丸の近侍である長谷部だ。長谷部が大声を出したことで、大広間はより一層険悪な雰囲気に包まれた。
 一体何故こんな事になったのか。それを説明するには、今朝まで時を遡る必要がある。
 長谷部が山姥切と歌仙の相部屋を訪れ、開口一番「緊急招集だ」と告げたのが始まりだった。

「緊急招集?」
 部屋で歌を詠んでいた歌仙が筆を止めた。
「主が帰って来たのかい?」
「いや、近侍執務室に指示書が置かれていた。『本日、十一時四十五分までに戦闘準備を済ませ、大広間に集合せよ』とのことだ」
「戦闘準備だと?」
 その不可解さに山姥切が声を上げる。いつも大人しい彼が声を上げたせいで、二人の視線が彼に集中した。山姥切は慌てて被っていた布を下げ黙りこくった。
「……しかし、主はまだ帰って来ていないのだろう?」
 そう、この時主は「ちょっと政府に呼ばれたから行ってくる」と出て行ったきり、もう三日帰ってきていなかったのだ。招集を掛ける当の主が不在なのだから、緊急召集とは話が破綻してしまっている。
「すると、その招集と言うのは一体何なんだい?」
「分からない」
「……ふぅん。何だか雅じゃないね」
 納得いかない顔をしつつも歌仙がそれ以上突っ込まなかったのは、誰よりも長谷部が一番困惑していたからだ。仕方なく歌仙は話を切り替える。
「それで、招集された六振りは、僕と山姥切と、他には?」
「…………」
「長谷部?」
「それは集まれば分かることだ」
 長谷部はわざと含みを持たせた言い方をし、それ以上は語らず逃げるように部屋を去って行った。
 妙な雰囲気が空間を包む。歌仙が『最後のアレは何だったんだ』と言いたげに、ふいっと山姥切を見た。
 山姥切は急に合わさった視線に動揺し、羽織を引っ張り口篭もる。
「な、何であれ、主が帰らない原因が分からない以上従うしかないだろう」
 出陣か遠征かは知らないが、行けば全て分かることだ。
 そんな山姥切のぶっきら棒な物言いに、歌仙はくすっと笑って「それもそうだね」と返した。

 そして話は冒頭に戻り、山姥切は歌仙より少し遅れて招集に応じた訳だが、まさか全員が召集されているとは思わなかった。
 出陣、遠征を含めても組める部隊は四部隊、二十四振り。しかしこの本丸には三十振りの刀剣がいる。その全員を戦闘服に着替えさせて集合させるなんて、前代未聞だし意味不明だ。
 いよいよ誰かの悪戯の線が濃厚になって来た。山姥切はこの事を知っていれば最初から来なかったのに、とうんざりした気分で溜息をついた。
「長谷部、全員招集というのも指示書に書いてあったのか?」
「そうだ」
「なら何故それを先に言わなかった」
 岩融の鋭い質問に、皆の注目が長谷部に集まる。長谷部が返事に詰まった。
「言ったら、来ない奴がいると思ったんだ」
 長谷部の回答は歯切れの悪いものだったが、実に山姥切の的を射ていた。まるで考えを見透かしているようだ。
「俺とて、この指示書が主からの命だとは思っていない。十中八九誰かの悪戯だろう。しかし主が三日も音信不通の状況でいきなりこの指示書が現れれば、近侍として見過ごすわけにはいかない」
「なるほどな」
「まぁ、長谷部の気持ちも分かるけどね」
 長谷部の肩を持ったのは加州だ。
「指示書の話を聞いた時点でも十分怪しい感じだったし、それでもこうして皆集まったのは、やっぱり主のことが心配だったからでしょ」
 加州のその意見に大半の刀剣男士達は同意だった。長谷部の気持ちも分からないではない、皆がそう考え、一旦話が途切れる。
「で? 全員招集だとしても、まだ三日月さんが来ていないようですが」
 宗三の一声に、皆がそういえば、と視線をぐるりと一周させ、部屋をざわつかせた。
 広間には同田貫や大倶利伽羅までもが一応は退屈そうに座っているというのに、三日月の姿だけ見当たらない。
 集合時間の十一時四十五分まで後僅か。痺れを切らした鶴丸が「俺が様子を見に行こう」と立ち上がった。が、同時に襖が開き、お目当の人物が顔を覗かせる。
「いや待たせたな。着付けに手間取ってしまって……ん、なんだ。俺で最後か」
 堂々たる彼の重役出勤ぶりに、いっそ皆の口から笑みが漏れる。鶴丸は苦笑いで上げた腰を下ろし、三日月はゆるりと空いている席に座った。
「して、これは一体どういう状況かな?」
「おじいちゃんその話さっき終わったから」
 鯰尾の軽口に今度こそ笑いが起こった。先程までのピリピリした空気はどこかに飛んでいってしまって、山姥切は変に感心してしまいそうになる。
 ――その時だ。
 突然、今まで一度だって聞いたことのない、本丸全体に響き渡る奇妙な放送が流れ出したのは。





『刀剣男士の皆様、本日はお集まり頂き誠にありがとうございます。
 突然の放送で大変驚かれているとは存じますが、皆様にはこれから、あるゲームを行なって頂きたく、失礼ながら私どもから指示書にて招集を掛けさせていただきました。
 ゲームと言いましてもルールは簡単。この本丸内にて、仲間同士で戦闘を行なって頂き、最強の刀剣男士を決めて頂きたいのです。まぁ簡単に言えば、最後の一振りになるまで、お互いに破壊し合って頂きたい。
 しかし、ただ戦えと言っても皆様お困りになるでしょう。そこで、戦闘を盛り上げるためにこちらでいくつか御用意をさせていただきました。まずはこちらをお聞きください。

『――――……!』

 この大勢の悲鳴は、捉えられた審神者達の声。もちろん、あなた方の主もおられます。
 私どもは皆様の主を人質としてお預かりしております。主を無事返して欲しくば、一日に最低一振り、刀剣を破壊してください。刀剣破壊が確認できない場合、あなた方の主を殺します。
 主が死ぬということは、即ち神通力の供給が絶たれ、あなた方も消えるということ。力の供給を絶たれた刀剣男士は存在を許されない。
 このゲームからは、決して逃れられないのです。
 ゲームのルールは『一日に最低一振り、刀剣を破壊すること』、そして『最後の一振りになるまで戦うこと』、これだけです。
 ここまでお膳立てしても、まだ仲間同士で争う事に躊躇いを感じる者はいるでしょう。そこでもう一つ、ルールを追加いたします。
 ――今から五分以内に、刀剣を一振り破壊して下さい。
 もし破壊が確認できなかった場合は前述同様主を殺します。なお、この五分間はプレゲームとし、一日分の破壊者数には含めないこととします。
 それでは、素晴らしきゲームとなりますよう、一同ご健闘をお祈りします。』





 プツリ。通信が途切れた。何処からともなく流れ始めた音声は、大広間に静寂をもたらす。
 男子と女子を重ね合わせたような不気味な声と、信じがたい内容の放送。
「主様……」
 五虎退の弱々しい声が広間に響いた。
 山姥切は先程流れた悲鳴を思い出していた。老若男女、沢山の人の悲鳴。あの声に本当に主がいるのだろうか。
 数日前、主は“政府に行く”と言っていた。主が端末で作ったゲートを潜る姿は、いつものように長谷部が見送ったはずだ。ならば、この放送は本当に政府からのものということになる。
 だが政府は本丸を統括する国の機関で、主の雇い主で、つまりこんなことをする理由がない。
 放送が終わっても、誰一人動こうとする者はいなかった。いや、動けなかった。短刀達のか細い声と布の擦れる音だけが空間を占める。
 本当にこれは現実か? いくら考えようと答えは出ない。出ない内にも時間は刻一刻と過ぎていく。このままではあっという間に五分が経過してしまうだろう。そうしたら主は――
「このままこうしていても仕方ない」
 静寂を圧し切ったのは長谷部だった。
「と、言ってもね」
「どうするつもりだい?」
 ゆっくりとした動作で立ち上がった長谷部を、蜂須賀と燭台切が神妙な面持ちで見上げる。いつものように上手いこと場を収めてくれることを皆が期待していた。
 しかし長谷部は、思い詰めた顔をしたまま、それ以上喋り出そうとしなかった。
「はせべさん? どうなさいましたか?」
 長谷部の隣に座っていた今剣が彼の顔を覗き込んだ。
 長谷部の眼光が、ゆっくりと今剣を捉える。

 場の空気が変わった。

「長谷部!!」
「長谷部さん!!」
 長谷部が剣を抜いたのは一瞬だった。
 誰ともなしに叫び声が響く。しかし誰も動けなかった。突然の出来事に皆腰を中途半端に浮かせ、茫然と広間の奥に目を向けている。
 そんな中、動き出している者が一人。
「今剣ッ!」
 大きな体は、机に足を掛け踏み込んでいだ。大袈裟に机が揺れ、置いてあった湯呑がひっくり返る。
 岩融は二人を引き裂くように、彼らの間に割って入った。
「いわとおし!!!!」
 今剣の叫びが倒れた湯呑を振動させる。
 何が起こった? 山姥切の位置からでは長谷部の背中しか見えず、状況が確認出来なかった。
「う、…………」
 山姥切が事の重大さを認識したのは、体を傾けた岩融が長谷部の背から現れた時だ。
「、あ、あああああああああ!! いわとおし!!」
 血が吹き出し、背中を切られた岩融が力なく今剣の方に倒れていった。
 大きな体は今剣の肩を滑り、ドスン、と畳に落ちる。
 息を荒くした長谷部が、岩融を見下ろしていた。握られた刀からはポタポタと絶え間なく血が滴り落ちている。
 山姥切は息を飲んだ。目の前で起きたことが信じられなかった。
「いわとおし……いわとおし……」
 岩融の出血は今剣の足元に広がり、彼の涙と混ざって畳に染み込んでいく。
 岩融は最後の力を振り絞って、自分に縋る今剣に何かを告げていた。そして、そのまま二度と動かなくなった。
 生を失った岩融の体から光の粒が立ち込め、分解されるように天に昇っていく。
 それは、刀剣が破壊された時に見られる独特の現象だった。身体はすべて光の粒子に分解され、後には何も残らない。やがてその場には、折れた薙刀だけが取り残された。
 誰も何も言えなかった。ただ唖然としてその場を動かず、時計の秒針だけが無機質に音を鳴らしていた。
 それからどれくらい経っただろう。実際には数秒と立っていなかったかもしれない。
 合図は畳を踏みしめるような音だった。
「よせ今剣!!」
 長曽祢が声を上げ、山姥切もはっと我に返った。一瞬何が起きたか分からなかったが、走り出す今剣を捉えて事態を理解する。近くにいた燭台切が手を伸ばすが一歩届かなかった。
 今剣は長谷部目掛けて地面を蹴った。柄を引き抜き、長谷部の腹目掛けて剣を突き刺す。
「いわとおしのかたき」
 それは今までに聞いたことのない、低く唸るような声だった。
 殺気を向けられた長谷部は、しかし微動だにしなかった。迫る短刀が歓迎されるように長谷部の腹に沈み込んでいく。
「え……?」
 驚きの声を上げたのは他でもない今剣だ。避けないどころか、長谷部は今剣の手を両手で包み、自ら深く差し込んでいる。
 今剣は困惑しながら長谷部を見上げた。目線の先の彼は、眉間に皺を寄せ、苦しそうに笑っていた。
「すまない、今剣……」
 長谷部が手を離した。今剣にのし掛からないよう二、三歩下がり、膝から崩れ落ちる。
「長谷部くん!!」
 燭台切は弾かれたように彼の元に駆け寄った。傷を確認しようと手を掛けるが、体は傷を抱えるように折りこまれ、既に光に分解され始めている。
 まるで今剣と折れた薙刀に土下座しているようだ。燭台切はそう思った。
 長谷部は誰より責任感の強い男だった。個性の強い本丸の刀剣達をまとめ上げ、時に叱咤し、その実誰よりも面倒見が良かった。雑務や面倒事をいつも率先して引き受ける、損な役回り。
「そんな君が取りそうな行動なんて、予測できた筈なのにね」
 長谷部と仲の良かった燭台切は強く拳を握った。
 誰かがやらねばならない。その役を、長谷部が買って出たのだ。そうして口火を切った後は、その責任を負って死ぬ。実に長谷部らしい行動理念だと燭台切は思った。
「こんな時まで面倒事を引き受けなくても良かったんだよ、長谷部くん」
 二本に折れたへし切長谷部は、何も答えなかった。

 岩融、長谷部の死によってこれで皆が悟った。ゲームは既に始まっているのだ。どんなに逃避しようと、死んだ二人はもう帰って来ない。
 主を人質に取られ、取り戻そうにもその術はなく、仲間同士で殺し合わなければ主が死ぬ。
「仲間同士で殺し合うなんて間違ってる」
 大和守が言った。
「今からでも、何か別の解決策を考えられないかな」
 堀川も、和泉守の方を見ながら必死に考えを巡らせた。
 大半の刀剣達がどうすればいいのか分からなかった。皆怯え、ざわつき、収拾がつかないまま放送から五分が経過した。
 ――気が付いたら山姥切は、屋敷の外に佇んでいた。

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