刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第十七章

 来るはずの痛みは、いつまで経っても襲ってこなかった。
 代わりに、燭台切の耳には果実の潰れるような音が、身体には果汁が飛び散ったような生暖かさが感じられた。
 目を開くと、大倶利伽羅が重力に従って目の前に倒れてくる。それを両手で受け止めて、その先にある白い布を見たとき、燭台切は今起こった事の全てを理解した。
「ッハァ、ハァ、燭台切! 無事か!?」
「山姥切、くん」
 燭台切は山姥切が握る刀と、自分の手元で倒れる大倶利伽羅を交互に見た。大倶利伽羅の指先から力が抜け、滑り落ちた刀が地面でカランカランと音を立てる。
 山姥切の刀は大倶利伽羅の腹の中心を貫き、深い傷を負わせていた。山姥切が刀を引き抜くと、大倶利伽羅がビクッと身体を痙攣させ、乾いた声を上げる。
 彼が漏らした呻き声に、山姥切の肩が跳ねた。最初は燭台切を助けることに必死だった山姥切も、落ち着きを取り戻すにつれ自分のしたことに気付いたようだ。
「ハァ、ハァ……俺は何を……。俺が大倶利伽羅を斬ったのか? いや、だって、こいつは燭台切を殺そうとして、歌仙の仇で、だから」
 山姥切の呼吸が乱れる。
「お、俺はっ……!」
「山姥切くん、落ち着いて」
 山姥切はパニックを起こしかけていた。
 燭台切は大倶利伽羅の虫の息を感じながら、努めて冷静に話しかける。
「山姥切くんは殺されそうになっている僕を助けてくれただけだ。君は僕の命を救ってくれた。何も悪いことはしていない」
「あ、あぁ。そうだ……俺は……」
山姥切は燭台切を助けるために剣を抜いた。彼は大倶利伽羅と一線を交えた後、彼を追いかけてこの場所までやってきた。血の跡を辿り、この渡り廊下に辿り着いたとき、まさに燭台切が殺られそうになっている瞬間だった。
 山姥切は気付いたら剣を抜いていた。燭台切が大倶利伽羅に斬られそうになる一歩手前で、無我夢中で刀を突き刺していた。
「俺は……、仲間を、殺したのか?」
「違うよ。君は僕を助けたんだ。ね、伽羅ちゃん」
 大倶利伽羅の身体が、徐々に光を帯びていく。もう助からないことは、誰の目から見ても明らかだった。
 ピクリ。燭台切の声に反応して、大倶利伽羅の体が僅かに動いた。彼は力を振り絞り、燭台切の肩を掴んで起き上がろうとしている。
「伽羅ちゃん?」
「ちり、ぬべ、き……ゴホッ」
 大倶利伽羅は最期の言葉を残そうとしていた。山姥切もそれに気付いて、彼の小さな声に耳を傾ける。

 ――散りぬべき 時知りてこそ 世の中の  花も花なれ 人も人なれ

 大倶利伽羅が詠んだのは、彼らしくもない一首の短歌だった。
 彼の体からは光の粒が溢れ出し、時間と共に一層輝きを増していく。刀のヒビ割れが進むたびに粒子が広がり、とうとう体が透け始めた。
 燭台切は大倶利伽羅の肩を強く抱いた。
 死なないで欲しい。そう思った。鶴さん伽羅ちゃんと僕で、一緒に貞ちゃんを探す約束を、まだ果たしていないじゃないか。
 山姥切の手前、決して口に出すことはできないけれど。
 燭台切に抱かれていた大倶利伽羅は、やがて全身を光に変え空へと消えていった。
 山姥切はしばらくショックを受けた様子で、光が消えた後も顔を空へ向けたまま動かなかった。燭台切はそんな山姥切を少し意外に思う。気付いたら「山姥切くんは、もっと仲間に対して冷めているのかと思っていた」と、口をついて出ていた。
「俺は……」
 ゆっくりと燭台切を見、視線を足元に落とす山姥切。
 燭台切の気持ちは複雑だ。不本意にも、このゲームが始まってから彼は今まで知らなかった仲間の表情を見てばかりいる。皆、それぞれの想いを胸に戦っている。それはもちろん山姥切も、そして、大倶利伽羅も。
「助けてくれてありがとう、山姥切くん。それからごめんね」
「何故、謝る?」
「だって、伽羅ちゃんを殺すのは、本当は僕の役目だったから」
 燭台切はふっと呆れたように笑った。
「僕の身勝手で君に仲間を殺させてしまった。だからごめん」
「……」
 燭台切は山姥切をフォローしようとしたつもりだったが、燭台切が何を言おうと、山姥切の『仲間を殺した』という負い目は消えない。山姥切の暗い表情に気付いた燭台切は、失敗したかな、と思って今度は少し違う話題を振ってみることにした。
「山姥切くんは、伽羅ちゃんを追っていたの?」
「あぁ。俺は、歌仙の仇を討つために奴を追っていた」
「仇?」
 大倶利伽羅が歌仙を殺したという話は初耳だ。
「歌仙くんを殺したって、それ伽羅ちゃんが言ってたの?」
「ああ」
 山姥切の話が本当なら、大倶利伽羅は歌仙を殺したことだけは燭台切に黙っていたということになる。どうしてそんなことを? 燭台切は、大倶利伽羅と最初に対峙したときの会話を思い出した。
『……最初に斬ったのは秋田藤四郎だった』
『伽羅ちゃん?』
『その次は虎だ。五虎退、厚、薬研、乱にも剣を向けた。一期一振を破壊した』
『えっ!? ま、って、ちょっと待って。短刀達は三日月さんが破壊したって聞いたよ』
『そうか。なら破壊したのはそうなんだろう。だが秋田と五虎退を重傷まで追い詰めたのは俺だ。二日目は蛍丸を破壊した』
 やはりあの時大倶利伽羅は、歌仙の名前は一度も口にしていない。それに、あの最期の歌は――。
「そうか、……っ」
 燭台切は、ようやく大倶利伽羅が最期に詠った歌のその意味に気付いた。気付いた燭台切は力なくずるずるとその場にしゃがみ込み、乾いた笑いを零す。目頭にはじわりと熱が溜まっていた。
「ははは……。なるほど、そういうことかぁ。伽羅ちゃんも人が悪いね」
「燭台切?」
 山姥切は突然笑い出した燭台切に困惑した。「あーあ」と笑いを吐き出す燭台切は、疑問符を頭に浮かべる山姥切に丁寧に説明を始める。
「伽羅ちゃんが歌ったあの歌はね、細川ガラシャって人が歌った辞世の句なんだ」
「細川、」
 その名前には山姥切も心当たりがあった。
「細川ガラシャ。歌仙くんの元の主、細川忠興の奥さんだよ。細川忠興は僕の前の主、伊達政宗とも信仰のある人だからよく知っているんだ」
 そういえば、と山姥切の脳裏に歌仙との会話が思い出される。
『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の  花も花なれ 人も人なれ。
 僕の元主、細川忠興の妻であるガラシャが最期に残した辞世の句だよ。意味は「花も人も、散りどきを心得てこそ美しい」』
 何だいきなり、と山姥切はいつものように適当に話を聞き流していた。それでも歌仙は話を止めない。
『いい歌だと思わないかい? 関ヶ原の合戦の際、忠興を寝返らせようとする石田三成に人質にされたガラシャが、自ら家臣に胸を刺させ、その辞世の句として詠んだ歌なんだ。僕はこの歌が気に入っていてね。悲しいようで、どこか彼女の決意や潔さを感じさせる。どうだい山姥切。君はこの歌を聞いて何か感じることはないかい?――……』
 それ以上の会話は思い出せなかったが、確か以前彼はこのようなことを言っていた。
「伽羅ちゃんが最期にこの歌を詠んだのは、歌仙くんが彼にこの歌を詠んだからじゃないかな」
 細川ガラシャが、自害した際に読んだ辞世の句。歌仙が大倶利伽羅にその歌を詠んだということは、つまり歌仙は――
「自殺……?」
「その可能性が高いね。多分伽羅ちゃんは、歌仙くんが自殺する現場を見ていたんじゃないかな。歌仙くんの辞世の句を聞いて、最期にあの歌を僕達に聞かせたんだ」
「でも、何故そんなことを」
「歌仙くんが自殺だったことを君に教えるため、かな。それだけじゃないかもしれないけど」
「?」
 山姥切は言葉の意味が分からず、燭台切に続きを求めた。
「伽羅ちゃんもきっと、自殺だったんだ」
「は?」
 あまりにも突拍子もない言葉に、山姥切は気の抜けた顔を燭台切に向ける。
「ははは、おかしな話だよね。でもね、ずっと一緒にいた僕だから、分かるんだ」
 燭台切には、大倶利伽羅の行動、思考、想いが何となく想像できた。
 彼はきっと、このゲームが最悪な形で終わらないように、毎日一人ずつ仲間を殺すつもりだったのだ。大倶利伽羅は現実的な人間だったから、『このゲームを止める』などと夢を見る燭台切と違い、ちゃんと現実を受け入れていたに違いない。
 一日一振り刀剣が破壊されなければ、主は殺され皆も消える。
「彼は、仲間を手に掛けられる人間は自分しかいないと思ったんじゃないかな。自分がやるしかないと思った。まぁ結果は、この有り様だけどね」
 大倶利伽羅は長谷部同様、悪役になろうとしていた。自分と違って夢を見ているだろう燭台切のために。そして、より多くの仲間を生かすために。
 一日目の一期一振、二日目の蛍丸。過去の行動を顧みても、彼は一日一振りの刀剣破壊を確認したらそれ以上の殺生はしていない。そして、三日目の今日は。
「伽羅ちゃんは、僕に自分を殺させるつもりだったんだと思うよ。その役目は、結果的に僕ではなく山姥切くんになってしまったけれど」
 大倶利伽羅は皆のために仲間を殺した。大倶利伽羅は皆のために戦っていた?
「そんな人間を、俺は殺したのか……?」
 山姥切の体から力が抜け、ガクリと手を地面についた。燭台切は山姥切を慰めたくて、彼に寄り添い優しい口調で語りかける。
「伽羅ちゃんは、君にも保険を掛けていたんだと思う」
「ほけん……?」
「そう。僕が伽羅ちゃんを殺せなかった時のためにね。彼は、本当は仲間を殺す自分を誰かに止めて欲しかったんだよ。だから、わざと歌仙くんを殺したと嘘をついて、山姥切くんに自分を殺させるように仕向けたんだ」
 つまり、山姥切も燭台切も、大倶利伽羅の盛大な自殺に巻き込まれた被害者というわけだ。
「ね、伽羅ちゃんも人が悪いでしょ」
 燭台切は、普段から問題行動を起こしがちの大倶利伽羅と、自身の巻き込まれ体質を思い出して懐かしい気持ちになった。こんな状況でさえ、燭台切と大倶利伽羅の関係は何一つ変わらない。
 ――やっぱり、伽羅ちゃんは伽羅ちゃんだ。
 燭台切にとって、今は何よりもそのことが嬉しかった。ジワリと目頭が熱くなる。
 一方、山姥切は未だ自分の気持に折り合いがつけられずにいた。
「俺には、もう何が正しいのか分からない。俺は燭台切を助けようとしたんだ。大倶利伽羅は仲間を殺そうとした。でもあいつは仲間を助けようともしていた。一体何が正しいんだ? どうして仲間同士で殺し合わなければならない? このゲームは何が目的なんだ? 俺は、どうしたらいい……?」
 山姥切は縋る思いで燭台切を見た。自分の手を仲間の血で染めてしまった山姥切には、もう自分でまともな判断を下せる自信がなかった。
「山姥切くん。君が何をするかは、君が決めるべきことだと思う。だけどあえて言うなら、君は僕達と一緒に来るべきだ」
 燭台切は、強い目線を山姥切に送った。
「どうして仲間同士で殺し合うのか。政府が何をしようとしているのか。君のすべき事。全部僕達と一緒に探そう。僕は答えをあげられないけれど、側にいて支えてあげることはできる」
 仲間を助けようとする人間と、殺そうとする人間。果たしてどちらが正しいのか。山姥切の疑問に対する答えに、燭台切はもう行き着いていた。
 ――多分、どちらも正しいんだ。
 だがそれは山姥切が自分で見つけるべきことだ。燭台切も、次なる疑問の答えを求めて進んでいく。
 ゲームが始まって早三日。大和守達と落ち合う約束をした夕刻まで、残り約三時間。
「行こう。山姥切くん」
 新たに味方に加わった山姥切を連れて、燭台切はゲームを止めるために再び進み始めた。

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