刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第二十二章

 夜が明けて、燭台切達は鶴丸を探す足を早めていた。
 大和守達のグループと違い、こちらには脇差がいないため若干進捗状況が悪い。厨から北に出発し、大広間、手入部屋、刀装作成室、鍛刀所、資材倉庫と見て回った三人は、明け六つ時にようやく本丸の北にある別邸へと入っていった。
 別邸は、寝所と同じく中庭を四角く取り囲む形で建設されており、東西にそれぞれ本邸に繋がる渡り廊下が設置されている。三人は西から別邸を北上し、現在突き当たりを右に曲がってすぐの部屋を探索していた。
「ここも人が隠れている様子はないね」
 念のため押入れを開けたり、障子を開けたりして確認するが、人影は見当たらない。このまま鶴丸が見つからなかったら、燭台切達はどうなってしまうのか。今この瞬間にも誰かが犠牲になっているかもしれないのだ。例えゲームを止められたって皆が死んだ後では意味がない。
 一向に進展しない状況に、燭台切達は焦っていた。もう既に燭台切達が厨を出てから三時間が経とうとしている。
 しかし、焦ったところで意味はない。いつだって状況は、彼らの意志とは関係なく、突然変化するものなのだがら。
「……気配が」
 最初の変化は、太郎太刀が部屋の奥の押し入れを開けたときだった。
「刀の気配がします。どうやら私の刀がこの近くにあるようです」
「本当ですか――」
「おい! あれ」
 事態は更に変化した。部屋から中庭を監視していた山姥切が、「部屋から誰か出てきた」と告げたのだ。
 燭台切は急いで山姥切の元へ駆け寄った。彼と同じように障子に隠れて外を覗き込むと、燭台切達とは反対側の縁側を、本邸へ向かって南下する人影が確認できた。
 その後ろ姿は、夜明けの薄暗さでも目立つ、真っ白な出で立ちをしていて。
「鶴さん……!」
「どうする、追いかけるか?」
 山姥切が聞くまでもなくすぐさま追いかけるべきだ。しかし燭台切はすぐに決断できなかった。
「燭台切さん、私のことならご心配なさらずに」
「っ、太郎太刀さん」
 燭台切と目があって、太郎太刀はニコリと微笑んだ。
 燭台切が迷っていたのは、太郎太刀の刀についてだ。当然、彼の刀を放置するわけにはいかない。刀を持つ燭台切か山姥切が、彼とここに残る必要があった。だが、どちらかが一人で鶴丸を追うのも当然高いリスクが伴う。
 例えば燭台切一人で鶴丸を追ったとして、仮に鶴丸と戦闘になった場合、恐らく燭台切では鶴丸に太刀打ちできない。その点山姥切ならいい勝負ができるかもしれないが、彼が鶴丸から上手く情報を聞き出せるとは思えない。
 太郎太刀はそんな燭台切の考えを見越していた。
「お二人は鶴丸さんを追ってください。私は一人でここに残ります」
「いや、でも」
「危険なのは百も承知。しかし、時には危険を犯さなければならない事もあります。大丈夫。きっと上手くいきますよ」
 太郎太刀の決意は固かった。彼は何もない押し入れををじっと見つめており、おそらく刀はその先、屋外にあるのだろうと見当がつく。
「おい、燭台切。早くしないと見失うぞ」
 鶴丸は早くも本邸への渡り廊下に足を進めていた。このままでは追いつけなくなる。
「……行こう、山姥切くん」
「ああ」
 燭台切は、ゲームの手掛かりを優先するか、太郎太刀の命を優先するか、そんな二択を迫られている気がした。そして悩んだ結果、ゲームの手掛かりを優先することにした。
 走り出した山姥切に続いて燭台切も駆け出して、しかし後ろ髪を引かれ一瞬立ち止まる。振り返り、頭を下げる。
「ごめんなさい、太郎太刀さん」
 それだけ言い、燭台切は今度こそ部屋を去った。
 残された太郎太刀は、持っていたマッチに火をつけ、庭に投げた。それから彼らが出ていった縁側とは逆の襖から廊下に出て、向かいの部屋の襖を開けた。襖から部屋を突っ切り、縁側を降りると、目の前には本丸を取り囲む雑木林が広がる。刀の気配はこの奥から漂っていた。
「謝る必要はありませんよ。賢明な判断です」
 果たして、太郎太刀は最後までゲームを生き残れるのだろうか。
 太郎太刀はふぅ、と一つ深呼吸して、一人雑木林へと足を進めていった。





 鶴丸は、背後に迫る二つの足音に気付いていた。
「鶴さん!」
 遠くから名前を叫ばれ、足を止める。
 振り返る前にふと自身の様相が気になり、目だけで袴を確認した。袴には、夜には気付かなかった三日月の返り血がいくつも付着していた。
「チッ」
 小さく舌打ちし、何事もなかったように笑顔で振り返る。
「よう光坊、また会ったな」
「鶴さん……! 良かった、無事だったんだね」
 燭台切はいつも通り鶴丸を心配する台詞を口にしていたが、どこか様子が違うのが鶴丸には分かった。
「おいおい、俺は簡単に死んだりしないぜ。それより、山姥切と合流したんだな」
 鶴丸は山姥切の方をちらりと見たが、ふいっと顔を逸らされてしまう。思わず苦笑いが零れた。
「山姥切はつれないな」
「山姥切くんだけじゃないんだ。大和守くんや和泉守くん、堀川くんとも合流して、今はゲームを止めるために情報を集めているところだよ」
「そうか。進展はあったのか?」
「まあまあ、かな。それより、その服の血はどうしたの?」
 燭台切が、鶴丸の紅く染まった戦装束を指差した。心配しているのか疑っているのか、鶴丸にその表情は読み取れない。さて、どう返答したものか。
 遮るもののない渡り廊下にサァッと風が吹き抜けた。冷たくも暑くもない生ぬるい風が顔にかかり、後ろに流れていく。今日は風が強い。鶴丸は吹き抜けた風に戦場の匂いを感じた気がして、不吉な予感を覚えた。
「実はな。さっきまで三日月とやり合っていたんだ。三日月は死んだ」
「!」
 その発言は、燭台切にとっても山姥切にとっても衝撃的なものだった。また風が吹く。
「お前がやったのか」
「まぁ、俺が殺したことに違いはないがな。奴を見つけた時には、もう相当重傷だった」
「既に誰かにやられていたということか」
「だろうな」
「ということは、鶴さんはもう『やらなければならないこと』を達成したってことだよね?」
 燭台切が食い気味に聞いてきた。『俺には他にやらなきゃならんことがあるんでな。悪いな』。そういえばそんなことを言ったっけか。鶴丸は燭台切の誘いを一度断っている。だが『やらなければならないこと』が三日月に関することなのであれば、今度は断れない。
「鶴さん。改めて僕達と一緒に来て、ゲームを止める手助けをしてくれないかい? 鶴さんがいれば、きっとゲームを止められるはずだ」
 燭台切のまっすぐな視線が、鶴丸の視線とかち合った。
 少しの沈黙の後、鶴丸はやり辛そうに目を逸らし、肩をすくめる。
 山姥切が燭台切をじっと見ていた。燭台切は気付いていないが、山姥切は内心呆れていたのだ。
 山姥切は成り行きを全て燭台切に任せるつもりでいた。しかし、燭台切がどういう風に交渉するのか予想がついたとき、山姥切はその対応を心底甘いと思った。
 燭台切は、鶴丸に内通者の事を問い詰める気がなかった。あくまで穏便に、内通者に触れることなく情報を聞き出そうとしている。
 確かに、もし鶴丸に何か事情があって内通者を強制させられているだけなら、それで問題なく情報を聞き出せるかもしれない。鶴丸は賢い人間だ。彼は燭台切がどんな意図で会話をしているのか、どこまで情報を掴んでいるのか、薄々気付いている。
 だが、本当にそれで良いのか? 彼は本当に内通者をやらされているだけなのか? 山姥切は鶴丸を疑っていた。内通者とは、強制されてここまで周到に立ち回れるものだとは思えないのだ。
 もしここで鶴丸が話に乗らなかったら、山姥切は刀を抜くつもりだった。鶴丸は進んで内通者をやっていると判断する。山姥切は燭台切から鶴丸に視線を移すと、じっと彼の答えを待った。
「悪いな、光坊。やはり俺は一緒には行けない」
「……やっぱりな」
 答えは出た。
 皆が殺し合いを強要されている。誰一人それを望んでいる者はいない。それなのに、鶴丸だけは――!
 山姥切は燭台切が何かを言う前に抜刀した。
「山姥切くん、待っ」
 言葉を聞かずに動き出す。だがそれは山姥切が攻撃を仕掛けたからではない。
 燭台切は自分の目を疑った。山姥切が刀を抜く前に、先に抜刀していたのは鶴丸だった。目にも留まらぬ速さで迫る鶴丸に、山姥切は燭台切を庇うように前に出て、鞘が抜け切る前の状態で刀を受け止めた。
「くっ、」
「やるなぁ山姥切」
 金属同士が摩擦し、ギリリと嫌な音を奏でる。戦場の匂いが強まっている。もうこれ以上、お互い知らぬ振りを続けるのは時間の無駄だ。山姥切は意を決した。
「鶴丸、お前はゲームが始まる前から政府と繋がってた。お前がこのゲームを仕掛けた、本丸を裏切った内通者だ」
 言ってしまった。燭台切が言い淀んでいたことを、全部。
 これでもう後には引けない。燭台切はこれから、鶴丸を内通者として見なければならない。それは燭台切にとって、もしかしたら最も見たくなかった光景かもしれない。
「ククッ、」
 刀を握る鶴丸の顔が徐々に悪役に染まっていく。その笑みは、まるで、あの時の三日月のようだと燭台切は思った。
「ははは……っ! いいねぇ。驚かせてもらったぜ。お前らならもしかしたらとは思ったが、本当に内通者の正体に気付くとはな」
「やはり、お前は政府に協力していたんだな」
「ああ。驚いたか?」
 山姥切が鶴丸の刀を押し返し、鞘から刀を抜き切る動作で鶴丸の刀を弾いた。軽いステップで鶴丸が数歩後ろに下がる。
「鶴さん……」
「おいおい光坊、何だその目は。まさか内通者が政府に非協力的だとでも思ったのか? そんなはずないだろう。強制されてここまで上手くいく仕事じゃない。俺は最初からこのゲームに乗り気だったよ。政府に呼び出され、この作戦を聞いたときから、俺はゲームを成功させるつもりで動いていた」
 風が一層強く吹き抜けた。鶴丸が感じていた戦場の匂いを、燭台切と山姥切も強く感じる。
 これは草が焼ける匂いだ。太郎太刀が巻いた火種が風に乗り、彼らの所まで匂いを届けているのだ。
 庭で上がった火はまだそこまで広がってはいないのに、燭台切は背中から熱を感じる気がして、喉がカラカラに乾いていた。口内が粘つき、中で貼り付いているのが分かる。
「鶴さん。僕は正直、未だに信じられないよ。政府に脅されて、強制されているとしか思えない。だって、そうじゃなかったら鶴さんは『このゲームは正しい』と言っていることになるじゃないか」
「“みたい”じゃなくて、そう言ってるんだよ」
 何度言われても、燭台切は信じられない。
「鶴さんは前僕に言ったよ。ゲームを止めたいと言う僕に『光坊らしくて良い』って。あの言葉と今の言葉、どっちが本当なんだい?」
「それは前に言っただろう。光坊の言うことは絵空事だって。それが真実さ」
「そうか……。もういい、分かったよ」
 燭台切は、鶴丸の態度を見てこれ以上話を続けても無駄だと悟った。
 刀に手を掛ける。それを見た山姥切は、ようやくやる気になったか、と自分も刀を強く握った。
「燭台切。こんな話し合いであいつから情報を聞き出せると思う方が間違ってる」
「そう、だね。ごめんね、山姥切くん」
 昔から、燭台切が最も信頼していた相手が鶴丸だった。尊敬していた。大好きだった。出来ることなら、泣いて叫んで、問い詰めて、鶴丸を説得したい。
 だが燭台切はそう出来るほど子供ではない。仲間のために、自分の気持ちを押し殺すことだって頑張れば出来てしまう。
「鶴丸は俺達のことを馬鹿だと思っているらしいからな。あいつの言葉が本音じゃないことくらい、俺にだって分かるというのに」
「え……?」
「この本丸に仲間を思っていない人間なんていない。俺はもうお前らのくだらない茶番に付き合わされるのはまっぴらだ」
 燭台切は山姥切を見て驚いた。山姥切は真っ直ぐ前を向いて、迷いなくその言葉を口にしていた。
 山姥切が言っているのは大倶利伽羅のことだ。ああいう冷静に見える人間ほど本音を隠したり、嘘をついたり、仲間のために自分を殺したりする。
 強そうに見えて脆い――そんな人間に寄り添うことが、山姥切がしたゲームに立ち向かう決意だった。山姥切は、鶴丸を信じようとしている。
「俺は力ずくでもお前から本音を吐き出させる」
「山姥切くん……」
「何だ、本音って。まるで俺が嘘をついているみたいじゃないか」
「御託はいい。燭台切、剣を抜け。殺さず鶴丸を止めるぞ」
「ああ……、そうだね。殺さず鶴さんを止めよう!」
 燭台切は心の中で山姥切にお礼を言った。山姥切がいなかったら、燭台切はきっと剣を取れなかった。燭台切は今度こそ鞘から刀を引き抜き、格好良く笑う。
「はぁ、甘いな。甘過ぎるぜ光坊、山姥切。もっと俺を驚かせてくれ!」
 三人は同時に地を蹴った。橋になっている渡り廊下が軋みを上げ、地面が揺れる。
 焼け焦げた匂いはすぐ側まで近付いていた。揺れる炎が燭台切達の目の奥にちらつく。
 それはまるで合戦場を体現しているようで、雰囲気に煽られるまま、三人の戦いはぐんぐんと加速していった。

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