アヤカシあかし | ナノ


▼ 選択は無情に、彼の前に迫る。

キセは、初めはただの妖犬として生まれ変わった。アカシ同様前世の記憶を有して第二の人生をスタートさせた彼は、やはりアカシ同様強い妖力を持て余し妖界を遊び回っていた。そんな日々が続く事約100年。彼はとうとう運命の出会いを果たす。
自分を使役しようと襲ってくる祓い屋と戦い疲れてちょっと休憩と寄らせてもらった神社で、キセは笠松の生まれ変わりと再会した。もちろん前世の大事な友人として転生を願って探し続けてはいたのだが、まさか本当に転生していて、しかも再開出来るなんて思っても見なかったキセは、開口一番「笠松先輩〜っ!」と飛び跳ねるように笠松に抱き着いた。いつものように「うるせー!」とシバかれる事を期待しながら。
しかし世の中そうは問屋が卸さないようだ。キセが笠松と再会できたのは前世の縁が影響していたからであるが、しかし前世の記憶はそんな事情を一切汲む事なくその有無を決定付けられている。笠松の前世での存在感は、転生するだけの価値はあっても記憶を有するほど強くは無かったのだ。

キセはそれでも全然構わなかった。前世の笠松には多大な恩がある。その恩については機会があれば話すとして、キセはそれを前世では返すことが出来なかった。笠松はキセが返したいと思っているその恩を自分が売ったなどとはつゆも思っておらず、何かをしようとしてもずっと断られ続けていたのだ。まぁそういう所も男前で格好良いのだが。流石俺の先輩、なーんて思ったりして、男前の先輩の前に何も出来ずいたらいつの間にか天寿を全うしてしまっていた。

そこで、笠松に記憶が無い今こそその恩を返すチャンスではないかとキセは考えた。逆転の発想ってやつっスよ、と少ない頭なりに妙案を思い付いた彼は、雑魚妖怪共との戯れを一切止め、心機一転神様にお仕えする為に結界術を極め他の全ての妖術を捨てた。

こうして、引き換えに得た最強の結界術を携えた彼は、今までずっとこの神社…もとい宮司笠松を約100年に渡り守り続けてきたのである。


境内の木の上に座り、彼の人生の軌跡を聞いた私は、壮大なスケールの友情物語を消化しきれず胃もたれしていた。

「今の笠松先輩は三代目なんスよ。見た目も中身も最初の先輩と全然変わってないっスけどね。」

初代はもちろん二人が人間として生活していた頃の笠松さん、二代目はキセが妖怪になって出会った宮司笠松さん、そして三代目が目の前の彼だ。二代目笠松さんも三代目笠松さんと同じようにキセの事を知覚出来なかったらしい。キセは100年もの時間を笠松さんに認識されないまま過ごして来たというのに、笠松さんの話をする時の目は相手への親愛に溢れていた。彼は一人で寂しくなかったのだろうか。覚えていない相手を責めたり、失望したりはしなかったのだろうか。

「涼太、お前の寿命は後どれくらいある。」

急に話を変えたアカシが真剣な表情でそう聞いた。キセは核心を突かれたように肩をピクリと揺らす。

「…赤司っちは流石に鋭いっスね。実は俺もそろそろ寿命を迎えそうで。持って後2、3年ってとこかなー。」

キセは木の葉越しに遠くの笠松さんを見下ろしながら、語尾を細くして答えた。やはり消えるのは色々思うものがあるらしい。妖には死の痛みも恐怖も無い筈なのに、彼の心残りが消える事への未練になっているのが見て取れる。
それから、今キセは『俺も』と言った。先程アカシが言った使役関係についての『色々あってね』という端折り部分もキセにはきちんと伝わっていたようだ。アカシが私の妖力で延命している事も、自分がもう長くないって事も悟っているキセはなんだか無性に脆く見えた。

「いやー、でも最期に赤司っちに逢えて本当良かったっスわ。本当は黒子っちや他の皆にも逢いたかったけど、あんま贅沢言うと罰が当たりそうだし。」
「そうかな。僕はこれから皆に逢いに行くつもりだよ。もし逢えたら皆にもここに来るよう伝えておこう。後2、3年寿命があるなら逢えるかもしれない。」
「ありがと。でもちょっと考えちゃうんスよねー。」
「?」
「残りの妖力をただ漫然と寿命を迎える為に使っちゃって良いのかなーって。」

キセはぐーっと伸びをして尻尾と耳を立てた。妖怪は寿命=妖力だから、妖力を節約すればそれだけ長生き出来るし、一気に使い果たせば一瞬で命が尽きる。どうやらキセは最後の妖力の使い道を決めかねているようだ。

「俺は結界以外の術は使えないっスけど、赤司っちは違うもんね。」

アカシは力を捨てたキセとは違い、様々な妖術を使える。つまりそれはキセの妖力を使って彼に結界以外の術も掛けられるって事だ。

「…ああ。例えば、お前を一瞬だけ笠松さんに認識させたり、ね。」
「やっぱそっスかぁぁー。うーん。」
「私が口を挟んで良いか分からないけれど、一瞬だけ前世の記憶を呼び戻せる術とかも、私知ってるよ。」

とはいえ私は術を掛ける事が出来ないので実際術を組むのはアカシだけれど。しかしそれ以前に、これらの術を掛けるには一つ大きな落とし穴があった。多分アカシも、キセも、薄々察しているのだろう。

キセに、複数の術を使うだけの妖力が残っていない事に。

笠松さんに認識される術を使っても、又は笠松さんに前世の記憶を戻しても、キセの妖力はどちらか一方を使った時点で尽きてしまう。それはつまり自分の残りの命と引き換えに笠松さんに一目逢うか、記憶だけ戻して何もせず消えるかという選択を迫られている事を意味していた。キセの残りの妖力では両方を選択することは出来ない。例え笠松さんの前に姿を現したとしても、彼からしたらキセは知らない人だし、じゃあ笠松さんの記憶を呼び戻すかと言っても、それではキセの姿は見えないまま、喋る事すら出来ない。キセが沈黙している。私は固唾を飲んで彼の揺れる瞳を見守った。

「いやー参ったっスね。俺頭使うの苦手なんだよなー。」

キセは黄色い髪をグシグシ掻きながら「赤司っちはいつまでここにいるんスか?」とアカシに尋ねた。アカシはその質問に少し迷っている様子だ。

「お前が選択するまで居たいところだけど、僕の寿命も近い。本当はすぐにでも次の仲間を探したいところなんだ。彼らが近くにいれば良いんだが、どこにいるかは僕にも分からなくてね。居場所によってはもうここには来られないかもしれない。」
「え、うそ?」

言葉を発したのは私だった。だってそんな話初めて聞いたんだもの。『居場所によっては』という事は何か、次に見つかった仲間が沖縄にいれば私達は沖縄に向かうのか。最悪の場合沖縄to北海道なんて事も有り得たりして。そんな無茶な。こんな時に嫌な話を聞いてしてしまったと、私はげんなりした気持ちを無理矢理抑え込んでキセに話の主導権を戻した。

「…分かったっス。じゃあどうにか後二日間で結論を出すから、赤司っち達には悪いけどまた二日後にここに来てくれないっスか?」
「ああ、いいよ。せめて残り二日で身の振り方をゆっくり考えて、お前には決して後悔しない道を選んで欲しい。」
「うんありがと、赤司っち。」

アカシは私が見た事の無いような穏やかな表情でキセに笑いかけた。キセもそんなアカシに絶対的な信頼を寄せている。笠松さんもこんなにキセに想われて、私一人完全に置いてきぼり状態だった。そんなのもう慣れたものだと思っていたのに、彼らのお互いを思いやる暖かい心を見ていると、どうしてか私まで感化されてしまう。私も仲間に加わりたい、こんな関係を他人と築いてみたい。自分に不相応だと思いつつそんな事を考えている自分に、私は小さく溜息を吐いた。





家に帰って、湯豆腐を食べて、床に就くと何故か隣にはアカシがいた。彼は悠々とベッドを占領して布団まで掛けている。

「ちょっと。どいて下さいませんか。」
「嫌ならお前が退けばいい。」
「妖に睡眠は必要ないでしょ!」

邪魔、とアカシを払い除けようと肩を押すもビクともしない。それどころか私の枕を占有して愉快そうに私を眺めていた。アカシ曰く「睡眠は必要ないが久々にベッドの感触を確かめようと思って」との事だ。全く悪びれた様子もなく唯我独尊を貫き通す彼にこれ以上何を言っても無駄だと思った私は、横から潜り込むようにして無理矢理ベッドに入った。

「何だ、中学生の分際で随分大胆じゃないか。」
「アカシは妖だから男の人じゃないし。だから恥ずかしくないもん。」
「身分をわきまえろと言ったはずだが?」

敬語を使わないのはこの口か。そういってアカシは上から覆い被さり私へ顔を近付けた。アカシの指が唇に当たる。私は吃驚して急いで顔を横に逸らした。

「ちょ、ちょっと…!」
「ふ、なんだ。恥ずかしく無いんじゃなかったのか。」

顔が真っ赤だとクスクス笑われて、更に頬に熱が溜まる。そうやって一通り反応を楽しんだアカシはそのうち飽きたのか覆い被さるのを止め、隣から私に試すような目を向けた。

「一つ、お前を試すテストをしてやろう。」
「テスト?」
「ああ。今から出す質問にちゃんと答えられたら、俺はこのベッドから出ていくよ。その代わり、見当違いの答えを出したらお前は床で寝ろ。」
「鬼か。しかも問題じゃなくて質問って、それ正解はアカシ様の一存で決まるって事?勝負になんないよそんなの。です。」
「敬語すらまともに使えないお前に教えてやる。」

――僕の命令は絶対だ。

はい、アカシ様。喜んで。
こうして、快適な睡眠を賭けたテストとやらは私の意志に関係なく理不尽に始まった。



『さて質問。キセは一体どちらの選択をするでしょう。』

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