刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第十五章

 縁側を忙しなく走る音が響く。規則的な振動を感じながら、縁側に座る三日月は優雅に茶を啜っていた。
「三日月! 俺に稽古をつけてくれない?」
 バタバタと駆け足が近付いてきたと思ったら、その足音は背後でピタリと止まる。騒がしい客人が一人……いや、二人。
「あ、清光ずるい! 三日月、僕もお願いするよ」
「はっはっは。二人とも元気が良いな」
 審神者執務室の隣、近侍執務室の縁側にやって来たのは、加州と大和守の二振りだった。
 近侍執務室。普段は長谷部がここで仕事をしているため滅多に入れないのだが、彼が出陣中ならば話は別だ。
 この部屋の縁側だけが、唯一主と同じ庭の景色を見ることが出来る。そんな特等席に座って、庭に咲く美しい花々を眺め、時々こうして客人が来ては取り留めのない会話をするのが、三日月は好きだった。
「何だ、また手合せに負けたのか?」
「だってあいつ容赦ないんだもん」
 加州の言葉に、三日月は自分の後ろに立つ大和守を見上げた。すると大和守は手をふりふりして、僕じゃないよと言う。
「今日の手合せは僕じゃなくて蜂須賀」
「くっそー、あいつ新入りにも容赦ないんだ。十戦やって一回も勝てなかったし」
「勝てないどころかボコボコにされてたね」
 大和守が可笑しそうに笑った。
「加州はまだ顕現されて一週間も経っていないだろう? 勝てなくて当たり前だ」
「そう! だから一刻も早く強くなりたいの。ってことで三日月、俺に指南してくれ」
「ついでに僕も」
 目を輝かせてこちらを見てくる二人に、三日月はどうしたものかと首を傾げる。
 この二人は暇さえあれば稽古をしているような戦闘狂だ。もしここで安請け合いをしようものなら、今日一日が稽古だけで終わってしまいそうだ。
 困り顔で庭先の大木をちらりと確認した三日月は、その先にある姿を見てピンと閃き、「よし」と声を上げた。
「加州。この前俺が話した“強さの秘訣”は覚えているか?」
「ああ。『優しいは強い』、でしょ」
「何それ?」
 初めて聞いた言葉に大和守が首を傾げる。
「優しいは強い。優しいというのは相手をよく見ること。つまり相手の状態を的確に把握し、対応することが強さの秘訣ってわけ。この前稽古をつけてもらった時に教えてもらったんだ」
「へぇ」
「その通り。そこでだ。五虎退」
 急に飛び出した名前に、二人はキョトンとした顔で三日月の視線の先を追った。すると、庭先の大木から小さい姿がひょっこりと顔を覗かせる。
「あの、すみません……。お茶に合う和菓子を持って来たのですが、お話をされていたので……」
「いつから居たの!?」
 加州と大和守は声をハモらせてそう尋ねた。
「あ、ついさっき……です」
 全然気付かなかった、と二人は顔を見合わせる。
「それより五虎退。手に持っているそれを貸してくれないか」
「あ、はい。どうぞ」
 三日月の前まで走ってきた五虎退は、手に持っていた和菓子を三日月に差し出した。だが「違う違う。和菓子は……まぁ貰うが、貸して欲しいのは左手のそれだ」と三日月はもう一方の手を指差す。
「?」
 加州達には三日月が何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかし、左手を後ろに隠していた五虎退が戸惑いながら差し出したそれに、むしろ二人は余計に訳が分からなくなった。
「え、何それ?」
「あの、スーパーイタイワニーです……」
「スーパーイタイワニー?」
 また二人の声が重なった。三日月が愉快げに笑う。
「はっはっは。そうか、二人はこれを見るのは初めてか。これはな、相手の強さを図ることが出来る画期的な絡繰りなのだ」
「えっ!?」
 三日月の説明に驚いたのは他でもない五虎退だ。スーパーイタイワニーとはそんな高性能なものではなかったはずだが? 三日月の台詞に困惑した五虎退が何か言う前に、三日月は間髪入れずに説明を続ける。
「今から一つ勝負をしよう。この絡繰りの歯を順番に押していき、口を閉じさせた者が勝ちという勝負だ」
「え? あの、遊び方が違うような……」という五虎退の声はもちろん届かない。三日月の口調がわざとらしく強まる。
「強さとは、相手をよく観察し、見極めることだ。しかしほんの一瞬が勝敗を決める戦いで、相手をじっと観察している余裕はない。では、どうすれば良いと思う? 加州」
「えっ? えーっと……」
 急に振られて焦った加州は、助け船を求め大和守を見た。しかし大和守にも答えが分からず、一周して三日月に視線が戻ってくる。
「ははは。それはな、相手の気を読むことだ。人に限らず、万物には霊気が宿っている。その気を読むことが出来れば、自ずと相手の動きも分かる。この絡繰りはな、歯の一つを押すと口が閉じる仕組みになっている。絡繰りの気を読むことが出来れば、今回の勝負に勝つのも容易いことだ」
 五虎退からワニを受け取った三日月は、何でもないように歯の一つを押す。そしていとも簡単にワニの口を閉じてみせた。
「!」
「す、凄い!」
「ほ、本当に気が読めるんですね……!」
 これには、半信半疑で話を聞いていた三人も驚きだ。三人は一様に身を乗り出し、嬉々として三日月の手元を見た。
「なるほど。俺はこれで三日月に勝てばいいってわけね」
「いや、今の加州が俺に勝つのはちと難しいだろう。そこで、自在にワニの口を閉じられるようになるまで、様々な相手と勝負をしてこい。その勝負で十人に勝てたら、改めて俺が稽古をつけてやろう」
「ふふん、なるほどね」
「なんか面白そう」
 新しい修行を見付け楽しそうな二人に、三日月も「うむ」と満足げに頷く。
「ではまずは五虎退、すまんが二人の相手をしてやってくれるか?」
「はい、とっても面白そうです……!」
 こうして、三日月の指導の元始まった一戦目は、見事五虎退が勝利を収めた。
「ぐあー負けたー!」
「くっ、やるね五虎退」
 負けず嫌いな沖田組は悔しさを隠そうともせず、次は負けないと叫びながら別の対戦相手を探しに立ち上がる。そこで丁度タイミング良く隣の部屋から顔を出してしまった蜂須賀は、二人の恰好の餌食となった。
「あ、蜂須賀発見! ねぇ、ちょっと俺と勝負してよ」
「僕とも!」
「何だい? いきなり」
 二人は蜂須賀を取り囲み、五虎退も遠慮しながらも遊んでもらう気満々の目をしている。蜂須賀はそんな三人の熱意に気圧され、溜息を吐いた。
「はいこれ押して」と言われるままにワニの歯を押す蜂須賀。五虎退、加州と順に押していって、大和守の番でワニの口がパクリと落ちた。
「やったー! 勝った!」
「くそーまた負けた!」
「つ、次は負けません……。あ、蜂須賀さん、ありがとうございました……」
 怒涛のように勝負を迫り、勝敗が決まると嵐のように去っていく。五虎退も巻き込み三人で次の対戦相手を探しにいった後の縁側には、困惑する蜂須賀と三日月だけがとり残された。
「はっはっは。気に入ってくれたようで何よりだ」
「ふぅ。忙しないね、全く」
「元気がいいのは良いことだ」
「よく言うよ。聞いていたよ、さっきの」
 主に内番終了の報告をしていた蜂須賀は、近侍執務室の隣の部屋、審神者執務室で先程のやり取りを聞いていた。
「君も口八丁だねぇ。絡繰りの気を読むとかどうとかって、全部デタラメだろう?」
「おや? 何故そう思う」
 三日月の横に立った蜂須賀は、庭の景色に目をやりながら会話を続ける。
「新撰組の刀は血の気が多いからね。がむしゃらに刀を振れば強くなれると思っている。けれど、人の体というのは適度な休息が必要だ。君は加州を休ませたかったんじゃないのかい? ついでに、遊んで欲しそうにしていた五虎退も気になっていた」
「ふ、なるほど。蜂須賀は相手のことをよく見ているな」
 優しいは強い。優しいというのは相手をよく見ること。蜂須賀は先程加州達が話していた『強さの秘訣』を思い出した。
「僕は別に優しくないよ」
「ははは。“強い”というのを否定しない辺りが蜂須賀らしい」
 蜂須賀は、目を細め穏やかな顔をする三日月を横目にもう一度『強さの秘訣』を反芻した。
 ――優しいは強い、か。
 この本丸で一番信頼を寄せられている、三日月らしい一言だ。





「全く、『優しいは強い』とは誰の言葉だったかな」
 蜂須賀虎徹は自分の刀を丁寧に拾い、一人ごちる。乱暴に投げられたそれは秋の花たちに助けられ辛うじて無傷だったが、一歩間違えれば庭石にぶつかって折れていたかもしれない。
 刀が投げられて来た方へ向かい、赤い橋を渡る。ざく、ざく、と足元の草花が音を鳴らす。
 秋桜の花畑に佇む青い男の足元には、折れた刀と大量の血痕が残っていた。
「全く。こんなくだらないゲームに巻き込まれて、嫌になるよ」
 眼前に歩み寄る蜂須賀を見据え、三日月は笑みを浮かべた。
「何だ。兄の仇討ちでもするか?」
「生憎、僕は他の奴らみたいに優しくないんでね。贋作の仇討ちに興味はないよ」
 言葉に反して、蜂須賀は握った刀を抜くと、三日月に向けて剣先を構えた。
 左手に持つ金色の鞘を捨て、敵に斬りかかる。
「はぁっ!」
 蜂須賀虎徹は、自分が冷めた人間だという自覚があった。
 彼には兄弟を想う気持ちも、時代を共にした仲間を想う気持ちも、主への強い忠誠心もない。
 この本丸の人間は皆、仲間を想う気持ちが強い。どうやら本丸とは主の性格が強く反映されるらしく、刀剣達が作り主の性格に影響を受けるのも当然といえば当然なのだが、彼は違った。もちろんまだ見ぬ弟を想う気持ちはあるのだが、粟田口や来のように、一心に兄弟を探したいという強い気持ちは湧いてこない。
 ゲームが始まってからも、ゲームが始まる前も、彼は自分がこの本丸から浮いた存在だと自覚していた。
「僕は最後まで生き残って主を助けることにするよ。そういうルールだからね」
 蜂須賀は三日月の肩と脇腹の出血量を見て、倒すなら今しかないと思った。そんな蜂須賀の考えを察して、三日月の眼光が鋭くなる。
「今なら俺を倒せると思うか? 見くびるなよ」
 二人が戦闘に入るのは早かった。目の前の敵を殺す、それだけの為に二人は剣を交えた。
 綺麗に手入れされた花畑が踏みにじられる。傷の分だけ落ちる三日月の赤い血が花を汚す。
 刀剣同士での本気の殺し合い。散々仲間を斬り殺してきた三日月と違って、蜂須賀がそれを経験するのはこれが初めてだ。
「くっ」
 だが、命懸けの戦いで“初めて”は言い訳にならない。相手の機動力を図るように戦っていた蜂須賀は、怪我を感じさせない三日月の動きに押されつつあったが、何とか堪えて互角にやりあった。
 三日月の左肩の傷、そして脇腹の傷はかなり深い。痛みを感じないはずないのに、どうしてそうまでして戦うのか。
 蜂須賀は一旦敵から距離を取ると、助走をつけ、改めて三日月に斬りかかった。
 助走をつけたのは、力の乗った一撃を与えるため。多少の隙を覚悟で大きく刀を振り下ろすと、刀を受けた三日月の顔に苦悶の表情が浮かんだ。
 手応えを感じた蜂須賀は、畳み掛けるように何度も何度も刀を振り下ろす。衝撃を受け、三日月の体が軋む。
 ――今だ。
 三日月が重心を後ろ足に乗せるのを見て、蜂須賀は直感的に踏み出していた。
「そこ!」
 後退した三日月に突進し、改心の一撃をかます――つもりだった。
「っ!?」
 しかし有るべきはずのそこに三日月の姿はない。――姿が消えた?
 蜂須賀は急いで後ろを振り返った。そこには、既に攻撃の態勢に入った三日月の姿があった。
「いつの間に……!」
「熱いな。本気になるか」
 三日月の太刀筋は見えなかった。ただ翻った着物の青と、地面から弾ける花弁が目の端に映った。
 捉えきれない追撃の数々が蜂須賀を襲う。それでも何とか急所だけは防御し、このままでは負けると必死に反撃の一手を考えた。
 三日月は相手をよく見ている。蜂須賀の行動や思考を予測し、計算尽くで動いている。彼を出し抜くには、彼の予想を超える動きをするしかない。必死に視線を動かし、反撃の一手を考える。ふと足元を見て、蜂須賀から笑みがこぼれた。
 蜂須賀は冷めた人間だった。自分が冷めていると自覚していた。
 そして蜂須賀は、自分の冷めた性格に密かに負い目を感じていた。
 本丸の皆の優しさに感化され、どこかで、皆のようになれたら、と思う自分に気付く。
 右腕の腱を斬られ、刀を弾かれる。足を斬られ、堪らず膝をつく。頭すら上げるのが億劫で、霞む視界に血濡れの花を見ていた。
 弾かれた刀が遠くの地面に突き刺さる。取りに行く余裕はない。逃げられるだけの気力も残っていない。蜂須賀は冷静な頭で、静かに自分の死を覚悟した。
「終わりだ」
 三日月が止めを刺すため、俯く蜂須賀の首元を狙って剣を振り上げる。蜂須賀の足元には、とっくに変色し始めている血の塊があった。それは蜂須賀の血ではなく、長曽祢の――
 蜂須賀が笑った。三日月はそれに気付いた時、状況を理解し咄嗟に視線を動かした。
 長曽祢の刀が無い。
「まさか――」
「遅いよ」
 長曽祢の折れた刀は、蜂須賀の渾身の力で敵の脇腹に突き刺さった。泥に手を突っ込んだような感触、どろりとした液体が蜂須賀の手を汚す。
 三日月から初めて悲鳴らしい悲鳴が溢れた。
 こんな折れた贋作でも、傷口を抉るくらいの働きは出来るらしい。
 蜂須賀が狙ったのは、陸奥守の銃で貫かれた左脇腹の傷だった。初めて握った贋作の使い心地は、やはり真作には遠く及ばないと、蜂須賀は最期まで兄をあざけてみせる。
「ッ、仇討ちに、興味は無いんじゃなかったのか」
「さぁ、どうだったかな」
「……。全く、この本丸の刀剣達は、仲間想いの人間が多過ぎる」
 三日月の垂直に振り上げられた刀が、蜂須賀の首元に一直線に落ちていく。蜂須賀の心は穏やかだった。
 ――ああ。最後の最後くらいは、この本丸の刀剣らしくなれたかな。
 蜂須賀はこの本丸で過ごした穏やかな日々を思い出し、悪くない気持ちで目を閉じた。

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