アヤカシあかし | ナノ


▼ 嘘の理由と一歩前進。

緑間さんと再会した時。緑間さんの頭上には、真っ黒い服を着た“鷹”が、すぐそこで鳴りを潜めていた。

鷹について調べたところ、緑間さんが『高尾』と呼ぶ妖怪は、あの森一帯を占めている鷹の妖怪、タカオだった。到底アカシには及ばないものの、少し知識がある者なら誰もが知っている、教科書の端っこに出てくるような割と有名な妖だ(ちなみに私は不真面目だったので知らなかった)。
陰陽師が着ているような狩衣という着物を着て、真っ黒い羽を器用に折り畳み木の上で気配を殺していたタカオに、アカシは気付かない振りをして緑間さんと会話をしていた。その理由がずっと気になっていた。

「お前も気付いていたなら、どうしてその場で言わなかったんだ。」
「えぇ、っと…」

家のソファーに腰掛けて改めて理由を問いただせば、アカシはそう言って私を流し見た。見下すように目を細める彼の態度は、私を試すものかもしれない。ここで私が「アカシに従った」とか「アカシがそうしたから」とか自分の意思が無いような事を言ったら、多分私は失望されるんだろうな。アカシと過ごすうちに、彼がどういう回答を求めているのか、次第に分かるようになってきた。彼は他人の言いなりになったり、適当に生きている人間が嫌いなのだ。だから私も、彼に好かれたいなら自分の考えを持って回答しなければならない。私は少し考えてから口を開いた。

「わざわざ気配を消してまで緑間さんに会いたくない理由が、タカオには何かあるんじゃないかと思って。」

多分タカオは、緑間さんが森に入る度にああやって頭上から彼を見張っていたのだろう。そうじゃなければ、緑間さんが邪気に襲われた事が無いなんて有り得ない。緑間さんが邪気に目を付けられる度に、タカオはそれを追い払っていたのだ。それこそ200年間ずっと。そこまでするくらい緑間さんを大事に思っているのに会おうとしないのは、何か特別な理由があるからとしか考えられない。

「タカオが緑間さんから逃げ回る理由も知らずに、いきなり現れた私達が簡単に居場所を教えるべきじゃないって、私は思ったんだけど…。アカシもそう思ったんだよね?」
「…大分物を考えられるようになったじゃないか。」

おお、褒められた。アカシは「このぐらい考えられて当然」みたいな顔をしているけれど、それでも私にとっては一歩前進だから素直に喜んでおこう。

「じゃあさ、正解したから何かご褒美ちょうだい。」
「調子に乗るな。」

手を差し出すポーズをしたら間髪入れずに怒られた。それでも私は気にする事無く続ける。

「お願いしますー。簡単な事だからー。」
「…何だ。」
「あのね、私の事をちゃんと名前で呼んで欲しい。“お前”じゃなくて。」
「…。」

アカシは意外そうな顔をして私をまじまじと見つめた。私はしっかりと目を合わせて彼に向き合う。名前呼び、それは常々思っていた事だった。だってこの人、私の事一回も名前で呼んでくれた事無いんだもん。私だっていつまでもお前呼びされてるのはなんか嫌だし、共同生活を送る中では出来るだけ良い関係を築いていきたい。それに、キセの時だって今回だって、正しい行動をしたんだからそろそろ認めてくれたって良いじゃないか。ちょっとだけでも、それこそ名前呼び分だけでも良いから。
彼はふう、と一息吐くと諦めたように顔を横に向けて言った。

「制服を脱いで、だらしのない格好を改めたら考えてやっても良い。」
「今すぐ行ってきます!」

私はソファーから飛び上がり、皺になったスカートをさっと払うと自分の部屋に駆け込んだ。超特急で部屋着に着替えて、皺を伸ばしてからハンガーに掛ける。ついでに放りっぱなしだった鞄も定位置に直してからアカシの正面に立った。自然と顔がニコニコしてしまい、アカシがその顔に呆れている。

「はぁ…。“名前”。」
「はーい!」
「こんな事で嬉しいのか。」
「うん。凄く嬉しい!もう一回!」
「名前。」
「はい!アカシ。」

アカシは何がそんなに嬉しいのかと、腑に落ちない顔をしていた。彼は人間の私よりもしっかりしていて、人間らしくて大人で常識的で、ちょっと厳しい。だからそんな彼に認められるというのは、とても誇らしい事なのだ。今まで周りに親しい人がいなかった私にとって、アカシは父親のような兄のような友達のような、特別な存在になりかけていた。





翌日、私達は再び森へ向かった。今度は緑間さんでは無くタカオに会いに行くために。仲良しだったはずの緑間さんに隠れているくらいだから、私達が会うのは更に難しいんじゃないかという危惧もあったが、まさかこんなにあっさり会えるとは。

「よう、赤司じゃん!ひっさしぶりー。」
「…、ああ。」

あまりにも普通すぎる対応に、アカシも拍子抜けな様子だ。

「お噂はかねがね届いてるぜー。お前妖怪になっても相変わらずとんでもねーな。有名な妖から妖具巻き上げて、次々と下僕にして行ってんだって?俺の知り合いが妖具巻き上げられたってビビってたぜ。」
「え、何それアカシ。」
「昔の話だよ。ここ数十年はひっそりと隠居生活をしていたんだが、もうすぐ寿命が尽きそうでね。今は旧友に会いに回っているところだ。」
「あーなるほどね。それで昨日真ちゃんの所に居たわけだ。」

アカシとタカオはしばらく妖怪あるあるみたいな世間話で盛り上がっていた。友人とまではいかずとも、アカシとタカオも前世でそれなりに親しかったようだ。タカオの口からアカシの武勇伝が出る度に、私は改めて自分が身に余る妖怪を使役しているのだと認識させられた。もしかしたら昨日出していたあの金箔が綺麗な扇子も、羽織や番傘同様すんごいレアアイテムなのかもしれない。もっとちゃんと祓い屋の勉強をしておけば良かったかも、なんて、生まれて初めて思ったくらいだ。

「で、俺のところに来たのは、差し詰め俺が真ちゃんから逃げ回っている理由を聞きに来たってところか。」
「ああ、何故姿を隠す必要があるのかと思ってね。真太郎はお前に会うために200年も探し回っているというじゃないか。」
「…。だからだよ。」

タカオの声のトーンが急に萎んでいった。「どういう事?」と私は聞いた。

「そのままの意味。真ちゃんが俺を探すから、俺は姿を隠さなきゃ駄目なの。」

その時のタカオ顔は、先程までの飄々とした顔とは打って変わって、緑間さんを想う優しい顔をしていた。切なそうにも見えるその顔は、ゆっくりと天を仰ぎみて、動きを止める。見上げた空では、もうすぐ日が沈もうとしていた。

「真ちゃんはさ、もうすぐ前世の記憶が無くなるんだ。」

[ back ]