アヤカシあかし | ナノ


▼ 長きに渡る攻防戦、ここに終結。

『前世の記憶が無くなる。』
タカオが説明したそれは、記憶を保持する容量の限界を超えた緑間さんが、いずれキセキの世代や高尾についての記憶を忘れてしまうという事だった。タカオは例え自分の事を忘れられても、今の緑間さんが幸せであって欲しいと願い、彼から逃げ続けていたのだ。

人間と妖怪は関わるべきでは無い。確かにそれは、そうなのかもしれない。

妖は人間ではない。私達とは住んでいる世界も何もかも違う。彼らは使役する道具であり、それ以上でもそれ以下でもない。彼らに余計な感情を持ってはいけない。
私が祓い屋として教えられた事。私はその教えが大嫌いだった。妖怪が見えて、特殊な家庭環境で育った私には友達がいなかったから、私の話し相手は専ら勉強の監視役としてつけられた妖怪だった。祖母に使役されたその妖怪は、祖母にとても従順な妖怪だった。

『ねえ椿、べんきょう疲れた。ちょっと休憩してもいい?』
『まだ課題は終わっていません、名前様。私は妖術すべてを書き取るまでの監視を主から仰せつかっております。』
『でもちょっとだけ。そうだ!トランプしようよ。今日学校でクラスの人がやってたの。私もやりたいから椿つきあって。』
『そのような事は出来かねます。』
『えー、けち。じゃあ花札でいいよ。』
『そうでは無く、私は名前様と親しくする事を禁止されております。』
『どうして?私は妖怪のせいで友達ができないんだから、椿が友達になってくれてもいいじゃん。』
『なりません。私は妖怪ですから。』
『私は椿が妖怪でもかんけいないよ。椿が好きだから友達になりたい。』
『…申し訳ありません、名前様。』
『なんでよ。椿のばーかばーか!』

今思えば、あの教えがあの家を出て行く決め手になったのかもしれない。今でも、私は自分の考えが間違っているなんて思っていない。どうして人間と妖が友達になってはいけないのか。そんな事絶対に無い。それは、アカシと契約してからの出会いの全てで証明されている気がした。妖怪が人間じゃないからと言って、人間と同じ心を持ち合わせていない訳じゃ無い。心が通じ合えば、妖か人間かなんて大した問題じゃ無いと私は思う。

「ま、そういう訳だからさ。俺の事は放っといて、赤司は真ちゃんと仲良くやってよ。つか今のうちに新しい思い出作っとかないと、真ちゃん赤司の事まで忘れちゃうし。」
「…そうだな。」
「タカオはそれで良いの?親友だったんでしょ?」
「んー、まぁいんじゃね?」

タカオは笑いながら軽口を叩いていたけれど、その本心には「真ちゃんが幸せになれるならそれでいい」という思いがある事に、私たち二人はちゃんと気付いていた。

タカオが言っている事は多分正しい。妖怪と人間は関わり合うべきでは無い。寿命も生きている世界も流れる時間も、全て違う中でお互い干渉すれば、それだけ緑間さんは俗世から足が浮く。京都の家にいた際に私はその感覚を嫌という程味わってきたから、緑間さんがタカオと会うリスクは非常に良く理解出来た。

タカオと別れ、雲一つない宵闇の空を飛ぶ。今日は星が点々と浮かび、絶好の星見日和だった。受ける風が少し肌寒くて、アカシの肩に身を寄せながら問う。

「タカオと緑間さん、このまま放っておくの?」
「さぁね。」

アカシはこういう時、決して自分の意見を口に出さない。いつだって先に私の考えを引き出させて私を試す。今回もそうだろうと思って私は彼に聞かれる前に自分の意見を口にした。

「私は、本当は二人とも凄く会いたがっていると思うし、会わせるべきだと思う。」
「そうか。」

アカシの声は穏やかだった。アカシも、私と同じく夜空に散らばる無数の星に見惚れているのだろうか。

「私達が何もしなければ、きっと二人は出会えないまま、緑間さんは記憶を失くしてしまう。緑間さんもそれを焦っているから、きっとネットで噂になるくらい頻繁に森を探し続けているんだよね。」
「もしくは、すぐ側で高尾が自分を守ってくれている事に、薄々勘付いているのかもしれない。あいつは決して自分の力を盲信するような奴では無いから、占いだけで自分の身を守り切れるとは思っていないだろう。」
「うーん。なんかもどかしいね。」

タカオは200年も自分の頭上に居るのに、それでも捕まえられずに探し続けられる緑間さんの心理が良く分からなかった。あんなに必死に探し続けているのに、無視されて、ただ見下ろされている気分は緑間さんにとってどのようなものなのだろう。諦めようという気持ちは、無かったのだろうか。
タカオだってそうだ。絶対会いたいと、忘れて欲しくないと思っている筈なのに、必死に自分を探す声に耳を塞いで、ただ一途に身を隠すしか出来ないその心情はやはり理解し難い。それでも、私は強がって意地ばかり張る二人に、第三者にしか出せない最善の道を示してあげたいと思う。
私は静寂に包まれる上空で、自分の提案をアカシに話した。私の説明する声も、アカシがそれに同意する声も、冷たい空気に凛と響いて、まるで誰もいないホールで内緒話をしているような、そんな不思議な気分になった。





「仕方が無い。今日に限り、特別にこれを貸してやろう。ただし湯豆腐一週間分だ。」

あと汚したら食う、というオマケ付きで、私はアカシから『アカシの羽織』を借りた。実際着てみるとその生地の滑らかさは絶品で、思わずうっとりとしてしまう程上質だ。これはアカシが貸すのを渋る理由も良く分かる。普通の着物としても一級品な上に、魔除けとしての価値も高いなんて、もう国宝なんじゃないかこれは。アカシの長年の妖力が詰まった羽織を風に棚引かせて、私はザクザク森を進んでいった。
今日は土曜日で学校はお休み。単独森に入った私が目指すは、ずばりタカオのいる場所だ。緑間さんは妖力がそこまで強い訳では無い為把握出来なかったのだろうが、私は人並み外れた妖力があるので、この森の広さくらいだったらタカオの妖気はすぐに見つける事が出来た。

「居た!タカオ!」
「お、昨日のお嬢ちゃんじゃん。」
「お嬢ちゃんじゃない。名前だよ。」
「そっか、名前ちゃんね。昨日まともに自己紹介しなかったもんなー。俺は高尾和成、ちなみに今は妖怪タカオな。よろしく。」

私はタカオに木の上まで上げてもらって、太めの枝に並んで座って足をぶらぶらさせながらタカオとお話しした。

「タカオは緑間さんと会いたい?」
「ん、会いたくない。」
「じゃあ記憶とか妖怪とか関係無かったら会いたい?」
「えー、関係無かったら…まぁまぁかな。俺が人間だった頃はずっと親友だった訳だし?真ちゃん俺の事大好きだからね。」

俺も真ちゃん好きだけど、と後から付け足して、タカオは天気の良い空に向かって大きく伸びをした。黒く大きな鷹の翼がバサッと広がって、ヒラヒラと何枚かの羽根が地面に落ちる。タカオの意外な大きさに吃驚して、こんな大きな羽を縮こませて緑間さんから隠れていたのかと思うとタカオの恐るべき意地と執念に敬服しそうになった。
気を引き締める。タカオの気持ちに圧されている場合ではないのだ。私達はこれから昨日立てた作戦を実行するのだから。

「タカオには悪いんだけどね。昨日アカシとも話し合って、タカオの『俺の事は放っといて』っていう言葉は無視する事にしたの。」
「はい?ちょい待ち。どういう事?」
「アカシからの伝言。『そもそも僕は、高尾和成より真太郎の味方なんだ。』だって。私も立場的にアカシの下僕だから、その意志には逆らえないんだよ。」

私はにやりと笑って、困惑するタカオにごめんねと謝った。そよ風が枝の隙間をすり抜ける。快晴の空は濃い水色を主張して、眩しい日光が木々の空間を抜け私達を照らしていた。さわ、と風の気配を感じたのか、タカオが上空を見上げ目を凝らす。すると一際大きな風が落ち葉を巻き上げて、一気に空に舞い上がったと思ったら、

「は…?」

パラパラと。舞い上がった木の葉が重力に従い落ちていく、その中に、一際鮮やかな緑色。

「高尾!!ようやく見つけたのだよ!」
「真、ちゃん…?」

葉の隙間にタカオが見たのは、私達より遥か上空を飛ぶ、緑間さんの姿だった。タカオが目を見開いて、うわ言のように「なんで…」と呟く中、アカシに抱かれた緑間さんはタカオの動揺など意にも返さず叫び続ける。

「高尾!お前が俺の頭上に隠れ逃げ続けるというのなら、俺はその更に高みから、お前を見下ろすまでの話なのだよ!」
「おいおい…無茶苦茶だろ真ちゃんマジで。」

タカオが大きく身じろいだ。私はすかさず彼の手を掴み、そして緑間さんが、舞い落ちる木の葉に上乗せするように、持っていた色とりどりの紙吹雪を空いっぱいにぶちまける。
赤、青、黄、紫、それにピンクや水色、オレンジの紙片が、葉の緑と入り混じってひらひらと辺りを彩り、視界を埋め尽くす。

「うわっ、何これ。」
「目くらましだ。お前が逃げ出さない為のな。今日のラッキーアイテムなのだよ。」
「ぶはっ、マジかよ!流石おは朝、抜かりねー。あーもう、全部台無しだよちくしょー。」

逃げられない事を悟ったタカオは、諦めるようにその場にしゃがんで項垂れた。いくら二人の為を想ったとは言え、タカオが200年自分の気持ちを押し殺して守り続けてきた緑間さんの幸せを、たった今私達が壊してしまったのだ。その事に少なからず罪悪感を覚える。本当にこれで良かったのだろうか。私の提案に間違いは無かったか。しかしそんな罪悪感は、どうやら杞憂だったらしい。頭を抱えたタカオがその両手を口元に持ってきて、湧きあがる感情を抑えつつ言葉を零した。

「俺って、性格悪いのかもしんねー。」
「え?」

急に何だと思ってタカオに目を向けると、彼は空のただ一点を、焦がれるように見つめていた。

「…俺は、本当はただ見たかっただけなんだ。こうやって真ちゃんが、俺の決意も意地も全部飛び越えて、自分の意志を貫き通しちゃう姿をさ。」

だって人が空飛べるとか思わないだろ、普通。流石俺のエース様だぜ。なんて、タカオは自慢げに笑っていた。その目に涙が溜まっていた事は、私の胸の中だけに留めておく事にしよう。紙吹雪を体に浴びながら、空だけを見続ける彼に倣って、私もそのカラフルな景色に身を委ねた。

結局。そんな感じで折角雰囲気良く話が纏まりそうだったのに、それを察してなのか、アカシがいきなり緑間さんを上空から手放し、私達三人が途端にパニックになってタカオが必死の形相で緑間さんをキャッチするというとんだハプニングを迎えてこの話は終焉を迎えた。あの時のアカシの愉快そうな顔は決して忘れない。あの人やっぱ鬼だ。

「僕に手間を掛けさせた罰だよ。」
「赤司ぃ!覚えているのだよ!!」

緑間さんはタカオの胸に不本意なダイブをかまし、地面で木の葉まみれになりながらしげしげとアカシを見上げていて、アカシは扇子で口元を隠しながら優雅に笑っていた。ぐぬぬ、と眉間に皺を寄せていた緑間さんだったが、タカオの「いつまで俺に乗っかってんの真ちゃん。もー200年ぶりの再会だからって大胆過ぎっしょ。」というからかいの一声で我に返り飛び起き、次には耳を真っ赤にして「大体高尾は…」と説教を始めた。彼は果たして怒っていたのか、照れていたのか、この答えも私の胸の中だけに留めておこう。

かくして、意地を張り合った二人の長きに渡る攻防戦は、緑間真太郎の勝利という形で幕を閉じたのであった。





この世には、目に見えない異形な者達が様々な形で生を形成している。
例えば、とある秀徳の森では、200年に渡って続いた鬼ごっこの攻防戦が終結し、新たな戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

「いくら妖術を使ったって、こっから森林公園までチャリで行ける訳ねーだろ!?馬鹿なの真ちゃん!」
「うるさいのだよ。暇だから紅葉を見に行きたいと言ったのはお前だろう。」
「いやそうだけども…っ!」
「だからジャンケンにしてやると言っているのだよ。」
「それ最早勝敗決まってんじゃん!」

カラスが飛び回るちょっと不気味なその森で、タカオの世代を超えた連敗記録は、今日も更新されていく。

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