▼ 4.ゲーム開始
赤司くんとカフェで別れて、家に着いた頃には10時半を回っていた。
リビングをスルーして自分の部屋へ入ると、重力に任せてベッドに倒れ込む。
(疲れた…。)
遠くから聞こえる「ご飯はー?」というお母さんの呼びかけに適当に応えて枕に顔を埋めれば、蘇るのは生首や猫の死骸、ゲームのルール、そしてあの衝撃的なキス。今日は色々な事がありすぎて、私の頭はとっくに容量オーバーだ。
ロッカーの鍵を赤司くんに預けた後、私達はメールアドレスを交換して別れた。
本当にこれで良かったのだろうか。私なりに色々考えようと思考を巡らせるけれど、精神的にも、肉体的にも、これ以上考えが先に進まない。
今日はもう止めよう。
ゲームの必勝法も、生首も、明日またあのカフェで詳しく話してくれると彼は言っていた。
店を出る際の赤司くんを思い出す。彼はスマートに私の分の会計まで済ませてくれて、この人はどこまで完璧なんだと内心落ち込んだ。
頭もいいし、お金持ちだし、かっこいいし、頼りになるし。才色兼備どころの話ではない。
昨日まで、赤司くんとは部員とマネージャーだけの関係でしかなかったのに、今日一日で随分急接近したものだ。
私は明日からの行動を振り返った。赤司くんが言うには、とにかく普通に、いつも通り過ごす事が重要らしい。学校を休んだり、体調を崩して保健室に行ったり、不安そうな顔をしてはいけない。誰がケイサツか分からない、誰も信じられない中で、普通に部活して、友達と笑って、真剣に授業を受けて。
…そんなこと、本当に出来るのだろうか。
10月1日まであとちょっと。
このまま時間が止まればいいのに。
薄れゆく意識の中で、そんなことを思いながら眠りについた。
※
10月1日朝5時。目覚まし時計の音で、私は目を覚ました。
「…ん。」
どうにも寝心地が悪いと思ったら、どうやら昨日あのまま寝てしまったようだ。着たままの制服が少しヨレている。重い体を起こしておもむろに鞄の中身を確認すれば、夢であれば良いのにと思ったそれはしっかりと存在を主張していた。
ゲーム参加についての手紙と、現金100万円。封筒から中身を取り出してみても、やはり【あなたが『ハンニン』に選ばれました】とこれ見よがしに書いてある。当然だが、夢ではない。
手元の時計を眺めつつゲーム開始へのカウントダウンを計算する。あと3時間ちょっとしか猶予が無い。今のうちにシャキっとしておかなければと、私は赤司くんの忠告に従って、いつも通りシャワーを浴び、いつも通り朝食をとって、いつも通りの時間に家を出た。
赤司くんは部長の仕事である体育館の鍵開けがあるので、いつも私より早く登校している。きっとそれは今日も同じで、赤司くんが近くにいれば少しは気楽に朝練が出来るかもしれないと思った。うん、多少は前向きになることが出来そう。とはいえ、“いつも通り”以上に話し掛けたりしてはいけないのだけれど。
赤司くんとは今まで「おはよう」等の挨拶と、部活の連絡以外であまり話した事は無い。校内でゲームの話など言語道断だろう。
(っと、ゲームの事については必要以上に考えないようにしないといけないんだった。)
すぅ、はぁ。深く息を吸い込む。早朝の空気が意外にも心地良くて、私は思ったより自分が落ち着いている事に気が付いた。
※
「お疲れ様でしたー!」
学校に着いて、若干緊張はあったものの心配していたようなケイサツとの攻防戦などは無く、私は無事部活の朝練を終える事が出来た。
考えてみたら、ケイサツだって私と似たような立場なのだ。
帝光中の職員は約60人、対して生徒は約1000人。普通に考えて生徒が選ばれる確率の方が高いに決まっている。
いくら名門校だからといって、大人ならまだしも、中学生の子供がルールを読んですぐ作戦を立てられるとは思えない。油断する気はないけれど、冷静に考えればそう簡単に私の正体がバレるとは思えなかった。
現在時刻8時25分。あと5分でゲームが始まる。
私は昨日とは打って変わって、澄ました顔で朝礼の列に並ぶことが出来た。今日は月の始まり、全校朝礼の日だ。時間を確認する為校舎を見上げれば、時計は8時29分を指していて、今まさに秒針が12と重なるところだった。
キーンコーンカーンコーン…
朝礼の始まりとともに、チャイムが鳴る。ゲーム開始だ。
※
全校生徒が校庭に並ぶと、退屈な校長先生の話が始まった。右から左へと話を受け流して、周りの生徒に目を向ける。みんな退屈そうに欠伸をしたり立ったまま寝ていたり、とてもこの中にケイサツがいるとは思えない。
ケイサツは本当に生徒なのだろうか。やっぱり先生の中にいるのではないか。今壇上に立っている校長先生が実はケイサツの可能性は。周りに怪しい人がいない分、逆に皆が怪しく見えてくる。そんなジレンマに陥って、結局私は考えるのを止めた。
「えー続いて、バスケ部表彰。優勝おめでとう。バスケ部は今大会すべて優勝ですね。校長としても鼻が高い。今後の意気込みなど、部長の赤司君から何か一言もらえるかね?」
「はい。表彰いただきましてありがとうございます。この様な賞をいただけて…」
(あ、赤司くんだ。)
いつの間にか、校長の長い長い話は終わっていて、部活ごとの表彰に移っていた。
そういえば、バスケ部はこの前の大会で優勝したんだっけ。大会と言っても地区主催の小さなもので、レギュラー陣は参加していなかった為忘れていた。そもそも、全中優勝を目指している私達にとって、地区での優勝など気に留める程でもない。赤司くんも私と同様そんな様子で校長先生の労いの言葉を受けており、私も茶番だと思いながら二人の話を聞き流した。
「はい。赤司君ありがとうございます。それでは――」
「ああ、すみません。最後に」
皆の注目が一同に集まる中、赤司くんは不意に校長の進行を遮った。
校長先生も、生徒一同も、もちろん私も。皆が不思議な顔で壇上を見上げた。彼はそれをいつも通りの不敵な顔で見下ろし、まるでこの場にいるもの全てを挑発するかのように、言い放った。
「――『ハンニン』は俺だよ。」
赤司くんのその言葉に、私は只々目を見開く事しか出来なかった。