アヤカシあかし | ナノ


▼ 黄色い妖は犬のように人懐っこい。

授業というのはどうしてこうも眠くなるのだろう。私は先生の話を右から左に受け流し欠伸を噛み殺した。窓ガラスを挟んだすぐ横では、アカシが木の上からぼーっと校庭を眺めている。外ではサッカーの授業が行われているから、もしかしたら人間の頃を思い出して懐かしんでいるのかもしれない。
着物を着込んで、木の太枝に腰掛けるアカシからは大物の風格が漂っており、風にたなびく赤い羽織や太陽に反射する金色の刺繍がとても映えていた。一言で言えば、派手だ。こんな赤が目の端に映っては例え眠気が無くとも授業に集中出来なかっただろう。皆に見えなくて良かった。
授業が終わるまでそうして木の上で過ごして、放課後は私と一緒に図書室へと向かう、それが今日一日のスケジュールだった。

帝光中の図書室は市の図書館と遜色ないくらい立派な造りとなっており、大抵の事ならこの場所で情報収集出来てしまう。まぁ、図書室といっても“赤司”が生きていた時代とは勝手がまるで違うだろうが。

「すごいな…。これはホログラムか。」

宙に浮いた沢山のスクリーン状のホログラム、開放感のある窓、無人の受付。そんな前世とは大違いの空間に、アカシは目を丸くしていた。赤司が人間だった頃は確か300年位前だから変わっていて当然だ。書籍が棚に溢れている時代はもう古い。今は紙媒体の書籍は殆ど置いて居らず、基本はホログラムを手ですいーっと動かして本を読み、必要な情報は検索機能で探し出せる。本が日に焼ける心配も無いので窓も大きく開放的。未来的なホログラムのスクリーンは空中でタブレットを操作する感覚といえば分かり易いだろうか。感心してホログラムの間に指を通過させるアカシは少し愛嬌があって可笑しかった。

そんな感じで、いつも通り空いているホログラムの一つをすいーっと手元に持って来て、私はアカシが見つめる中キセキの世代について検索を始めた。まずは顔を確認するため、卒業アルバムなんかを検索する。すると、300年前の卒業生にも関わらずアルバム以外にも色々な情報が引っ掛かった。

「わ、すごいねキセキの世代。いっぱい情報が載ってるよ。」

例えばこの時代はバスケットボール部が強豪だったとか、彼らが強すぎてキセキの世代と呼ばれるようになったとか。そんな情報を主として、他にも学校史にバスケ部の功績が刻まれていたり、歴代の優秀な生徒に赤司の名前があったり、芸能界に進んだ人がいたりと、縦横無尽に栄誉の数々が並んでいた。
こうして色々な所に情報が載っていると、如何にキセキと呼ばれる彼等が世に名を残した存在なのかが分かる。情報を漁っているうちに、卒業アルバムから赤司征十郎の写真も見付けた。

「おぉすごい、本当に人間だったんだアカシ!」

…っと、つい大きな声が出てしまった。周りの生徒に訝しげな目を向けられて恥ずかしげに口元を抑える。アカシは呆れ顔をしていた。そんな彼の顔はアルバムの中の彼と全く同じで、妖が元は人間だったという事に何故か不思議な感動を覚えてしまう。あ、でも写真の方が少し幼くて可愛げがあるな。

その後、キセキの集合写真を元に一人一人の名前と特徴、前世で何をやっていたか等をアカシに教えてもらい、まずは一番見付け易そうな黄瀬凉太さんから捜索する事を二人で決めた。とは言っても、黄瀬さんが前世で俳優をやっていたから検索データに一番引っ掛かっただけなのだが。

「うーん。やっぱり前世の情報ばかり出て来ちゃうなー。少なくとも今の黄瀬さんが人間なのか妖怪なのかくらい分かれば。」
「誰か周りに妖に詳しい人間はいないのか。」
「詳しい…。」

咄嗟にお祖母様の顔が浮かんだ。私の祖母は祓い屋界では知らない者はいない、妖使いの第一人者でとっても偉い人だ。お祖母様に聞けば何か分かるかもしれないが、しかしお祖母様だって妖すべての居場所を知っている訳じゃ無い。どちらかと言えば使役やお祓い、術式のプロと言った感じなので情報が出て来ない可能性の方が多分高い。と言い訳しておいて実の所は家に頼りたく無いだけだったりして。

「人に聞く、かぁ。…そうだ。」

私は少し考えて、もう一つの可能性を探るべく今流行りの大型掲示板にアクセスした。掲示板には霊的な事に精通している人々が集まるオカルト板という掲示板が存在する。そこで聞けば、もしかしたら。私はオカ板の過去ログを漁った。

「あった!」
「本当か。」

アカシと二人でずいっと画面を覗き込む。するすると画面をスクロールして得た情報は、キセという狛犬の妖怪がどっかの神社を守っているっぽいという噂話だった。

「で、その神社というのは何処にあるんだ。」
「書いてありませんね。」
「探せ。」
「はい…。」

この妖怪鬼だ。私はやけくそになりながらスクロールを続けたが、結局有力な情報は得られず、仕方なくアカシと一緒に前世で黄瀬さんが住んでいたという神奈川あたりの神社を虱潰しに探し回る事になった。





空は青くどこまでも澄んでいる。晴天の下、ふわりと浮かぶのは雲と、赤と、…私だった。

「きゃーーー高い高い!すっごーい!」
「騒ぐな、煩い。」

私は今、アカシに片手抱きされて神奈川の空を飛んでいた。私が神奈川を虱潰しに探す旅費が無いと愚痴りに愚痴ったら、アカシが湯豆腐一週間分と引き換えに妖具を使ってくれたのだ。それが今、彼が私を抱える手と逆の手に持つ『雨女の番傘』だった。アカシは譲ってもらったんだ、なんてにこやかに言っていたが、こんな貴重な妖具を雨女が譲るはずがない。絶対奪ったんだ。まぁそれはともかく、この傘は本来天候を操る道具として使われるものだが、それを巧く応用し、アカシは風を操ってすいすい空を飛んでいた。
青い空、白い雲を抜けて街全体を見下ろす。住宅も田んぼも森も川も全部が一望出来て、彼の肩から身を乗り出して景色を堪能した。ふわりと体が浮き上がる感覚と吹き抜ける風が最高に気持ち良い。

「あ、アカシ!あそこに神社があるよ!」
「敬語。」
「アカシ様、あそこに降りて下さい!」

アカシの小言も受け流して興奮気味に場所を指示すれば、アカシはわざとらしく溜息を吐いた後大人しく神社に向けて降下していった。
ふわり、アカシが地面に着地して私を下ろす。目の前には長い階段、そしてその先には上空から見えた大きな社がそびえ立っている。神聖な空気がそこら中に漂っていて空気が美味しい。この辺りに邪気が漂っていないのは、きっと優秀な守護霊がこの神社を守っているからだろう。神社の外側の雰囲気を確認し、満を持して階段を上る。すると、不意に神社の方からリン、リンと小さな鈴の音が聞こえてきた。

「アカシ様、今何か聞こえませんでした?」
「…。」

もう一度耳を澄ます。リン、リン、という音に混じって何かの鳴き声みたいなものまで聞こえてくる。

「……ちぃー…。」
「?」
「…しっちーー!」
「涼太、」
「えっ!?」
「赤司っちいいいいー!!」

リン!一際大きな鈴の音が響いたかと思ったら、青い袴を着た黄色が突然上から降ってきてアカシに思いっきり飛びついた。

「赤司っちいい!会いたかったっス〜!」
「久しぶりだね涼太。元気にしていたか?」
「全然元気じゃないっス!もーずっと皆が来るのを待ってたのに誰も来ないんスもん!」
「えっ、えっ?」

もう寂しかったぁぁ!とスリスリスリスリアカシの頬に自分の頬を擦り付ける彼の頭には犬耳が生えている。アカシとも随分親しげだし、何より彼もまたアカシ同様アルバムの黄瀬涼太そのままの顔立ちをしていた。

「寂しい思いをさせてすまなかったね。」
「もおお、ホントっスよ!自分から逢いに行きたくても俺はここから離れらんねーし、超寂しかったっス…ってあれ。赤司っち、そちらの方は…」
「!」

ようやく二人の世界から帰ってきた黄色い妖怪が、抱擁を止めて私に目を向ける。

「ん、ああ。ちょっと色々あってね。契約を結んでいるんだ。」
「め、珍しいこともあるんスね…赤司っちが誰かに使役されるなんて。あ、もしかしてこれ夢?」
「妖は夢を見ないだろう。それに僕は使役されているんじゃなくて、僕がアレを使役しているんだよ。」
「どうも初めまして。アカシ様に使われています苗字名前と申します。」
「ああ、なんだ。やっぱりいつもの赤司っちだったっスわ。」

黄色い髪の彼は、姿勢を正すと改めて私に向き合った。

「初めまして。俺はこの神社を守っている狛犬のキセっス。折角だし、良かったら後で神社へお参りしに行ってみて下さいな。人間の参拝者が来るとここの宮司も喜ぶと思うし。あと赤司っちには見せたいものもあるんだ。」

そういって、キセは私達を先導する為ひょこひょこ階段を登っていった。まさか神社一発目で本当に黄瀬涼太さんに巡り合えてしまうとは。彼もやはりアカシ同様顔立ちが整っていて、しかも高圧的なアカシと違ってすっごく人当たりが良い好印象な妖だ。


狛犬のキセ。この神社を強力な結界で守るその妖は、黄色い頭に犬の耳をひょっこり生やし、尻尾をぶんぶん振って自分の認めた人間に甘える。その様はまさに犬そのものであるが、しかしこの神社を見れば、彼の内に秘めた妖力の強さを垣間見る事が出来るだろう。狛犬には普通獅子が対になっているが、この神社はキセだけで守護に事足りてしまうので獅子がいない。なんとまぁ噂に聞いた通りの、キセキの世代らしいとんでも妖怪っぷりだった。

私達を境内まで案内してくれたキセは、何を見つけたのか、急にピョンと耳を立てると小走りで先を行き、さっきアカシにしたように勢いよく何かに飛びついた。私達も追う様に早足で階段を登り切ると、キセはこの神社の宮司さんと思われる人の周りを、右へ左へとぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねていた。

「紹介するっス!こちら、宮司の笠松幸男さん!」
「!」

アカシが少し驚いた顔で「そうか、海常の…」と納得していた。どうやら笠松と呼ばれる彼は人から人へ生まれ変わった、いわゆる転生を遂げた人間のようだ。多分前世で黄瀬と仲良くしていた人なのだろう。鬱陶しく周りをリンリン飛び跳ねるキセに目もくれず、笠松さんは私を見付けると箒の手を止め声を掛けてきた。

「お、学生のお客人とは珍しいな。」
「こ、こんにちは。」
「おう、こんにちは。ん、お前帝光の生徒か。」

笠松さんは私の制服に目を向けて言った。

「あ、はい。帝光中をご存じなんですね。」
「あぁ、有名校だしな。ここには学業成就の神も恋愛成就の神もいねーから女子中学生には退屈かもしれないが、まぁゆっくり参拝していってくれ。」
「はい。ありがとうございます。」

私がペコリと頭を下げると、彼は大らかな笑みを浮かべて落ち葉掃きに戻っていった。キセが「先輩は今日もクールっスねー」なんて楽しそうに笑っている。私はそんな二人に違和感を覚えた。
笠松さんは、アカシの事もキセの事も、ちらりとだって見る事は無かった。二人ともこんなに派手なのに、目に入らない筈がない。それに気付いた私とアカシがキセを見やると、彼は困ったように笑っていて。涼太、とアカシが声を掛ければ、キセは何でもない様に軽い口調で返答した。

「あーいや、笠松先輩、俺のこと見えてないんスよ。」

あと前世の記憶も無いみたい。彼はそういうと、再びにっと人懐っこい笑みを浮かべくるりと身を翻した。

腰に付けた黄色の鈴が、リン、と寂しげに音を鳴らした。

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