アヤカシあかし | ナノ


▼ 澄みきった青空と鈴の音と笑顔。

「んじゃ、赤司っちは良い感じに俺の結界術をブーストするって事でよろしく。」
「おい、まだ術の詳しい内容を話していないぞ。」
「聞いても俺よく分かんねーし、赤司っちに任せた!」

俺が赤司っちの話を最後まで聞かずにコートに立つことは帝光バスケ部でよくある話だった。話を聞く気が無かった青峰っちや聞いてんだか聞いてないんだか良く分からない紫原っちにつられて、俺も適当に返事をしていたんだっけ。昔のあの頃が懐かしい。今の赤司っちとのやり取りでふとそんな事を思い出して、俺はらしくも無く感慨に耽った。

もうすぐ俺は消える。消える事への恐怖は無いけれど、もう赤司っちとも皆とも、笠松先輩とも、逢う事は無いんだろうと思うと少しだけ寂しい気持ちになった。妖からまた何かへ生まれ変わる事ってあるのかな。そんな話は聞いた事が無いから、多分無いんだろうな。

(…ふぅ、あまり考えすぎると決心が揺らぎそうっスね。)

赤司っちにはもう時間が無い。俺に構って残りの寿命を減らすより、さっさと解放して次の仲間の所に向かわせてあげなければ。俺は覚悟を決めて赤司っちと目を合わせた。彼が静かに頷く。目線から覚悟の色が伝わるようで、緊張した空気を誤魔化すように身じろげば近くの葉がカサリと音を立てた。この木の上は俺のお気に入りのスポットだ。特に枝葉から零れ落ちる日の光を浴びながら、参拝客に応対する先輩を眺めるのが好きだった。だが今はそんな柔らかい木漏れ日でさえ俺を感傷的にさせる。これで笠松先輩とは本当にサヨナラだ。でも、最期にちゃんと借りを返せそうで良かった。

「……松さん、こっちこっち…!早く!」

しかし俺の感傷は、遠くから聞こえた唐突な声によって壊された。彼女は今までの情緒をぶった切って、まるで子供がお父さんを呼ぶような声で枝木の隙間から姿を見え隠れさせている。そして次に見えたのは笠松先輩だった。

「黄瀬ぇ!てめぇ何勝手に消えようとしてんだボケェ!」
「はっ…?」

それは俺にとって、まさに拍子抜けの出来事だった。笠松先輩が俺のいる木枝を見上げて叫んでいる。え、どういうこと?状況が全然まったく読み込めない。笠松先輩俺の事思い出して…え?隣の万能帝王赤司っちを横目に見ても、俺程じゃないものの幾分か驚いた様子で下の二人に目を落としていた。ちょっと待って誰か説明してマジで。

「笠松さん!キセが『え、なに先輩俺の事思い出したの?』みたいな顔で笠松さんを見ています!」
「前世の記憶なんか知るか!俺は今のお前しか知らねーよ!しかもそれをはっきり認識したのもコイツが教えてくれたお陰だしな。」

あぁそうか、名前っちが全部話したのか。俺はようやく少し冷静になる事が出来た。笠松先輩は自分の周りを煩く飛びまわる鈴の音がずっと聞こえていたのだと、微妙に目線が合わない所に向かって叫んでいた。リンリン煩くてウザかったって、前世と何一つ変わらない顔で、態度で、そう叫ぶ。一瞬目が合った。あれ、なんだこれ。笠松先輩はちゃんと俺の事を見ていてくれてたんじゃないか。全部一方的だと思っていた今までの100年間を思い出して、俺は込み上げる笑いを抑えられなかった。

「はは…、俺もしかしてすっげー空回ってた?」
「良かったじゃないか、涼太。」
「赤司っち…。」
「黄瀬ぇ!てめぇこの神社の狛犬のくせに宮司の許可無しに勝手に消えるとか、ふざけんのも大概にしろよ!」

笠松先輩は相変わらず俺に厳しくてちょっと怒りっぽい。そんな所も昔と変わっていなくて、俺は生まれ変わって良かったと、またこうして先輩や赤司っちと出会えて良かったと心の底から思った。

「赤司っち。俺、愛されてるっスねぇ。」
「ふふ、そうだね。」
「笠松さん!キセがなんか『俺愛されてる』とか言ってます!」
「あ?調子に乗んな!」
「さて。彼もああ言っている事だし、僕の術はもう必要無いだろう。」

行っておいで。そう赤司っちに背中を押されて、俺は木の上から飛び降りた。





「笠松せんぱーーい!!」

キセが木の上から思い切り笠松さんに飛びついた。リン!と元気な鈴の音を聞いた笠松さんが「うぜぇ!」と勘で適当な位置を蹴り上げる。そこには見事にキセがいて「なんでっ!」と声を上げながらコントのように吹っ飛ぶキセに思わず笑みがこぼれた。見えなくても、記憶が無くても、二人の息はぴったりだった。
シバかれてもめげずに笠松さんの周囲で尻尾を振っているキセと、有らぬ方向に蹴りを入れている笠松さんを微笑ましく眺めていた私の横に、アカシがふわりと着地する。険しい表情とじっと私を見下ろしているその姿を見れば、まぁ言われることは大体想像がついた。

「涼太に許可も取らず、勝手な行動を取ったものだな。」

ああやっぱり。案の定、それは私の勝手な行動を非難する台詞だった。探りを入れるような目に薄く笑う唇が高圧的で冷や汗が滲む。

「自覚はしてます…。」
「なら良い。」
「へ?」
「なら良いんだよ。」
「…。」

もっと辛辣な言葉を並べて責め立てられるとばかり思っていたのに、余りにもあっさりとした引き様に私は逆に戸惑ってしまった。ぽかんとアカシを見上げ首を傾げる。

「自分が勝手な行動をしていると自覚して、それでもお前はその考えを貫き通したんだろう?その結果、お前は涼太や笠松さんを良い結果に導いた。」

アカシが私に優しい笑みを向けるのは、これが初めての事だった。

「やるじゃないか。少しだけ見直した。」

私を褒めてくれるアカシの後ろから、爽やかな風が通り抜け赤い髪を揺らす。木の葉が舞って、アカシの綺麗な笑みと、遠くで鈴を鳴らすキセの笑い声と、わき上がる嬉しい気持ちが混ざり合って鳥肌が立った。
褒められた。今褒められた…!

私にとって、この妖達との出会いはきっと一生忘れられないものになるだろう。

木の葉を追う様に空を見上げれば、遠くではしゃぐ彼の笑顔にぴったりな、澄み切った青空が広がっていた。





この世には、目に見えない異形な者達が様々な形で生を形成している。
例えば、とある神社では、100年に渡ってこの神社と宮司を守り続ける狛犬が、今日もブンブン尻尾を振っては飼い主に懐いている。

「笠松先輩―!今日も落ち葉掃きっスか?俺も手伝うっスー!」
「リンリンリンリンうるせー!シバくぞ!」
「もうシバいてるっ!てか先輩俺そっちじゃないっス!」

狛犬に愛された宮司には、今日も元気な鈴の音が聞こえる。


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