刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ 第九章

 過去。布団から起き上がり、障子の薄明かりを眺めていた蛍丸に、愛染が静かに声を掛ける。
「寝れないのか、蛍」
「……厠」
「さっきも行っただろ」
「…………」
 吐いた息も白くなるような季節。外には深々と雪が降り積もり、屋根が雪の重みで軋みを上げている。
 最近、蛍丸は夜こうして起き上がっては見えない障子の外を眺めていることが多かった。
 蛍丸は愛染に迷惑を掛けないようにしていたつもりだったが、愛染には眠れないことはおろか蛍丸の悩みすらお見通しだ。「国行のことか?」と問われれば、蛍丸はそうだとしか言えない。まだ顕現されていない蛍丸と愛染の保護者、明石国行。
「国行に会いたいなら、最初からそう言えばいいだろ。何で黙って一人で抱え込むんだよ」
「だって俺より国俊の方が寂しいでしょ」
 愛染は蛍丸より前に顕現され、蛍丸より長く明石のことを待っている。そんな状況で、蛍丸が先に泣き言を言うわけにはいかない。蛍丸はこれ以上自分の気持ちを読まれないように布団を頭まで被ると、丸くなって寝たふりをした。
「お前は強いくせに寂しがり屋だからなぁ。あーあ。国行も一応俺達の保護者名乗んなら、もっと簡単に出て来いよって話だよな」
「へへ、そうだね。でも、俺には国俊がいるから寂しくないよ」
「うそつけ」
「ホントだもん」
 蛍丸の言葉は半分嘘で半分本当だった。国行が中々見つからなくて寂しいのは本当だが、愛染がいれば寂しさにも耐えられる。

 愛染は蛍丸の顕現する三か月前からこの本丸にいた。実力に関してもそれなりで、初期刀の山姥切や古株の同田貫、蜂須賀らに次いで多く合戦場に出陣していた。
 その実力を買われ、最初、愛染は顕現したての蛍丸と共に戦場に出されることが多かった。弟分として愛染に守られながら、蛍丸は日常・戦闘問わず色々なことを彼に教わった。
 そのうち、蛍丸は誉泥棒と呼ばれ始めるようになった。もちろんそれは主や刀剣達の軽口であり、どちらかと言えば賞賛に近い言葉だったが、蛍丸は「やるじゃねぇか、この誉泥棒め〜」などと言われるたび、こっそりと愛染の顔色を伺っていた。
 蛍丸の実力が愛染を越えるのに、そう時間は掛からなかった。
 誉とは、戦闘で優秀な戦績を収めた者が主から与えられる称号である。誉が貯まれば、より強い部隊に選ばれることが出来る、実力の象徴とも呼べるもの。
 しかし、蛍丸はいつまでも愛染の弟分でいたかった。剣の腕が強くとも、蛍丸は自分が愛染より強いと思ったことは一度もない。蛍丸にとって愛染は、いつまでも兄貴分であり、ずっと頼りにしたい、ある種の憧れのような存在だった。
 だが愛染からすれば、自分より強い相手を甲斐甲斐しく世話してやる義理はない。愛染がもう兄貴分じゃないと言えば、蛍丸との関係は簡単に崩壊してしまう、二人の関係はいつの間にかそんな危ういものとなっていた。
「蛍、また一緒の隊だな。オレは今日も派手に目立つぜぇ!」
「ま、オレには愛染明王の加護が付いてるからな。ドンと大船に乗ったつもりでついて来な!」
「よっしゃあ! 今日もお前はオレが守ってやるぜ。」
 しかし愛染は、一度だって蛍丸に対し態度を変えることはなかった。
 蛍丸がほぼ毎回出陣に選ばれるようになっても、愛染が部隊に加わった時には、相変わらず兄貴分のように蛍丸の前に立つ。
 後から来た弟分に先を越されて、先を越された人間に当然のように頼られて、愛染が何も感じないはずがない。それでも愛染は、蛍丸のために兄貴分でいることを選んだのだ。
 愛染は正真正銘の“兄貴分”だった。愛染の背中が、蛍丸にはとても大きかった。
 蛍丸は愛染に頼り続けた。その分だけ愛染に感謝して、感謝してもし足りなくて、せめて彼に心配を掛けないだけの人間になろうと決めた。
 だから明石がいなくても寂しくないと、蛍丸は愛染に嘘をついたのだが、やはり兄貴分の愛染にはバレてしまうのだ。
「なぁ。まだオレ達は国行がいる戦場には辿り着けてないけど、いつか絶対二人で国行を迎えに行こうな。あいつのことだから、きっと煎餅食いながらオレ達の迎えを待ってるぜ」
「何それ、有り得る」
 愛染の軽口は、蛍丸を励ますためのものだと分かる。
「国俊、ありがと」
 聞こえるか聞こえないかの声で、蛍丸はひっそりとお礼を言った。愛染からの反応はなく、多分聞こえていなかったのだろう。それでも良い。
 隣に敷かれた愛染の布団の横で、蛍丸はいつの間にか温かい眠りについていた。





 宵闇が辺りを包み、重い雰囲気を作り出す時間帯。蛍丸は自室の押入れに隠れ、襖の隙間から障子の薄明かりを眺めていた。薄明かりと言っても、月さえ出ていない今日の天気では明るさなど無いに等しい。
 右肩には軽傷を負い、ジクジクと痛むそこを左手で押さえてうずくまる。それは少し前に、加州に斬りつけられた傷だった。
 蛍丸は昨日から、愛染を探して本丸内をひたすら歩き回っていた。プレゲームを終えた後でも、彼に仲間同士で戦うという思考は薄く、だから燭台切に会った時も、他の刀剣達に出くわした時も、警戒心を抱くことなく愛染の行方を聞いて回った。
 加州にいきなり斬りつけられた時、蛍丸は頭が真っ白になった。蛍丸は刀を所持しておらず、当然加州に対して敵意はなかった。ただ普通に「国俊を見なかった?」と聞いただけ。にもかかわらず、加州は何の前触れもなく持っていた金色の鞘を抜き、蛍丸に斬りかかってきた。
 蛍丸はそこでようやく放送の言っていたゲームを実感した。そして恐怖のまま寝所の自室に逃げ、隠れた。
 蛍丸は、自分が全く現実を見ていなかったことに気が付いた。岩融も、長谷部も、本当に死んでしまったのだと、そこでようやく受け入れた。受け入れた途端、二回目の放送が流れ、急に一人が怖くなった。
 蛍丸は剣を持たない自分がいかに弱いかを知っている。いつも愛染の優しさに頼り、弟分という立場に甘えて、守ってもらっていた。愛染がいたからこそ蛍丸は自由奔放に振る舞えた。強い自分でいられた。
「国俊……」
 彼は自分を探してくれているだろうか。きっと探してくれていると思う一方で、不安な気持ちにもなる。
 ――蛍。
 蛍丸は顔を上げた。すぐ近くで自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「くに、とし?」
 蛍丸は愛染と語り合ったあの夜のことを思い出した。
 いつだって蛍丸の心配をしてくれ、自分の気持ちより蛍丸の気持ちを優先し、兄貴分を貫き通してくれる。
 ――ああ、そうだ、国俊は。愛染国俊という男は、そういう男だったな。
「蛍!!」
 愛染が、蛍丸を探して障子の戸を開けた。
「国俊……!」
「良かった、やっぱりここにいた! 色々探し回ったんだけど、やっぱここしかないかなって思って戻って来たんだ。お前悲しいことがあると、いっつも陰気臭く障子ばっか眺めてるからな」
「陰気臭く、は余計だよ」
 愛染は蛍丸が隠れていた押入れを開けると、上段にいた蛍丸を迎えるため手を伸ばした。
「オレが来たからにはもう大丈夫だ。なんせオレには、愛染明王の加護が付いてるからな」
 伸ばされた手に、蛍丸が抱き着くように腕を伸ばす。
「いつもみたいに、オレが守ってやるよ」
 愛染のその言葉は、怪我をした痛みも吹き飛ぶくらい、蛍丸の心を強くさせた。
 国俊がいれば蛍丸は強くなれる。こんなゲームさっさと終わらせて、一緒に国行を探しに行こう。
 ――蛍丸の伸ばした手は、愛染に届くことはなかった。
「え……?」
 指先、頬、足先。蛍丸のあらゆる部分からヒビが入り、崩れ落ちる。体の破片が光の粒に変わる。愛染が目を見開き、蛍丸の名前を叫んだ。
 身体にヒビが入る。パキ、パキと音を鳴らす。蛍、待ってくれ、行くな。蛍丸の耳がヒビ割れ、愛染の叫びは届かなくなった。
 愛染が掴もうとした部分から蛍が舞う。たくさんの光が蛍丸の身体を覆い尽くす。空を切るように愛染が掻き集めた最期の光は、彼の腕の中で踊り天井へと消えていった。
 押入れの中には、何も残らなかった。

「は……? なんだよ、これ。」

 愛染は頭が真っ白になった。
 誰かが蛍丸の刀を折ったのだ。蛍丸の刀を見付けた誰かが、故意に蛍丸を殺した。
 その事実に、愛染は全身から溢れ出る熱を感じ、怒り以外の感情が頭から弾け飛んだ。手を掛けていた押入れの扉を力任せに押し開け、大きな音を立てる。
「出て来い! 蛍の刀を折ったやつ! オレがぶっ殺してやる!!」
 体をくるりと反転させた愛染は、襖を思いっきり押し開け廊下に出た。
 刀を折った奴が近くにいるとは限らない。蛍丸が自分の刀の気配に気付かなかったことからしても、むしろ遠くにいる可能性の方が高い。しかし愛染にそんなことを考える余裕はなかった。勢いのまま腰に差した自分の刀を引き抜き、寝所を走る。
「約束したんだ……オレが、守ってやるって」
 愛染より後に本丸に来た蛍丸は、最初は愛染に守られてばかりいた。しかし着々と実力をつけ、あっという間に愛染を超えていった。
 なのにその後も、蛍丸は愛染を兄のように慕い、無邪気な笑顔で擦り寄ってくる。愛染はそれが悔しかったけれど、同時にとても嬉しかった。こんなに強い蛍丸が、唯一頼りにしてくれるのがオレなんだ。そう思うと、とても誇らしい気持ちになった。
 一緒に明石を探すのを楽しみにしていた。蛍丸と一緒なら、どんな戦場にでも行けると思った。
『国俊は俺が守るから、俺のこと支えてね』
 彼がそう言ってくれるうちは、ずっとずっとオレが守ってやろう、そう決めていた。決めていたのに。愛染は蛍丸を助けることが出来なかった。
 殺気を纏い、戦うことに全神経を注いでいた愛染は、すぐにその人影に気が付いた。この先の部屋、障子の奥に一人。それが誰であるか確認する前に、愛染は障子を突き破り襲い掛かった。
 剣を交えたその相手は、闇に紛れた黒尽くめ――同田貫正国だった。
「ッ! おいおい、いきなり斬り掛かってくるとはひでーじゃねーか。だがそんなんじゃ俺は折れねえぞ」
「同田貫……。蛍を折ったのはお前か!」
 暗闇で視界が悪かったが、同田貫は自分の刀を所持しており、愛染は彼に血の匂いを感じた。
「ほたる? 蛍丸のことか? 残念だがそりゃあ俺じゃねーよ」
「ッ、……そうか」
 愛染は急激に熱が冷めるのを感じ、すぐにでも他を当たろうと彼から飛びのいた。しかしそれ以上離れることを、目の前の男は許さなかった。狭い室内にも関わらず打刀を振り回し、愛染に攻撃を仕掛ける。
「くっ!」
「おいおい、自分からけし掛けておいて途中でやめるなんて、それはねーんじゃねぇの。戦いは嫌いじゃねぇ。最後まで殺り合おうぜ!」
 同田貫は強烈な咆哮と共に愛染を部屋の外へ追い出した。息をもつかせぬ攻撃で、愛染の逃げ道を塞ぐ。室内戦と夜戦で愛染の方が圧倒的有利になる前に、同田貫は室内戦だけでも潰すつもりだった。愛染の力では同田貫を室内に戻すことは出来ず、追いやられた縁側で彼の連撃を受け続けた。
「っ、くそ! 同田貫! お前は主を救いたいのか? 何のために仲間を斬った!」
 室内より明るい縁側では、同田貫の足元につく尋常じゃない血の量がくっきり見える。多分昼にあった放送のうち、誰かを同田貫が殺ったのだ。
「俺は戦うことしか能がねぇ。仲間が敵だと言われりゃ、その敵をぶった斬るだけだ。」
「何だよそれっ、ちくしょう! 仲間だと思ってたのに、皆何でそんな簡単に仲間を殺せるんだ!」
 愛染は叫びながら、必死に同田貫と剣を交わした。短刀には衝撃で細かいヒビが入っていた。怒りで正常な力加減が出来ず、刀に必要以上の負荷が掛かっている。それでも構わず愛染は剣を振り続けた。
「蛍は優しい奴だった。自分より弱いオレなんかを慕って、オレに気ぃ遣って、自慢したいはずの誉をずっとオレに隠してた! 誉を取ったのは蛍の努力だ。あいつは誰よりも努力してた。だから隠さなくたっていいのに、あいつは優しい奴だから、オレが兄貴分を止めるかもしれないって、ずっと不安に思って隠してたんだ!」
 同田貫はもう攻撃をしていなかった。ただ愛染の刀を黙って受け続けている。愛染は自分の刀の強度も顧みず、深くなるヒビをそのままに剣を打ち続けた。
「あいつは本当は弱くて、それはオレと国行だけが知ってた! だから国行が来るまでは、オレが蛍を守ってやらなきゃいけなかったのに!!」
「……そうかよ」
 愛染の刀は折れかかっていた。愛染の身体にはヒビが入り、蛍丸と同じ光が漏れだしている。それでも愛染は止めなかった。もはやそれは同田貫を斬るためではなく、蛍丸を守れなかった自分を斬るための行為に思えた。
「まだまだッ!! 愛染明王の加護ぞあらん――」
 声を枯らして発した真剣必殺の刃は、自身の重みに耐えきれず、同田貫の刀に弾け、砕け散った。ヒビ割れた刃先がくるくると回転し、庭に突き刺さる。刀が折れた衝撃で愛染は縁側に倒れ込み、全身から光を放った。
 愛染はもう立ち上がれない。それを確認すると、同田貫はゆっくりと刀をしまい、愛染に背を向けて歩き始めた。
 同田貫の体重で床板が軋む。その振動を床に感じながら、愛染はぽつりと言葉を零した。
「……なあ、俺は、蛍の兄貴分でいられたかな……」
 それは、愛染の最期の言葉だった。
 同田貫は足を止め、振り返る。
 夜の帳に、愛染の元へ蛍がふわふわと集まっているようだった。中庭から鈴虫の鳴き声が聞こえ、冷たい空気が同田貫の頬を掠める。
 同田貫はそれ以上愛染に目を向けることはなく、再び前を向いた。
「ああ。お前は良い兄貴だった」
 愛染の耳に、低く優しい声が届く。愛染の目から涙が光った。伝った涙は蛍になり、天に浮かび上がる。
 愛染は微かな笑みを浮かべたまま、静かに夜の空に消えて行った。

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