アヤカシあかし | ナノ


▼ 私は彼の選択に心を動かされる。

何も覚えていない笠松さんに姿を見せ消えるか、それとも笠松さんに前世の記憶を戻して何もせずに消えるか。あるいは寿命を全うするか。私だったらどうするかな。
自分と親しい誰かで想像してみようとするけれど、いくら考えてもこれだという人がいなくて考えに詰まる。家族には勉強を押し付けてくる嫌なイメージしかないし、祓い屋という特殊な家庭環境のせいで心から信頼出来る友達を作れた事もない。いや、友達が出来ないのは私がふて腐れていたせいもあるけれど。

キセはどう考えるかな。一番良いのは笠松さんに思い出してもらって、尚且つお話もして消える事だろう。なら笠松さんともキセともお話出来る私を仲介人にして意思疎通をしたら良いんじゃないか?キセの事を知らない笠松さんと会ってもキセは辛いだけだと思うし、この案は結構妙案かもしれない。私はそれなりに自分の考えに自信を持ってアカシにこの回答を告げた。

「不正解だ。」
「うそっ!?」

私はアカシに蹴り出されゴロゴロと床に転がった。アカシは横向きで枕に肘をついて私を見下している。

「納得出来ない。良い案だと思ったのに。」
「だからお前には友人がいないんだ。」
「うっ、人が気にしていることを…!」
「おやすみ。」
「あ、ちょっと!」

アカシはわんわん喚く私の声など聞きもせずにごろんと体の向きを変えて眠り込んでしまった。妖は睡眠を取らないので実際は寝たふりなのだろうが、これ以上何を言っても無駄という事を悟った私は仕方なくソファーに横になった。先程のやり取りでどっと疲れが溢れてきてもう限界だ。寝心地の悪さなど気にもならず、キセの選択について考えている間に私はいつの間にか眠りに落ちていた。





二日後、再びキセの神社に訪れると、キセは吹っ切れた様子で自分の選択を告げた。

「俺、やっぱ先輩とはこのままでいる事にしたっス。」

木の上でキセの意志を聞き、「え…」と声を漏らす私とは裏腹にアカシはやっぱりといった顔をしていた。学校終わりの神社は参拝客があまり居らず、閑静ながら穏やかな気が流れている。どこか寂し気にも思えるそんな場所で、慈しむように笠松さんを見つめているキセはどこか大人びて見える。そんなに大事な人なのに何故このままで良いという結論を出したのか。やはり、例えこのままでも寿命の限り傍に居たいという事なのか。そうキセに尋ねれば、キセはきょとんとした顔で私に言った。

「いや、寿命は使うっスよ。」
「ええ!?」

いよいよ訳が分からない。

「色々考えたんスけど、あの二択、結局どっちも俺のしたい事っつーか、俺の得にしかなんねー事だなって気付いたんスよ。」
「あ、」
「だから俺は、最後の力でどんな邪気からもここを守れる大きな結界を張ろうと思う。」

手伝ってくれるっスよね、赤司っち。キセがそうアカシに問いかければ、彼はやれやれと呆れながらも「お前ならそう言うと思ったよ」と優しい目をしていた。

私は心を打たれた。キセの想いに、というよりは、二つの選択を与えたにも関わらず、それに囚われる事無く第三の選択を作り出してしまった事に、だ。自分の命が掛かっているのに、ただひたすらに相手を思い行動するキセは私なんかとは器が違う。ただのうのうと寿命を消費し続ける私がちっぽけに思えた。いったい私は何のために生きているんだろう。今までそんな事考えたことも無かったのに、キセを見ててもアカシを見てても心が動かされてしょうがない。短い寿命を精一杯使って相手に尽くそうとする彼に、私が何か出来る事は無いかな。

「…ねぇ、キセ。私の寿命使う?」

キセは驚いた顔で私を見た。キセだけでなく、アカシも少し驚いていた。
妖力には二種類あって、体力のように一日で使い切っても翌日には回復するものと、寿命を引き換えに妖力に変えるものがある。体力の方はアカシの延命に使ってしまっているから無理だけど、アカシと契約外の寿命ならあげられる。笠松さんの記憶を戻してキセを実体化させようと思えば、計算してざっと寿命10年分ってところか。人間の私がこれだけの妖力を寿命10年分で捻出出来るなら上出来ってもんだ。どうせ退屈な人生を送るだけの寿命だし、キセに使ってもらった方がよっぽど有意義だと思う。しかしキセはそんな私の提案を断った。

「名前っちは若いっすね〜。」
「っち!?」

何が若いと言うのか。訝しげな目線を送るとキセは大人びた表情をして私の頭をグシグシ撫でた。

「わっちょっ、」
「…その寿命は、いつか名前っちが大切な人を見つけた時に使ってあげて。」
「大切な人?」

そんな人いない。そう思ったのに、頭を押さえられて上目使いになりながら見上げたキセの優しげな表情に、私は何も言えなかった。

「きっと出来るよ。いつか必ず。ありがとね、名前っち。」

キセはそういって、向日葵みたいな顔で笑った。視界の端に映ったアカシの顔も、心なしか柔らかに見えた。私は子供扱いされた事が若干悔しかった。





キセとアカシが強い結界を張る為の術式について打ち合わせをしている間、私は木から降ろしてもらって独断で笠松さんのところへ向かった。キセのあんな姿を見ていると、笠松さんが何も覚えていないのが納得出来なくて、自分の目で確かめたくなったのだ。それに、キセがあそこまで慕っている笠松さんを知りたくなったというのもある。境内の中を闇雲に探し回っていると、本殿の縁側に座って休憩している笠松さんの姿を発見した。

「笠松さん。」
「お、前来た中学生じゃねーか。またお参りに来てくれたのか。」
「う、はい。まぁそんなところです。笠松さんは休憩ですか?」
「まぁな。つか俺、この間名乗ったっけか。」
「いいえ。キセから聞きました。」

私は単刀直入にキセの名前を出してみた。しかし笠松さんは『キセ』という単語に反応する様子もなく、そんなヤツ居たっけか、と自分の記憶を辿っている。やはり覚えてもいなければ名前に反応を示す事も無い。がっかりするのはお門違いなんだろうけれど、それでもそう思ってしまうのはキセの想いを知っているからだ。

「キセはこの神社の狛犬です。ずっとこの神社を守っている。」
「お前、そういう…その、霊的なものが見えるのか。」

笠松さんは驚いた顔で私を見たけれど、そこに軽蔑や疑いは一切なくて、それだけでも彼が器の大きい優しい人だと言う事が分かる。大抵の人間はこういう話をすると変な目で私を見てくるのに。流石にキセがあれだけ信頼を寄せる事はある。

「キセは青色の袴を着て、黄色い髪をした犬の妖です。」
「そうか。悪いが、俺にはそういう類のものは見えないんだ。」
「そうですか…。」
「だが、時々この神社には守護霊がついてるんじゃないかって思う時がある。」
「え?」

笠松さんの言葉に、私は顔を上げた。

「この神社の空気、すげー澄んでるだろ。」
「はい。とっても。」
「ここはもうずっとこうなんだけどな、でもそれって普通は有り得ない事なんだよ。こういう職に就いていると、悪い事が続く事があるんだそうだ。悪い気が流れるっつーか。多分悪い妖怪が神の力を奪おうと寄ってくるんじゃないかって俺ら宮司の中では言われているんだが、俺は一度もそういう経験をした事が無い。」
「それは、キセが貴方を守るために、他の全てを捨てて結界を張ってくれているから。」
「“俺”を守る為?ここを守る為じゃないのか。」
「違います。キセは貴方の事をとても慕っているんですよ。」
「…、どうして」
「キセと貴方は前世でとても仲が良かったんです。キセは前世で貴方に借りを作って、それを返すためにもう100年もずっと貴方の傍にいる。何も思い出せませんか?」

笠松さんは私の話を受け止めて、じっと考え込んでいた。彼は今必死に思い出そうとしている。このまま思い出して、今からでもキセと幸せな時を過ごせればいいのに。そう私は願った。けれど現実はそう甘くは無い。

「駄目だ。思い出せない。わりぃ。」
「そんな…。」

キセは残りすべての寿命を使ってまで貴方を守ろうとしているのに。私は理不尽だと分かっていながら本当に思い出せないのかと笠松さんに詰め寄った。他人の私がこんな事を言ってもお節介でしかないのに、それでも思い出して欲しかった。だって、じゃないとキセが報われない。笠松さんは必死でキセの想いを主張する私に、優しく笑って「お前は良いヤツだな」と言った。

「そうだな…確かに俺は何も思い出せないが、でもそのキセって奴に心当たりが無いわけじゃない。」
「え?」
「その妖、ちょっとウザい奴じゃねーか?」

笠松さんは苦いものを見るように、眉間に皺を寄せながら私に聞いてきた。ウザい…確かに出会い頭に飛びついて来たり、頬に擦り寄ったり、周りを右往左往したり、やられている側としてはウザいのかもしれない。

「そう、かもしれないです。でもどうして?」
「はは、やっぱりな。」

笠松さんは私の回答に何かを納得して苦笑を漏らした。

「時々聞こえるんだよ。俺の周りを飛び跳ねる、煩いくらいの鈴の音がさ。」


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