アヤカシあかし | ナノ


▼ 宵闇の森に打ち上がるは、金色の。

「ぎゃー!寝坊した!」

と、いうのが今日私の第一声だった。キセの一件から無事ベッドでの安眠が確保されたにも関わらず、まんまと二度寝をしてしまった私は現在アカシに軽蔑の眼差しを向けられている。

「もう、起こしてくれたって良いのに。」
「起床さえ儘ならない人間に掛ける情けなど無いよ。」
「この薄情者ー。」

文句を垂れる私からふいっと目線を逸らすアカシの厳しさは、今日も平常運転だ。
ベッドこそ譲ってくれたものの、私に対する彼の態度は相変わらず冷たいままで、この前褒められたのは夢なんじゃ無いかとさえ思える。ちょっとは認めてくれたかと思ったのに、何というか、根本的な所で通じ合っていない気がする。私の中の『彼に認められたい』という気持ちに蓋をしつつ、私はパンをかじりながら超特急で学校に向かった。「行儀が悪い。」という小言は無視だ無視。

スクールゾーンを走り抜け、何とか無事チャイム前に教室の扉を潜り抜ける。良かった、間に合った。ぜえぜえと息を整える私とは対照的に、後ろにくっついているアカシは実に涼しそうな顔だ。いつもは木の上で学校が終わるのを待っているのに、今日は一緒に授業を受ける気満々のようだ。校庭を見ている事に飽きたのか、はたまた授業風景に懐かしさでも覚えたのか、自由奔放に教室を見回している。
ぼそっと「懐かしいな…。」という声が聞こえた。例え妖といえども、寿命が近ければ色々思う所でもあるのだろうか。彼が今何を思っているのか、少しだけ気になる。

「あ。」

しかしそんな疑問もつかの間。目の前に起こる緊急事態によって、強制的に我に返らざるを得なくなった私は、唖然とその場に立ち尽くした。

…私の席が、クラスメイトによって占領されている!

なんてこった。一大事だ。「そんな事か、下らない。」みたいな顔をアカシはしているが、こういう時のぼっちの居た堪れなさと言ったら無い。友人の多いアカシには分かるまいよ、このぼっち心は。
私は窓際の後ろから2番目の席を眺め、おろおろするしかなかった。私の席を占領している女子は、後ろの席の友達と楽しそうにお喋りをしており、全然私に気付く様子が無い。
どうしよう。本当に困った。話しかけたら良いのか、退くまで待てば良いのか、話しかけて嫌な顔をされないか。色んな考えが頭を駆け巡って不安は増すばかりだ。助け船を求めて斜め後ろのアカシを見上げたが、彼は自分でどうにかしろとでも言いたげな目を私に向けてくるだけで全然助けてくれない。

自分で、か。確かにその通りだ。こんな時まで人に頼っていたら、いつまで経ってもアカシに認めてもらえな…、いや、立派な大人になれない。

前にアカシに言われたことを思い出す。私がキセの選択を間違えた時、『だからお前には友人がいないんだ。』と言われた。私に足りないのはきっと、相手の気持ちを考える事だ。
そうと分かれば早速相手の気持ちに立ってみる。私が人に好かれないのは、変な奴だと不気味がられているからで、話しかけ辛くて、いつも一人でふて腐れているからで。…自分で考えていてちょっと悲しくなる。だがそんな事を言っていては始まらない。私は決意を一つ固めると、勇気を振り絞ってズンズンと自分の席へ向かって行った。

「お、おはよう…!」

私は精一杯口角を上げて、彼女達に向かって元気良く挨拶をした。思えばこうやって自分から話し掛ける事って、今まで無かった気がする。私が積極的で無かったのを、他人が話し掛けてくれないせいだと責任転嫁して逃げていた事に、私はここでようやく気付いた。

彼女達は心底驚いた顔で私を見上げていた。この反応は笑顔が引きつっていたのが原因か、はたまた私の笑顔が珍し過ぎたのが原因か。しかしすぐにパァッと明るい表を見せた彼女達は、「おはよう!」と元気に挨拶を返してくれた。

「席、勝手に使っちゃってごめんね!」
「あ、いいよ。こちらこそ、折角お喋り中だったのに。」
「ううん!椅子使わせてくれて有難う。」

私の席に座っていた彼女は、ぴょんと立ち上がると後ろから私の肩を掴んで席まで誘導してくれた。私は彼女に押されるがまま大人しく席に着く。その後タイミングよくチャイムが鳴った事により、そこでやり取りは途切れてしまった。

(は、初めて笑顔で挨拶出来た…。しかも、肩…。)

初めて取ったスキンシップに胸が高鳴りつつも、10秒にも満たないやり取りの中に酷く達成感が湧き上がる。頬が紅潮していた。これもアカシが無言で背中を押してくれたお陰だ。感動のままアカシを見上げれば、彼は目を細めて少しだけ笑っていて。それがさらに私を高揚させた。
『頑張った分だけアカシは認めてくれる。』私の中のアカシの認識が、そんな風に固まっていく。アカシが認めてくれるなら、私は何でも頑張れるような気がした。





放課後、恒例になりつつある図書室にてキセキの情報収集をしていると、ネット掲示板の中にこんな噂を見付けた。

『東京郊外の森の中に、緑の頭をした妖怪がうろついている。』

その記事を見付けた途端、私とアカシは顔を見合わせ「これだ!」と目で言葉を交わした。図書室で静かにする為とはいえ、アカシとこんなに息ピッタリなやり取りが出来るなんて、二人の距離が近付いた気がしてちょっと可笑しい。

その記事は珍しく何件もの目撃情報がレスされており、森の場所も緑間さんと思われる情報も手間無く入手する事が出来た。森は『秀徳の森』と呼ばれ、東京郊外に位置しここからも割と近い。そういう訳で、私達はすぐにでもその森へと足を運ぶ事になった。


そして現在、森の入り口にいる訳だが。

「…ねえアカシ様、これ本当に行くのですか。」

沈みかける夕焼けの赤と、灰色の雲がまだら模様を作る仄暗い空。広大な森には、カラスの不気味な叫び声と木から飛び立つ羽音が木霊している。生温い風がざわざわと木々を弄(まさぐ)る。特別怖がりな訳では無い私でも、これは、流石に。

「当たり前だろう。こんな有力な情報を見す見す逃す理由がどこにある。」
「せめて明日にしない?」
「却下。」
「鬼ぃー!」

アカシは私の泣き言など聞き入れずズンズン先を進んでしまうものだから、私は彼の腕をギュッと掴んで必死に足並みを揃えた。今日は数珠もしっかり握り締めているし、すぐ側にはアカシの羽織もある。いざとなったらアカシの懐に潜り込んででも自分の身を守るつもりだ。その為、邪気を持った妖に追われる心配は、そこまでしていない。けれど。

「アカシ、これ絶対出るよ。なんか出るよこれ。」
「袖を引っ張るな。」
「だってぇー!」

私だって一応一端の女子中学生である。今風に言えばJCだ、JC。そんな幼気な女の子が薄暗い森に連れて来られて、幽霊的なものを考えずにいられる筈が無い。オマケに一緒に居る妖怪がアカシときては、足手纏いになった途端置いて行かれて、最悪一人ぼっちになる可能性すら想定される。まさに恐怖。

空が赤から藍に支配されつつある折、不意に、アカシが立ち止まった。彼の腕を掴んだままの私も必然的に立ち止まる。アカシが流し目で辺りを見回している様子に、私はそれが周りの邪気を察知しての事だとすぐに気付いた。この森は、思ったよりも邪気を持った妖怪が多いようだ。後ろに一体、左右斜め前に2体。段々と近付いて来ている。

「手を離せ。」
「うっ…はい。」

私は涙目になりながら渋々腕を離した。そうしている間にも邪気は凄いスピードでこちらに接近しており、次の瞬間、後方の木の隙間から勢い良く飛び出した。

「ガァアアァ!美味ソウナ食イモンダァアァ!」

ガサッと木の葉を舞い散らせて、黒い靄が私達の頭上に飛び掛かる。私は「きゃあっ」小さく悲鳴を上げて咄嗟にしゃがみ込んだ。そんな私とは対照的に、アカシはフッと微笑み袖口から扇子を取り出すと、黒い靄目掛けて勢い良く一文字に薙ぎ払った。

パァンッ!と破裂音が響く。風船が割れたような音に私が顔を上げると、靄のあった場所には、以前にも見た金色の星屑がキラキラと宙を舞っていた。

「…!」
「これで、夜道も少しは楽しめるだろう?」

アカシは楽しそうに扇子をはためかせて言った。しゃがんだまま見上げた頭上では、宵闇の空が森を暗く飲み込もうとしている。群青色に沈む遠くの景色に、キラキラ、キラキラと。光の粒がナイトパレードのように瞳に映り込む。
軽快な破裂音が二度、三度と響き渡り、邪気を薙ぎ倒した私達の周りにだけ星屑の花火が打ち上がった。私達が歩いた後には星の水溜りが出来上がり、夜道を淡く浮かび上がらせた。

「凄い!きれい…。」

先程までの恐怖はもうどこにも無かった。私が笑顔でアカシを見やると、彼は私の反応を試すように扇子を光の粒子に向かって仰ぐ。すると、粒子が風に乗って、ふわりと景色いっぱいに煌めく。

言葉では言い表せない、とても幻想的な風景だった。私は年相応にきゃっきゃとはしゃいで、それを見つめるアカシも満更でもなさそうに表情を緩めていた。しばらく二人でそんな光のパノラマを堪能して、やがて柔く光を失って行くそれをゆっくり見送った後、私達は再び彼の旧友を求めて歩みを進めた。

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