アヤカシあかし | ナノ


▼ 妖の本心、これ如何に。

解印の術式が見つからないまま昼食を終え、部屋で一息ついているとお祖母様から呼び出しが掛かった。使いの妖である椿を通して、アカシを連れず一人で来るようにと言付けされ渋々席を立つ。私はアカシに妖力を分け与えている関係上、長時間アカシと離れる事は出来ない。当然お祖母様はその事を見抜いているだろうから、つまりはそれ程長話にはならないと言う事だろう。
お祖母様の部屋へ向かうと、お祖母様は机に向かって書物を書いていた。襖を開く音に気付くとこちらに向き直り、正面に座るよう促される。

「話って何?ですか。」
「相変わらず敬語がなってないな。まぁ良い。時間も限られている事だし手短に用件を話そう。お前はどういうつもりでアカシを使役しているんだい?」
「はぁ…。それは他の大人にも散々話したけれど、アカシには邪気に襲われそうになった時に助けて貰ってその代りに…」
「経緯を聞いているんじゃ無い。心積もりを聞いているんだ。お前はアカシに好意を持って一緒に居るのかい?それとも成り行き上仕方無く?」
「…。」

お祖母様が何を聞きたいのかさっぱり分からなかった。いつも厳しくて怖いお祖母様が、いつになく真剣な顔をしている。

「その二つに何か違いがあるんですか?」
「当たり前だ馬鹿者。妖に感情移入するなとあれほど言ってあっただろうが。」

お祖母様は頭が痛いとでも言いたげに額に手を当てて溜息を吐いた。

「お祖母様が心配しているのは憑依ですか?私がアカシに乗っ取られるのではないかと?」
「そうだよ。分かっているじゃないか。」

憑依とは、その名の通り人間が妖怪に体を乗っ取られる事を言う。妖怪にのみ使える術であり、一度憑依されると人間の意志では解除出来ない。代わりに、よほどの事が無い限り術に掛かる心配は無いのだけれど。というのも、憑依が成立するには、人間側の同意が必要なのだ。だから、大概は人間と妖怪の間に大きな力差がある場合に、妖怪があらゆる手を使って人間を惑わせ、強引に同意させる。

「アカシは確かにとても強い妖だけれど、私を惑わせようにももう殆ど妖力は残ってないよ。」

現に、今だって妖具を使わなければまともに術すら出せていない。その程度の力で私を惑わせる妖術や憑依を仕掛けられるとは思えない。

「人を惑わせるのが妖術だけとは限らん。人の情につけ込んで憑依に同意させる可能性だってある。アカシがもうすぐ寿命を迎えるというなら尚更、憑依のタイミングとしては絶好だろう。」
「寿命って言うなら私なんかとっくに食べられているよ。その方が直接妖力を奪えるんだし。」
「人を食えば邪気が生まれる。赤孤アカシは人は決して食わないのだろう?」
「…確かにそうだけど。でも、だからってなんで憑依の話になるの?アカシはそんな事しないよ!」

私はお祖母様に突っかかった。しかし、お祖母様は神妙な顔のまま、冷静に私に問う。

「本当に、そう言い切れるかい?アカシ程聡明な妖怪が、何も考えずお前に従順でいると、どうして言い切れる。」
「それは…一緒に居れば分かる。」
「表面上はお前に優しくしておいて、腹に一物抱え込んでいるのではないか?妖力を温存したり節約している振りをして、実は憑依に必要な妖力を溜め込んではいないか?もう一度良く考えてみなさい。」
「…。」
「何度も言うようだが、妖をあまり信用するなよ。妖に向ける信用なんて、どうしたって毒にはなっても薬にはならないのだから。」

お祖母様の話はそこで途切れた。アカシが私に憑依しようとしている可能性。そんなの考えた事も無い。最初に会った時、アカシは妖気を使って妖を追い払ってくれた。少なくともこの時点では、妖力を温存する素振りも私に憑依する気も無かった筈だ。けれど最近は、何だかんだ私に甘くて、術を使うにも必ず妖具を使い妖力を節約している。耳と尻尾を出すようになったのも、隠す妖力が勿体無いから?





「…何を企んでいるのですか。」
「…。」

名前が部屋を去った後、アカシは目の前の妖に敵意を向けられていた。白い着物を着た、人形染みた無表情が特徴の女の妖は、先程名前が『椿』と呼んでいた名前の祖母に使役される妖だ。
椿には、先程の名前とのやり取りには無かった嫌悪の感情が込められていて、従順に主人に従うだけの人形だと思っていたアカシは少しばかり驚いた。人間に使役された妖は、主に逆らう事を一切許されず、まるで牙を抜かれた獣のように感情を閉ざし憐れに生きていく。アカシはそんな妖の姿を何度も目にしていた。椿に僅かながら興味を抱いたアカシは、口元に笑みを浮かべ口を開いた。

「企むとは、何の事かな。」
「名前様と契約を結んだ事についてです。」
「主人に僕の事を探れとでも言われたか。」
「いいえ。主に申しつけられたのは貴方の監視のみです。」

椿がアカシに質問を投げ掛けたのは、主人の命令では無く自分の意思だった。椿にとって祓い屋は自分の自由を縛る忌むべき対象であるが、名前だけは別だ。名前は、この祓い屋一家で唯一自分を道具としてではなく、対等に接してくれた。友人になりたいと言ってくれた。椿にとって、名前は唯一心を寄せたいと思う人間だった。

「名前に情でも移されたか。下らない。」
「どう思われようと構いません。名前様との契約を解除してください。」
「解除しろと言われて出来るものでは無いよ。契約とは両者間での取り決めなのだから、互いの合意があって初めて解除出来る。それくらい君も分かっているだろう?」
「…名前様には私から申し伝えます。」
「そんなに心配しなくても、名前の妖力が尽きれば契約は自然と解除される。首輪付きの妖ごときが口を挟むな。」
「…。」

アカシは名前への好意を示す椿の態度にわざとらしく嘲笑した。

「殊勝な事だな。人間に好意を寄せるなんて。君はそんな報われない思いを抱えたまま、この先数百年も生きていくつもりかい?傍で名前を守る事も、行動を共にする事すら、君には出来ないというのに。」
「…っやはり、名前様に危害を加えるおつもりですか。」
「さて、どうだろうね。何にせよ、君には関係の無い話だ。」
「…。」

アカシに襲いかかりたくとも、主人の命が無ければ椿には何も出来ない。アカシもそれを分かっていて言葉に必要以上の棘を混ぜた。名前も随分妖に好かれたものだ、とアカシは内心感心する。キセも、緑間も、今まで出会った者達は何だかんだ名前に心を開いている節がある。

「…これだから、人と妖は必要以上の関わりを持つべきではない。」

ぼそりと呟いた言葉は誰に向けて放った言葉だろうか。少なくとも、アカシの言葉は椿に聞き留められる事は無かった。





自分の部屋の前まで戻ると、中から椿とアカシの話し声が聞こえてきた。私は引手に手を掛けたまま数秒固まる。二人が会話しているなんて珍しい。アカシはこの家に来てから私以外とは一切口を利いていないし、椿はお祖母様に従順な為家の者に話し掛けられた時以外は滅多に喋らない。二人の会話に興味を惹かれて耳をそばだてるが内容までは聞き取れず、こっそりと襖を開けて聞こうとしたらあっさりと見付かってしまった。

「…では、私はこれで失礼します。」

椿はいつも通り無表情で、私に一礼するとお祖母様の元へ帰って行った。首を傾げつつ、アカシに何を話していたのかと問いかけても、大した事じゃないと素っ気無く返されてしまう。私に言いたくない事だろうか。まぁ、あまり根掘り葉掘り聞くのも良く無いか。
私はそれ以上突っ込むのを止め、教科書を漁る作業に戻る事にした。アカシは先程と同様、妖力を温存するように目を瞑って壁に背中を預けていた。





「あった!アカシ、見つけたよ!モモイに施されたものと同じ術式と、それを解除するための術式。やっぱり一般的な術式だった。ほら、教科書にも載ってる。」

徹夜で探し続けた甲斐があった。朝、日が昇って間もない時間帯に、私はとうとう解印の術式を見付けた。教科書を指差してアカシを呼べば、壁にもたれて休んでいた体勢からゆっくりと目を開けてこちらに近付いて来る。

「どう?私は妖術を使えないからアカシが解印の術式を組む事になるけれど、この術使えそう?」
「問題無い。もう覚えた。」
「早っ!」

一般的な術式と言えどもそれなりの難易度だと思うのだけれど、やっぱりアカシは只者では無い。

「アカシって妖術も使えるし、貴重な妖具もいっぱい持っているよね。適当に生きている妖怪も結構多いのに、アカシはどうして強くなったの?」
「別に強さに拘っている訳では無いよ。ただ、…いや、なんでもない。」
「え、なにその含みの持たせ方。凄く気になるんだけど。」
「別に。ただの暇つぶしだよ。」

アカシは少し感慨に耽った後、妖具集めも、妖の頂点に立つのもただの暇つぶしだと言った。妖術は祓い屋を相手にする過程で自然と覚えたそうだ。

「そんなことより桃井の件だ。」
「…まあいいか。術を使うには妖力が必要になるけど、私もアカシも妖力に余裕が無いよね。その点はどうしようか。」
「妖力は大輝に出させればいい。見たところあいつには大分余力があったし、桃井の為なら寿命全て使うくらいの気概はあるだろう。」
「おお…」

相変わらずキセキの皆は仲がよろしいようで。おかげで妖力の問題も大丈夫そうだ。壁掛けの時計を見上げれば、時刻は朝の4時を指している。

「4時か…。早めにアオミネのところに行ってあげた方が良いし、皆が寝てるうちに帰ろっか。」

私はそう言って立ち上がった。すると、ずっと机に向かっていたからか、急に目の前がクラッと暗転して体のバランスが崩れる。そのまま畳に倒れ込むかと思われた体は、しかし、一瞬早くアカシに抱きとめられた。

「うわ、目の前がクラクラする…。」
「根を詰め過ぎたんじゃないか。少し休め。」

アカシは私を畳にゆっくり下ろすと、押し入れから布団を出して敷いてくれた。本音を言うと少し休みたいけれど、アカシだって早くアオミネの元に行きたい筈なのに良いのかなという気持ちもある。
大人しく布団に入った私に、アカシは優しく頭を撫でてくれた。両目を覆うように掌を乗せられ、その暖かさに安心する。

「…思ったより持ちそうに無いな。」
「アカシ…?」
「何でもないよ。早く眠れ。少ししたら起こすから。」
「…うん…。」

アカシが何を言ったのか気になったけれど、私はそれを聞く前に眠りに落ちてしまった。





目が覚めたのはそれから5時間後だった。2時間くらいで起きたかったのに、もう9時だ。その割に体は怠いままで、全然眠った気がしない。アカシは私の顔を覗き込んで顔色を確認すると、「もう少し寝ていろ。」と私を制した。

「もう平気だよ。大分寝たし、これ以上アオミネを待たせたくない。」
「一日くらい待たせても問題無い。」
「今日一日帰らないつもりなの!?アカシ、最近ちょっと私に甘くない!?」

アカシは何が気に食わなかったのか、眉間に皺を寄せてあからさまに嫌な顔をした。

「…せめて後少しだけ休め。それから、帰る時は家族にちゃんと一言言え。」
「え。なんで。絶対引き留められるじゃん。」
「心配するだろう。それに、別れを惜しみたい者だっているだろうから。」
「そんな人いないよ。跡取りが欲しい人間ならいっぱいいるけど。」
「いいから。」
「…はーい。」

私はアカシに言われた通り2時間追加で休んだ後、少しだけマシになった体でアカシに言われるまま居間に向かった。





「ということで、私達は帰るから!それじゃっ!」
「あっ名前、待ちなさい!」

作戦通り、帰る事を一方的に告げて玄関を出れば、お祖母様たちに引き留められる前に家を出る事が出来た。アカシが一瞬椿の方に視線を向けていたのが気になったが、生憎別れを惜しむ猶予はない。先程何やら話していたようだから、もしかしたら妖同士お話ししたい事があったのかもしれないけれど、アカシには一刻も早く番傘を出して飛んでもらわなければならないのだ。

「アカシ早く!追手が来るよ!」
「ああ。」

しかし、アカシは呑気に番傘を取り出してのろのろとそれを開いて、何故かまるで急ぐ気0だった。なんだこいつわざとやってるだろ。こちとらアカシの為に急いであげているというのに。
その時、椿が縁側から庭を通って私達の元へ駆けてくるのが見えた。

やばい。お祖母様からの刺客だ。

「名前様。」
「ぎゃー来た!私帰るから!急いでるの放っといて!」
「私は見送りに来ただけです。連れ戻す命は受けておりません。」
「え、そう…?」

そう言えば、椿は私が帰った時も一番に迎えに来てくれた。今もこうやってお見送りをしてくれている。跡取りが欲しいだけの家族たちと違って、椿は私の事を慕ってくれているのか?そう一瞬考えて、しかし以前の出来事からそれは無いなと首を振った。私は以前友達になるのを断られている。忘れもしない私がこの家を出ようと思ったきっかけである。では、椿が私が目当てではないとなると、もしかしてアカシ…?

「…。」
「…。」

二人はピリッとした表情のまま見つめ合っていた。え、なにこの不穏な空気。私のいない間に何かあったのだろうか。やがてアカシは短く印を切ると、椿に向かって術を投げた。一瞬攻撃したのかと思って吃驚したが、この術は見た事がある。確か言葉を術式にして相手に伝えるものだ。椿はそれを受け取ると、一瞬目を丸くした。

「なになに?私に隠し事?秘密の話?」
「大したことじゃない。それより、この妖が、最後にお前に言いたい事があるそうだよ。」

アカシのその言葉に、椿は驚きの顔でアカシを見た。何か突拍子も無い事に椿が困惑しているように見えたが、私には事情が良く分からない。

「椿、言いたい事って何?」

私は訳が分からないまま椿の方に向き直った。椿は、足元を見て言い辛そうにしていたが、やがて決心した様に私を目を合わせた。

「…、名前様。お気をつけて行ってらっしゃい。そして、たまにはこうしてまたお顔を見せて下さい。次に会えるのを楽しみにしております。」
「!、え…?うん、それだけ…?」
「はい。行ってらっしゃいませ。」
「い、行ってきます。」

私はこの妖にそんな事を言われるとは思っていなかったので、目を見開いたまま数秒固まってしまった。いつも機械的で感情の無い椿が、まさか私に好意的な言葉をかけてくるなんて、いったい椿に何を言ったんだこの妖は。
アカシは私達のやり取りを最後まで見届けると、番傘を開いてふわりと体を浮かせた。私を抱え一定の高さまで昇り、東に向かって進み始める。椿の、しばらく空を見上げたまま動かない姿がとても印象的だった。





『人の一生は短い。そのくせ、昔の事などすぐに忘れてあっという間に死ぬ。人を思い続けたって、不毛な時間を過ごすだけだ。それは自分の為にならない。』

椿は、先程受け取った印を思い返し、アカシの姿を思い出しながら思考を巡らせた。

『余り名前に構うな。必要以上の口出しはあいつの為にならない。名前に必要なのは、自分で考えさせ、決めさせる事だ。』

『妖が人間に出来る事など、ただその成長を見守る事だけだよ。』

アカシの事を良く知らない椿には、彼の言葉が名前に憑依する為の口車なのか、名前を思っての言葉なのか、読み取ることは出来ない。

「必要以上に情を移さず、ただ人の成長を見守る…。それが、名前様に対する貴方の考えですか、アカシ様。」

それでも、彼の発した術にはどこか温かみがある気がして、椿はただ空高く飛んでいく二人をいつまでもその場から見守り続けた。

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