アヤカシあかし | ナノ


▼ 妖は道具であり、それ以上の関わりを持つべきではない。

結論から述べると、私達が帰省するのは明日となった。
事の顛末を簡単に纏めると、帰省するに当たり母に電話したところ『名前?貴女ずっと連絡寄越さないで何していたの。お母さんずっと心配してたのよ?一週間に一回は連絡を入れるよういつも……』と散々説教を受けた挙句、明日にでも帰って来いと学校に一週間の欠席連絡を入れられ、半ば強制的に明日帰る事となったのだ。
電話に狐耳を近付け事の次第を聞いていたアカシは、電話が終わると善は急げだと言わんばかりに「明日は番傘を使い京都まで飛ぼう。」と惜しげも無く私に提案してきた。そりゃあアカシには寿命があるし、アオミネが気がかりだろうから早めに事を済ませたいってのも分かる。が、出来れば帰省を先延ばしにしたかった往生際の悪い私にとって、アカシのそのやる気は全くもって嬉しくなかった。

「あー行きたくない!」

私は今更な事を言って、ソファーに寝転がる要領で隣に座るアカシの膝上に飛び込んだ。アカシへの意趣返し的な気持ちが半分、純粋な好奇心が半分といったところか。もちろん怒られるのは覚悟の上だ。
案の定アカシは眉間に皺を寄せると、低い声で「おい、」と私を制した。無視だ無視。怒られついでに、アカシが私を名前で呼ぶようになってから常に出しっぱなしになっている耳と尻尾にも触れてみる。

「うわー、ふわっふわ。」
「妖狐の尻尾を触る事は猥褻行為に値すると前に言わなかったか。僕が人間であれば刑法第176条強制猥褻罪で告訴していたところだ。」
「例えがリアル過ぎる。」
「触るからには、それなりの覚悟を持てという事だ。」
「覚悟って?」
「覚悟は覚悟だよ。」

そうは言うけれど、その割にアカシは意外にも私の行動を拒絶していない。ソファーの背もたれに尻尾をくっつけて、くすぐったがるように尻尾を左右に揺らしている。淡黄の毛並みはふわふわして綿毛のようだ。
もしかして、私が実家に帰る決意をしたから、彼は私に甘くなっているのだろうか。それとも私の事を少し認めてくれたという事だろうか。私は自分の良いように思い込む事にして、存分にアカシの尻尾と温もりを堪能した。





まるで子供だな、と考えて、実際彼女はまだ子供だったと思い至った。馴れ馴れしくじゃれてきたと思ったら、すやすやと寝息を立て始めた名前の無防備な寝顔に呆れ、仕方なく羽織を掛けてやる。暖かさに安心した名前は、アカシの腰元に回す腕の力を一層強め、再び動かなくなった。そんな名前を見て、アカシは溜息と共にそれを甘受する。僕も随分甘くなったものだ、そう自嘲して、アカシは眠れない身体をソファーに預けた。

先程の電話の内容を聞いて、名前のこれまでの境遇を察したアカシは、生前の自分を逡巡していた。
アカシは生前、父親の求める全てに従い、その全てを達成する事で自分の居場所を作っていた。一方名前は、家から逃げる事で己を保ち、独りでどこか冷めた生活を送っている。生前の赤司征十郎と名前はどこか境遇が似ている。もし自分が父の重圧に耐えきれず逃げていたら、今の名前のような生活を送っていたのだろうか。

妖として300年過ごしたアカシは、その目に色々なものを見てきた。
世界は美しいもので溢れていて、目まぐるしい日々を送っていた生前には気付けなかった沢山の事が、人間の人生には溢れている。
人は成長する。凝縮された短い人生を精一杯謳歌して、世にその名を残す。
人の人生は儚くて美しい。長い寿命の代わりに成長が無く、暇を持て余し、生産性の無い日々を送る事しか出来ない妖とは違う。

名前は今、アカシの影響を受けて変わろうとしている。今まで家から逃げて来た名前が、誰かの為に行動しようとしている。アカシは自分と名前を重ねて、その姿に自分の未来を見ている錯覚を覚えた。
生前に未練は無い。けれど、人として生きている名前を見ると、何故か時々もどかしい気持ちになる。
寝息を立てる名前が不意に身じろぐ。緩めた視界からそれを眺め、アカシは口元を僅かに緩めると、再びゆっくりと目を閉じた。





翌日、アカシに膝の上で起こされた私は、アカシに急かされるまま眠気を圧して京都へ向かった。ここまで来てもまだ憂鬱さが抜けない私は、空を飛んでいる間もずっとアカシの肩越しに街の景色を眺めていた。

「そういえばアカシ。きっとアカシが家に来たら色々と嫌な思いをすると思うから、先に謝っておくね。」
「?それはお前が謝る事なのか。」
「うーん、どうだろうか。」
「お前が謝るような事なら、そうならない努力をしろ。そうでないなら、お前は桃井の封印を解く事だけを考えていろ。」
「そうだね。じゃあやっぱり今の無しで。」

京都へは一時間ほどで辿り着いた。京都の景色を上空から堪能しつつ、自分の家を探す。

「あ、あそこ!私の家!」
「ほう、流石名門なだけあって立派な敷地だ。敷地面積だけなら赤司家以上かもしれない。」

上空からでも見つける事が出来る程大きな私の家を見付け、私達は玄関の近くに降り立った。すると、私の妖気を感じた両親と使役妖怪にすかさず出迎えられ、私は苦笑いを浮かべる。案の定、両親はアカシを見た瞬間驚愕と歓喜の悲鳴を上げ「今日は祭りだーーー!!」と叫んでいた。

その日、苗字家はお祭り騒ぎだった。私の両親とお祖母様は私の帰省を知って忙しい身ながら休暇を取っていてくれたらしいが、それ以外の親戚も、知り合いの同業者までもがアカシの噂を聞きつけ、仕事をほっぽり出して駆けつけた。
私はひたすらアカシとの出会いから使役するに至るまでを説明させられ、アカシは集まった層々たる祓い屋メンツに囲まれて好奇の眼を向けられていた。

アカシは祓い屋に何を聞かれても一切口を開こうとしなかった。本来アカシは人間に使役される立場なので、祓い屋を無視する事など有り得ないのだが、何せ相手はアカシ様だし、使役するに至った事情も事情だ。その為私は、『使役するに当たり、他の人と会話をしないように命令している』等と適当な事を言ってアカシの態度を誤魔化す必要があった。こんな祓い屋達の面前で余計な波風を立たせたくない。
私の誤魔化しは無事通用し、祓い屋達は終始私を持ち上げ、褒め称えた。

「家を出て行った時は親不孝者だ何だと思ったが、まさかこんな立派になって帰ってくるとは。」
「母さんも嬉しいわ。そうだ、お客さんもこんなに集まった事ですし、お昼は宴会にでもしましょう。名前、今日は貴女の好きな物沢山作ってあげるからね。」

お母様の提案で女手が宴の準備に向かった後も、大人達のアカシへの興味が失せる事は無かった。皆思い思いにベタベタと羽織に触ったり、隅々まで眺めたり、何か芸は出来ないのかと聞いてきたりする。まるで珍しい玩具を見付けたかのようなその態度に、つくづく妖は道具なんだなと思った。





「もう、どうして大人って皆ああなんだろう。」

疲れているから、と質問攻めを掻い潜り自室に籠った私は、畳に座り込み一人項垂れた。シンとした部屋からは大人達が外で酒を飲む喧騒が聞こえる。すっかりアカシへの興味から大人の楽しみへとシフトチェンジしたようだ。

「あれが普通の反応だろう。今更気に病む事か。」
「でも不愉快じゃない?」
「不愉快だね。」
「でしょ?妖だからって道具としてしか見ていなかったり、使役したり、祓ったりするのはやっぱりおかしいよ。妖とも普通の人間みたいに仲良く出来れば良いのに。」
「そう。僕は大人達の対応が正しいと思うけどね。」
「えっ!?な、なんで?」

てっきりアカシは私の意見に賛同してくれると思っていたから、彼が自分を道具扱いする大人達の肩を持つなんて信じられなくて自分の耳を疑った。

「妖は道具であり、それ以上の関わりを持つべきではない、というのが祓い屋の教えなのだろう。」
「うん。」
「どうして大人達がそのような教えを説くのか、お前には分かるか?」
「…分からない。」
「なら考えろ。」

アカシはそれ以上言葉を続けず、ひょっこりと耳と尻尾を出して楽な姿勢になるとそのまま目を閉じてしまった。先程の質問攻めでアカシも疲れているのかもしれない。
私は手持ち無沙汰になったので、本棚から祓い屋の教科書を一冊取り出し、数学の公式のようなそれをパラパラと捲ってモモイに掛けられた術式について調べ始めた。
きっとあんな術式、大人達に聞けば簡単に解読出来るのだろう。でも家を飛び出した手前大人達には頼りたく無いし、自分の事は自分で解決したい。
術式の羅列という睡魔と格闘しながら、私は昼食に呼ばれるまでひたすら教科書を読み耽った。

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