REGAL GAME | ナノ


▼ 20.爾後

11月1日 日曜日。昨日の雨は止んでいた。少し湿気の残る朝の道を、どこか気持ちが晴れないまま歩く。部活に参加するため体育館に向かえば、私に気付いたさつきちゃんが凄い剣幕で駆け寄ってきた。

「あ、さつきちゃんおはよう。」
「おはようじゃないよ!昨日部活の途中でそのまま帰ったでしょ!鞄もそのままだし、電話もメールも出ないし心配したんだよ!」
「ああ…ごめん。ちょっと体調が悪くなっちゃって…。」

今も若干元気が無い私を心配するさつきちゃんを見ていたら、なんだか涙が込み上げてきた。もう無理していつも通りを演じなくていいんだと思ったら、これまでのストレスがどっと吹き出してきたみたいだ。

「ねえ、ところで赤司君知らない?体育館の鍵が開いてないからまだ来てないみたいなんだけど。」
「え?」
「昨日赤司君も鞄そのままに帰っちゃったし、何か知ってるんじゃないの?」

メールも電話も通じないんだよねー、と画面をヒラヒラ見せられて嫌な予感が頭を過ぎる。ゲームには勝ったのだから私達の身の安全は保障されているはずだと思い込んでいたが、果たしてそれは本当に信じられるのだろうか。

もし赤司くんに何かあったのだとしたら。

拘束される斉藤先生の姿を思い出して一気に血の気が引いた。赤司くんが部活に遅れてくる事など今まで一度だって無い。まさか。
私は自分の携帯を取り出して急いで赤司くんに電話を掛けた。

『お掛けになった電話は、電波の届かない……』

コールが鳴るどころか、電波すら繋がらない。電源を切っているだけなのか。いや、もし電波の届かない地下とかに幽閉されていたら。携帯を取り上げられて壊されている可能性は。嫌な予感が次から次へと浮かんでくる。

(落ち着け…大丈夫だ。冷静に、順序立てて考えよう。)

「さつきちゃん、赤司くんの家の場所知ってる?」
「え!?知ってるけど…もしかして行くつもり!?これから部活だよ?」
「適当に誤魔化しといて。」
「適当って…。名前ちゃんってそんなに赤司君が好きなの?」
「えっ!?」
「ふふ、とっくにバレバレだよ。私を誰だと思ってるの?よし、赤司君の家の地図書くね。ちょっと待ってて。」

さつきちゃんは何を誤解したのか、いや誤解ではないが、楽しそうに笑って私を送り出してくれた。頑張ってね、と意地悪く背中を押されたが、決してそんな事にはならないからと心の中で叫んで学校を出た。





着いた家は、顔を上下左右に動かしてやっと全てが視界に入るくらいの大きい大きい豪邸だった。洋館と言ってしまっていいかもしれない。私は、昨日彼が置いて帰った彼自身のバッグと自分のバッグ、両方を握りしめて玄関に立った。

ピンポーン。

チャイムを押せば、素人が想像する通りのお金持ちっぽい鐘の音が鳴り響く。少しして、女の人の声がインターホン越しに聞こえた。

『はい、どちら様ですか。』
「あ…朝早く申し訳ありません。私、征十郎くんの友人の苗字と申します。昨日征十郎くんが荷物を忘れて帰ったようでしたので、届けにきました。」
『今門を開けます。お入りください。』

女の人の声が途切れると、カシャンと開錠の音がして門のオートロックが開いた。ゆっくり戸を押して中に入れば、綺麗に手入れされた立派なお庭が左右の目から入ってきた。恐縮しながら石畳を進めばようやく玄関に辿り着く。

「わざわざ届けて頂きありがとうございます。どうぞ、お入りください。」
「は、はい。」

こんな豪邸に入るのは初めてで、なんだか萎縮してしまう。優しそうな女の人に「征十郎くんのお母さんですか?」と尋ねれば、その女性は笑って家政婦だと名乗った。赤司くんのお母さんは随分前に他界して、お父さんは仕事で中々家には帰って来ないらしい。私が友人だと名乗ったせいで家政婦さんは珍しがってペラペラと喋った後、「こんなに喋ったら征坊ちゃんに怒られてしまうわね」とお茶目に笑っていた。

「それで、こんな朝早くに鞄を届けてくれたのは何故?」
「え?あ…すみません。」
「うふふ、征坊ちゃんはおモテになるみたいね。」
「あっ…!違います!そういうんじゃ…。それより、風邪だと聞きましたけど、ちゃんと家にいらっしゃるんですよね?」

私がそう尋ねると、家政婦さんはにっこりと笑って応接間で少し待っていて欲しいと私を部屋に招き入れた。私はソファーに座らせれ、大人しく家政婦さんの帰りを待つ。

少しすると、二つの足音と共に、部屋の扉が開いた。

「何故、ここに、」
「赤司くん!」

家政婦さんと共に登場した赤司くんはパジャマ姿だった。肩にはカシミヤのカーディガンを羽織っており、部屋の景色もあっていつもより3割増しでお坊ちゃんっぽく見える。気品溢れる赤司くんの姿と無事生きていた安心感で、私は頬の緊張を緩めた。

「よかったぁ!私何かあったのかと心配で…」
「っと、ちょっと待ってくれ。取りあえず部屋に。」
「あ、うん…ごめんなさい。」
「篠原、部屋にお茶を持って来てくれ。」
「かしこまりました。」

篠原と呼ばれた家政婦さんは、一礼すると応接間から去って行った。私も赤司くんに案内されて二階の彼の部屋に移動する。どこもかしこも想像通りの景観だったが、赤司くんの部屋も期待を裏切らない広い重厚な作りだった。ベッドと勉強机と、ソファーにテーブル、テレビ、本棚といったものが設置されており、賞状やトロフィーの数々が本棚の隣に整頓されている。私はキョロキョロ見回すのも失礼かと思い、適当に座ってくれという言葉のまま傍にあるソファーにちょこんと腰かけた。

「赤司くん、あの、今日休みだっていうのは…」
「ただの風邪だよ。今までの疲れが溜まっていたところに、昨日の雨でね。といっても大した事はない。大事を取って1日休んだだけだ。」
「そっか…良かった。あと、あの…、昨日、怪我をした赤司くんを置いて勝手に帰ってしまってごめんなさい。怪我は大丈夫?」
「…。唇を、少し切っただけだよ。」
「そっかぁ…。」

私は安心して胸を撫で下ろした。赤司くんは相変わらず淡々とした態度だったけれど、なぜかそこまで怖いとは感じない。押しかけてしまった私を疎ましく感じている様子も無い辺り、少なくとも私の事をまだ『部員とマネージャー』程度の関係には思ってくれているのかもしれない。
無事生存確認も済んだ事だし、それなら私も身分相応らしく渡すものを渡してさっさと帰ろう。私は持ってきた鞄を赤司くんに渡す為立ち上がると、赤司くんはそれを追うように私の方を見て、顔色を窺うように目を細めた。

「…怒っていないのか。」
「怒ってないよ。」
「昨日は泣いていたじゃないか。」
「あれは、勘違いをしていた自分が情けなくなって落ち込んだだけです。」
「それで、今日は俺の安否を確認するためにこんなところまで押しかけて来たのか。お人好しだな。」
「…私、赤司くんの事好きだから。」
「っ、」

赤司くんは私の直球の台詞に面食らっていた。私は赤司くんの鞄を脇に置いた後、自分の鞄から返そうと思って持ってきた前金を取り出してテーブルの上に置く。

「これで渡すものは全部だから、私は帰るね。」
「…、そうか。」

赤司くんはテーブルの上のものをじっと見つめたまま動かなかった。私は鞄をギュッと握りしめて扉に向かう。そのまま部屋を出るつもりだった。つもりだったのだが。

「あら、もうお帰りですか?折角ですから紅茶をお飲みになっていって下さい。」
「え?ああ、はい。」

タイミングよくお茶を持ってきた篠原さんに行く手を阻まれ、私は見事に部屋へ逆戻りした。出鼻をくじかれ、大人しくソファーに座り直す。今までシリアスな雰囲気だった分、妙な空気が二人の間に流れた。篠原さんはそんな空気に気付く様子も無くリビングテーブルに紅茶とお菓子を二人分置いて、こっちこっちと赤司くんを呼ぶ。

「征坊ちゃんもソファーへ座って一緒に食べてください。」
「いや、俺は」
「ささ、遠慮なさらず。体調もそこまで悪い訳ではないのでしょう?」

篠原さんの笑顔にたじたじになりながら、赤司くんは私の隣に座らされていた。意外と彼は純粋な好意に弱いらしい。それをうまく使って赤司くんに譲歩させた篠原さんが、部屋を出る際に「ごゆっくり」とウインクを飛ばしてきたのには、私もたじたじだったが。さつきちゃんといい篠原さんといい、女性陣はこういう謎の勘を働かせるから困る。もうさっさと御馳走になってさっさと帰ろう。私は美味しそうな匂いを漂わせる紅茶をひと混ぜし、口を付けた。

「いただきます。…ん、美味しい!」
「ローズティーだな。ストレスからくる疲れを和らげ、美容にも効果があるらしい。」
「へぇー。」
「…。」
「…。」

気まずい。そういえば初めて一緒にカフェに入った時にもこんな会話をしたな、と感慨に耽る。あれが、本当に全部演技だったなんて未だに信じられない。あれ、でもそういえば、昨日私は彼に一方的に言いたい事だけ言って帰って来てしまって、赤司くんの口からはまだ一言も説明を受けていない。その事に気付いた時には疑問が自然と口から出ていた。

「赤司くんは私の事どう思ってる?」

赤司くんは目を丸くして固まっていた。

「どう、とは」
「…好きかどうか。」
「…。」

ソファーの至近距離に赤司くんがいて、私は心臓がだんだん早くなっていくのを感じた。やばい、とんでも無い事を聞いてしまったかも。でもまぁこの際だからいいか。赤司くんはゆっくりとした手つきでティーカップを置き、組んだ指を膝に置いてじっと考え込んでいる。私はそんな彼の横顔を眺めながら、彼の次の言葉を待った。

「今更…、俺が好きだなんだと口にするのは、虫が良すぎる話だと思わないか。」
「どうして?」
「俺は、お前を利用してゲームに巻き込んだ。好意があるか無いかに関わらず、その事実に変わりはない。俺は良いようにお前に恩を売って、今後の…口実にする予定だった。だがそれがバレてしまった以上、お前は俺を恨むべきだし、苗字が望むなら出来る範囲での償いもする。」
「え、ちょっと待って。今後の口実ってなに?」
「苗字は死ぬほど察しが悪いな。」
「えっと…つまり“今後私と一緒にいる口実”って事?それってつまり、私の事が好き、って意味で良いのかな。」
「…ふぅ、」

私が彼の本音を見極めようと顔を覗き込んだ瞬間、彼の目の色が変わった。

「えっ…痛っ!」

私は逆らう暇も無く、腕を思い切り掴まれてソファーに押し倒された。吃驚して小さく悲鳴を上げるも、離してくれる様子は無い。赤司くんは私を窘めるように低い声で囁いた。

「あまり俺を煽るな。」

彼の私を見下ろす瞳が熱っぽくて、頭が沸騰しそうだ。この理解不能な状況を、私は彼の風邪のせいにして必死に自分を落ち着かせた。実際風邪のせいだ、絶対。だっていつもはもっと余裕があって自信満々に人を見下しているじゃないか。

「ゲーム中に言った、部員とマネージャーだけの関係だったからキョウハンを引き受けたって…じゃああれは本当のこと?」
「ああ、全部本当だよ。お前を利用する以上、危険に巻き込まれないよう細心の注意を払っていたし、危ない目には遭わせない自信もあった。部員とマネージャーの関係を打開したかったのも、俺を頼って欲しいと言ったのも、全部本当だ。…これで満足か。」

赤司くんは、きっと私がただの駒だったら斉藤先生の呼び出しには応じなかっただろう。わざと自分が暴力の対象になる事で、私を危険から遠ざけた。それ以外にも、思い当たる節はいくつもある。

赤司くんは本当に私の事が好きなのか。改めて考えると凄すぎる事実に、私はどんどん顔が熱くなっていくのを感じた。

「俺はずるい人間なんだよ、苗字。甘言でも恐怖心でも、利用出来るものは全て利用する。今もお前の甘さに付け込んで、どう懐柔しようか考えているところだ。」
「…え、と」
「10秒あげよう。その間にこの部屋から出ていけば俺はもうお前を追わない。お前が顔も見たくないと言えば極力視界に入らないようにも努めよう。けれど、」

――もし逃げなければ、泣いて赦しを請うても離してあげないよ。

赤司くんが時折見せる鋭くて傲然とした視線が私を捉え、思わず身じろぐ。本気の目だ。私の考えが纏まらないまま、ゆっくりと腕の拘束が離されカウントダウンが始まった。

10、9、8、7、…

私は果たしてこの赤司征十郎という男についていけるのだろうか。また利用された事にも気付かないまま特別だなんだと勘違いするのはもう嫌だ。人間としての価値が釣り合わないまま一緒にいたところで、泣きを見るのは私なのだから。
これは私にとって『赤司くんに相応しい人間になる覚悟があるか』と問われているのと同じだった。

6、5、4、…

(……。)

正直、利用された後では全く自信がない。けれど、ゲーム中の赤司くんの言葉が嘘でないのだとしたら。

『俺が説明する前に公言出来たのは、相手が苗字だったからだよ。お前なら作戦を伝えなくても平然を装えると信じていた。』
『俺達は優秀なマネージャーを持ったみたいだ。』
『苗字は十分普通以上の事をしているよ。もっと自信を持って。』
『俺は、苗字はもっと臆病な人間かと思っていた。一方的に苗字に頼られてゲームに勝利して、それでいいと思っていたんだが。

今は、とても頼もしく思うよ。』



(…その言葉、信じるからね。赤司くん。)

私は出て行かない。赤司くんの傍にいる。そう覚悟を決めて、私はカウントダウンを待った。


3、2、1――…





カチ、カチ、カチ。

時計の音が鳴り響く。しばしの静寂を両者動かずいると、先に赤司くんの方が折れて疲れたように溜息を吐いた。

「…はぁ。苗字は本当にお人好しだな。」
「え、えへ…っわわ!」

空気が緩くなったと思った瞬間私は腕を引かれて、赤司くんのされるがまま抱きしめられた。ようやく落ち着いたばかりの思考がまたパニック状態に陥る。そんな私などお構いなしに、赤司くんは腕の力を強めた。

「あ、あかしくん…あの、」
「好きだよ。」
「…、!」
「好きだ、名前。」

耳元でそんな事を囁かれては、もう抵抗なんて出来るはずも無く。それすら、彼の中ではきっと計算のうち、私を落城させる作戦なのだろう。

恋は戦いだという話をよく聞くが、私はこの人に、勝てる気がしなかった。

仕方が無いので、今日だけは、赤司くんの好きにさせてあげようじゃないか。そんな偉そうな事を考えて一時の幸せに浸る。
溶かされる視界の中でこれまでの様々な出来事を思い出して、悪い事ばかりじゃ無かったと懐かしみながら、私は静かに目を閉じた。





暗い部屋に5人の男が集まっている。円卓の奥にある大きなスクリーンからはゲームの映像が映し出され、男の内の一人が腕を組みながら愉快そうに笑った。

「いやー、赤司という少年は見事にルールの穴を巧くついてきたな。」
「まさかタトゥーをキョウハンにつけてしまうなんて、想定外ですね。ルールをもっと細かく作り直さないと。」
「確かに、ルールには『体の任意の部分に貼り付けなければならない』としか書いていないからな。それがハンニン以外の体でも何の問題も無い。流石赤司家の一人息子といったところですか。ねぇ、赤司さん。」
「…。」

男たちは一通りゲームの感想を言い合って楽しむと、スクリーンの傍に立つスーツ姿の女性にチャンネルを変えるよう指示した。映像は別のグループのゲームに切り替わる。

“赤司”と呼ばれる男は、盛り上がる男達の傍らで思った。

(どうやら、征十郎には少し手緩かったようだ。次はもう少し手強い相手と競わせる必要があるな――…)





そう。ゲームはまだ、終わらない。

彼ら『X』を止めない限り――








おわり




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