アヤカシあかし | ナノ


▼ こうして旅の幕は上がっていく。

「そうか、今は電車も磁気で動くのか。」
「この辺りの景色もすっかり変わってしまったな。」
「ああ、こんなアパートまで今や顔認証の時代か。」

ひょんなことから大妖怪アカシとの契約が成立してしまった私は、ぐったりしながら家路へと足を動かしていた。一方、妖力を分けた事により息を吹き返したアカシは、先程の虫の息は何処へやら、私の隣で愉しそうに街並みを眺めている。その光景を見てさらに気分が重くなった。

私は一つ重大な見落としをしていた。あの時は黒靄を倒す事に必死ですっかり頭から抜け落ちていたが、妖に妖力を与えて使役するという事は、つまり片時も離れず生活を共にするという事に等しい。

苗字名前、14歳にして男性と同棲デビューである。

あぁ、頭がくらくらする。どうして気付かなかったのだ。ただ使役するだけであれば、必要な時に呼び出して後はその辺をフラフラさせておけば良い。しかし妖力を分け与え続けるというオプションを付けたばっかりに、私は彼との共同生活を強いられていた。

「ただいまー。」

玄関を抜け、パタリとソファーに倒れ込む。アカシは「だらしが無い」だとか「先ずは制服を着替えたらどうだ」だとか小言を言いながら、行儀良くソファーの側に正座した。そんな彼をじっと見つめて大きく溜息を吐く。妖怪と言えども見た目はただの人だ。さっきまで出していた耳と尾も妖力を得た途端しまってしまったし、この整った容姿はどうしたって異性を意識させる。ちなみにどうして耳と尾を隠したのか聞いたところ、

『お前は親しくない人間に公然と素肌を晒すのか。』

ということらしい。人間で言うところの露出みたいな感覚なのだろう。
さっきからアカシに部屋をチラチラと見られている事も気になるし、これからは下着姿でうろうろしたりあられもない格好で寝転がったりは出来なさそうだ。祓い屋にとっては使役する妖怪など道具の一つに過ぎないのだが、私はどうしてもそうは思えなくて。それは私が純粋で優しいからとかでは無く、ただ単に見た目が完全に人間だから。こんな割り切れない所も私が落ちこぼれたる所以なのかもしれない。

「お前は一人暮らしなのか。」
「うん、まぁ。」
「まだ中学生だろう。両親はどうした。」
「祓い屋になるのが嫌で逃げて来た。」
「なら生活費は自分で稼いでいるのか?」
「ううん。仕送り貰ってる。」

途端にすっごく嫌な顔をされた。

「勉強から逃げた身で親に甘え、妖に襲われたら他人に頼り、自分は他人の蜜を吸って生活か。随分良い御身分じゃないか。」
「…うるさいな。」

説教に不貞腐れて「それよりアカシ、」と話を逸らせば、彼は急に声を低くして、一つ言っておこうと私に忠告した。

「先程からお前は勘違いをしているよ。」
「勘違い?」
「お前はいつ僕と対等な立場になった。分をわきまえろ。」
「え、え?」

なんだこの妖怪、急に態度が変わった。

「どうやら僕はとんだ小娘と契約してしまったようだ。」
「こ、こむすめって。」
「言葉には気をつけろ。」
「…はぁ。」
「お前など僕にとっては小娘どころか赤子も同然だ。お前と僕では生きてきた年数が違う。年上には敬語を使えと両親に教わらなかったか?」
「え?いえ、はい。」
「次からは偉そうな口を叩くな、これは命令だ。」
「はい。すみません。」
「いいか、お前が僕を使役したと思っているならそれは大きな間違いだ。」

僕がお前を使っているんだよ。アカシは私を見下し、そう言い放った。私はいつの間にか地べたに正座させられていた。
その後も、まずはその言葉遣いを直せ僕を誰だと思ってる頭が高いぞと散々罵声を浴びせられ、唖然としながらアカシ様、と呟けば彼はようやくご満悦な様子で湯豆腐を買って来いと私に勅命を下した。多分湯豆腐というのは供物の代わりだろう、いやそれは分かるが私達今帰ってきたばっかりだし…いえ、はい。何でもないです。

私は訳の分からないままアカシから逃げるようにエコバッグを持って外に出た。夕日はしみじみと私を照らしていてじわりと心が暖まる。私ってばまた随分と酷く嫌われてしまったものだ。そういえばさっき『僕は人に甘えている人間は嫌いだ。』とか言っていたっけ。きっとアカシは先程のやり取りで私に対する格付けを行っていたのだろう。結果頭が高い甘えるなと。

「甘え、か…。」

スーパーへの道をとぼとぼ歩きながら考える。まさか妖に人道を説かれるとは思ってもみなかった。色々と毒吐かれて落ち込みはしたが、しかし彼の言う事は確かに正論だ。友達も居らず、家族にも甘え、落ちこぼれ、何もせずにダラダラと退屈な日々を送る私。アカシが私を嫌うのも無理はない。だって私ですら今の自分が好きでは無いのだから。あれおかしいな目から汗が。

私だってこんな自分を変えられるなら変えたいと思っている。でもどうしたら良いか分かんないんだもの、仕方ないじゃない。私は心の中で自分に言い訳した。
別にいいじゃないか能天気馬鹿で。彼から解放されている今のうちに、もっと楽しい事を考えて気分を晴らそう。私は景気付けに鼻歌を歌った。

「ふんふふーんふーんふーん」
「随分楽しそうだな。」
「ぎゃー!」

そうだった、この人着いて来るんだった!





ドキドキしながら買い物をして、ビクビクしながら料理して、久しぶりに誰かと食事をした。テーブルの向かいに人がいるって、なんか新鮮だ。

「いただきます!」
「頂きます。」

アカシと私は熱々の湯豆腐をはふはふしながら口に運んだ。うん美味しい。ちらりとアカシを見やる。アカシは私が調理をしている間もずっと側で観察していて、いつ文句をつけられるかとひやひやしたものだが意外にも美味しそうに豆腐の舌触りを楽しんでいた。「落ちこぼれにも長所の一つくらいはあるものだな」とお褒めの言葉まで頂いてしまって有難き幸せかっこ棒読み。その後、風呂を沸かせと仰せつかり涙目になりながら下僕作業に勤しんだ私は、ようやく解放されてテレビの前で束の間の休息を堪能していた。

「はぁぁ…疲れたー。」

お笑い芸人の面白トークも全く頭に入ってこない。それくらい怒涛の一日だったと今日を振り返って自分を労った。

食事もお風呂も、本来妖怪には必要ないものの筈なのにアカシは妙に人間らしいところがある。落ち着いていて、私よりずっと年上らしくて、顔はちょっと格好いい。私が知る彼は今のところそんな感じだ。これから彼との共同生活が始まって、もっともっとお互いを知り合ったら、嫌なところも受け入れ合える仲になるのだろうか。きっとなるよね。そう信じたい。
私の事だって、もっと知ってもらわなければ。今のところ、彼の中の私と言えば帝光中に通う落ちこぼれの甘えた小娘って感じだ。まだ名前すら名乗っていないというのに既にこの恥の晒し様である。これが俗にいうマイナスからのスタートというやつか。私は彼と過ごす一か月でポジティブシンキングを身に着けようと心に決めた。

「…はぁ、せめて表面上だけでも仲良くなれたらなぁ。」

一人テレビに話し掛ける。アカシの入浴が終わったら、彼と少しお話でもしてみるか。





衝撃の事実。アカシは昔人間だった。

今から300年前、アカシは赤司征十郎として普通に名家に生まれ、普通に帝光中学校に通い、普通に卒業し、普通に人生を往生した。そして今から200年前、人間の記憶を持ったまま妖怪に生まれ変わった。

死んだ人間がどうなるか、そのシステムについて簡単に説明しよう。死んだ人間には3つの道が用意される。転生するか、妖怪になるか、無になるか。生きていた頃の名声やカリスマ性――いわゆる『存在感の強さ』によって、その道は自動的に決まる仕組みとなっている。
次に、転生もしくは妖怪になった場合、そこでもまた存在感に応じて2つの道が用意されている。それが、前世の記憶を持つか、持たないか。
赤司を例に言えば、彼は世にとてつもない存在感を放ったまま大往生を遂げた為、その魂は妖怪に生まれ変わり、前世の記憶を保ったまま第二の人生をスタートさせた。そしてそれから200年余り、前世で培われたカリスマ性をそのままに、彼は妖界(あやかしかい)においても前世同様スターダムに登りつめたのであった。

「そんな訳で、妖界の頂点に立ったのはいいが、少々遊び過ぎてしまったようでね。思ったよりも早く寿命が来てしまった。」

それで、今日まさにあの場所で寿命を全うしようとしていた訳だ。彼の輝かしい人生の軌跡を聞き終えた私は、自分とのあまりの身分の差にげっそりしていた。これが勝ち組と負け組の差か。こうも自分と真逆な人間と、この先約一か月間、どうやって上手くやっていけるだろうか。いや無理かもしれない。私は早くも諦めモードに突入していた。

「それで、アカシ…様はどうして私と契約を?」
「お前の制服を見て、ふと昔の友人を思い出してね。」

アカシが人間だった頃、彼は帝光中学校に通い、そこでかけがえの無い友人を見つけたという。アカシが妖になった後しばらくはその旧友を探し東奔西走したものの、結局見つけられずにそのままになっていたのを思い出し、最期に逢いに行くのも悪くないと思った。赤司はそう語った。

「でも、かつての友人が今も存在しているとは限らないよね…ですよね。無になって消えているかもしれませんよ。」
「それは無いな。僕と同じで、彼らもまたこの世界で異彩を放っていたから。多分前世の記憶も保ったまま生まれ変わっていると思う。」

流石アカシ様の御友人。とはいえ、例え何がしかの形で生きていたとして、日本全国から何者かも分からないその友人を探す当てなんてあるのだろうか。多くの伝手(という名の手下)を持つ大妖怪アカシですら一度は探すのを諦めているくらいだし、よっぽど良い考えでも無いと無理だと思うのだけれど。

「どうにかしろ。」
「どうにかって何!?」

まさかの丸投げであった。

「人間界の情報化社会に鑑みれば、妖怪同士の繋がりを当てにするよりそちらを探した方が見つかる可能性は高い。」
「情報化社会!?アカシって本当に妖怪!?」

なんつー難しい言葉を使うんだこの妖は。あと“様”を付けなかっただけで一々睨むのは止めて欲しい。

「と、ともかく、アカシ様が旧友を探したい事は分かりました。けど、いくら情報化社会と言えど、この広き日本全土からたった数人を見つけ出すなんて普通に無理だと思うんですけど。」
「努力もせずに初めから無理だと決めつけるお前のそういう所が甘えだと言うんだ。」
「うっ」

ごもっともな事を言いなさる。さらに上乗せするように「自分の言った事すら守れない人間など食ってしまった方が世の為かもしれない」などと言われてしまえば、契約上何でもすると言ってしまった私は大人しく従う他なかった。


こうしてこうして、妖怪アカシと落ちこぼれ名前による時代を越えたキセキ探しの旅は、ずるずると引きずるように幕を上げたのであった。

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