刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第二十章

 鈴虫の鳴き声が聞こえていた。音はそれだけだった。
 二十畳ほどの明かりのない部屋。欠けた月から身を隠すように入った部屋で三日月は、重傷の体を抱え、浅い息を整えていた。
 無造作に置かれた段ボールを避け、壁に並べられた棚にもたれかかる。くしゃり。背中から紙が潰れるような音がした。重たい体を起こし振り向くと、棚からはみ出した輪飾りが背中で平らに潰れていた。
 ゲームが始まる五日前――今日からちょうど一週間前の鶴丸一周年祝賀会で、部屋の装飾に使われた輪飾りだ。他にも、皆で作った花飾りや装飾品が、この部屋には溢れている。
 三日月は祝賀会の準備の時のことを思い出した。輪飾りは今剣が岩融と一緒に作っていたもので、三日月はそれを近くで眺めながら、鶯丸と一緒に短刀達に鶴の折り方を教えていた。その時の光景は今も鮮明に思い出せる。鶴丸に気付かれないように段取りを決める堀川や大和守、料理の下準備をする燭台切や歌仙、贈り物の手袋を縫う粟田口兄弟。
 それだけじゃない。かつての平和だった本丸――鶴丸や鶯丸と三人で茶を啜った日々や、縁側に座って庭を眺めていた時のことも、全部覚えている。
 三日月は潰れた輪飾りを手で軽く払いのけ、何もなくなった棚に改めてもたれかかった。
 もう過去のことなどどうでもいい。三日月は誰よりもこの状況を納得し、受け入れているのだから。
 三日月にとっての懸念事項は、この傷で残りの刀剣男士を全員殺せるかどうかだった。いや、殺せるかどうかではない。何としてでもやり遂げなければならないのだ。
 三日月は少しでも体力を回復するため、目を閉じ、思考を止めた。
 浅い眠りと目覚めを繰り返す。決して警戒は解かず、脇腹の痛みを意識的にそらし、棚に体重を預けゆっくり呼吸する。
 どれだけの時間が経っただろう。何回か繰り返していた浅い眠りから目覚めた三日月は、閉めた障子の外から微かな足音を察知した。
 三日月の偵察値はそこまで高くない。足音はもうすぐそこまで近付いている。三日月は戦闘を覚悟して刀に手をかける。
 スーッと障子が開く。月の光が段ボールの影を伸ばし、現れたのは、三日月が今一番会いたくないと思う人物だった。
「見つけたぜ。三日月」
「鶴丸か」
 障子を目いっぱい開き、真っ白な振袖を垂らす鶴丸は、その手を柄に掛け鞘を引いた。鞘についた金の装飾が小さく音を鳴らす。
 三日月も重い腰をゆっくりと上げ、口元に笑みを浮かべながら刀を引き抜く。
「お前と夜戦とは新鮮だな。よきかなよきかな」
「君はいつも笑っているな。そんなにこのゲームが楽しいか?」
「何、悪役はこういう時笑うものだろう」
 鶴丸が、一歩、二歩と三日月に迫る。
「前も言ったが、随分余裕そうだな、三日月。いきなり始まったゲームだってのに、やはり君にとってこの展開は予想通りか?」
「お前の考えていることは何となく分かる。それだけだ」
「そうかよ」
 鶴丸の足が止まり、剣を構えた。どうやら話はこれで終わりらしい。これから戦闘が始まる。
 三日月の身体は既に満身創痍だが、いずれは対峙しなければならない相手であることには変わりない。三日月は腹を括り、ここで鶴丸を殺すと決め足を踏み込んだ。
 刀が激しくぶつかり合い、火花が散る。
「うおっと! 先制攻撃とは珍しいな、君。それだけ焦ってるってことか?」
 三日月に押し出される形で部屋を出た鶴丸は、縁側をぴょん、ぴょんと降り、庭に立った。
 三日月も追って庭に降り立ち、刀を薙ぐ。庭の端で、闇に紛れて花が踏みつぶされた。
「君の行動は正直目に余るんでなぁ。悪いがここで死んでもらう!」
 鶴丸は迫る三日月の刀を思い切り上に弾き、懐目掛けて飛び込んだ。
「遅い遅い!」
「!」
 三日月はいきなり飛び込んできた鶴丸に意表を突かれた。刀を弾かれた衝撃で一瞬動きが止まり、鶴丸はここぞとばかりに三日月に突きを仕掛ける。
 ――避けられるか。三日月は眉を顰め、わざと重心を崩して左に転んだ。鶴丸の刃は三日月の脇を掠め、寸でのところで通り抜ける。
 三日月はすぐに態勢を立て直すと、鶴丸の無防備な背中に向かって刀を振り下ろした。
 三日月の刃が鶴丸の背を切り裂いた。鶴丸の背中のチェーンが高い音を響かせ弾け飛ぶ。
「っと!」
 鶴丸は地面に手をつき、何度かステップを踏むと再び三日月と向かい合った。
「ふー、危ない危ない。危うく殺られるところだったぜ」
 鶴丸は笑っていた。刃が装飾に引っかかったせいで、三日月の刀が僅かばかり刃こぼれを起こしている。
「装飾に助けられたな。それにしても、いきなり勝負を仕掛けてくるとは驚いたぞ」
 彼の今の行動は、序盤で仕掛けるには余りにもリスクの高い戦法だった。一種の賭けと言ってもいい。最初に仕掛けた刀の弾きが甘ければ敵の動きを止めることはできないし、攻撃を避けられてしまえば先程のように背中が無防備になる。
 仕掛けた方が逆に殺られる可能性がある戦法を、鶴丸は敢えてとった。つまり、鶴丸はそれだけ本気だということだ。三日月の額に冷や汗が浮かんだ。
「予想外だったか? ガラ空きだぜ!」
「!」
 会心の一撃。先程殺られそうになったばかりだというのに、鶴丸はまたもや危険な賭けに打って出た。これも躱されれば、仕掛けた方に隙ができる。だがタイミングは絶妙だった。
 間髪入れずに想定外の攻撃を仕掛けられては、流石の三日月も真正面から受け止めるしかない。
「ぐッ」
 一際重い一撃を受け、左肩と腹の傷から血が噴き出た。天下五剣の中でも最も美しい刀はもはや見る影もなく、刀身はひび割れ、仲間の血で黒く染まっている。
「はは、」
 ――酷いな。三日月は苦笑した。
「いや、笑っている場合では無いか」
 三日月は受け止めた刀を滑らせると、荒い息を整え、吹き出す汗を拭った。
 一方、鶴丸は満身創痍な三日月に一切気を緩めず、ふう、と短く息を吐く。
「あともう一息だな」
 三日月は既に肩で息をしており、鶴丸から見ても辛そうなのは一目瞭然だ。だが鶴丸に油断はなかった。
 いつもは平和ボケしていても、いざという時にあっさり危機的状況をひっくり返すのが、この三日月という男なのだ。
 時間遡行軍の猛追に疲れ果て、中傷や重傷の者が出始め、そろそろヤバいかと皆が死を覚悟したとき、呑気に「さて、そろそろ本気を出すか」などと言って誉をかっさらっていくのが三日月という男なのだ。
 自分も重傷なくせに、倒れた仲間の前に悠然と立ち、刀を振るう。地べたから見上げたそんな男の背中は、呆れる程に頼もしかったっけ。
 鶴丸は自嘲した。
 ――あの時の笑顔を見ることは、もう無いんだな。
 走馬灯のように出てくる過去の思い出を鼻で笑い、拭い去る。冷静な自分がそこには潜んでいた。
「三日月。君に悪役は似合わないぜ。あとは俺に任せて君はゆっくり休んだらどうだ」
「いいや、そういうわけにはいかん。俺は顕現式で主に約束してしまったからな。自分の言ったことくらい守るさ」
「約束? 何をだ?」
「給料分は仕事をする、とな」
「どういう意味だそれは。君のそれは給料以上じゃないのか?」
 鶴丸は顕現式のこと、そして自身の願いを思い出した。
「あれには一体何の意味があるんだろうな。話によると、どうやら俺達の本丸だけらしいぜ。あんなことをしているのは」
「そうか。お前は主から聞いていないのか」
「何か知っているのか?」
「ああ。前に聞いたからな」
 三日月はそこで一度話を区切った。ふと夜空を見上げ、こんなことを言ってのける。
「……なぁ鶴丸。俺は間違っていると思うか?」
「は? また随分今更なことを聞くなぁ」
 鶴丸は三日月の言葉から彼の心境を察した。彼はストレスで壊れかけている心を、意志だけで繋ぎ止めている。実に哀れだ。
「俺は自分が間違っているとは思わないんだがな。皆が、剣を向けられるたび『何故』と聞いてくるのだ」
 皆が、殺し合いで心に大きな傷を負っている。それは、このゲームを乗り越えたからといって癒えるものではない。
「本丸の皆が揃わない先の未来に、意味はあるか?」
 三日月の声は淡々としていた。抑揚のない声が、澄み渡る夜空に溶けていく。
 鶴丸は無表情でそれを聞いていた。
 だが、もういい。それ以上言う必要はない。地面を蹴って走る。
 三日月の気持ちは最初から分かっていた。自分が三日月の立場にいたら、きっと同じようにしていただろうから。
 迫る鶴丸に応戦すべく、三日月も痛みでよろける体をうまく使って一歩踏み込んだ。迎え撃つ気だ。三日月の怪我は既に限界に達している。攻撃も防御も、あと一回が限度だろう。
 これで勝負が決まる。
「一騎打ちとは古風だな」
「これで負けたんじゃ、驚きも何もないよなあ!」
 刀の交わる音が空に響いた。
 勝負は決した。





 鶴丸は燭台切と長谷部に追われ、慌ただしく本丸の縁側を走っていた。ドタドタと大きな足音を響かせ、本邸を走り抜け、渡り廊下を抜ける。やがて音はペースを落とし、追手が来ていないことを確認すると、鶴丸はそこで足を止めた。
「ふぅ、ここまでくれば大丈夫だろう」
 ここは本丸の別邸、本邸を挟んで寝所とちょうど真逆に位置する場所だ。一応客間ということになってはいるが、普段は空き部屋や物置として使われている。
「鶴丸、どうした。騒がしいな」
「おお、三日月じゃないか。今日はこんなところで茶飲みか」
 後ろにばかり気を取られていて気付かなかったが、どうやらこの場所には先客がいたようだ。縁側に座り、三日月はいつものように優雅に茶を飲んでいた。
「今日は長谷部がいるからな」
「近侍執務室か。君はあそこの庭が好きだな。寝所の庭じゃ駄目なのか?」
「寝所も良いが、やはりあの庭が一番景色がいい」
 ここからもその庭を見ることはできるが、位置的には北側の端。やはり近侍執務室で見る景観より一枚落ちる。何より、ここには空き部屋と物置しかないためつまらないのだ。
「して、鶴丸は何をしにここに?」
「それがなぁ、聞いてくれよ三日月。まったくひどい話なんだ。」
 鶴丸は思い出したように、自分が追手から逃げてきた経緯を説明した。自分が乱のプリン取った犯人として疑われ、燭台切と長谷部に詰問されてここまで逃げてきたという話だ。
 話を聞き終えた三日月は、実に愉快そうに鶴丸を笑った。
「はっはっは! それは災難だったな」
「笑いすぎじゃないか? 言っておくが本当に俺じゃないぞ」
「いや、俺はお前を信じるぞ、鶴丸。俺はいつでも、どんなことがあってもお前の味方だ」
「君……何だその小っ恥ずかしい台詞は」
 茶を啜る三日月の横に腰を下ろした鶴丸は、歯の浮くような台詞に訝しげな目を向けた。そんな目を向けたところで、三日月のマイペースさは変わらない。
「はっはっは。何、気にするな。俺はな、いつでも優しい者の味方だ」
 その言葉に、鶴丸は少しドキリとした。
 三日月の目は庭の方を見ており、その真意は計り知れない。ふざけているようで真剣、真剣なようでふざけている。それが三日月宗近という男だ。
 鶴丸には三日月の言葉が何か含みを持っているような、自分を見透かしているような、そんな風に感じられてならなかった。
「……君のその台詞は、まるで正義のヒーローだな」
 鶴丸は呟いた。
「ヒーローか。俺はどちらかというと悪役にされがちだからな。そんなことを言われたのは初めてだぞ」
「そうかい? 俺は君が悪役だと思ったことは――」
 ――一度もない。そう言おうとして、鶴丸は不意に向こうから吹くそよ風に気を取られた。
 風は三日月を通って鶴丸の鼻孔に甘い香りを運び、ふとある疑問をもたらす。
「おい、ちょっと待て。この匂いは……」
「ん?」
「まさか、君、」
 三日月は先程までの平安の風情漂う姿から一転、茶目っ気に満ちた笑顔を浮かべる。そして一言、「ばれたか」と言った。
「はっはっは。いやー、先程冷蔵庫を開けたら茶請けにぴったりなプリンを見つけたのでな。ついうっかり」
「食べたのか……!? 君なあ!」
 鶴丸は思わず立ち上がり三日月に強く迫った。「いや、しかし容器には名前が書いていなかったし、俺も腹が減っていてだな……」などと言い訳しても無駄だ。というか子供か君は!
 さらに鶴丸はあることに気付いた。いや、気付いてしまった。
 部屋の奥から感じる気配。縁側にいた鶴丸が部屋に近づいてみると、そこには団子をモグモグする鶯丸がいた。団子の容器には、ご丁寧に太いサインペンで『鯰尾の!』と書かれている。
「やあ、鶴丸。お前も食べるか」
「う、鶯丸……」
「おや、見つかってしまったか。残念だったな鶯丸」
「足音を聞いて咄嗟に隠れたんだがな。流石は五条といったところか。ははは」
「ははは、よきかなよきかな」
「君らな……」
 こうして鶴丸は、とうとう本邸に響き渡るほどの大声で、呑気なじじい達に突っ込みを入れざるを得なくなったのである。
「自分のではないものを食うなぁぁぁ!!」
「……すまん」





 戦闘の残響は鈴虫の鳴き声に変わっていた。
 崩れ落ちる三日月の体を支え、鶴丸はすぐにでも消えてしまいそうなその体を木の幹に運ぶ。
 三日月の傷からは光が漂い始め、乾いた口から笑みが漏れた。三日月を下ろした鶴丸は、小さくなった彼の声に耳を傾ける。
「はは、俺も、ここまでか……。俺の願いは、どうやら果たされなかったようだ」
「三日月、君は主に何を願ったんだ?」
「なに、大したことじゃない。ただのじじいの、小さな願いさ」
 三日月の体全体が発光し始める。美しかった刀は大きくひび割れ、月を浮かばせるはずの刃文は赤黒く濁っていた。
「なぁ、三日月。前に君としたヒーローの話を覚えているかい?」
 鶴丸は、壊れかけの三日月にも届くよう耳元で問いかけた。
「ああ……。俺は、お前も、救ってやりたかったんだが、な。どうやらそれは、出来そうにない」
 三日月の言葉に、鶴丸は息が詰まった。聞き間違いだろうか。三日月の声は消え入りそうなほど小さく、耳を近付けなければ聞き取ることが難しい。
 そっと触れた三日月の体は熱を帯び、頬は赤く染まっていた。
 熱があるのか。確かにこの傷では、随分前から発熱していてもおかしくはない。そんな状態で今までまともに戦闘をしていたなんて、やはりこの男は恐ろしい奴だ。
「鶴丸、最期に……、ひとつ、頼まれてはくれないか」
「何だ」
「もし、お前が最後の一人まで生き残ったら、今まで死んでいった仲間や、内通者のこと、すべて、俺のせいに、してくれ」
「……!」
 全く、三日月の言葉には驚かされてばかりだ。
 この男は自分が死んでもなお、仲間のために悪役を演じようとするのか。
「はは、」
 鶴丸は、震える声を必死に隠して、息を吐き出した。
「……やはり、君には敵わないな」
 三日月は最初から鶴丸のことを見抜いていた。同様に鶴丸にも、三日月の考えが何となく分かっていた。
 三日月は誰より仲間の幸せを想う人間だから、ゲームで死者が出た時点で、この男が取る行動は予想ができる。
 このゲームには必ず殺した人間と殺された人間がいる。死んだ人間と生き残る人間がいる。問題は、どちらの人間の方が幸せなのかだ。
 三日月の答えは、きっとこうだ。――どちらも幸せにはなれない。
 死んだ人間は仲間に殺される恐怖に襲われ、生き残った者は仲間が仲間を殺したという記憶に縛られ続ける。
 三日月は誰より仲間の幸せを想う人間だ。誰も幸せになれないならば、全部無くなったほうがいい。事実を無かったことにしてしまえばいい。
 全員を殺し、その罪を一人で背負うことで、三日月は仲間同士の殺し合いをなかったことにする気だった。
 考えが極端すぎるのだ、三日月は。
 それもこれも、彼が優し過ぎるのが原因だろう。極端に優し過ぎるから、彼は誰かを贔屓することができない。全員殺すことが、唯一の。
『優しいは強い』。その言葉通り、三日月はこのゲームで最強だった。
 触れていた三日月の肩が透け始め、鶴丸の手が居所を失う。先ほどまであった三日月の熱は、夜の肌寒さに変わりつつある。
 三日月が閉じていた目をうっすらと開け、天を仰いだ。
「なあ、鶴丸……。今宵の月は、なかなかに見事だとは思わんか?」
 そう言われ、鶴丸はゆっくりと天を仰ぎ見た。今日は月の満ち欠けでいうところの二十六夜。頭上には美しい逆三日月が辺りを淡く照らしている。
 三日月が逆じゃないか。それで良いのか、三日月――そう聞こうとして、鶴丸は既に目の前から彼が消えていることに気が付いた。
「三日月……?」
 名を呼んでも、返事をしてくれる友はもういない。鶴丸が殺したのだ。俺が、彼を。
 そう言えば、三日月とヒーローの話をしたのもちょうどこの辺りだった。まだあの話をしてから一ヶ月も経っていないのに、もう随分昔の話のように感じる。ああ、俺は一体今まで何をしていたんだろう。何をすればいい? 次は、誰を。
 鶴丸はつっかえる呼吸を無理やり吸って、強く、強く歯を噛み締めた。
「三日月……っ! 君は間違ってない! 間違ってるのは、俺だ……。だから、君の最期の頼みは、残念ながら聞けそうにない」
 鶴丸はその場からゆっくり立ち上がると、握った刀を思い切り振り払った。ブン、と付着した血液が、三日月のいた木に飛び散る。
 ――君に悪役は似合わない。代わりに、俺が本当の悪役になってやるから、君はどうか、あの世でのんびり茶でも啜っててくれ。

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