アヤカシあかし | ナノ


▼ 鷹が友人から逃げ回る理由。

緑間は俺の一番の友人だ。それは絶対に変わらない。

「しーんちゃん!」
「この歳になってもお前はまだその呼び方を続けるつもりか。」
「いーじゃん。この方が呼び易いしさ。」

緑間の事を「真ちゃん」と呼ぶようになって40年が経った。10代の頃から緑間を敬愛し一番の友人として付き合い続け、変人だと思いつつもどこか憎めないまま、ああ、この付き合いはこれからずっと続いていくな、とどこか確信めいたものまで持っていた俺達は、案の定50代になってもこうして頻繁に飲みの席を共にしていた。
二人とも良い歳したおっさんで、俺はそれなりの大企業でそれなりに出世して、緑間なんかでっかい大学病院の院長に先日就任した。そして俺が一番に就任祝いの酒を振る舞えるくらい、俺は緑間に気を許されていた。

俺は当然結婚して子供も授かり、幸せ順風満帆生活を送っていたが、緑間は独身だった。何人かの女性と付き合ってはみたようだが、まぁそれは大体が家を埋め尽くすほどのラッキーアイテムのせいで儚く終わり、捨てろと散々言っても緑間は決して捨てなかった。これはある意味命の恩人だからと、ついでに思い出の品は捨てない主義なのだと彼は言っていた。思い出って何?もしかして俺達との青春の思い出的な?真ちゃんマジツンデレだわ本当。
変人だけどこんな良い奴なのに、緑間を理解して親しくなれる人間は周りに極僅かだった。俺と俺の家族と、後は奴の両親くらいかな。赤司とも仲が良かったみたいだけれど、あいつは京都にいたから全然会えていないようだったし。

俺は緑間に心を許される存在であれる事が嬉しかった。緑間は独り身だけれど、まぁいざとなれば俺が駆け付けて色々介護してやればいいか、くらいの過保護っぷりを発揮し続け、俺の嫁さんと娘も、緑間を俺の兄とでも勘違いしているんじゃないかってくらい家族ぐるみのお付き合いをしていた。

だから、先に緑間が死んだ時、俺は妻と娘の三人揃って大号泣した。緑間は60歳という若さで病死した。
彼の両親は彼が30代の時に事故で他界していたので、葬式は親戚が取り持ち、親戚と職場の人達が主に式に参列していた。親戚とはあまり深い仲じゃ無かったのか、彼らはどこか余所余所しい感じだった。そしてそれは職場の人達も同様だった。悪い人達と言う訳では決して無く、多分緑間を慕いたくてもどう接していいか分からなかったんだと思う。だから、本当に仲が良くて涙を流していたのは、久しぶりに集まったかつてのバスケ仲間くらいだった。

詳しい事は俺もよく分からないけれど、緑間が死んだ事は医療界でちょっとした騒ぎになったらしい。まぁ確かに彼はテレビの医療特集とかにも出演するくらい名のある医者だったが、『彼の死が医療界を震撼させた』とか言われているのを見ると、大袈裟だな、と俺は思ってしまう。俺の中で緑間は“ただの友人”で、だから、葬式に来てまで緑間本人じゃ無く医療界の心配をする周りには心底嫌悪したのを今でも覚えている。

俺は、名医なんかじゃない、“ただの友人”が、好きだったんだ。

少しして俺も妻と娘に看取られてその人生に幕を閉じた。そして気付いたら何故か妖怪としての第二の人生がスタートしていた。
人間の頃の延長としてそこに立っていた俺はまず「え、何これ羽生えてんだけど!」と自分の姿に爆笑し、次に一通り困惑した後、自分の身に起こった事について調べ始めた。といっても妖怪に出来る事なんて別の妖怪に聞いて回るくらいで、全容を把握するまでに10年は掛かってしまった。まぁ人間と妖の時間の感覚は違うから、俺の中では1、2年くらいしか経って無かったのだけれど。

で、知り得た情報。それは、前世の存在感によって『人間』か『妖怪』に生まれ変わるいう事と、さらにそれには記憶の有無があるという事。俺は前世で妖怪なんて見えなかったから、この世に妖怪は存在したんだ!なんて自分自身で初めて知った訳だ。コントかよ。
しかし何より驚いたのは、自分に記憶を有する程の存在感があったという事だ。多分、これは本当にただの予想だけれど、俺一人の力だったら記憶を有する程の存在感は無かったと思う。俺の、『緑間真太郎』という医療界の重鎮を約50年に渡り支え続けたという事実が、記憶を有するに足り得なかった存在感を引き上げたんじゃないか。本来多くの人で支えられていくのが人間という生き物だが、彼には、極端な話俺しか居なかったし。

そして、身に起きた全てを理解した俺が次にした行動は、緑間を探す事だった。ぶっちゃけ理由という理由は特に無かった。ただ、緑間なら絶対に記憶を有して生まれ変わっていると思ったし、何より他にやる事が無かった。暇だったのだ。妖怪って何でこんなに暇なの。
妖怪になってやる事を強いて上げるとすれば、見える人間を脅かして遊ぶか、全国を飛び回って文化遺産でも堪能するか、一帯の妖怪を牛耳って妖界征服するかくらいなものだ。後は時々襲ってくる祓い屋を追い払ったりね。
だから、もし緑間も妖怪になっていたら一緒に暇つぶしが出来るなー絶対退屈しないだろうなーなんて安易な考えで緑間探しを始めた。しかし妖怪の情報網じゃ、特定の一人を探す事なんて到底出来やしない。この頃から徐々に噂になり始めていたアカシでさえ、見付ける事は困難だったくらいだ。
早々に探す事を諦め、暇を潰していた俺は気付いたら秀徳高校付近の山一帯を牛耳る妖怪になっていた。まぁそれが結果的に緑間と再会するきっかけになったのだが。

『鷹』として人間界で有名になり始め、近くに帝光中学校や秀徳高校があった事が功を奏して、俺の噂は瞬く間に学校中の噂話となり、たまたま人間として生まれ変わっていた緑間の耳に入った。そして、もしやと思って森に入った緑間は、まんまと俺の姿を発見し、俺に声を掛けて来た。

「鷹という妖怪はいるか!お前がもし高尾なら出てくるのだよ!」

どうやら緑間も俺の事を探してくれていたみたいだ。彼は自分が医者だった頃の話や、中学での勉強が簡単過ぎてつまらないといった、前世の記憶をアピールしながら俺を探し歩いた。そうする事で、自分に記憶がある旨の主張と、俺に記憶があるかどうかの確認をしたかったんだろうな。ただ、そのせいで俺は逆に出ていく事が出来なくなった。

…妖怪である俺が、人間である緑間と親しくしていいのだろうか。

そんな考えが、俺の頭をふと過(よぎ)った。そして次に頭に浮かぶのは、あの葬式の光景。ほとんどの人間が緑間の死を本当の意味で悲しんでいない、あの。

緑間は前世の記憶を有している。しかも今世は妖怪の姿まで認識出来るようになってしまった。前世の変人っぷりに加え妖怪とまで仲良くしていたら、彼は今度こそ完全に周りから浮いてしまう。それこそ前世とは比べ物にならないくらいに、彼が独りになってしまう事は明白だった。

妖と人間は文字通り住んでいる世界が違う。それは次元が違うといってもいい程に遠い、本来の人間であれば認識さえ出来ないような隔たりだ。それを“見える”からと言って易々と踏み越えてしまって良いのだろうか。俺は急に不安になった。
緑間に見付かりとっさに身を隠した俺に、緑間はまた来ると言って去って行った。

それから何度緑間が俺の前に現れても、俺は会う事が出来なかった。彼は俺を探す時、常に昔話をしながら俺ともう一度友人になりたいと主張するように歩く。その度俺は自分がどうすべきか思い悩んだ。そして10年、20年…100年とそれが続き、俺は、ある時彼の異変に気付いた。

それまで話していた昔話が、日を追う毎に段々単調になっていくのだ。時間が経てば経つほど、鮮明だった記憶が薄れていくように。緑間は、そのうち昔話をするのを止めた。
俺は確信した。

緑間は前世の記憶を忘れかけている。

考えてみれば当たり前の話だった。一度転生した程度の記憶なら保持出来ても、二代目、三代目と転生を繰り返し、その度すべての記憶を持ち越せば、古い記憶はどんどんと頭から抜け落ちていく。俺がこうして彼に会わないまま逃げ続けていれば、彼はそのうち俺の事を忘れ、下界で人間の友人を作って、きっと彼が死んだ時沢山の人が惜しんでくれるような良い人生が送れるに違いない。そう気付いた時、俺の決意は固まった。

彼に危害を加えようとする妖怪を徹底的に排除しつつ、俺は木の上から彼を見下ろし、逃げ回った。高いところを自由に飛び回れる俺に、あいつが敵うはずも無い。意地と意地のぶつかり合い、唐突に始まった世紀の大鬼ごっこは、俺の勝利で終わる。今まで一度だって勝てた事の無いアイツに、俺は世代を超えた初勝利を決めてやるのだ。

「エース様の連勝記録もここまでなのだよ、真ちゃん。」

必死に俺の姿を探す緑間を高みから見下ろして、俺は小さく笑った。俺はこのままただ逃げ続ければいい。彼の記憶が消えるまで。彼の為を思うなら、そこに迷いや後悔は一切有り得なかった。

緑間は俺の一番の友人だ。それは絶対に変わらない。


だからもう追ってくんな、真ちゃん。

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